下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

隅田川

大泉学園 むら季  リターンズ

今日は「高校の同級生との雑談」の話です
コロナウィルスが猛威をふるっています。
このままだと会社はテレワーク、学校は自宅待機になるのではないでしょうか。
東京オリンピックは来年になるかもしれません。
高校の同級生との新年会で念願のグループラインができてから急速にコミュニケーションが密になりました。

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かかるなか、幹事から花見の話がでました。
隅田川の土手で花見をやろうという話になりました。
今年の開花は3月16日ですから、設営のタイミングは難しいですね。
しか〜し、このお楽しみに女子から大クレームがつきました。
コロナウィルスでこれだけ騒がれているのに、不特定多数が集まる花見なんかにいくのは
神風特攻とおんなじだと一刀両断であります。
個人的には、どこにいても罹患する可能性は高いので、花見くらいは楽しんでも良いのではないかなとは思うのですが余計な事は申しません。
ところで会場になる隅田川ですが、法的に認められたのは昭和39年7月10日だそうです。
高校の先輩の半藤一利さんの名著「歴史のくずかご」に書かれていました。
それによりますと上流端は北区の岩淵水門、下流端は東京湾と政令で決められたそうです。
それまではこの川は荒川で、隅田川は荒川の俗称だったのです。
そもそもこの川は別称、異称が多かったのでした。
古くは宮戸川、大川、さら〜に浅草川などなどありました。

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隅田川と申せば昭和53年4月16日の早慶レガッタに嫌な思い出があります。
昭和36年の30回大会を最後にして隅田川を離れていた早慶レガッタが戻ってきた記念すべき大会です。
昭和30年頃から高度経済成長に伴う河川交通量の増大、高速道路向島線の架設工事、水質汚染等で、隅田川は既にボートを漕げる環境では無くなっていました。
早慶レガッタは昭和37年の第48回大会から戸田、相模湖、荒川と転々とその開催コースを変えざるを得なくなり、かつて「東京春の風物詩」と言われたその姿を隅田川から消しました。
しか〜し、物通の主流がかつての船から自動車に変わり、公害対策も進み、川に魚が戻り始めたのを機に、再び早慶レガッタを隅田川にという機運が早慶両校、地元自治体、地元商店会に芽生え、復活の運びとなったのです。
この日、私は母校を応援する為に早慶レガッタを見に行きました。
応援の甲斐あってか母校は下馬評を覆して早稲田に大差で勝っています。
試合が終わった後、初老の方が興奮して隅田川に飛び込んで浅草側に泳いで行きました。
私はそれを見ながら、すげえな〜、最高じゃん、とうそぶきながら会場を後にしたのでした。
翌日の朝、何げなく新聞を見ていましたら、この方が水死した記事がひっそりと出ていました。
どうやら酔って泳いだために息が上がって水没したようです。
個人的には、ま万が一溺れても助ける人は川面には早慶のクルーがゴマンといるので、絶対に救助されるはずなのです。
従いまして・・・
この暴挙は安パイかと思っていましたが世の中にはこのような事がおこってしまうのですね。


これが月明かりの下?Sony Alpha A7s sample video - moonlight



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今日はアニメの街大泉学園に出没です。
美味しい蕎麦屋を食べに来ました。
今日のお店は「むら季」さんです。

住所: 東京都練馬区東大泉7-37-11
電話:03-3923-4722
定休日:木曜日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

今日のオーダー「野菜天せいろ」@1,000円です。

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待つこと1分でテーブルセットの到着です。

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待つこと8分で「野菜天せいろ」の到着です。
見た目美味しそうです。
野菜天は、ピーマン、茄子、薩摩芋、ネギです。

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それでは実食です。
まずは蕎麦から頂きました。
ここのお蕎麦は毎日外二(蕎麦粉10割:小麦2割)の蕎麦を、毎日変化する気候に合わせて調整して打たれています。良質な蕎麦粉を極少量の小麦粉をつなぎにしています。
汁は江戸風の辛口汁で細い麺を楽しめます。独自の製法と時間を掛けた、だしの効いた濃い辛口が特徴です。
あいも変わらず食感が良いですね。

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天麩羅はみな美味しいです。
特に薩摩芋は上質のケーキのような味わいです。
葱も甘さが良くでています。
これはなかなかの野菜天です。

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今日の塩は良い加減です。
この間の塩は辛かったのですがこのくらいの味わいが天麩羅には合うのではないでしょうか。

