下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

坂本龍馬

霧島 霧島ホテル きりしま

鹿児島旅行 其の弐の後半
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日本全国くまなく行っているようで実は行っていないところがあります。
それは山口県、島根県、鳥取県と鹿児島県であります。
そのなかで、今回は奥様のたっての希望で未訪の鹿児島県に行ってまいりました。
今回はJTBさんのツアーに参加しました。
今回の旅行中の天気予報はすべて雨でした。
傘を持っての観光になりそうであります。
画像主体ですがお付き合いください。

#桜島観光
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いよいよ私たちの旅の目的である桜島へ上陸します。
その為にはフェリーに乗らなければなりません。
車が向かった先は鹿児島港であります。

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バスでフェリーに乗り入れますと私たちは船からおりフェリーの客室に向かいます。
鹿児島のシンボルといわれる桜島は、北岳・南岳の2つが合わさる複合活火山で、今も噴煙を上げ、灰を降らせている世界的に珍しい火山です。
船から見た桜島は想像以上に大きな島です。
フェリーに乗って約15分で桜島に上陸しました。

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私たちはフェリーの中からバスに乗って桜島の中を周遊しました。
途中有村溶岩展望所でひと休みしました。

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この画像は噴火した桜島の様子です。
この島には人から頼まれても住みたくないなぁという気分であります。

ここには溶岩が作った不思議な岩のオブジェが待ち受けていました。
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これは美女の頭です。

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これはライオンです。

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帰りはまた船にのって鹿児島港に戻るのかと思いきやそのまま走り続けています。
知らなかったですが、桜島は実は島ではなく、陸続きだったのであります。

#黒酢本舗桷志田(かくいだ)
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桜島観光の後は、皆さんのお疲れを取るためにこのお店に立ち寄りますと、言われてバスから降りたのは、黒酢本舗桷志田さんです。
桷志田というのは、鹿児島・福山の自然がつくる「長期熟成」の玄米黒酢でここではすべて3年以上熟成させています。
3年以上の熟成期間を経ることでアミノ酸量が増え、コクや旨みが深まるのだそうです。
ここでは勧められるがままにありとあらゆる黒酢を飲みました。
その量が多かったのか胃がビックリして痙攣をし始めたので、モノには適量があるわいなと思った次第であります。

#霧島ホテル
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今日の宿泊先である霧島ホテルは硫黄谷温泉で有名だそうです。
慶応2年(1866年)、京都伏見寺田屋事件で坂本龍馬は右手親指の付け根、左手親指の節と人差し指の付け根に重傷を負いました。
その後、龍馬はお龍共々薩摩藩に避難しました。
龍馬は西郷どん達の薦めもあり、妻お龍と温泉療養と新婚旅行を兼ねてこの地を訪れこの旅館に逗留して、その傷を治そうとしたそうです。
ホテルの全容をみて、こんな豪華なホテルに龍馬夫妻が泊まったのかと思ったのです。

霧島館
ここでも時間の勘違いをしてしまいました。
ホテルの歴史館の資料によりますと龍馬夫婦が訪れた時は、今から160年前、旅館ができて2年目でした。
主人は薩摩藩からの紹介もあり、龍馬夫妻を賓客として扱い、地元の薩摩軍鶏鍋で歓待したそうです。
龍馬夫妻と同じホテル(昔は旅館)に泊まれるとは龍馬フアンの私としては大感激であります。

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ホテルの部屋に入り着物の上に丹前を羽織り、お楽しみの温泉に向かいました。
温泉に入ってみて、腰が抜けるくらい驚きました。
大浴場の広さは500坪、温泉かけ流しで、イチバン深い所は1m40cmもあります。
14もの泉源から引くこの温泉のお湯は4種類です。
噴き出る温泉の高さは5mです。
打たせ湯の高さは3mです。
これすごいし楽しまないといけません。
九つある湯に全部入りました。
この温泉は、女性はバスタオルを巻けば、男性用の風呂にも入る事ができるのですが、さすがにチャレンジングな女性はいませんでした。

#夕食は「きりしま」です
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お風呂に入ってスッキリした私たちはお楽しみの夕食です。
夕食は館内霧島館にある「きりしま」でいただきます。

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「きりしま」店内の雰囲気です。

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テーブルに着くと料理はすでに出来上がっていました。
那辺は昔の旅館スタイルですね。
懐かしいです。

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まずはお疲れ様乾杯です。
今日も温泉にタップリ入ったので喉がカラカラです。
ビールが体中に染みわたっていきます。

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お品書きです。

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紙をとりますと今日の料理が表れました。

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まずは、湯葉青竿沙餅と季節物前菜です。
冷めていて美味しくも不味くもありません。
所謂、ひと昔前の旅館の料理です。

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酒寿司です。
乱暴に運んだのかセンターがズレています。
味は意外に美味しく好評です。

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造りは鮮度がイマイチですね。
普通はこんなものでしょう。

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霧島黒豚焼酎パイ包みです。
不味くはありません。
なんか不思議な味わいでした。

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黒豚しゃぶしゃぶです。
これはあまり美味しくありません。
肉に元気がありませんでした。

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黒毛和牛ステーキ
和牛ステーキの陶板焼きは美味しくいただきました。
しか〜し、肉が少ないですね・・・

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吸い物・ご飯
これは特段のコメントはありません。

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デザート
フルーツティラミスでしたがこれは想像以上においしく最後は締まりました。
旅館の夕食なのでそういう意味での期待は裏切りませんでしたものの残念でした。

それでは(^_-)

