今日は「明色化」です。

土佐人は酒を飲む。それも甚だしい。国税庁の統計では酒の一人あたりの消費量が日本一であると言い、検察庁の統計でも酔っぱらっての刃傷沙汰の件数が日本一であるという。これは土佐人にとって愧ずべきことであるか。
そうではなさそうなのである。土佐にあっては、ある者が泥酔のあまり自動車にひかれて死んだとする(そういう例はじつに多いが)。他の諸国ならば、だから言わぬことじゃない、とうとうざまを見たか、ということが反応になるであろう。
「ところが、ここではちがうのです」
と、ある知人がいった。よくやった、とまでは思わぬにしても、その非業の者に対にて好感を持ち、そこまで飲んだか、痛烈なことよ、というような、たとえばリングの上で死んだ拳闘選手をたたえるようなそういう明色の感動をもつ。これはかれらの衒気ではなくかれらの特質なのであり、この重要な特質についてはさらに後述せねばならないが、とにかく土佐人が他の日本人ときわだってちがうところは、かれらの意識をどういう暗い課題が通過しても、出てくる瞬間には化学変化をおこしたようにあかるくなっていることである。物事を明色化することの天才であり、この稿の筆者が感嘆するところは、酒量および酒の事故日本一という統計的記録における土佐人の肝臓の強靭さよりもそれをひらきなおってお国自慢にして謳いのけてしまうというかれらの明色性なのである。
「歴史を紀行する」司馬遼太郎著より転載
土佐には行ったことがあるちや!(高知には行ったことがあります!)
旅行中はうんと楽しかっちゅう。(旅行中はとても楽しかった。)
そんで酒場にもいったけんど、なんちじゃない。(そして酒場にも行きましたが、どうってことはありません。)
こじゃんち飲んだちゅう人はおらんがやき。(たくさんお酒を飲んでた人はいませんでした。)
この大酒飲み神話は、げにげにまっことなが?(この大酒飲み神話は、本当のことなのでしょうか?)
ということで久々の土佐弁は疲れますので普段の文体に戻します。
私達(奥様帯同)が飲みに行ったお店はグルメガイドで一押しの店に行きましたので、もしかすると地元の人より観光客が多かったのかもしれませんが、やはり雰囲気で地元の人は分ります。
その中で、地元の人を注意深く見ていましたが鯨飲される方はいませんでした。
しいていえば飲む量は当時の私の方が破格でした
さすがの肝臓強国も次世代にこの鯨飲文化のDNAは継承されなかったのでしょうか?
そういえば高知の若い人達の大半は標準語を話していました。
皆が、げに、まっこと、ほんまかえ、的なノリで話しているのかと思っていましたので、これにはかなりの違和感があったと申上げざるを得ません。
土佐人のあっけらかん性をあらわすこととして、日本人の多くが共有している後生欣求的な(極楽行きを願うような)湿潤な瞑想の感情をもっていないことといわれています。
年をとっても寺社仏閣詣りなどをせずポリネシア人のごとく、後生にもっとも障りのある狩猟や魚釣りという殺生を気にせず、また悲惨な話でも、それを因果応報の暗い宗教的な教訓に振り返る様なことはせず、湿感のない俗謡に謡あげてしまうという明色化のふるまいにはあこがれるところは多くありました。
これについても垣間見ることさえできなかったのは残念の極みでもあります。
明色化・・・
多分司馬遼太郎先生の造語ではあると思いますが私の好きな言葉であります。
一時期というか、停酒する2年前まで、私は明色化を酒飲に頼っていました。
しか〜し酒飲による明色化の欠点は、次の日に「宴のあと」状態となり、空しさ寂しさみたいなものが襲ってくることです。
そしてそれを回避するためにまた酒を飲んで補うということが繰り返されて、さらにアルコールの酒毒が脳を犯し、習慣的飲酒に繋がっていったのではないかと思います。
それでも停酒を始めた頃は、将来再開した時の一杯の極楽を一時も忘れず夢にまでみていました。
そしてその再開の一杯が一合に、一合が一升に広がっていき、それに伴う心地よさは天にも昇る様なものであると堅く堅く信じていました。
ド素面(しらふ)状態の現在では、明色化は酒飲で造るのではなく、現実で造るものかと思うようになってきています。
暗い事に直面しても衒気(げんき)になるということは個人的にはできないまでも、明日は晴れ、という気持ちを絶えず持っていれば明色化は可能と思うところであります。
It isn't what you have, or who you are, or where you are,
or what you are doing that makes you happy or unhappy.
It is what you think about.
あなたを幸せにしてくれるものは、あなたが持っているものや、
あなたが何者か、あなたが何処にいるか、なのではない。
それは、あなたが何を考えるか、なのである。
Dale Carnegie(デール・カーネギー)
YOUTUBEチャンネル「AmazingLife247」より投稿されたのは古今東西の日本のCMのまとめ。「Ultimate Weird Japanese Commercials Compilation」というタイトル通り、外国人から見た「とびっきり変わった日本のCM」が凝縮されています。
まとめられているのは懐かしのCMから最近のものまで。もはや見慣れてしまって何も思わないけれど、外国人から見るとこれが奇妙なのか・・・そんな感覚の違いを感じたり、改めて見て「やっぱりおかしいよこれ」と思ったりする内容となっています。

