#仕組まれた「本能寺の変」

天正十年六月二日未明、京都・本能寺に滞在していた織田信長は、重臣・明智光秀の軍勢に襲撃され、自刃したとされています。
いわゆる「本能寺の変」のことです。
天下統一を目前にした織田政権は一夜にして瓦解し、日本史は大きく転回した、というのが、通説的な理解です。
しかし、この事件を「突発的な裏切り」や「予測不能の政変」としてのみ捉えると、どうしても説明のつかない点が残るのです。
本能寺の変そのものは偶発だったかもしれませんが、その後の人々の動きは、あまりに早く、あまりに整いすぎていて「仕組まれていた」感を覚えます。
象徴的なのが羽柴秀吉の行動です。
備中高松城を水攻めで包囲していた秀吉は、信長横死の報を受けるや、即座に毛利氏と和睦し、いわゆる「中国大返し」に踏み切りました。
「中国大返し」とは、本能寺の変の直後、備中高松城(現在の岡山県)から京都まで わずか10日ほどで約200kmを大軍で移動した電撃行軍 のことです。
そのスピードばかりが強調されがちですが、注目すべきは兵站(補強)です。
約3万の兵を率い、長距離を一気に引き返すには、食糧、休息地点、輸送手段の確保が不可欠です。
特に姫路城で行われた大規模な炊き出しは、事前の準備なしには成立しません。
このような場合は近隣の農民の女性が集めるわけですが、姫路城についたのは高松城を出た次の日です。
姫路城での「炊き出し」ができたのは、急転回を想定した3万人分の補給体制が、すでに用意されていたとした方が自然です
この「準備されすぎた即応」を前提に考えると、本能寺前後の出来事は別の様相を呈してきます。
まず光秀の親友である高山右近の動きです。
山崎の合戦で右近が秀吉側についた理由は、一般にイエズス会の指導によるものと説明されています。
しかし、勝敗が定まらぬ段階で、宗教組織が即断できたとは考えにくい。
むしろ右近は、明智光秀の内情「不満や焦燥、あるいは異変の前兆」を事前に察知し、それを秀吉側に伝えていたのではないでしょうか。
これが全てに通底する1本の線です。
これで山崎の合戦での迷いのなさを合理的に説明できます。
そうなのです、右近は信仰に従ったのではなく、すでに始まっていた事態の「清算」をしていた可能性があるとみるのが自然です。
時系列に前後しますが、清水宗治の切腹も同様です。
備中高松城主・宗治の自刃は、水攻めの末の「ラストリゾート(最後の切り札)」と語られることが多いです。
しかし冷静に考えれば、切腹という選択肢は、城が完全に水没した時点でいつでも可能だったはずです。
高松城には、救援はなく、兵糧は尽き、軍事的にはすでに詰んでいました。
それでも宗治は最後まで生かされていました。
何故でしょうか。
これは秀吉がこの戦いのハイライトとして「切腹劇」を温存されていたからではないでしょうか。
もし本能寺の変がなければ、信長来陣という最大の舞台で、宗治の切腹は政治的な演出として使われていた可能性が高いと思います。
さらに注目すべきは、秀吉がはなった有力武将に送った「信長が生き延びている」というブラフです。
当時の本能寺は、四方を完全に囲まれた要塞ではなく、一辺は町屋敷に面していました。
そのため、土地勘のある者であれば脱出できたとしても不思議ではありません。
しかも信長の遺体は確認されていません。ならば信長なら、この虎口から脱出したと考えたとしても不思議ではありません。
秀吉の書状をブラフだと即断できた者はいないでしょう。
即ち、秀吉は信長の死を断定するのではなく、「生きているかもしれない」という曖昧さを最大限に利用したのです。
多くの武将達の判断停止状態が、その後の動きを封じ、明智光秀を孤立させることに成功したのです。
こうして見ていくと、裏切りも、切腹も、存命説も、その場で即興的に生まれた策ではありません。兵站を含む準備、複数の終局図、そして状況に応じて選ばれた最短の一手。
本能寺の変は確かに驚天動地の謀反です。
しかし勝敗を決めたのは偶然ではなく、その前から静かに積み上げられていたシナリオがあったからだと思います
歴史は劇的な瞬間で語られがちです。
だが実際に局面を決めたのは、知将・秀吉が、あらゆる可能性を織り込んだ「次の一手」を、ただ静かに指していたからではないでしょうか。
今日も渋谷の下見です。
簡単な案内をします。