郡山 イタリアンダイニング

坂本龍馬は何をした人?
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司馬史観で拡散していた龍馬の存在が希釈しています。
かく言う私も司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」で坂本竜馬を知りました。
あんなに劇的な事が絶えず起きるものオカシイとは思います。
これは司馬先生のストーリーテーラー(筋立ての巧みな作家)としての力量のもので、ついつい皆がその世界に入りこんでしまったのです。
個人的には龍馬が大政奉還を目指したのは、国内の経済的な疲弊を鑑みると、武力討幕は極力避けるべきである考えていたからです。
龍馬は、戦争をすれば、それだけ国力を浪費するし、幕府側、反幕府側、双方で人材や生活インフラが大量になくなりますので、新しい国家建設を行う上では回避すべきと考えていたのでしょう。
また内戦が長引けば、1840年のアヘン戦争以来国が混乱し、1851年には国家規模的の内乱である太平天国の乱がおきた清国のようになります。
情報収集に長けていた龍馬は当然ことながらこのような悪しき前例は知っており、内戦を起こさずに、幕府に変わる新政権の樹立を考えていたのでしょう
実際の明治維新は、すでに幕藩体制が終焉し、挙国一致で近代化を進めようとしていたにもかかわらず、主導権を握りたい薩摩藩や長州藩、一部の公卿が強引に起こしたものであり、その権威を誇示したいがために東北戦争では多くの血がながされたのであります。
戦争はカネがかかるものと商家育ちの龍馬は皮膚感覚でわかっていて、そこには佐幕とか勤王というような濃厚な政治思想は無かったのでしょう。
実際、鳥羽・伏見の戦いで勝利した官軍は、勝利したのだからすぐに幕府軍のいる江戸に向かうべきだったのですが、遠征費用が捻出できず、その費用を調達するために1カ月も京都で足踏みをしていたわけです。
要は官軍には龍馬のように軍事費迄は頭が廻らなかったのであります。
那辺は西郷・大久保の限界でしょう。
このような経済問題は、生前の龍馬が新政府に招聘した由利公正が活躍するのです。
「竜馬がゆく」での由利は、一陣の風で懐にあった竜馬からもらった写真が吹き飛ばされて、竜馬の前途に暗い暗雲が立ち込めたと感じたと言っていた人物です。
実際、彼の予感は当たりそれからしばらくして龍馬は殺されたのであります。
その由利は、資金集めに公債を発行し、三井、小野、島田の商人たちに金を出させて、300万両(6,000億円)を集めようとしました。満額を集めることはできなかったものの、取り敢えず当座の費用を徴収できたので、官軍は進撃を開始したのです。
さら〜に、由利は「太政官札」を発行して、新政府の財政危機の急場をしのぎ、最終的には4,800万両(10兆円)の太政官札を発行するまでに至ったのであります。
このような由利との交友があった龍馬は、精神論や主義主張な面ばかりに偏重していた当時の志士たちの中で稀有な存在でありました。
倒幕運動をするにあたっても、龍馬はつねに軍資金の事を考えていました。
その結果、龍馬は明治維新直前に殺されていたにも関わらず、官軍の軍費を彼が賄っていた部分が散見されていました。
それどころか、明治後の財政、金融においても、龍馬は布石を打っていたのでした、
明治政府が維新の大混乱の中で、財政破綻に陥ることなく、速やかに安定をもたらす事ができたのも、龍馬の功績があったからなのでしょう。


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今日は野暮用で郡山に出没しました。
折角ですので、明治のはじめ、灌漑用の池として造成された五十鈴湖を中心に都市公園として整備された郡山一広い開成山公園のバラ園に立ち寄りました。

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その後ランチです。
今日のお店は「イタリアンダイニング」郡山店さんです。

住所: 福島県郡山市開成2-30-10
電話: 024-927-8088
定休日:無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

今日のオーダー「ランチセット+蜂蜜」@1,000+@100=1,100円です。
店内はジモティーで混んでいます。
ピッツアを焼く石窯があります。

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座るやいなやサラダが到着しました。
野菜がシャキシャキしています。
ドレッシングも爽やかです。
これは美味しいです。

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待つこと9分で私がオーダーした「クワトロフォルマッジ」と「蜂蜜」が到着しました。
焼き加減が美味しそうです。
蜂蜜を掛けまわしていただきます。
これは生地の塩加減にゴルゴンゾーラチーズと蜂蜜がよく合います。
焼き加減も過不足なくふっくらしています。
美味しいですね。
これはあっという間に胃袋に吸収されました。
期待以上の美味しさで大満足です。

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食後の珈琲は私の好きなテイストではありませんがこれは好き好きです。

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食後のデザートも私の好きなテイストではありませんがこれも好き好きです。
郡山でこのクオリティが味わえて大満足なランチです。
ごちそうさまでした

それでは(^_-)

成城学園 キリーズ フレッシュ

今日は「白杖異聞」です。
白杖
通勤ホームでたまにみかける初老の男性の視聴覚障害者の方がおられます。
見かけるのはその方が電車から降りられる時です。
最近お目を悪くされたみたいで、白杖の使い方が今一つで慣れていません。
そのためか進む方向がふらふらしています。
そのような状態で電車から降りてきますので、ホームで待っている私達はまるで「モーゼの十戒」のようにその人が進む方向の道を開けるのに大わらわなのです。
こういう気配りって日本人だけなのでしょうね。

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数週間前、ホームの階段の下の坂本龍馬が亡くなる日に軍鶏鍋を食べていた「近江屋」のような低い天井の暗がりのところで立って書類をみていましたら、誰かに背中をさすられました。
最初はあまりの唐突さに目をつぶってじっと耐えていたのですが、だんだんさすられる範囲が広くなってきたので振り返りましたところ、どうやら視聴覚障害者の方の進路を塞いでいたみたいです。
その方はその方でいつもはopen spaceなのに突然に壁ができたので驚いて触って確認していたのです。
こんなこともあるのですね。

さらに先日、電車の中で白杖を持った方がスマホをいじっていました。
これにはさすがに驚きました。
すかさずそのような事態ってあるのかと思って即にnetで調べてみましたら、視覚障害って視野障害、低視力、夜盲等色々あるのですね。
要は全盲の方ではない「見えにくい人」が白杖を使っていたのでした。
ちなみに耳の聞こえない人と政令に定めている身体障害者以外の方は、政令で定める杖(白状)を携(たずさ)えて通行してはならない事になっていますので、にわか視聴覚障害は「ダメよ〜ダメダメ」なのです。

視聴覚障害の方は確かに大変なご苦労があろうかと思います。
しか〜し人生の根幹を支えているものは、不可視なものなのです。
希望、情愛、信頼、慰め、励まし、癒し、いずれも見ることもできなければ、手に触れることもできません。
いずれも生きていく上でなくてはならないものです。
見えないから不確かなのではありません。見えないからこそいっそう確かな事もあるのです。
人間の心の最も尊い部分、見えない善なる部分を信じることを忘れてはいけません。

Let us, then, be up and doing, With a heart for any fate.
それでは、立ちあがり、行動しよう。いかなる運命のもとでも、精いっぱいに。
Henry Wadsworth Longfellow(ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー)


ロシアで撮影された「中国製のヘルメットとヤマハ製のヘルメットの耐久力を試してみた動画」が話題になっていました。なんとなく想像はつきますが、これほどとは思いませんでした・・・

そして、中国製・・・



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今日は成城学園に出没です。

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このお店は「成城石井」さんの本店ですかね。成城にある「成城石井」さんなので多分そうでしょう。
偶然前を通りましたのでパチリしました。

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今日お邪魔した会社です。
High-endってこのようなところをいうのでしょうね・・・

今日のlunchはlate lunchです。
成城学園って食べるところがないのです。
探して探して見つけたお店です。
今日のお店はKiriy’s Fresh(キリーズ フレッシュ)成城店さんです。

住所: 東京都世田谷区成城6-14-2 ミワビル1F
電話:03-3789-2890
定休日:無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

今日のオーダー「ゴルゴンゾーラチーズバーガー」@1,050円です。
待つこと6分で「ゴルゴンゾーラチーズバーガー」の到着です。
見た目volumy(和製英語)です。

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本当にボリュームたっぷりのハンバーガーです。
具はハンバーグ、レタス、タマネギ、トマトに目玉のゴルゴンゾーラチーズです。
パンズは硬めのもので、外はカリッと中はフンワリしたタイプです。
軽くトーストされているので香気が立ち昇ってきます。
バンズの内側にはバターが塗ってあります。
パテ(ハンバーグ)は、牛肉100%です。
フライドポテトは4〜5mm角と細くカリカリに揚がっています。

