今日は「ラスト10マイル」です

デビッド・ボウイの訃報が伝えられた11日、僕はその3日前の8日、彼の誕生日に発表された最新アルバムを自分の番組で紹介するための選曲をしていた。
69歳という年齢を感じさせない、冒険心と若々しさにあふれた内容に興奮し、それをリスナーに伝えるのが楽しみだった。そこに突然の訃報。いったい何が起きたのか事態をとらえきれず、とても混乱してしまった。
このアルバムのプロデューサーであるトニー・ヴィスコンティの追悼コメントによって、ボウイは自らの病と闘い、余命を自覚する中で作品を制作したことが明らかにされた。
彼はこれがラスト・アルバムになることを知っていたのだ。
そこで彼が向かったのは、物語を終わらせることではなく、物語を始めることだった。
最新作でボウイは、これまで一緒にやってきたロック・ミュージシャンと離れ、新たにジャズ・ミュージシャンたちと組んだ。初めてのミュージシャンとレコーディングするのは、普通に考えて、ストレスとリスクの大きいことだが、彼はあえてラスト・アルバムになるであろう作品で、それに挑戦した。
ボウイが作りたい新しい音の世界を実現するためにどうしても必要なことだったからだ。
彼は私生活を秘密にしたり、人前に出るのを嫌ったりする人ではなかった。
しかし彼の存在には常に不思議な抽象性があり、存在そのものが作品のようだった。いつもスターとしての抽象性を失わなかった。
スターとは時代の欲望の反映である。
だから時代と共にスターは変わり、消費されていく。
永遠にスターであることは構造的に不可能なのだ。
ボウイはその不可能を可能にしてみせた。グラム・ロックのスターであり、ベルリンの壁崩壊のヒーローであり、米国の新しいダンス・ミュージックのスターであり、彼は時代と共に変容しながらスターであり続けた。
その都度、音楽のスタイルも変わり、イメージも変わっていった。
彼は時代を正確に映す鏡としての自分を一貫して高性能に保ち続けた。それは奇跡としかいいようのない見事さだった。2013年に発表した前作「ザ・ネクスト・デイ」の制作時、彼はケンドリック・ラマーを熱心に聴いていた。
最も先鋭的なヒップホップ・アーティストだ。
ジャズの方法論を大胆に取り入れたそのスタイルに強い影響を受け、そこに時代の音を見いだしたのだ。
グラム・ロックや新しいダンス・ミュージックに時代の音を感じた時と同じだ。
彼はためらわずその扉を開けた。
自らの余命が長くないことを知りながら、新しい物語に挑戦したのである。
「デビッド・ボウイさんを悼む」音楽評論家渋谷陽一 変容続けた永遠のスターより転載
すみません実はデビッド・ボウイさんの事はあまりよく知りません。
けれどもふりネタの渋谷陽一さんのコラムが私の琴線に触れました。
デビッド・ボウイさんが癌と向き合って行ったことは「死ぬこととは生きる事」だったのですね。
死ぬことは避けられない事でありあの釈迦牟尼でさえも寿命が尽きて亡くなられましたが、その残した仏教は我ら大和民族の心の敷桁になっています。
デビット・ボウイさんの残したラスト・アルバム「★」も彼の未来につながる橋頭堡だったのでしょう。
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」の通り、何もしないのは自分に対する言い訳とも言いきれませんが「当たらずとも遠からず」です。
ほとんどの失敗は「いい経験」にできるでしょう。
一番の失敗は何もしないことだと思います。
マラソンをやっているせいか最近よく思うのは「人生はラスト10マイルが勝負だ」という事です。
ラスト10マイル、されど10マイルここからが人生勝負なのです。
デビット・ボウイさんのように達成感という切符をもって天国行きの汽車に乗れるかどうかはここからだと思う今日この頃であります。
最後にデビット・ボウイさんのラスト・アルバム「★」最終曲 「I can't give everything away」の歌詞を紹介して終わらせていただきます。
見れば見るほど感受性は遠ざかる
否定を口にしつつ肯定する
これが今まで私が伝えたかった全て私の送り続けた伝言だ
60歳台の踊りじゃないでしょう!
今日は奥様と吉祥寺に出没です。


行列の牛カツ屋さんがあるというので行ってみました。
今日のお店は「牛カツ東京」吉祥寺店 さんです。
住所: 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-8-14 六鳴館ビル B1F
電話:0422-27-1990
定休日:不定休


お店の外観です。

店内の雰囲気です。

メニューです。
今日のオーダーは二人とも「牛カツトロロ定食(100g)」1,300円です。

地下にあるお店の入り口に来た時には「満席」と書いてあり、寒いお外で待っていたのですが、お客がお店を出ても店員さんは呼びに来ませんでした。
寒さに耐えかねて中を覗けばどうやら中の椅子で待つようです。
店内の待ち席は誰も座っていませんでした。
なんだ!この「満席」の札は・・・
個人的にはこのような顧客満足視点が欠けているお店は好きではありません。
待つこと9分で「牛カツトロロ定食(100g)」の着膳です。

見た感じカラッと感がありません。
それでは実食です。

まず牛カツが熱々ではありません。
揚げた後余熱で火を通すので熱々ではないのでしょうか。
確かにそういう豚カツ屋さんは存在しますが好きではありません。
カツは熱々の方が美味しいです。

味ですか、塩で食べると美味しいです。
トロロが美味しです。

個人的は「牛カツ」なのでもう少しレア感が欲しかったですね。
あんどこのパフォーマンスではコスパ悪いような気がします。
加えて「満席」看板で引掛けられたのも引っかかっています。
再訪はないでしょう、ハイ。