ここは「渋谷」の起点となる「金王神社」です。

「I’m donut?」さんは、この場所に移転しました。
昔に比べて、行列が短いような。
このドーナツは、1回食べたらいいでしょうね。
お高いですから。

駅伝王者「青山学院」です。
女性の後ろに見える陸橋は公共のものではなく青学さんのものです。

渋谷を歩くときはこの「座標軸」が頭に入っていたら大丈夫ですよ。
ということで今日のランチは「お鮨」です。
今日のお店は「大内」さんです。
住所: 東京都渋谷区渋谷2-8-4 佐野ビル1F
電話:03-3407-3543
定休日:日・祝日

お店の外観です。

店内の雰囲気です。

メニューです。

オーガニックとは
今日のオーダー「海鮮ちらし」@1000円です。

座ってすぐに「お茶」が用意されました。


待つこと4分で「海鮮ちらし」がカウンターの上に静かに置かれました。
オーガニック(添加物なし)の「ちらし」は初めてでし
ネタを口に入れると、で優しい味付け。
薄味が好きな私には好みドンピシャなお寿司でした。
普段から濃い味付けで化学調味料などが好きな方には物足りないかもしれませんかも。
全てが美味しかったのですが、一番、驚いたのは「玉子(ぎょく)」です。
幼い時に、食べた「玉子」の味が舌の上で拡がりました。
強く訴えないけど、深見は十分感じられる、甘さは筆舌に尽くせないものです。
美味しいです。
ご主人夫婦の過不足ない接客は、食べることに専念できました。
この空気感を含めて味なのだろうと思いました。
ごちそうさまでした

