世の中にはすごい人がいる

JICAの「浴衣FESTA」に参加しました。
終了した後、仲間と食堂で雑談をしていました。
海外が長い人の集まりですから、話す内容がインターナショナルです。

私が、イスラム教のハラルは地震などの大災害ではハラルとして食べるものがなくなりますよね、その際は「餓死」を要求するのですか?と聞きますと、サウジアラビアに赴任していた方が説明しました。
答えを端的に言えば、「餓死を要求することはありません、との事でした。
イスラム教では、ハラル(許されたもの)とハラーム(禁じられたもの)という規定がありますが、それは人間の命や健康を守るという根本原則のもとに運用されます。
たとえば地震、津波、戦争、遭難などでハラルな食べ物が手に入らない状況下では、
豚肉やアルコールを含む食料であっても、「命をつなぐために必要な量」は許されます。
または、「できる限り避ける」努力は求められるが、「命を失う」ほどの犠牲は求められないとされています。全く知りませんでした。
さらに、私が、精進料理の「鰻」ですが、仏門では「肉食を禁じています」のに、なんで「鰻の味」を再現できるのですか、話題をふりましたら、元〇〇省にいた方が、歴史的にウナギを食べていた人々の味覚の知見をもとに作られているからです。
精進料理の「ウナギ風」は、昔から一般の人や料理人が本物のウナギの味や食感を知っていることを前提に作られてきました。
つまり、実際にウナギを食べた人の経験や味覚の記憶を参考にして、植物性の素材でそれを再現しているのです。
仏門の方が食べたことがない味をゼロから想像しているわけではありません。
素材の食感や調味料の配合、調理方法を組み合わせて、食べた人が「ウナギらしい」と感じるような味や風味を生み出す技術が洗練されてきました。これは科学的・経験的な試行錯誤の結果です、と説明されました。
さらに私は、「もどき料理」は「煩悩のすり替」ではありませんか、と聞ききますと、
えおっしゃる通り、「もどき料理」は一種の偽善的ともとれる行為ではないかという問題提起には、深い宗教的・倫理的な問いが含まれています。肉や魚を「避ける」と言いつつ、その「味」を追い求める、しかも本物そっくりに「似せる」努力をする
この行為は、「本来の戒律の精神(欲望の克服)」に反しているのではないか?
つまり、肉食の欲望を、素材をすり替え満たしているに過ぎないのではないかという問題提起になります。
これはまさに、本末転倒、あるいは「肉を断って心を断たず」といった言葉で批判される対象でもあります。厳格な戒律(部派仏教・原始仏教系)では、肉を食べないのは殺生の回避が主目的であり、「もどき」も欲を刺激するなら意味がないとされがちです。
一方で「大乗仏教(禅宗・浄土宗など)」では、「方便(ほうべん)」や「衆生を救うための工夫」として、現実的な欲望と調和しながら修行する道も認められてきました。
たしかに「もどき料理」を「偽善」と見るか、「工夫」と「敬意」と見るかは、その人の立場や価値観によって異なるかもしれません。
たしかに、精進料理で「肉や魚を模した料理」を作るのは、いわば「本来避けるべき対象を連想させる行為」にも見えます。
その意味では、「見た目や味をなぜそこまで再現する必要があるのか」という疑問はもっともです。つまり、完全な断絶ではなく、欲望との「付き合い方」に知恵を絞っているとも言えるのです、と言われました。
これらの回答を聞いて、個人的には、仏教の本質は「執着を断つ」ことですから、詭弁と感じましたが、これらの難しい質問に対して「即答できる人」がいることに驚きを禁じ得ませんでした。私はまだまだ「修行」が足りません。
という事で、今日のランチは「JICA東京食堂」です。
住所: 東京都渋谷区西原2-49-5
TEL:03-3485-7051
定休日:不定休

お店の外観です。

店内の雰囲気です。


メニューです。

色のついたプラスチックカードをとって会計に行きます。
そしてそのカードが調理場に行きます。
今日のオーダー「パラルチキンカレー&ナン」@520+@280=800円です。

待つこと0分で「パラルチキンカレー&ナン」で配膳されました。
「浴衣FESTA」に参加した外国人が声をかけてくれました。
ありがたいですね。
それでは実食です。
う〜ん、美味からず、不味からず、ですね。
カレーの辛さは丁度良かったです。
ナンも想像以上に柔らかくていいですね。
隣に座った外国人に「ここは何が美味しいの?」って聞きましたら「ラーメン」ですと。
次回、挑戦しますか。
いずれにしても「コスパ最高!」でした。
ごちそうさまでした