デビッド・ボウイの訃報が伝えられた11日、僕はその3日前の8日、彼の誕生日に発表された最新アルバムを自分の番組で紹介するための選曲をしていた。
69歳という年齢を感じさせない、冒険心と若々しさにあふれた内容に興奮し、それをリスナーに伝えるのが楽しみだった。そこに突然の訃報。いったい何が起きたのか事態をとらえきれず、とても混乱してしまった。
このアルバムのプロデューサーであるトニー・ヴィスコンティの追悼コメントによって、ボウイは自らの病と闘い、余命を自覚する中で作品を制作したことが明らかにされた。
彼はこれがラスト・アルバムになることを知っていたのだ。
そこで彼が向かったのは、物語を終わらせることではなく、物語を始めることだった。
最新作でボウイは、これまで一緒にやってきたロック・ミュージシャンと離れ、新たにジャズ・ミュージシャンたちと組んだ。初めてのミュージシャンとレコーディングするのは、普通に考えて、ストレスとリスクの大きいことだが、彼はあえてラスト・アルバムになるであろう作品で、それに挑戦した。
ボウイが作りたい新しい音の世界を実現するためにどうしても必要なことだったからだ。
彼は私生活を秘密にしたり、人前に出るのを嫌ったりする人ではなかった。
しかし彼の存在には常に不思議な抽象性があり、存在そのものが作品のようだった。いつもスターとしての抽象性を失わなかった。
スターとは時代の欲望の反映である。
だから時代と共にスターは変わり、消費されていく。
永遠にスターであることは構造的に不可能なのだ。
ボウイはその不可能を可能にしてみせた。グラム・ロックのスターであり、ベルリンの壁崩壊のヒーローであり、米国の新しいダンス・ミュージックのスターであり、彼は時代と共に変容しながらスターであり続けた。
その都度、音楽のスタイルも変わり、イメージも変わっていった。
彼は時代を正確に映す鏡としての自分を一貫して高性能に保ち続けた。それは奇跡としかいいようのない見事さだった。2013年に発表した前作「ザ・ネクスト・デイ」の制作時、彼はケンドリック・ラマーを熱心に聴いていた。
最も先鋭的なヒップホップ・アーティストだ。
ジャズの方法論を大胆に取り入れたそのスタイルに強い影響を受け、そこに時代の音を見いだしたのだ。
グラム・ロックや新しいダンス・ミュージックに時代の音を感じた時と同じだ。
彼はためらわずその扉を開けた。
自らの余命が長くないことを知りながら、新しい物語に挑戦したのである。
「デビッド・ボウイさんを悼む」音楽評論家渋谷陽一 変容続けた永遠のスターより転載
すみません実はデビッド・ボウイさんの事はあまりよく知りません。
けれどもふりネタの渋谷陽一さんのコラムが私の琴線に触れました。
デビッド・ボウイさんが癌と向き合って行ったことは「死ぬこととは生きる事」だったのですね。
死ぬことは避けられない事でありあの釈迦牟尼でさえも寿命が尽きて亡くなられましたが、その残した仏教は我ら大和民族の心の敷桁になっています。
デビット・ボウイさんの残したラスト・アルバム「★」も彼の未来につながる橋頭堡だったのでしょう。
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」の通り、何もしないのは自分に対する言い訳とも言いきれませんが「当たらずとも遠からず」です。
ほとんどの失敗は「いい経験」にできるでしょう。
一番の失敗は何もしないことだと思います。
マラソンをやっているせいか最近よく思うのは「人生はラスト10マイルが勝負だ」という事です。
ラスト10マイル、されど10マイルここからが人生勝負なのです。
デビット・ボウイさんのように達成感という切符をもって天国行きの汽車に乗れるかどうかはここからだと思う今日この頃であります。
最後にデビット・ボウイさんのラスト・アルバム「★」最終曲 「I can't give everything away」の歌詞を紹介して終わらせていただきます。
見れば見るほど感受性は遠ざかる
否定を口にしつつ肯定する
これが今まで私が伝えたかった全て私の送り続けた伝言だ
60歳台の踊りじゃないでしょう!
今日は奥様と吉祥寺に出没です。


行列の牛カツ屋さんがあるというので行ってみました。
今日のお店は「牛カツ東京」吉祥寺店 さんです。
住所: 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-8-14 六鳴館ビル B1F
電話:0422-27-1990
定休日:不定休


お店の外観です。

店内の雰囲気です。

メニューです。
今日のオーダーは二人とも「牛カツトロロ定食(100g)」1,300円です。

地下にあるお店の入り口に来た時には「満席」と書いてあり、寒いお外で待っていたのですが、お客がお店を出ても店員さんは呼びに来ませんでした。
寒さに耐えかねて中を覗けばどうやら中の椅子で待つようです。
店内の待ち席は誰も座っていませんでした。
なんだ!この「満席」の札は・・・
個人的にはこのような顧客満足視点が欠けているお店は好きではありません。
待つこと9分で「牛カツトロロ定食(100g)」の着膳です。

見た感じカラッと感がありません。
それでは実食です。

まず牛カツが熱々ではありません。
揚げた後余熱で火を通すので熱々ではないのでしょうか。
確かにそういう豚カツ屋さんは存在しますが好きではありません。
カツは熱々の方が美味しいです。

味ですか、塩で食べると美味しいです。
トロロが美味しです。

個人的は「牛カツ」なのでもう少しレア感が欲しかったですね。
あんどこのパフォーマンスではコスパ悪いような気がします。
加えて「満席」看板で引掛けられたのも引っかかっています。
再訪はないでしょう、ハイ。