それでは実食です。
バンズを口いっぱいにほおばり噛みしだしますとハンバーグの肉汁が水芸人の曲芸のようにピュッ、ピュッと吹き出てきます。それに呼応するよう須臾(しゅゆ)の時間差で溶岩のようなトロトロのゴルゴンゾーラチーズが流れだしてきます。
これはたまらない味です。
で〜もこの味は好き好きですね。
私みたいにゴルゴンゾーラチーズ好きにとっては垂涎の味わいですが、そうでない方はあまりのシンプルさに不満が残るかもしれません。
成城セレブの淑女をご高覧なされたい方にはお勧めのお店です、ハイ。

それでは(^_-)

東京国際フォーラム 宝 リターンズ

今日は「人生はマラソンレース」です。
「アンパンマン」といえば、「ドラえもん」とならび、時代を超えて子供たちに愛されてきた、日本を代表する国民的キャラクターといっていいでしょう。

その「アンパンマン」の作者、やなせたかしさん。やなせさんは、漫画家として輝かしい人生をおくったかのように思うでしょうが、実はそうではありません。

絵本「それいけ!アンパンマン」が出版されたのは、1975年。その時なんと、やなせさんは、56歳でした。

やなせさんは語っています。

「僕は50代半ばまで代表作を生むことができず、
“自分はいったい、何のために生まれてきたのだろう”
とずいぶん苦労しました。
でも、若いときに苦労したり悩んだりしたことが、
いまの僕に活力を与えてくれる
“宝物”になっているような気がします。」

1988年にアニメ「それいけ!アンパンマン」がスタート。
1990年(71歳)に、日本漫画家協会賞大賞。
その後、劇場版アニメも何本も公開され、国民的アニメとなって現在に至ります。

やなせさんは、『手のひらを太陽に』の作詞家としても知られますが、34歳で専業漫画家として独立するものの、漫画やイラストの仕事よりも舞台装置の製作や放送作家、作詞家としての仕事の方が多かった。つまり、漫画家としてはなかなか芽が出なかったのです。

しかし、やなせさんは、それでもやめずに、絵本や漫画を書き続けた。

そして、50代半ばで、自信の代表作「アンパンマン」を作り上げ、70歳になって大ブレイクしたのです。
まさに、大器晩成。

私は50歳を超えてまで、漫画をやめないで書き続けていたというのが凄いと思います。

あなたも、自分の好きなことを、なかなか成功しなくても、56歳までやり続けることができますか?

やめてしまえば、それで終わり。
「成功」するまで、続けられるか。

「続ける」は、最強の成功法則である。
やなせたかしさんの人生を振り返り、改めてそう思いました。

アンパンマン
これは、やなせ氏が、東日本大震災の被災者に贈った言葉ですが、うつ病で「死にたい」と悩んでいる人にも伝えたいメッセージです。

戦争体験者であるやなせ氏は、従軍中に食糧不足からの空腹を体験し、また仲間の兵隊が餓死するのを目の当たりにしました。そこで、「人生で一番つらいことは食べられないこと」という考えをもったそうです。

そしてそれまでのヒーローは飢えた人間に対して食糧をあたえるといった行動がなく、「それならば食糧をあたえるヒーローがいてもいい」という発想から生まれたのがアンパンマン。

そんな、やなせ氏の体験談を知って、改めて「生きていることが大切なんです」という言葉を読むと、この言葉の持つ深い意味が心に刺さります 。
精神科医「樺沢 紫苑FB」より転載

アニメ「アンパンマン」シリーズの作者として知られる漫画家のやなせたかしさんが10月13日(日)未明心不全のために亡くなりました。94歳でした。
私はこの方の本(漫画ではありません)を相当読んでいます。
読後感としてはこの方は人生の達人だという認識です。
プラ〜ス明るいですね。
ご出身が坂本龍馬等を輩出した土佐であることから人生の明色化の達人でもあります。
悲観的な過去体験も事実は事実として語られていましたが、最後はこのような事があったからかえって楽しく生きなければいけないといように纏めておられました。

確か石坂泰三さんですか、以下の様な事を言われていました。
「人生はマラソンなんだから、百メートルで一等をもらったってしょうがない」
私も全くその通りだと思っています。
そしてこれを人生で実践されたのがやなせ先生だと思っています。
それでなければ56歳で「あんぱんまん」を上梓してそれが70歳になって大ブレイクなぞしなかったでしょう。
まさに人生はマラソンレースだと思っていたからの快挙だと思うところであります。
多分苦しい時もあったのでしょう、でもいつまでもこんな苦しいことが続けくわけがない。必ず良いときがくるはずだ。その時にはこの苦しさをバネにして10倍返しだと、思っていたのではないでしょうか。
人生はマラソンの如くperspective on life(人生の俯瞰)が必要なのです。
そしてマラソンの要諦はただ一つです。
体調の如何にかかわらずただひたすらゴールを目指すこれに尽きます。

ところでマラソンをやる人達に共通したふるまいがあります。
それは人生にはメリハリをつけていますが、マラソンの練習にはメリハリがないということです。
特に走りたての方に多い特徴なのですが練習をしすぎる事です
練習で張り詰めた状態は短期間であれば人間は耐えられますが、長期では絶対に無理です。
弓の弦(つる)があります。弦は緩めるから、再び強く引くことができるのです。
弦を引っ張り続けると、いつか弦が切れてしまいます。当たり前の事ですね。
引っ張っては、緩める。
引っ張っては、緩める。
こが練習の秘訣です。
リラックスして休む時間があるから、マラソンレースでよいタイムが出るのです。
これは自分への戒めでした・・・

最後にやなせ先生のご冥福を祈り、衷心より哀悼の意を表します。
やなせ先生お疲れ様でした。


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今日は有楽町に出没です。
今日のお店はここのところお気に入りになった「宝(たから)」さんです。

住所: 東京都千代田区丸の内3-5-1 東京国際フォーラム B1F
電話:03-5233-9888
定休日:無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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龍馬の愛した軍鶏鍋ですか、これって暗殺された日に中岡の慎の字とこの鍋をつつこうとして、峰吉に買いにいかせたものですよね。
私も食べてみた〜い!
たまるかです。

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今日のオーダー「スタミナ生姜焼き膳」850円です。
待つこと7分で「スタミナ生姜焼き膳」の到着です。
見た目、スタミナつくじゃん膳、です。

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付出しの面々です
私は下段の画像のワカメの佃煮和え蕗のおつくりが好きです。
これだけでも良いかもしれません・・・

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「スタミナ生姜焼き」です。
この生姜焼きは肉が柔らかいですね。
タレは少しこってり感ありますが、イケます、美味しいです。

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この味わいにはやはりマヨネーズが必要でしょう。
ということでお願いしましたらこのようにコンモリと持ってきて頂きました。
そうそう、この生姜焼きの味付けのどこが「スタミナ」なのですか、と聞きましたら、ニンニク等のスタミナ材料を使っているのではなく、豚そのものにスタミナの原(もと)があるのです、とのことでした。
なぜかすごく納得しました。

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お替り自由の豚汁です。
これは今でもbravoですが、寒くなるに従ってbravo度は上がっていくでしょう!