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締めの濃厚蕎麦湯も最高でした。
今日のランチは完成度が高くとてもご機嫌なランチとあいなりました。

それでは(^_-)

秋葉原 親父の製麺所

今日は「ややこしい・・・」です。
場所によって名前の変わる川はたくさんあります。信濃川は、長野県に入ると千曲川です。そういう川は、江戸にもけっこうありました。

荒川は甲武信ヶ岳に源を発し、秩父山地の水を集めて山間を抜け川となりました。東や北、ときには南へと流れを変えながら、川越の東で入間川と合流し、熊谷、石戸、岩渕などをへて千住にいたります。江戸最大の河川ですね。

陸路を使っての輸送は、あまりにもコストがかかりますし、大量輸送もできません。この川は物資の輸送という点でも、江戸の人々は大きな恩恵を受けました。

ですから昔から、詩文や歌に、また句などにうたわれて、親しまれました。江戸の人たちにとっては、この川は暮らしの役に立つだけでなく、花見や花火といった行楽にも欠かせない存在になりました。暮らしに根付いた風景として、誇りにする人がたくさんいます。

そうなると、呼び方もたくさん出てきます。

荒川というのは、東河岸にある綾瀬川と落ち合うところまでの呼び名でした。それより下流、東河岸の墨田村に沿う三里ほどが隅田川です。浅草寺に近い大川橋(現吾妻橋)から下流両国橋までを浅草川と呼びました。ここは宮戸川と呼ばれていた時代もあります。そして両国橋から永代橋の先にある川の河口までを大川と呼びました。

川下から順番にいえば、大川→浅草川(宮戸川)→隅田川→荒川、ということになります。

それぞれ愛着のある呼び方ですから、大事にしたいと思いますが、小説に書いているときに、表記をどうしようかと迷うことがあります。

永代橋下あたりから舟に乗った犯人が大川をさかのぼっていきます。両国橋を潜るまでは大川ですが、その先は浅草川です。川の呼び名について、分かっている読者の方には、何の抵抗もないと思われますが、そういう方々だけが読んでくださっているわけではありません。

今まで大川だったのが、何で急に浅草川なんだ。他の川に入ったのか、となりかねません。ここで説明を入れたいところですが、分かっている読者にしてみれば、くどい、ということになります。また展開の流れを壊してしまうことにもなりかねません。
それで迷います。これは大川だけのことではありません。

ですからそういうシーンが入りそうなときには、できるだけ前のところで、さりげなく説明を入れておくように心がけています。 
千野隆司の「時代小説の向こう側」より転載

今日のフリネタは「ややこしい・・・」です。
まずは軽い「ややこしい・・・」の紹介です。
「世の中に澄むと濁りの違いあり、禿げ(ハゲ)に毛がなし、刷毛(ハケ)に毛があり」の通りに、似て非なる言葉があります。ついでにご紹介すれば「福(フク)は徳(トク)なり、河豚(フグ)は毒(ドク)なり」ですか。
さらにもう一丁「時(トキ)は金なり、都議(トギ)は人なり」とかもあります。

下町っ子ブログですので、下町らしい「ややこしい・・・」で話の穂をつなぎます。
墨田区があるのに墨田川がない、隅田川があるのに隅田川高校(正しくは墨田川高校)がない。
これって不思議ですよね
墨田区が誕生したのは、昭和22年のことです。それまで、東京には区が35あり、現在の墨田区の地域は、本所区と向島区でした。新区名について本所と向島の両区で区民を交えて意見交換を重ねた結果、昔から広く親しまれてきたすみだ川の堤の名称「墨堤」と、最も多く使われ親しまれていた「隅田川」の字から、1文字ずつ取って「墨田区」と決められました。
また、区名を決めた当時、「隅田」を推す意見がもっとも多かったのですが、当時「隅」という字が当用漢字にはなかったために使うことができず、さらに、隅田川が法律で正式な名称とされていなかったため、「隅田区」の誕生には至りませんでした。
若干の補足をしますと、河川管理を担当する内務省の方では、1896年に制定した河川法で、荒川水系であるところから「荒川」と認定し、以後69年間、1995年までは河川法の上では隅田川の名は存在しないことになっていたからです。
要は、墨田区は、「墨堤」と「隅田(川)」の合成、「隅田」の文字は当用漢字でなかった関係で使用できなかった、ということですね。
参考文献「落書き帳アーカイブス」