今日はお茶の水に出没です。
時計を見たら20時23分です。
さすがに帰社する気にもならず、夕食でもたべるかと思い、なにやらガッツリしたものが食べたくてお邪魔したのがこちら、御茶ノ水で一美味しいイタリアン 「ヴァン・デ・グラス」さんです。
住所: 東京都千代田区神田淡路町2−23アクセス御茶ノ水ビル1F
電話:03-3255-8182
定休日:日曜日


お店の外観です。

店内の雰囲気です。

メニューです。
今日のオーダー「ゴルゴンゾーラソースパスタ」@1,300円です。
な何と2年振りの再訪です。
どうでしょうこのお店には通算100回以上は来ていると思います。
マスターは相も変わらずハンサムガイでお変わりありません・・・


待つこと16分で「ゴルゴンゾーラソースパスタ」の到着です。
ウワゥ!湯気が立ち込めています、熱々です。
トッピングは人参(赤)、ブロッコリー(緑)、カブ(白)です。
イタリアンですからイタリアの国旗を表したのでしょうね・・・
味ですか、とても美味しいです。
味付けはゴルゴンゾーラ、生クリーム、プラ〜ス隠し味です。
シンプルですが、この方が本来の味が楽しめます。
やはりゴルゴンゾーラは美味しいですね。
ピカンテの塩味が絶妙に生クリームに合っています。
久々に食べる極楽を味わえました、たまにはこのような日が有ってもいいですよね!