今日のランチもとても美味しかったです。
今度は夜の部で龍馬の愛した軍鶏鍋に挑戦です。
ブログアップを待っておうせよ!

それでは(^_-)

蒲田 丸一

今日は「龍馬暗殺リターンズ」の話です。
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皆しっちゅう思うけんど、わしは龍馬freakぜよ。
高知にある龍馬の実家や、中岡の慎の字の実家にもいっちゅう。
そんでから、龍馬の暗殺犯については、すんごく興味もっちゅうたがや。
けんど本日その犯人がわかったがやき、ながながと書くけんど、読んでおうせや!

久々の土佐弁は疲れますので通常の文体にもどさせていただきます。
そもそも坂本竜馬は司馬遼太郎先生が創った龍馬であります。
その自著「竜馬ゆく」ではnonfictionの味付けのように書きながらも実態は司馬遼太郎龍馬なのですね。

高知では30年位前まで、土佐の生んだ英雄といえば「板垣退助」で「坂本龍馬」は知る人ぞ知るといった存在だったそうです、それが司馬遼太郎先生の小説「竜馬がゆく」でいっきに変わりました。
「坂本龍馬」は今や「好きな歴史上の人物」でどのアンケートでもBest3に入る人気です。
一つの小説が、日本人の歴史観、英雄感をここまで変えてしまったのです。

等身大の龍馬を表す事例として薩摩藩の「桂久武日記」があります。
この「桂久武日記」では、竜馬を雇い商事行為、諜報活動をさせていたという文言が少し前に発見され公表されています。
決して大好きな龍馬をくさすつもりはないのですが、日記には虚は書かないでしょう。
裏読みすれば自らの公的基盤を持たない龍馬ですから、薩摩藩に雇われたふりをして、その裏で薩長連合を成就したという推測もなりたちます。

威風1
そろそろ核心に迫っていきます。
龍馬は寺田屋事件(龍馬襲撃の一年半前)で自らの身を守るために獲り方二人をピストルで射殺しています。
襲撃犯は龍馬をその殺人犯として捕獲しにいったのです。
そしてその捕獲の指示は「逃がさぬよう捕獲すべし。万一手に余るようであれば打ち果たすべし」となっていたのでした。
では誰がその任を担ったかといえば、京都見廻組だったのです。
その当時の龍馬は二条城北にある幕府高官永井玄蕃邸に大政奉還後に徳川家を新政府に加えるべく後に襲撃を受ける近江屋から足繁く通っていたのです。
京都見廻組の担当地域は御所や二条城の官庁街が担当でしたので必然的にその任がくだったのです。
言い換えれば、所轄管内に殺人犯が頻繁というか定期的に往来しているので逮捕しにいったいう極めて当り前の治安行為だったのです。
良く巷間で龍馬の暗殺犯はだれかというのですが、そもそもこここが最大のディスクレ(discrepancy)なのです。
龍馬は暗殺されたのではありません。
上述の通り殺人犯として捕縛しに行ったものの殺害という不幸な結果になっただけなのです。

明治になって龍馬を育てた勝海舟が明治3年4月15日に竜馬遭難時京都にいた大目付(職制上は老中に属し、大名・高家および朝廷を監視してこれらの謀反から幕府を守る監察官の役割を持った江戸時代の役職)松平勘太郎に今井信郎(下手人)の自供の内容を聞きに行っています。
それによると当時の京都守護職の幹部級の人間が寺田屋事件で竜馬に射殺された部下の復讐を図って、竜馬の捕獲・殺害を指示したということでした。
従いまして最高責任者であった大目付松平勘太郎の耳には、この龍馬捕獲・殺害の指示そのものも入ってなかったというのが真相の様です。
よって政治的背景は無かったと言ってよいでしょう。

閑話休題おはなしはもどりまして
京都見廻組は佐々木只三郎という清河八郎を暗殺した当時ではtop classのassassin(暗殺者)がいてその佐々木只三郎自らが見廻組を統括していたのです。
そしてその彼は400人の見廻組の中から腕の立つ六名を選抜しました。
実行犯は、佐々木只三郎以下、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之介、土肥仲蔵、桜井大三郎、今井信郎です。
その中で龍馬捕獲の任についたのは、西岡是心流の小太刀(小刀)の名手で二条城の御前試合で一流剣豪50人を打倒したという栄えある実績をもつ桂準之助が選ばれたのです。
西岡是心流とは右手で小太刀(小刀)、左手で長太刀(長刀)を使うというtricky(通常は右手は長太刀)な二刀流剣術です。
要は、佐々木は襲撃する近江屋での狭い空間での戦闘を想定して、小太刀(小刀)の名手を選任したのです。
ちなみに明治3年に今井信郎が供述した記録(今井信郎口述書)によると、佐々木只三郎は十津川の偽名刺を渡し、1階の階段下で待機。2階に上がって暗殺を「実行」したのは、桂隼之介、渡辺吉太郎、高橋安次郎、の3名。
今井信郎、土肥仲蔵、桜井大三郎の3名は表口、裏口および住人脅迫の見張り役だったそうです。

たたき亭11
では桂隼之助が何故竜馬を切ったかといえば、ここからは私見です。
ごめん、と言って部屋に入った桂隼之助他二名は長刀を脇に置いて挨拶をしています。
この長刀を脇に置いての挨拶は龍馬達に敵意がないことを示しているわけです。
しかし桂隼之助は、龍馬は小太刀より殺傷speedの早いピストルを持っているので、それで撃たれたら万事休す、と端(はな)から心は粟立っていたのです。
その挨拶の後に龍馬の用心棒役であった元相撲取りの藤吉が切られており、その際に発した断末魔の声に、龍馬は、ほたえな(さわぐな)、と言っているのです。
ここら辺りの人間の心理の機微です。
龍馬は藤吉が切られたのは知る由もなく、藤吉が階下にいた手代峰吉とふざけていたと思い注意したのですが、その、ほたえな、の土佐弁の意味が分からない桂隼之助は過剰に反応してしまったのでしょう。
そして桂隼之助は龍馬が桂隼之助が差し出した名刺をよく見ようと行灯に手をやった時に、その行為がピストルで撃つものだと錯誤し抜刀してしまったのです。
要は極度の緊張感に耐えらなかったのでしょう。

中岡慎太郎の証言では、龍馬は初太刀で額に向かって左から右へ真っ直ぐに切られました。
これは掛け軸に飛び散った血痕から証明できます。
二太刀目は背中を右上から左下へと切られています。この傷は龍馬が床の間に置いていた自分の刀を取ろうと背を向けた時に切られています。三太刀目は、額を右上から左下へと切られ、この傷が脳にまで達して致命傷となりました。
この時に龍馬は自分の刀を取り、その鞘で刀を受けたのですがその衝撃の強さで鞘は削り取られています。
時間にして数秒の殺傷です。

参考文献:浅田次郎著「新選組読本」、「壬生義士伝」、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」、「新選組読本」、子母澤寛著「新選組始末記」、「新選組遺文」「新選組物語」、NHK歴史秘話ヒストリア▽坂本龍馬他

