今日は「知れば恐ろしい日本人の風習」の話です。
小さい頃、おばあちゃんからこんな注意をされた人は少なくないはずだ。古くから日本に伝わる風習・言い伝えにはいったいどんなルーツがあるのか。最近、その謎を解き明かした「知れば恐ろしい日本人の風習」(千葉公慈/河出書房新社)という本が発売されたのだが、これを読むと、言い伝えや風習には予想以上に恐ろしい真相が隠されていることがよくわかる。
たとえば、「指切りげんまん」。これはもともと江戸の遊郭で流行ったもので、誓いの証として、男女互いの小指を切断し贈り合っていたことがはじまりだという。それが「約束守る」という意味に変化して大衆にひろまったのだそうだ。そう、比喩でなく、本当に指を切っていたというのである。これには任侠ヤクザの方々もビックリだろう。
「夜に口笛を吹いてはならない」なんて言い伝えも、恐い。というのも、古くは口笛を「嘯き(うそぶき)」と呼ばれ、その音は神や精霊を招く力があると信じられていたらしい。また、夜は昨日という時間が死に、明日という時間が生まれる、いわば生死の境界線でもあり、そんなときに口笛を吹くことは神霊的存在を呼ぶことであると考えられてきたのだという。
「花いちもんめ」の真相も恐ろしいかぎりだ。この歌は、花の売り買いをする様子を歌ったものであるという解釈が一般的だが、じつは人間の売り買いの様子を描いた歌という説もあるという。口減らしのために子どもたちを売ることが普通に行われていた時代、「花」というのは若い女性の隠語であり、歌詞にある「勝ってうれしい」「負けてくやしい」は「買ってうれしい」「(値段を)まけられてくやしい」という意味が含まれていたのではないか、というのだ。
もっとも一方で「恐ろしい」とはちょっとちがう印象をもってしまう風習もある。冒頭にあげた「夜にツメを切ってはいけない」もそのひとつ。この言い伝え、同書によると、戦国時代に、夜間の城の警備をする役目の「世詰め」からきているらしい。戦国の世では、この役目は親が亡くなってもその場をはなれることはできない重要なものだった。そんな「世詰め」と「夜爪」の語呂あわせから、親の死に目にあえないといわれるようになったのだとか。また、江戸時代に盛んになった儒教の教えでは、ツメも親からの大事な贈り物だから、ろくな照明もない暗闇で粗末に扱うことは、親不孝。それが現代まで伝わったのではないかと書かれている。
どんなおどろどろしい背景があるのかと思っていたら、ダジャレと深爪注意。ちょっと拍子抜けする話だが、ようするに、一口に風習や言い伝えと言ってもいろんなパターンがあるということだ。古代から続く宗教的な禁忌、近世の流行からの派生、庶民が貧困の恨みをこめてつくりだしたもの……。
これら言い伝えの中には、ネットが発達した今の時代にも語り継がれ、生活に影響を与えているものがある。鼻で笑うのでもなく、かといって鵜呑みをするのでもなく、ひとつひとつのルーツを検証して信じるかどうかを自分で判断することが大事かもしれない。
ダ・ヴィンチ電子ナビ『「指切りげんまん」は本当に指を切断していた! 驚きの風習や言い伝え』より転載
日本人はこのような伝承を大事にするのですね。
これからもそうありたいものです。
しか〜し「指きりげんまん」はありえないでしょう。
もしそんな蛮行をしたら遊女そのものの商品価値が著しく減じてしまいますもの。
要は小指の欠落した遊女は誓い合った男がいる証左になりますからね。
したがってそんな遊女には客がつきませんので、その蛮行をした遊女は死ぬまで苦界からぬけだせず勤労?意識も希釈されますよね。
さらに言えば楼主がそんな商品価値を下げることを遊女ににさせるわけもありません。
多分ですよ、それをした遊女は一人くらいはいたのでしょうが、その後は偽指かなにかで代替したのではないのですか・・・
外国人が日本人を良く評価することに「punctual(時間厳守)」があります。
この習慣ってつい最近といっても90年位前に始まったことなのですね。
「遅刻の誕生」(橋本毅彦・栗山茂久編 三元社)には、「明治初期に科学技術を日本に伝えにきたオランダ人技師たちは、時間をまったく守らない日本人の悠長さに呆れ、困り果てていた」という記述があるそうです。
というのも時計のない頃の日本は、不定時法という日の出と日没を基準とする時間が使われていた為に時間厳守という感覚がなかったそうです。
そのために時の政府は1920年6月10日に時の記念日を制定して「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と呼びかけたのです。
爾来日本には「遅刻」という観念が生まれたそうですよ。
良く話すカナダ人は、日本人は「形」にこだわり過ぎて「内容」を軽視する傾向がある、と私に言っています。
彼は、日本人は会議の始まりの時間には厳しいけれど、会議の内容にはこだわりません。さらにいえば会議の内容を重視しないので会議の終わる時間は全く守りません、と言っています。
つまり日本人は「始まりの時間を守る」ことは殊更(ことさら)厳しいのですが「時間を大切にする」という感覚が薄いのではと苦言を呈していました。
私が、それはそれで良く分ったけれど、そんなに時間に厳しい日本人をどう思うの、って聞きましたところ、私は日本に来てから一度も待たされたことがないので、この良い習慣は続けてほしいものです、と言っていました。
なんじゃいそこかいですね(笑)
2012: Year In Review