次は墨田区のとなり台東区の話です。
そうそうよく台東区を“だいとうく”と読む人がおられますが、正しくは“たいとうく”ですので、もし間違えて擦り込まれていた方は正しい読み方を上書きして下さい。

台東区といえば代表する町は浅草です。
浅草には浅草橋(浅草にあるのは吾妻橋)がなく、浅草から地下鉄で二駅、2.2km離れたところに浅草橋があります。
これってかなりマギラワシイのです。
その証左に大学生の頃、外国人観光客からよくそのマギラワシ(浅草駅と浅草橋駅の違い)さを質問されておりました。
浅草橋は寛永の時代から存在した橋で、文字通り浅草寺の門前橋であったといいます。
ここに江戸城防衛拠点の一つ浅草見附があり、その門は浅草御門と呼ばれていたらしいですよ。
その為に浅草橋となったそうです。

浅草橋
下町っ子ですから、実際に浅草橋に行って浅草橋を見たことがありますけれども、神田川にかかる青色の橋でした。
歴史にifはないのですが、吾妻橋を創架したのは1774年(安永3年)です。
ところが浅草橋の創架はそれに遡ることの寛永年間(1624年〜)ですので、吾妻橋に浅草橋の名を冠したくてもすでに浅草橋が存在しており、その名前をつけたくてもできなかったのですね。

ところでフリネタの千野先生の件(くだり)ですが、隅田川って昔は場所によって名前が替っていたのですね、全く知りませんでした。
今日の今日まで大川と隅田川って同じ意味だと思っていました。
総論的には合っていたのですが、詳細は場所呼称でしたので違っていたのですね。

私の知り合いに墨田川高校卒業生が数多くいますが、世が世なら大川高校とか宮戸川高校になっていたのですね、その名前ですとあまりしっくりきません。
まぁ歴史にifはありませんから・・・

Texel Airshow 2012 Breitling Jet Team demo
今年、このチームが日本で活躍したそうですよ



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今日は秋葉原に出没です。
お昼を食べる時間がほとんどありません。
食べるか食べまいか思案をしていましたら、目の前に飛び込んできたのがTokyo Food Barさんです。
ここに決め〜た、ということで、今日のお店は「おやじの製麺所」さんです。

住所: 東京都千代田区外神田1-17-6 JR秋葉原駅
電話:03-3251-5891
定休日:無休

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お店の外観です。

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メニューです。

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今日のオーダー「焼きなすおろしぶっかけ+れんこん天」@490+@120=610円です。
このお店はJR東日本の関連会社のNRE 株式会社日本レストランエンタプライズの経営です。
麺は、JR四国の関連会社経営の讃岐うどん店からの直送です。
いわゆるJRグループの駅中の立ち食いうどん屋さんです。
感じの良い接客は高評価です。
プラ〜スほとんど待つことはありません。
それでは実食です。
うどんはコシがあり美味しいです。
出汁も丁度いいですし、茄子も甘みがあって結構です。
れんこん天もカラッと揚がっていて申し分ありません。
特段美味しいというわけではありませんが、忙しいビジネスマンには適当なお店ではないでしょうか。
清潔感あふれる店内に合格合格合格です。

それでは(^_-)


亀戸 Briller parfum(ブリエ パルファン)

今日は「戦争の風景」の話です。
戦争の傷跡」
私はblog名の通り東京の下町生まれです。
東京の下町は1945年3月10日の東京大空襲で米軍が放ったエレクトロン焼夷弾の投弾による民間人への無差別攻撃がおこなわれました。
それによる業火や焼夷弾の直撃により死亡者、負傷者併せて13万人という信じられない方が犠牲になりました。
そしてこの空襲により東京の下町全体が一夜にして焼野原に変貌したのです。
したがいまして私が小学校か中学生だった頃でも、東京の下町にまだ戦争の爪跡はわずかながらではありますが残っていました。

墨田区に外出小学校という小学校があります。
そこの小学校の外壁には東京大空襲で焼夷弾に直撃された人の肉片が飛び散ったとかで、その人の生前の歩いている姿そのものが油っぽい黒いしみとしてまるで謄写版で刷ったかのように残っていました。
また私の卒業した中学には防空壕がありました。