如何でしたか私の「龍馬暗殺異聞」は・・・
勿論自信ありです。

ここからは番外編です。

掛け軸

刀
京都にある霊山歴史館に展示されている、龍馬の血しぶきがかかった掛け軸と桂隼之介の子孫が霊山歴史館に提供した龍馬殺害の刀のDNA鑑定をすれば、桂隼之介が襲撃者かどうかの愁眉が開けるでしょうと思ったのです。
しか〜し人間の血液にあるDNAは約120日前後で分解してしまう為、仮に掛け軸と刀に血液が残っていたとしても鑑定はできないのですって、残念ですね。

暗殺される二三日前には北辰一刀流の同窓の御陵衛士伊藤甲子太郎・藤堂平助が、身辺警護のセキュリティレベルを上げる様忠告しにきてくれたのです。しかしその頃の龍馬は腹風邪(ノロ)のため下痢がひどく、安全極まる土蔵から、厠に近い河原町通に面する母屋二階に移ってしまったのです。
この件(くだり)は偶然が仕組んだ運命の悪戯(いたずら)です。
龍馬はその忠告を聞く以前にも、龍馬の身に迫りくる危険から、security levelを上げろ、と周囲の人達から言われ続けていました。
しかし龍馬はその助言を聞きながらも敢えてsecurity levelを上げなかったのは、天は自分が事をなすまで生かしておく、という強い確信・信念のようなものがあったからです。
そういう意味で申せば、龍馬は大政奉還という大事業をなし得たわけですから、天に召されたのでしょう。

私の龍馬freakは私の精神の宿痾みたいなものです。
末永くお付きあいしていきたいと思います。


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今日は蒲田に出没です。
蒲田にはあまりいい思い出がなくずいぶんと長い事いっていません。
蒲田の街を逍遥していたら、お昼を食べるのを忘れていたことに気がつきました。
そしてその眼前にはなにやら美味しいそうなとんかつ屋さんが出現しました。
ということで、本日のお店は味のとんかつ「丸一」さんです。

住所: 東京都大田区蒲田5-28-2
電話:03-3739-0156
定休日:日曜、月曜、水曜昼、祝祭日

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お店の外観です。

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メニューです。

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本日のオーダー「ロースかつ定食」@1,300円です。
後でnetで調べたら、このお店は有名なとんかつ行列店なのですね。
運がよいです、並ばずに入れました。
しか〜しお店をでる頃にはこのような行列ができていました。

店内はカウンターのみのこじんまりした清潔な設(しつら)えです。
丁度席が揚げ場の前です。
まな板の上には大量の下ごしらえの終わった鮮やかなピンク肉がきれいに積み上げられています。
店主はその肉たちに手際良く、小麦粉、溶き卵、パン粉をつけて、一定のリズムで揚げていきます。
軽快で小気味がいいいです。
さら〜に店内では驚くことなかれ「極上ロースかつ定食」@2,500円を頼む人が続出しています。
@2,500円ですよ、これにはくりびつてんぎょんのいたおどろです。

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待つこと9分で「ロースかつ定食」の到着です。
想像以上に肉厚があります。
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なかはほんのりとピンク色です。

それでは実食です。
衣がサクッとしています。
私の嫌いな衣離れもありまん。
油切れも最高です。
肉は歯に力を入れずに噛み切れます。
肉が柔らかいからですね。
口の中には過不足ないジューシな肉汁が溢れます。
ウン、これはすごく美味しい!
プラ〜ストン汁もイケます。
多分このとんかつは21世紀になって私が食べたとんかつの絶巓ですね。
これだから食べ歩きはやめられません、ハイ。
ごちそうさまでした

それでは(^_-)


京都・奈良吉野山特攻編其の弐

今日は「京都・奈良吉野山特攻編其の弐」の話です。
今日は京都「観桜の旅」後編です。
前編 は二条城へ行ったところで終了しました。

そしてその後私達は、二条城から一路東を目指して尊敬する坂本龍馬さんが眠る霊山護国神社に電動サイクルで向かったのです。
途中、祇園の歩行者死傷事故現場を通り過ぎたのですが、いまだ事故現場には現場検証のチョーク跡が生々しく残っており、事故のあった場所には手向けの献花が山高く積まれており、あらためて事故の凄惨さを際立させておりました・・・合掌。

高台寺の手前で奥様の体力を気遣った私は、奥様に“Why don't we take a break?”と提案したところ、少し疲れを感じていたようで即時合意のうなずきがありました。
そしてお訪(とない)を入れたのがこちらお茶とお菓子「をちょぼ庵」さんです。
それまでにも幾度かsweetsを食べようとお店を物色しながらきたのですが、何故だか京都はこし餡のお店が多くて、つぶ餡好きな私としては立ち寄るのを逡巡していたのでした。
そこでやっとこさ見つけたのがこのお店でした。

住所: 京都府京都市東山区南町420
電話:075-744-0514
定休日:不定休(4月は毎週木曜日)

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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今日のオーダー「もなかセット」@800円です。

レトロモダンなインテリアが醸すやわらかな空気の中で、このお店お勧めの「をちょぼもなか」を頂きました。
味ですか、たおやかな甘さで、特に餡の固さが私好みだったのでとても結構でした。

若い女主人と長い事談笑していたのですが、その中で女主人が申すには、このお店の建物は、伝統的重要建築物の指定を受けた築約150年の古民家を、国からの補助を受けて再生したものだそうです。ここ30年ほどは住む人もなく、朽ちるに任せるといった状態だったそうです。
ばったり床几や蔀戸(しとみ戸)、くぐり戸付の大戸、目板格子、箱階段などの様式・意匠を随所にとどめ、現存する京町家の中でもとても貴重な建物だそうですよ。
さらに「をちょぼ庵」のトリビアを申しますと、「をちょぼ庵」の「を」は正しくは「おちょぼ口」からきているので「お」とすべきなのですが、「を」にすることで自然に「をちょぼ庵」と皆が口にだして言ってしまうという女主人の深謀遠慮なのでした。

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そして「をちょぼ庵」を後にすると、霊山護国神社への急勾配の坂を電動サイクルの楽チンpowerで苦もなく駆け上がり霊山護国神社に到着です。
今回で龍馬さんとの通算参回目のご対面です。
いつきても思うのですが、ここはとても見晴らしの良い所ですよね、まさにタマルカです。
よくこんな急勾配の山の中腹まで三人の遺体を担いで運び埋葬したものですね。
ここに運ばれたのは龍馬さん、中岡の慎太郎さん、下僕の藤吉さんの三人ですが、龍馬さんは大柄でしたし、下僕の藤吉さんは元相撲取りでしたので、さぞかし重かったことでしょう。

歴史にまさかという坂はないのですが、もし龍馬さんが明治にまで生きながらえたら日本の歴史は変わっていたのでしょう、間違いないビックリマーク
ちなみに私の考える龍馬さんの暗殺犯は見廻組です。
よろしかったら私の考えをご高覧下さい。

霊山護国神社を後にした二人は、二寧坂と産寧坂を通って清水寺に向かうのですが、さすがにこの超混雑zoneは電動サイクルでの通行は難しく、高台寺周辺の駐輪場に電動サイクルを置いて徒歩で向かったのです。

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高台寺前にある撫で牛です。
超ピッカピカじゃありませんか(笑)

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霊山観音です。
これは高台寺周辺のlandscapeというかiconというか威圧感ありますよね。

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おかめさんです。
平安時代はこの様な顔が美人だったそうですよ???

