今日は「恩師列伝」です。
私の小中学校の時の恩師の話です。
宜しかったらお付き合いください。
#宮下先生

巨人軍の元王監督は中学時代の成績はとてもよくて地元で一番東大合格率の高いとされていた都立高校にいこうと考えていたのです。
しか〜し安全性を考えて地元で二番目に良いとされていた高校を受けたのです。
なぜか落ちてしまいました。しかもその高校には自分より成績の悪い友人が受かっていたので王監督はかなりショックを受けていたとの事です。
王監督は正式合格にならなかったものの補欠一番だったので、もし試験当日、合格レベルの受験者が一人でも風邪かなにかで未受験だったら王監督はその都立高校に入り、早実には行かなかったのですね。
そういう意味では世界の「王」が誕生したというのは偶然の産物だったというのが私達下町での都市伝説です。
実は私は王監督の中学校の後輩であります。
私の中学の音楽に宮下先生という方がおられました。
この先生が怒るときによく言われていた言葉があります。
それは「俺の右手を見ろ」です。
私達がその言葉を言われたら「何ですか、皺の多い手ですね」と言うのがお約束です。
すると「ふざけるな、もっとよく見ろ」と言われますので、指先がチョークの粉で汚れているので「指先がチョークの粉で汚れています」と言います。
そこで「お前らの目は節穴だ〜。この手は世界の王を張り倒した右手だ」と大きく見得を切るのです。
さらに「王はこの手で張り倒すと、はるかかなたまでふっ飛んでいったんだ」と言われて締めるのですが、なんで音楽の時間でそこまで怒られる事になるのだろうか、ということですが、いずれにしてもこれは先生が「俺の右手を見ろ」と言われた時の決められたお約束ですので、ハイ。

今このように思いだしますと、かなり迫力のあった音楽の先生でした。
実際に体罰もありました。私も授業中に縦笛でチャンバラしていたのが見つかって二三回張り飛ばされました。
ちなみにベートーベンを意識したのか髪型は同じでしたが風貌はアインシュタインにそっくりでした。
もうこのような先生は現れないでしょう(笑)
#磐田先生

私の小学校5〜6年の時の担任の先生です。
激情家です。たまに自分の琴線にふれる話をしますと、その言葉に酔って涕涙されていました。
ちなみにお酒にも酔うみたいで不定期に二日酔いで遅刻していました。
そのような時は自習になるのでみんな喜んでいました。
たまに根性で出てくる時もありましたが、根性では調子が戻らず教壇で寝ていました。このような時も自習でした。
と書いていますと、かなりいい加減な先生の様に思われるでしょうが、その実態は熱血先生です。
私は磐田先生が大好きでした。
年に一回、磐田先生の家庭訪問があります。
この時は下町が大騒ぎになります。
私達の親も磐田先生の酒好きは知っていますので、先生がお見えになりますと、今日はお熱いですから、まぁどうぞ、という事になります。ここで断れば良い先生なのですが、親御さんの折角のおすすめをお断りするのも失礼ですので、本当に一献だけですよ、と始まって下町の空は徐々に真っ赤に染まっていくのでした。
正しくは先生の顔ですがね・・・
下町ですから、A男君の家でご酒を頂いたなら、私の家のご酒を頂いてもらいませんと、恥ずかしくて表通りは歩けません、てな事で第二ラウンドの幕は切って落とされるのです。
これが無限極楽みたいに続くわけですから、6軒目当りから酔歩蹣跚状態となります。
次の家に這っていくわけにもいきませんので、先生を移動させるリヤカーなどが出動するなど、まさに我が下町は酒池王城と化すのです。
最後の方は私達生徒がグダグダの先生を乗せたリヤカーを、ワッショイワッショイと言いながら神輿渡行の様に駅まで送っていくのでした。
このように書いていてとても楽しかった気持ちがよみがえってきます。
とても人間味あふれる先生でした。
このような大騒ぎができたのは下町だからでしょうね。
ちなみにその後の磐田先生ですが、とある中学校の校長を勤め、最後は教育委員会の要職にまで登りつめられたとのことです。
「芸は身を助ける」ではなく「酒は身を助ける」の一席でありました。
お後がよろしいようで・・・
Unreal Body Strength


今日はくれなずむ人形町に出没です。
ちょっと遅い昼食を食べようと思案していたら、この看板が目に飛び込んできました。
な何と30年ぶりの再訪です。
今日のお店は「キラク」さんです。
住所: 東京都中央区日本橋人形町2-6-6
電話:03-3666-6555
定休日:日曜・第2第3月曜(祝日の場合は営業)