JICAの「浴衣FESTA」に参加しました。
終了した後、仲間と食堂で雑談をしていました。
海外が長い人の集まりですから、話す内容がインターナショナルです。

私が、イスラム教のハラルは地震などの大災害ではハラルとして食べるものがなくなりますよね、その際は「餓死」を要求するのですか?と聞きますと、サウジアラビアに赴任していた方が説明しました。
答えを端的に言えば、「餓死を要求することはありません、との事でした。
イスラム教では、ハラル(許されたもの)とハラーム(禁じられたもの)という規定がありますが、それは人間の命や健康を守るという根本原則のもとに運用されます。
たとえば地震、津波、戦争、遭難などでハラルな食べ物が手に入らない状況下では、
豚肉やアルコールを含む食料であっても、「命をつなぐために必要な量」は許されます。
または、「できる限り避ける」努力は求められるが、「命を失う」ほどの犠牲は求められないとされています。全く知りませんでした。
さらに、私が、精進料理の「鰻」ですが、仏門では「肉食を禁じています」のに、なんで「鰻の味」を再現できるのですか、話題をふりましたら、元〇〇省にいた方が、歴史的にウナギを食べていた人々の味覚の知見をもとに作られているからです。
精進料理の「ウナギ風」は、昔から一般の人や料理人が本物のウナギの味や食感を知っていることを前提に作られてきました。
つまり、実際にウナギを食べた人の経験や味覚の記憶を参考にして、植物性の素材でそれを再現しているのです。
仏門の方が食べたことがない味をゼロから想像しているわけではありません。
素材の食感や調味料の配合、調理方法を組み合わせて、食べた人が「ウナギらしい」と感じるような味や風味を生み出す技術が洗練されてきました。これは科学的・経験的な試行錯誤の結果です、と説明されました。
さらに私は、「もどき料理」は「煩悩のすり替」ではありませんか、と聞ききますと、
えおっしゃる通り、「もどき料理」は一種の偽善的ともとれる行為ではないかという問題提起には、深い宗教的・倫理的な問いが含まれています。肉や魚を「避ける」と言いつつ、その「味」を追い求める、しかも本物そっくりに「似せる」努力をする
この行為は、「本来の戒律の精神(欲望の克服)」に反しているのではないか?
つまり、肉食の欲望を、素材をすり替え満たしているに過ぎないのではないかという問題提起になります。
これはまさに、本末転倒、あるいは「肉を断って心を断たず」といった言葉で批判される対象でもあります。厳格な戒律(部派仏教・原始仏教系)では、肉を食べないのは殺生の回避が主目的であり、「もどき」も欲を刺激するなら意味がないとされがちです。
一方で「大乗仏教(禅宗・浄土宗など)」では、「方便(ほうべん)」や「衆生を救うための工夫」として、現実的な欲望と調和しながら修行する道も認められてきました。
たしかに「もどき料理」を「偽善」と見るか、「工夫」と「敬意」と見るかは、その人の立場や価値観によって異なるかもしれません。
たしかに、精進料理で「肉や魚を模した料理」を作るのは、いわば「本来避けるべき対象を連想させる行為」にも見えます。
その意味では、「見た目や味をなぜそこまで再現する必要があるのか」という疑問はもっともです。つまり、完全な断絶ではなく、欲望との「付き合い方」に知恵を絞っているとも言えるのです、と言われました。
これらの回答を聞いて、個人的には、仏教の本質は「執着を断つ」ことですから、詭弁と感じましたが、これらの難しい質問に対して「即答できる人」がいることに驚きを禁じ得ませんでした。私はまだまだ「修行」が足りません。
という事で、今日のランチは「JICA東京食堂」です。
住所: 東京都渋谷区西原2-49-5
TEL:03-3485-7051
定休日:不定休

お店の外観です。

店内の雰囲気です。


メニューです。

色のついたプラスチックカードをとって会計に行きます。
そしてそのカードが調理場に行きます。
今日のオーダー「パラルチキンカレー&ナン」@520+@280=800円です。

待つこと0分で「パラルチキンカレー&ナン」で配膳されました。
「浴衣FESTA」に参加した外国人が声をかけてくれました。
ありがたいですね。
それでは実食です。
う〜ん、美味からず、不味からず、ですね。
カレーの辛さは丁度良かったです。
ナンも想像以上に柔らかくていいですね。
隣に座った外国人に「ここは何が美味しいの?」って聞きましたら「ラーメン」ですと。
次回、挑戦しますか。
いずれにしても「コスパ最高!」でした。
ごちそうさまでした