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二寧坂の賑わいです。

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二寧坂のアイドル忍者犬“フーちゃん”です。
結構TVに出演しているのでご承知の方も多いのでは。
実はこの“フーちゃん”老犬だそうです、そう言われてみると髪の毛が白髪ですね・・・

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青龍苑の桜です。
青龍苑は近世から近代にかけて書画や茶会等の舞台として多くの墨客を集めた文芸的な苑だそうです。苑内には草庵形式の茶室も見られます。
隣接しているのは「よーじや」さんです。

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産寧坂の賑わいです。

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清水寺の賑わいです。

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ところで清水寺には一年中蝉がいるのをご存知ですか?
じつは約400年前の再建時より、蔀戸 ( しとみど=水平に持ち上げて開く格子戸 ) に鉄製金具の 「 蝉 」 が装飾されているのですよ。
蝉は人の気配を感じると鳴いて逃げる ことから 「泥棒除け」 を願うものとして装飾されたと考えられ、江戸初期の 職人の匠の技と遊び心 が伝わる素晴らしい装飾です。
To be honest この蝉を皆様に紹介したくて清水寺に出向いたのです。

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清水寺の桜です・・・圧巻good!

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本日の宿泊は、大阪天王寺にある「天王寺都ホテル」さんです。
この「都ホテル」さんは、ホテル地下で近鉄、御堂筋線に繋がっているのでアクセスは最高です。
   
本日の夕餉は「どや、お好み焼きでも食べよか」「ええな、いこか」ということで、なんらためらうことなく「ゆかり」近鉄アベノ店さんです。

住所: 大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43 近鉄百貨店 阿倍野本店 9F
電話:06-6625-2354
定休日:不定休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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本日のオーダー「肉味噌焼き」@950円、「スジネギ焼き」@1,150円です。さすが「ゆかり」さん両方とも甲乙付け難く、奥様は「肉味噌焼き」を支持し、私は「スジネギ焼き」を支持しました。
どちらもとても、すごく、きわめて美味しかったです。
特に「ゆかり」さんは接客がよく、心もホッコリとさせていただきました。

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最後に天王寺の夜のアイコンです・・・さすが大阪(笑)

次回は吉野「観桜」の旅です・・・to be continued

それでは(^_-)

神田司町 ジャーマン 

今日は「CX(フジテレビ)に物申す」です。
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5月8日放送のフジテレビ系「知られざる“龍馬伝” 世紀の英雄・坂本龍馬 最大の謎と秘密の暗号」 をみました。
龍馬フリークとしては、見逃せませんね、やはり。
内容は特段サプライズもなく淡々と堺雅人さんのMCで番組は進行していました。
しかし許せんネタが二つもあったきに、まっことたまらんぜよ(興奮している!)
一つは、龍馬の暗殺者が十津川と名乗って龍馬を訪れたといっていましたが、これは事実と反します。なぜなら襲撃から二日後に亡くなった中岡慎太郎さんが次の様に証言しているからです。
「犯人は十津川郷某と名乗り、名刺を出した」
すなわち名字は誰も覚えてないのですね、龍馬は十津川に勤皇志士が数多くおり知己もいたため、迎え入れたのです。
二つは「寺田屋事件」の時、お竜さんが、西郷隆盛に助けを求め京都まで走っていったとのナレーションがありました。
深夜二時過ぎに、京都の薩摩藩邸までか弱い女性が行けるわけないじゃないですか、一体伏見から京都の薩摩藩邸まで何kmあるとおもっているのですか-->約9km!
正しく申しますと、お竜さんは機転を効かせて伏見の薩摩藩邸(直線距離:約800m)まで駆け込んだのです。その通報により藩邸から川船を出してもらい龍馬たちは救出され九死に一生を得ることができたのです。
CXさん、見ている人は見ているので時代考証はキチンとやりませう。
書いていて思ったのですが、何か“自分はこれだけ知ってるんだ”と読めるのですが、実はその通りです、あまり自慢することがないもので・・・
ところでTVで龍馬襲撃の再現シーンがあったのですが、龍馬が襲撃されて三太刀で絶命し、その時間といえば3秒以下です、ほぼ即死ですね。
「竜馬がゆく」では司馬遼太郎先生は、暗殺者が龍馬の額を左から右に薙ぎった初太刀が致命傷だと書かれていましたが、どうやら三太刀目のようですね、龍馬が三太刀目を受けようとした時、龍馬の刀の鞘さらにその刃まで傷づけているという強烈な打ち込みから推察できます。
龍馬が死亡したときその額にはクロスカットが刻まれていたようです。
初太刀が横、三太刀目が縦きりですからね、でも龍馬だけになぜか絵になります・・・?

今日はサンドウィッチの名店「ジャーマン」さんです。

住所: 東京都千代田区神田司町2-17
電話:03-3295-1460
定休日:不明

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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今日のオーダーは「Cセット(サンドウィッチ+ミートソース+コーヒー」@700です。
このお店の奥さん感じが悪いのです、最初に入店したときテーブル席に座ろうとしたら怒られました、一人客はカウンターに座るのがこのお店でのお約束のようです。
さらにここのお店A、B、C及びジャーマンセットとあるのですが、違いがわからないので二回聞いたところ、スゴクいやな顔をされました。
でも最近分かってきたのですが、この奥さん感じが悪いのではなく、真面目なのでお愛想がいえないのですね、ちがうか(笑)
味ですか、美味しいですね、具が新鮮なのでしょう、特に野菜。
こういう手合いは愚直に真面目に作れば美味しいとおもうのですが、結構言うは易し、行うは難し、で中々できないものです。
ミートソースはひき肉が美味しく、ソースも味わいが深くイケます。
奥さんの淹(い)れてくれるコーヒーがとても美味しい、多分神田一番ではないかと思います。奥さんが淹れるので苦みがほど良いのかも・・・


それでは(^_-)

吉祥寺 一二三(ひふみ)

今日は「若き日の龍馬が歩いた街」の話です。
立会川駅周辺はかつて、土佐藩山内家の下屋敷があったことで知られています。土佐といえば、幕末の英雄、坂本竜馬抜きには語れません。
彼が江戸で過ごした青年期は、1853年(嘉永6年)のペリー来航に続く「黒船」騒動の渦中であり、後の明治維新へとつながる激動の時代です。
2004年、立会川駅から約200mほど先の勝島運河周辺で、大きな石20個以上が掘り出され、龍馬研究家の小美濃清明さんが当時の土佐藩が築いた浜川砲台の一部と結論づけました。これによって19歳で剣術修行のため、故郷を離れて上京した龍馬が、藩の命を受けて、警備についた浜川砲台が立会川にあったことが明らかになりました。
「京急線普通電車の旅」立会川編より転載