お店の外観です。

店内の雰囲気です。

メニューです。
今日のオーダー「ポークソテー(ライス付)」@2,000円です。
たしか30年前、NHKの「きょうの料理」?かなにかで先代がfeatureされた時に「ポークソテー」を紹介していて、その匠の技にしびれ、早速に食べにいきましたら椅子から体が浮き上がるほど美味しくて大感動した思い出があります。
以来我家のポークソテーは「きらく」さんの味付けになりました。
亡き母もこのお店の「ポークソテー」は大のお気に入りです。
そうそう実は私も「ポークソテー」は大好きなのです。
今気がつきました。これって遺伝だったのですね。



待つこと9分で30年ぶりの「ポークソテー」が到着です。
あれっ200gの豚肉なのですがずいぶん縮んでいますね。
肉の下ごしらえ(筋切等)が雑なのか焼き方がお上手なのでしょう・・・
そう申してみますと、何か今のコックさん先代に比べますと仕事が早いといえば宜しいのでしょうが何かはしょっているようにも思えました。
フランべしたのは驚きましたが、なにかが違います。
気を取り直して実食です。
肉が硬いです。
先代の頃は柔らかくて、先代にそれを誉めますと、ギリギリまで熟成させているからさ、と豪語していました。
にんにく・バター・醤油ソースの味はほぼほぼ同じでしたがそれでも微妙に違います。
私のベロメーターの感度が鈍くなったのか、コックさんの腕が落ちたのか何れかでしょう。
帰り際に、ホールの責任者の女性に、先代の娘さんですか、と聞けば、私が正真正銘の二代目です、と答えたので、ここでも違和感を覚えました。
帰宅してブログアップするので周辺情報をcheckしましたら、娘三姉妹の中で遺産相続の内紛があり、以前キラクさんにいたメンバー(長女・次女)は、2008年10月、同じく人形町の甘酒横丁の1本裏に入った路地に「ビーフかつれつ そときち」という店をオープンしたのだそうですね。
いずれにしてもこれで@2,000円は「コスパ悪し」と言わせていただきます。
先代の味は「ビーフかつれつ そときち」で引き継がれているようです。
今度そちらに行ってみましょう、キッパリ。
私の小中学校の時の恩師の話です。
宜しかったらお付き合いください。
#宮下先生

巨人軍の元王監督は中学時代の成績はとてもよくて地元で一番東大合格率の高いとされていた都立高校にいこうと考えていたのです。
しか〜し安全性を考えて地元で二番目に良いとされていた高校を受けたのです。
なぜか落ちてしまいました。しかもその高校には自分より成績の悪い友人が受かっていたので王監督はかなりショックを受けていたとの事です。
王監督は正式合格にならなかったものの補欠一番だったので、もし試験当日、合格レベルの受験者が一人でも風邪かなにかで未受験だったら王監督はその都立高校に入り、早実には行かなかったのですね。
そういう意味では世界の「王」が誕生したというのは偶然の産物だったというのが私達下町での都市伝説です。
実は私は王監督の中学校の後輩であります。
私の中学の音楽に宮下先生という方がおられました。
この先生が怒るときによく言われていた言葉があります。
それは「俺の右手を見ろ」です。
私達がその言葉を言われたら「何ですか、皺の多い手ですね」と言うのがお約束です。
すると「ふざけるな、もっとよく見ろ」と言われますので、指先がチョークの粉で汚れているので「指先がチョークの粉で汚れています」と言います。
そこで「お前らの目は節穴だ〜。この手は世界の王を張り倒した右手だ」と大きく見得を切るのです。
さらに「王はこの手で張り倒すと、はるかかなたまでふっ飛んでいったんだ」と言われて締めるのですが、なんで音楽の時間でそこまで怒られる事になるのだろうか、ということですが、いずれにしてもこれは先生が「俺の右手を見ろ」と言われた時の決められたお約束ですので、ハイ。

今このように思いだしますと、かなり迫力のあった音楽の先生でした。
実際に体罰もありました。私も授業中に縦笛でチャンバラしていたのが見つかって二三回張り飛ばされました。
ちなみにベートーベンを意識したのか髪型は同じでしたが風貌はアインシュタインにそっくりでした。
もうこのような先生は現れないでしょう(笑)
#磐田先生