よく友達の家に遊びに行くと友達のおじいさんが東京大空襲の話をしてくれました。
東京大空襲の時には錦糸町のあたりには真っ黒焦げの死体が山のように積まれていた、と話していました。
その死体は男女の区別もつかないほど焼け焦げていたそうです
隅田川は、大空襲のあと、川は死体で埋まり、川面が見えなかったそうです。
そのおじいさんは炎に追われながらも、川に飛び込まずに逃げたので助かったそうです。
大量の焼夷弾の炎はまるで狼が舌舐めずりをするかのように川面を舐めます。
そのために川に飛び込んだ人はみんな炎で顔を焼かれます。
そしてその熱さに耐えられず水の中にもぐります。
水の中に潜ると息が続かないのでまた川面にでて息をつぎます。
そしてまた炎に顔を焼かれます。
この無間地獄のはては溺れ死ぬか炎に酸素を奪われて窒息死したそうです。
万が一それを逃れても今度は3月という寒さから凍死した人もいたようで翌朝の隅田川には凍死・溺死者で川面が盛り上がっていたそうです。
ということで“空襲の時には川に逃げるな”とこの話がでる度に友達のおじいさんは口を酸っぱくして言われていました。

日本人のほとんどは、あの戦争のおかげで地獄を味わった、ひどい目にあった、という記憶は共通しており、もう二度と戦争はごめんだ、と誰もがその点では一致するところであります。
日本軍の死者は約200万人と言われています。
赤紙一枚で召集され、理不尽な暴力によって人殺しの機械とされ、戦地に送られた人々がいました。
そしてその死は、ほとんどが餓死だったといわれています。
侵略戦争を推進するという目的から考えても、つまり戦術的にも戦略的にも、まったく意味のない死“餓死”を強要されたのです。
軍部の統制は厳しく、もの言えば唇寒し、というありさまでしたし戦争に対する批判はもちろん、戦争でひどい目にあった、という話すらできなかったのです。
防空訓練として竹槍の練習が強要されました。空を飛んでいるB29に対して竹槍でどう抵抗するのか、と疑問を呈することすら許されなかったのです。
日本国中が狂気に包まれていたこの体験を繰り返してはなりません。

War, which is, indeed, little more than the register of the crimes, follies, and misfortunes of mankind.
戦争とは、ただ人類の犯罪、愚行、災難の記録にすぎない。
By Splash

自主制作のマトリックスアクション
完成度が高いと評判も、PV数はそんなに高くないのが不思議!



今日は東京の下町亀戸に出没です。
今日は肉が食べたかったのです。
という事で今日のお店は「Briller parfum(ブリエ パルファン)」さんです。

住所:東京都江東区亀戸2-12-1クレスコート小島1階西側
TEL:03-3683-7989
定休日:日曜日・祝日の月曜日

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お店の外観です。

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Chefの紹介です。
藤瀬 保
【シェフ経歴】
東京都江東区出身。高校卒業後、料理の世界へ入る。
ホテルやレストランで10年間修行し海外の大使館のシェフに就任。ロシアやウズベキスタンの大使館で6年間経験を積み東京都江東区にBriller Parfumをオープン

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お店の紹介です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

今日のオーダー「和牛のビーフシチュー」@1,680円です。
実はこのお店の「岩中豚のグリル」@1,000円を食べたかったのですが12時34分入店というのにもかかわらずsold-outでした。
まさかという坂は最近お目にかかってないのですがひさびさにめぐり会いました。
さりとて他のジャンルの料理にする気にもならず、いきおい上方修正ということで「和牛のビーフシチュー」@1,680円という遷移になったのです。
決して裕福なわけではありません。
亀戸ってド下町でしょう、従って物価がやすいという擦り込みの町ですので、この町での@1,680円って、私にとっては@3,000円位の感じなのですね。あくまでも感じなのですがね。
ちょっとカラんでますね。しつこいですよ・・・

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待つこと12分でサラダと冷製ボタージュの到着です。
見た目ウマウマ感ありサラダと冷製ボタージュです。
冷製ボタージュですか美味しすぎます。
これは一流ホテルの味わいです、コクがあってなめらかです。
サラダもedgeが立っていてイケます。

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待つこと13分で「和牛のビーフシチュー」の到着です。
見た目肉が光っているぜシチューです。
お腹がすいていたので早速実食です。
肉が柔らかいですね、美味しいです。
ソースはかなり濃厚ですがちょっと酸味が強いですかね。
でもかなりのレベルですね。
しいて瑕瑾をもうせばとnot too manyですか・・・
どちらかというと食べ物の量には拘泥しない私ですが、さすがにこのライスを含めたperformanceはいただけません。
それとchefは私同様の下町育ちとのことですので、もうすこしにこやかに接客してもらいたいものです、ハイ。
以上です・・・

それでは(^_-)
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