「若き日の龍馬が歩いた街」といわせている?立会川に奥様と行ってきました。
日本三大がっかり名所といわれるところがあり、第一位が高知の「はりまやばし」、第2位が 札幌の「時計台」、第3位が長崎「 オランダ坂」だそうですがここ立会川はこれらの名所といい勝負です。

パチリで紹介しましょう。
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立会川駅前の雰囲気です。
この街なのですが、街ぐるみで龍馬を食い物にしているような感があります…あくまでも感想ですよ。
それにしても大混雑です。前日の土曜日に「アド街ック天国」でOnairされた影響もあるのでしょうが「龍馬伝」様々ですね(笑)

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龍馬像です、全長2.2mあります。後ろに「品川龍馬会」の旗がたなびいています。高知の龍馬像のレプリカだそうです。

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駅前通り名物?「龍馬メニュー」です。一応こじ付けみたいですが、レシピは高知もしくは龍馬に関係があるようになっているようです。

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浜川砲台跡です。なんだこれは、石が無造作においてあります(笑)

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黒船です…実際ペリー来航時は、この砲台から1.6kmの処まで黒船が侵入したそうです。しかし土佐藩の大砲の飛距離は100m程度でしたので、黒船と交戦した際、弾は届きもしません!

どうですか、やはり噴飯ものでしょう…
しかし千載一遇の好機ですので、立会川駅前通り繁栄会様どんどん観光客相手にご商売をして、おおいに儲けてください(笑)

今日は高級ラーメン店いや蕎麦店、吉祥寺「一二三(ひふみ)ラーメン」さんです。

住所: 東京都武蔵野市吉祥寺北町1-10-22
:0422-21-0919
休日:火曜日(不定休あり)

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お店の外観です。

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出汁(だし)食材の面々です。

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店内の雰囲気です。店内は照明を抑えすこしレトロっぽい感じの演出です。
さりげなくJazz をBGMで流していてお洒落感を醸成しています。
そしてスゴク仕事の丁寧なご主人とアシスタントの青年、礼儀正しく、寡黙でいい感じですネ。

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メニューです…高ッ!かけそば(すそば)が@900ですと、恐ろしい(笑)

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今日のオーダーは「一二三そば」@1,000です。
そばというくらいですから、麺は蕎麦粉入りです。麺は細めのストレートでどちらかという田舎蕎麦っぽい感じです。スープは鶏ガラと昆布・鰹節、煮干し等の種々の魚介を合わせたものです。具は、茎ワカメ、長葱、海苔、焼豚です。
味ですか、奥様もいっていましたが美味しいには美味しいのですが、@1,000はしないでしょうという感じです。
私はこのお店は一回の実食で結構です。吉祥寺セレブの方々でしか連食できないかも…

それでは(^_-)

続 大泉町 やぶ重

今日は「お龍さん異聞」の話です。
今日NTVの「ぶらり途中下車の旅」を見ていましたら、「お龍さん」がでていましたので紹介します。
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まずこの有名な写真ですが、これは調べてみたら35歳の時のパチリです。
お龍さんは、龍馬が暗殺された時26歳ですから、それから9年後の時撮ったものです。
以下にでてくる「田中家(創業文久3年の老舗料亭)」で働いていた頃のパチリでしょうか?
このあたりは歴史的にはハッキリとしていません。
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これは「田中家」さんの社員旅行での写真です。すなわち37歳以降の時ですが、前述のパチリからすると、たった2年間で大分老け顔になったといえます。

そして横浜の老舗「田中家」さんでの「お龍さん伝説」です。
明治八年頃、母と弟に死別して全くな孤独な身となってしまった坂本竜馬の妻であったおりょうは神奈川の田中家(原文は田中屋)という高級料亭の仲居として働いていたが、深酒に溺れるようになっていて、女将も困っていたらしい。当時彼女は三十七歳位であった。
この料亭に遊びに来る客で西村松兵衛という男がいたが、彼は横須賀造船所建設用の資材の回漕業をしていて、度々来るうちにおりょうさんと意気投合し、彼の住んでいる横須賀の地で世帯を持つことになった。入籍は明治八年七月で、この時おりょうさんは西村ツルと名前を変えている。
出典「おりょうさん」追想より、大津観光協会発行より転載

※当時を知る仲居が調査員に語った内容
「おりょうさん」は非常に頭が良く酒を好み、人情深く、客あしらいもうまく、当時無数にいた仲居の中でも飛び抜けて目立つ存在だった。勉強家で英語を喋り海外事情にも詳しく話題も豊富な彼女は別格であっただろう。おりょうはきっぷの良い粋な人であった。泥酔して根っこを生やしてしまったお客様を帰すのにも活躍していたであろうとは想像に難くない。田中家を去った後も彼女を知る贔屓客より「今日はおりょうはどうした?」という声が長い間聞かれ、当時在籍していた多くの仲居が「もういないのにナニヨ!」と嫉妬したという逸話が残っている。
「田中家」HPより転載


龍馬と同じく土佐藩士だった佐々木高行は、お龍のことを「有名なる美人なれども、賢婦人なるや否やは知らず。善悪ともに兼ぬるように思われたり」(大変な美人だが、賢婦と言えるかどうかは疑わしい。善にも悪にもなるような女)と評している。
「楢崎龍-Wikipedia」より転載

「田中家」さんの現女将さんから、ここで語り続けられているお龍さんは毎日一升酒を飲んでいる酒豪でした。そして極めて頭の回転がよく、そのため接客も最高だったようです。さらに独学で英語を勉強し、外国人の宴席にもでていたとか、かなり才気走った姿が彷彿されます。しかし晩年はアルコール依存症状態で、かなり苦労したそうです。
そうか当時のお龍さんは、今でいう肉食系、キャリアウーマンみたいな感じだったのですね、酒が強くて、話が面白くて、美人であれば、さぞかし人気があったことでしょう。
しかし京都生まれのことからとてもprideが高く、さらに狷介なところもあったようで、嫌われる人には嫌われていたようです…
やはり龍馬の膝下にいて、初めて活き活きと暮らせた人ではないかと思います。

今日は久々に寛いでいます。昼飯を何にしようか悩んだのですが、次男がいたので相談のうえ大泉町「やぶ重」さんの暖簾をくぐりました。

住所: 東京都 練馬区大泉町1-2-2
電話: 03-3922-3352
定休日:水曜日

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お店の外観です。今日はランチのコアタイムを外していったのですが満員でした。マッここ美味しいからな(笑)

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店内の雰囲気です。所謂気取りけのない町のお蕎麦屋さんです。

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私のオーダーは「天もり」@1,100です。
天麩羅は、海老、ぜんまい、南瓜、茄子です。ぜんまいの天麩羅って生まれて初めて食べたのですが、エグミの中に甘みがあって美味しいですね。それ以外の天麩羅もカラって揚がっていってとても美味しくいただきました。蕎麦はいつも通りです。