今日、西川口は上青木に出没です。
上青木といえばコスパのよい洋食店「グリル ワンチーフ」さんしかありませんね。
Blogで振り返ってみたら4カ月ぶりの再訪です。
住所: 埼玉県川口市上青木1丁目5-6
電話:048-257-7747
定休日:不明

お店の外観です。

メニューです。


本日のオーダーは「鳥から揚げランチ(トン汁、サラダ、ポテトサラダ、ライス、ホットコーヒー付)」@680円です。
待つこと8分で到着です。
すごいですね、この値段なのに鳥から揚げが6個も付いています。
それでは実食です。鳥が柔らかいですね。
しかも衣がサクサク揚がっていて美味しいです。
いつも思うのですがここの店主の揚げものはブレがないです。
付け合わせのサラダはedgeがたっていますし、ポテトサラダはホッコリとしています。
食後にfreeの珈琲を飲みながら、このお店よりコスパの良いところってあまりないだろうなぁ、ってシミジミと思っていました・・・
小さい頃、おばあちゃんからこんな注意をされた人は少なくないはずだ。古くから日本に伝わる風習・言い伝えにはいったいどんなルーツがあるのか。最近、その謎を解き明かした「知れば恐ろしい日本人の風習」(千葉公慈/河出書房新社)という本が発売されたのだが、これを読むと、言い伝えや風習には予想以上に恐ろしい真相が隠されていることがよくわかる。
たとえば、「指切りげんまん」。これはもともと江戸の遊郭で流行ったもので、誓いの証として、男女互いの小指を切断し贈り合っていたことがはじまりだという。それが「約束守る」という意味に変化して大衆にひろまったのだそうだ。そう、比喩でなく、本当に指を切っていたというのである。これには任侠ヤクザの方々もビックリだろう。
「夜に口笛を吹いてはならない」なんて言い伝えも、恐い。というのも、古くは口笛を「嘯き(うそぶき)」と呼ばれ、その音は神や精霊を招く力があると信じられていたらしい。また、夜は昨日という時間が死に、明日という時間が生まれる、いわば生死の境界線でもあり、そんなときに口笛を吹くことは神霊的存在を呼ぶことであると考えられてきたのだという。
「花いちもんめ」の真相も恐ろしいかぎりだ。この歌は、花の売り買いをする様子を歌ったものであるという解釈が一般的だが、じつは人間の売り買いの様子を描いた歌という説もあるという。口減らしのために子どもたちを売ることが普通に行われていた時代、「花」というのは若い女性の隠語であり、歌詞にある「勝ってうれしい」「負けてくやしい」は「買ってうれしい」「(値段を)まけられてくやしい」という意味が含まれていたのではないか、というのだ。
もっとも一方で「恐ろしい」とはちょっとちがう印象をもってしまう風習もある。冒頭にあげた「夜にツメを切ってはいけない」もそのひとつ。この言い伝え、同書によると、戦国時代に、夜間の城の警備をする役目の「世詰め」からきているらしい。戦国の世では、この役目は親が亡くなってもその場をはなれることはできない重要なものだった。そんな「世詰め」と「夜爪」の語呂あわせから、親の死に目にあえないといわれるようになったのだとか。また、江戸時代に盛んになった儒教の教えでは、ツメも親からの大事な贈り物だから、ろくな照明もない暗闇で粗末に扱うことは、親不孝。それが現代まで伝わったのではないかと書かれている。
どんなおどろどろしい背景があるのかと思っていたら、ダジャレと深爪注意。ちょっと拍子抜けする話だが、ようするに、一口に風習や言い伝えと言ってもいろんなパターンがあるということだ。古代から続く宗教的な禁忌、近世の流行からの派生、庶民が貧困の恨みをこめてつくりだしたもの……。