土佐人は酒を飲む。それも甚だしい。国税庁の統計では酒の一人あたりの消費量が日本一であると言い、検察庁の統計でも酔っぱらっての刃傷沙汰の件数が日本一であるという。これは土佐人にとって愧ずべきことであるか。
そうではなさそうなのである。土佐にあっては、ある者が泥酔のあまり自動車にひかれて死んだとする(そういう例はじつに多いが)。他の諸国ならば、だから言わぬことじゃない、とうとうざまを見たか、ということが反応になるであろう。
「ところが、ここではちがうのです」
と、ある知人がいった。よくやった、とまでは思わぬにしても、その非業の者に対にて好感を持ち、そこまで飲んだか、痛烈なことよ、というような、たとえばリングの上で死んだ拳闘選手をたたえるようなそういう明色の感動をもつ。これはかれらの衒気ではなくかれらの特質なのであり、この重要な特質についてはさらに後述せねばならないが、とにかく土佐人が他の日本人ときわだってちがうところは、かれらの意識をどういう暗い課題が通過しても、出てくる瞬間には化学変化をおこしたようにあかるくなっていることである。物事を明色化することの天才であり、この稿の筆者が感嘆するところは、酒量および酒の事故日本一という統計的記録における土佐人の肝臓の強靭さよりもそれをひらきなおってお国自慢にして謳いのけてしまうというかれらの明色性なのである。
「歴史を紀行する」司馬遼太郎著より転載
土佐には行ったことがあるちや!(高知には行ったことがあります!)
旅行中はうんと楽しかっちゅう。(旅行中はとても楽しかった。)
そんで酒場にもいったけんど、なんちじゃない。(そして酒場にも行きましたが、どうってことはありません。)
こじゃんち飲んだちゅう人はおらんがやき。(たくさんお酒を飲んでた人はいませんでした。)
この大酒飲み神話は、げにげにまっことなが?(この大酒飲み神話は、本当のことなのでしょうか?)
ということで久々の土佐弁は疲れますので普段の文体に戻します。
私達(奥様帯同)が飲みに行ったお店はグルメガイドで一押しの店に行きましたので、もしかすると地元の人より観光客が多かったのかもしれませんが、やはり雰囲気で地元の人は分ります。
その中で、地元の人を注意深く見ていましたが鯨飲される方はいませんでした。
しいていえば飲む量は当時の私の方が破格でした
さすがの肝臓強国も次世代にこの鯨飲文化のDNAは継承されなかったのでしょうか?
そういえば高知の若い人達の大半は標準語を話していました。
皆が、げに、まっこと、ほんまかえ、的なノリで話しているのかと思っていましたので、これにはかなりの違和感があったと申上げざるを得ません。
土佐人のあっけらかん性をあらわすこととして、日本人の多くが共有している後生欣求的な(極楽行きを願うような)湿潤な瞑想の感情をもっていないことといわれています。
年をとっても寺社仏閣詣りなどをせずポリネシア人のごとく、後生にもっとも障りのある狩猟や魚釣りという殺生を気にせず、また悲惨な話でも、それを因果応報の暗い宗教的な教訓に振り返る様なことはせず、湿感のない俗謡に謡あげてしまうという明色化のふるまいにはあこがれるところは多くありました。
これについても垣間見ることさえできなかったのは残念の極みでもあります。
明色化・・・
多分司馬遼太郎先生の造語ではあると思いますが私の好きな言葉であります。
一時期というか、停酒する2年前まで、私は明色化を酒飲に頼っていました。
しか〜し酒飲による明色化の欠点は、次の日に「宴のあと」状態となり、空しさ寂しさみたいなものが襲ってくることです。
そしてそれを回避するためにまた酒を飲んで補うということが繰り返されて、さらにアルコールの酒毒が脳を犯し、習慣的飲酒に繋がっていったのではないかと思います。
それでも停酒を始めた頃は、将来再開した時の一杯の極楽を一時も忘れず夢にまでみていました。
そしてその再開の一杯が一合に、一合が一升に広がっていき、それに伴う心地よさは天にも昇る様なものであると堅く堅く信じていました。
ド素面(しらふ)状態の現在では、明色化は酒飲で造るのではなく、現実で造るものかと思うようになってきています。
暗い事に直面しても衒気(げんき)になるということは個人的にはできないまでも、明日は晴れ、という気持ちを絶えず持っていれば明色化は可能と思うところであります。
It isn't what you have, or who you are, or where you are,
or what you are doing that makes you happy or unhappy.
It is what you think about.
あなたを幸せにしてくれるものは、あなたが持っているものや、
あなたが何者か、あなたが何処にいるか、なのではない。
それは、あなたが何を考えるか、なのである。
Dale Carnegie(デール・カーネギー)
YOUTUBEチャンネル「AmazingLife247」より投稿されたのは古今東西の日本のCMのまとめ。「Ultimate Weird Japanese Commercials Compilation」というタイトル通り、外国人から見た「とびっきり変わった日本のCM」が凝縮されています。
まとめられているのは懐かしのCMから最近のものまで。もはや見慣れてしまって何も思わないけれど、外国人から見るとこれが奇妙なのか・・・そんな感覚の違いを感じたり、改めて見て「やっぱりおかしいよこれ」と思ったりする内容となっています。

今日はお茶の水に出没です。
時計を見たら20時23分です。
さすがに帰社する気にもならず、夕食でもたべるかと思い、なにやらガッツリしたものが食べたくてお邪魔したのがこちら、御茶ノ水で一美味しいイタリアン 「ヴァン・デ・グラス」さんです。
住所: 東京都千代田区神田淡路町2−23アクセス御茶ノ水ビル1F
電話:03-3255-8182
定休日:日曜日


お店の外観です。

店内の雰囲気です。

メニューです。
今日のオーダー「ゴルゴンゾーラソースパスタ」@1,300円です。
な何と2年振りの再訪です。
どうでしょうこのお店には通算100回以上は来ていると思います。
マスターは相も変わらずハンサムガイでお変わりありません・・・


待つこと16分で「ゴルゴンゾーラソースパスタ」の到着です。
ウワゥ!湯気が立ち込めています、熱々です。
トッピングは人参(赤)、ブロッコリー(緑)、カブ(白)です。
イタリアンですからイタリアの国旗を表したのでしょうね・・・
味ですか、とても美味しいです。
味付けはゴルゴンゾーラ、生クリーム、プラ〜ス隠し味です。
シンプルですが、この方が本来の味が楽しめます。
やはりゴルゴンゾーラは美味しいですね。
ピカンテの塩味が絶妙に生クリームに合っています。
久々に食べる極楽を味わえました、たまにはこのような日が有ってもいいですよね!