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次男の頼んだ「カルビ丼定食」です。これはカルビ丼に野菜の煮物、香の物、味噌汁がつきます。味ですか、お蕎麦屋さんならではのシッカリとした味付けで迷いがありあません、これも美味しいです。

このお店は、いつ訪れても裏切らないので安心していただけます。やはりこのようなお店を手持ちで持っていることは必要ですね。
ご馳走様でした

それでは(^_-)

神田 浜よし

今日は「中岡慎太郎」の話です。
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「薩長同盟は、坂本が周旋で仕上げたというのも過言ではないと思いますが、私は坂本より内実の功労は中岡の方が多いと思います」とは元筑前藩士、早川勇(吉田養敬)の談です。
龍馬は自由な発想で「日本の洗濯」を考えていましたが、慎太郎は強い信念を持って努力を積み重ねていたのです。龍馬は、そんな慎太郎のことを「此の人ハ私同よふ(同様)」の人」と手紙に書いており、同志として非常に信頼を寄せていました。
慎太郎は武力倒幕を推進した為、武倒派のイメージが強いのですが、しかし同志は「実際の人となり温和にして…」と語っています。
龍馬の妻お龍も「面白い人で、会うたびに、私の顔になにかついていますか、と冗談を言っていました」と証言をしています。
「歴史人坂本龍馬の真実」KKベストラーズより転載
しかし慎太郎さんは、イケメンですね。そして色々な幕末の志士の写真がありますが、白い歯を見せて笑っているのはこの方だけと記憶しています。
しかしこの当時の撮影時間はおおよそ5分間ですので、そのあいだズーット笑い続けているというのは、余ほど茶目っ気があったのでしょう…
ちなみにこの切り取られた写真(上段の写真)の左には芸者さんがいたとか、モテマスネheart02
襲撃されてから二日間存(ながら)え、身罷(みまか)う前日には焼き飯が食べたいということで作ってもらい、結局これが最後の晩餐(3杯も食べた)になったそうですが、なんとなく現代に通じる感じがして好感がもてます。

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今日は神田西口商店街を通ると冬場になると、鼻に針金を通した野鴨が吊るされています。これってここの主人が土日に群馬の猟場で撃ち落としてきたものだそうです。
ということで今日は鴨料理の名店「浜よし」さんの暖簾をくぐりました。
ちなみにこの野鴨君は捌いたあとのものです、なんで吊るしているのでしょうか?

住所: 東京都千代田区内神田2-10-9 村木ビル
:03-3252-1011
定休日:土日祝日

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お店の外観です。

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ランチメニューです。

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店内の雰囲気です。

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今日のオーダーは「さば煮付」@700です。味ですか、パチリの通りよく煮付けられたさばでとても美味しいですね。それとお約束のシジミの味噌汁のお代わりは絶妙のタイミングで女将さんがだしてくれます。鴨料理の名店ということですが、昼間は気配りの和食屋さんていう感じでしょうか。ちなみに見た目一番美味しいそうだったのは「すき焼き丼」でした。しいて苦言を呈せば、食事時に軍歌のCDは流さないで欲しいですね…折角の食事が落ち着いて食べれません。
ご馳走様でした

それでは(^_-)


浜よし ( 神田(東京) / 鍋料理 )
★★★☆☆3.0
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勝どき 鳥の助

今日は「龍馬は本当に剣豪だったのか?」です。
そもそもこの話の端緒は龍馬の「免許皆伝」が以下の“薙刀”だったことから来ています。
龍馬の修行期間は安政3年(1856年)8月から約1年間という期限が決められていたが、途中でさらに1年間の延長が認められた。
そして安政5年(1858年)1月、24歳のときに、千葉定吉から『北辰一刀流長刀法目録』が与えられた。これは現存する唯一の龍馬の北辰一刀流目録で、免許皆伝の証と伝えられてきたが、現在では薙刀の初伝であることが判明している。
ちなみにこの伝書は「千葉重太郎一胤」の名前に続いて、「千葉佐那女、千葉里幾女、千葉幾久女」と定吉の3人の娘の名が署名されており、龍馬と佐那が婚約した記念に定吉が授けたものであるとも伝えられている。
「ryomadna.net」より転載


ということで龍馬は北辰一刀流の免許皆伝は“薙刀”で剣術の“免許皆伝”が与えられてないことから、龍馬たいしたこない剣豪だったということになっているのです。

しかしその当時の龍馬評は以下の通りです。
信太歌之助の評
勝海舟の手紙に坂本は剣術はなかなかつかえる、組打ちも上手だと書いてありました
谷守部の評
両人[龍馬・中岡慎太郎]共に武辺の場数者、特に坂本は剣術の秀逸なれば、顔を見合して話をしつつヲメヲメ斬らるる恥鈍漢にあらず
大石鍬次郎の評
かねがね[近藤]勇話には坂本龍馬打取り候者は見廻組今井信郎、高橋某等少数にて、剛勇の龍馬を打留め候儀は感賞致すべし
住谷寅之介の評
龍馬誠実可也の人物、しかして撃剣家
吉田健蔵の評
撃剣家坂本氏
香川敬三の評
剣客、航海学の志あり
千葉佐那の評
父は坂本さんを塾頭に任じ、翌五年一月には北辰一刀流目録を与えました。

決して悪いものではありませんネ。さらに北辰一刀流宗家第五世 小西重治郎氏の著書によりますと龍馬の伝位は「中目録免許」であったらしいのです。ということからするとそこそこの腕前だったということができると思います。さらに定吉先生が自分の娘を嫁にやるということは、北辰一刀流のレベルとしてはかなりの実力といってもよいのではないでしょうか。よって龍馬は超一流ではないものの当時ではTop-levelの剣豪であったといえると思います。
しかし龍馬君、あなたは今でいう“重婚”ですよ。佐奈さんはズーッとあなたの帰りを待ち続けていたのです。そちらの方が問題では…


今日のお店は“がつがつ、焼き鳥”の「鳥の助」さんです。
住所: 東京都中央区勝どき2-8-12東京ビュックB!
電話:03-3532-6890
定休日:年始年末

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。すこし薄暗い?雰囲気のある店内ですね。

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このお店はじめてですので、私のお約束のお店のお姉さんへの確認です。早速お店のお姉さんに“何がお勧めですか”と聞きました。お姉さんは、焼き鶏丼が評判良いですよ、とのことでしたので今日のオーダーは「焼き鶏丼」@900です。値段が少し高い様な気がします。この「焼き鳥丼」は、正肉、つくね、レバーの三点盛りです。正肉はジューシーで美味しいですね、期待が持てます。つくねは…“マルハ”のミートボールの様でパサパサしています。噛むとあまりの弾力感で口が弾みます。これはイケませんね。レバーは、これは臭いですね、鮮度が悪いのでは。噛むとパサパサしています、これはイタダケマセン。しかし正肉はそこそこのレベルなのにこのギャップに驚かされます。実力店なのでしょうか、それともこのコメントの通り大したことないお店なのでしょうか、迷うところです。今度夜の部いってみましょう。

それでは(^_-)
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