これら言い伝えの中には、ネットが発達した今の時代にも語り継がれ、生活に影響を与えているものがある。鼻で笑うのでもなく、かといって鵜呑みをするのでもなく、ひとつひとつのルーツを検証して信じるかどうかを自分で判断することが大事かもしれない。
ダ・ヴィンチ電子ナビ『「指切りげんまん」は本当に指を切断していた! 驚きの風習や言い伝え』より転載
日本人はこのような伝承を大事にするのですね。
これからもそうありたいものです。
しか〜し「指きりげんまん」はありえないでしょう。
もしそんな蛮行をしたら遊女そのものの商品価値が著しく減じてしまいますもの。
要は小指の欠落した遊女は誓い合った男がいる証左になりますからね。
したがってそんな遊女には客がつきませんので、その蛮行をした遊女は死ぬまで苦界からぬけだせず勤労?意識も希釈されますよね。
さらに言えば楼主がそんな商品価値を下げることを遊女ににさせるわけもありません。
多分ですよ、それをした遊女は一人くらいはいたのでしょうが、その後は偽指かなにかで代替したのではないのですか・・・
外国人が日本人を良く評価することに「punctual(時間厳守)」があります。
この習慣ってつい最近といっても90年位前に始まったことなのですね。
「遅刻の誕生」(橋本毅彦・栗山茂久編 三元社)には、「明治初期に科学技術を日本に伝えにきたオランダ人技師たちは、時間をまったく守らない日本人の悠長さに呆れ、困り果てていた」という記述があるそうです。
というのも時計のない頃の日本は、不定時法という日の出と日没を基準とする時間が使われていた為に時間厳守という感覚がなかったそうです。
そのために時の政府は1920年6月10日に時の記念日を制定して「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と呼びかけたのです。
爾来日本には「遅刻」という観念が生まれたそうですよ。
良く話すカナダ人は、日本人は「形」にこだわり過ぎて「内容」を軽視する傾向がある、と私に言っています。
彼は、日本人は会議の始まりの時間には厳しいけれど、会議の内容にはこだわりません。さらにいえば会議の内容を重視しないので会議の終わる時間は全く守りません、と言っています。
つまり日本人は「始まりの時間を守る」ことは殊更(ことさら)厳しいのですが「時間を大切にする」という感覚が薄いのではと苦言を呈していました。
私が、それはそれで良く分ったけれど、そんなに時間に厳しい日本人をどう思うの、って聞きましたところ、私は日本に来てから一度も待たされたことがないので、この良い習慣は続けてほしいものです、と言っていました。
なんじゃいそこかいですね(笑)
2012: Year In Review

今日、西川口は上青木に出没です。
上青木といえばコスパのよい洋食店「グリル ワンチーフ」さんしかありませんね。
Blogで振り返ってみたら4カ月ぶりの再訪です。
住所: 埼玉県川口市上青木1丁目5-6
電話:048-257-7747
定休日:不明

お店の外観です。

メニューです。


本日のオーダーは「鳥から揚げランチ(トン汁、サラダ、ポテトサラダ、ライス、ホットコーヒー付)」@680円です。
待つこと8分で到着です。
すごいですね、この値段なのに鳥から揚げが6個も付いています。
それでは実食です。鳥が柔らかいですね。
しかも衣がサクサク揚がっていて美味しいです。
いつも思うのですがここの店主の揚げものはブレがないです。
付け合わせのサラダはedgeがたっていますし、ポテトサラダはホッコリとしています。
食後にfreeの珈琲を飲みながら、このお店よりコスパの良いところってあまりないだろうなぁ、ってシミジミと思っていました・・・