天正十年六月二日未明、京都・本能寺に滞在していた織田信長は、重臣・明智光秀の軍勢に襲撃され、自刃したとされています。
いわゆる「本能寺の変」のことです。
天下統一を目前にした織田政権は一夜にして瓦解し、日本史は大きく転回した、というのが、通説的な理解です。
しかし、この事件を「突発的な裏切り」や「予測不能の政変」としてのみ捉えると、どうしても説明のつかない点が残るのです。
本能寺の変そのものは偶発だったかもしれませんが、その後の人々の動きは、あまりに早く、あまりに整いすぎていて「仕組まれていた」感を覚えます。
象徴的なのが羽柴秀吉の行動です。
備中高松城を水攻めで包囲していた秀吉は、信長横死の報を受けるや、即座に毛利氏と和睦し、いわゆる「中国大返し」に踏み切りました。
「中国大返し」とは、本能寺の変の直後、備中高松城(現在の岡山県)から京都まで わずか10日ほどで約200kmを大軍で移動した電撃行軍 のことです。
そのスピードばかりが強調されがちですが、注目すべきは兵站(補強)です。
約3万の兵を率い、長距離を一気に引き返すには、食糧、休息地点、輸送手段の確保が不可欠です。
特に姫路城で行われた大規模な炊き出しは、事前の準備なしには成立しません。
このような場合は近隣の農民の女性が集めるわけですが、姫路城についたのは高松城を出た次の日です。
姫路城での「炊き出し」ができたのは、急転回を想定した3万人分の補給体制が、すでに用意されていたとした方が自然です
この「準備されすぎた即応」を前提に考えると、本能寺前後の出来事は別の様相を呈してきます。
まず光秀の親友である高山右近の動きです。
山崎の合戦で右近が秀吉側についた理由は、一般にイエズス会の指導によるものと説明されています。
しかし、勝敗が定まらぬ段階で、宗教組織が即断できたとは考えにくい。
むしろ右近は、明智光秀の内情「不満や焦燥、あるいは異変の前兆」を事前に察知し、それを秀吉側に伝えていたのではないでしょうか。
これが全てに通底する1本の線です。
これで山崎の合戦での迷いのなさを合理的に説明できます。
そうなのです、右近は信仰に従ったのではなく、すでに始まっていた事態の「清算」をしていた可能性があるとみるのが自然です。
時系列に前後しますが、清水宗治の切腹も同様です。
備中高松城主・宗治の自刃は、水攻めの末の「ラストリゾート(最後の切り札)」と語られることが多いです。
しかし冷静に考えれば、切腹という選択肢は、城が完全に水没した時点でいつでも可能だったはずです。
高松城には、救援はなく、兵糧は尽き、軍事的にはすでに詰んでいました。
それでも宗治は最後まで生かされていました。
何故でしょうか。
これは秀吉がこの戦いのハイライトとして「切腹劇」を温存されていたからではないでしょうか。
もし本能寺の変がなければ、信長来陣という最大の舞台で、宗治の切腹は政治的な演出として使われていた可能性が高いと思います。
さらに注目すべきは、秀吉がはなった有力武将に送った「信長が生き延びている」というブラフです。
当時の本能寺は、四方を完全に囲まれた要塞ではなく、一辺は町屋敷に面していました。
そのため、土地勘のある者であれば脱出できたとしても不思議ではありません。
しかも信長の遺体は確認されていません。ならば信長なら、この虎口から脱出したと考えたとしても不思議ではありません。
秀吉の書状をブラフだと即断できた者はいないでしょう。
即ち、秀吉は信長の死を断定するのではなく、「生きているかもしれない」という曖昧さを最大限に利用したのです。
多くの武将達の判断停止状態が、その後の動きを封じ、明智光秀を孤立させることに成功したのです。
こうして見ていくと、裏切りも、切腹も、存命説も、その場で即興的に生まれた策ではありません。兵站を含む準備、複数の終局図、そして状況に応じて選ばれた最短の一手。
本能寺の変は確かに驚天動地の謀反です。
しかし勝敗を決めたのは偶然ではなく、その前から静かに積み上げられていたシナリオがあったからだと思います
歴史は劇的な瞬間で語られがちです。
だが実際に局面を決めたのは、知将・秀吉が、あらゆる可能性を織り込んだ「次の一手」を、ただ静かに指していたからではないでしょうか。
今日も渋谷の下見です。
簡単な案内をします。



ここは「渋谷」の起点となる「金王神社」です。

「I’m donut?」さんは、この場所に移転しました。
昔に比べて、行列が短いような。
このドーナツは、1回食べたらいいでしょうね。
お高いですから。

駅伝王者「青山学院」です。
女性の後ろに見える陸橋は公共のものではなく青学さんのものです。

渋谷を歩くときはこの「座標軸」が頭に入っていたら大丈夫ですよ。
ということで今日のランチは「お鮨」です。
今日のお店は「大内」さんです。
住所: 東京都渋谷区渋谷2-8-4 佐野ビル1F
電話:03-3407-3543
定休日:日・祝日

お店の外観です。

店内の雰囲気です。

メニューです。

オーガニックとは
今日のオーダー「海鮮ちらし」@1000円です。

座ってすぐに「お茶」が用意されました。


待つこと4分で「海鮮ちらし」がカウンターの上に静かに置かれました。
オーガニック(添加物なし)の「ちらし」は初めてでし
ネタを口に入れると、で優しい味付け。
薄味が好きな私には好みドンピシャなお寿司でした。
普段から濃い味付けで化学調味料などが好きな方には物足りないかもしれませんかも。
全てが美味しかったのですが、一番、驚いたのは「玉子(ぎょく)」です。
幼い時に、食べた「玉子」の味が舌の上で拡がりました。
強く訴えないけど、深見は十分感じられる、甘さは筆舌に尽くせないものです。
美味しいです。
ご主人夫婦の過不足ない接客は、食べることに専念できました。
この空気感を含めて味なのだろうと思いました。
ごちそうさまでした
NHK大河の豊臣兄弟で、どう描くか
今から楽しみです
Splashさんの考察とおり、
姫路城での炊き出しが、すでに用意されてたまで
踏み込むか!
大内さん
中学 高校生は500円
小学生以下は100円
とは心根が優しい店主さんです
家族で行ったら大喜びものです