私の小学校5〜6年の時の担任の先生です。
激情家です。たまに自分の琴線にふれる話をしますと、その言葉に酔って涕涙されていました。
ちなみにお酒にも酔うみたいで不定期に二日酔いで遅刻していました。
そのような時は自習になるのでみんな喜んでいました。
たまに根性で出てくる時もありましたが、根性では調子が戻らず教壇で寝ていました。このような時も自習でした。
と書いていますと、かなりいい加減な先生の様に思われるでしょうが、その実態は熱血先生です。
私は磐田先生が大好きでした。
年に一回、磐田先生の家庭訪問があります。
この時は下町が大騒ぎになります。
私達の親も磐田先生の酒好きは知っていますので、先生がお見えになりますと、今日はお熱いですから、まぁどうぞ、という事になります。ここで断れば良い先生なのですが、親御さんの折角のおすすめをお断りするのも失礼ですので、本当に一献だけですよ、と始まって下町の空は徐々に真っ赤に染まっていくのでした。
正しくは先生の顔ですがね・・・
下町ですから、A男君の家でご酒を頂いたなら、私の家のご酒を頂いてもらいませんと、恥ずかしくて表通りは歩けません、てな事で第二ラウンドの幕は切って落とされるのです。
これが無限極楽みたいに続くわけですから、6軒目当りから酔歩蹣跚状態となります。
次の家に這っていくわけにもいきませんので、先生を移動させるリヤカーなどが出動するなど、まさに我が下町は酒池王城と化すのです。
最後の方は私達生徒がグダグダの先生を乗せたリヤカーを、ワッショイワッショイと言いながら神輿渡行の様に駅まで送っていくのでした。
このように書いていてとても楽しかった気持ちがよみがえってきます。
とても人間味あふれる先生でした。
このような大騒ぎができたのは下町だからでしょうね。
ちなみにその後の磐田先生ですが、とある中学校の校長を勤め、最後は教育委員会の要職にまで登りつめられたとのことです。
「芸は身を助ける」ではなく「酒は身を助ける」の一席でありました。
お後がよろしいようで・・・
Unreal Body Strength


今日はくれなずむ人形町に出没です。
ちょっと遅い昼食を食べようと思案していたら、この看板が目に飛び込んできました。
な何と30年ぶりの再訪です。
今日のお店は「キラク」さんです。
住所: 東京都中央区日本橋人形町2-6-6
電話:03-3666-6555
定休日:日曜・第2第3月曜(祝日の場合は営業)


お店の外観です。

店内の雰囲気です。

メニューです。
今日のオーダー「ポークソテー(ライス付)」@2,000円です。
たしか30年前、NHKの「きょうの料理」?かなにかで先代がfeatureされた時に「ポークソテー」を紹介していて、その匠の技にしびれ、早速に食べにいきましたら椅子から体が浮き上がるほど美味しくて大感動した思い出があります。
以来我家のポークソテーは「きらく」さんの味付けになりました。
亡き母もこのお店の「ポークソテー」は大のお気に入りです。
そうそう実は私も「ポークソテー」は大好きなのです。
今気がつきました。これって遺伝だったのですね。



待つこと9分で30年ぶりの「ポークソテー」が到着です。
あれっ200gの豚肉なのですがずいぶん縮んでいますね。
肉の下ごしらえ(筋切等)が雑なのか焼き方がお上手なのでしょう・・・
そう申してみますと、何か今のコックさん先代に比べますと仕事が早いといえば宜しいのでしょうが何かはしょっているようにも思えました。
フランべしたのは驚きましたが、なにかが違います。
気を取り直して実食です。
肉が硬いです。
先代の頃は柔らかくて、先代にそれを誉めますと、ギリギリまで熟成させているからさ、と豪語していました。
にんにく・バター・醤油ソースの味はほぼほぼ同じでしたがそれでも微妙に違います。
私のベロメーターの感度が鈍くなったのか、コックさんの腕が落ちたのか何れかでしょう。
帰り際に、ホールの責任者の女性に、先代の娘さんですか、と聞けば、私が正真正銘の二代目です、と答えたので、ここでも違和感を覚えました。
帰宅してブログアップするので周辺情報をcheckしましたら、娘三姉妹の中で遺産相続の内紛があり、以前キラクさんにいたメンバー(長女・次女)は、2008年10月、同じく人形町の甘酒横丁の1本裏に入った路地に「ビーフかつれつ そときち」という店をオープンしたのだそうですね。
いずれにしてもこれで@2,000円は「コスパ悪し」と言わせていただきます。
先代の味は「ビーフかつれつ そときち」で引き継がれているようです。
今度そちらに行ってみましょう、キッパリ。