信長の骨は何処?
「本能寺の変」では織田信長は部下の明智光秀の謀反でその生涯を閉じました。
そして、その遺体は発見されることはありませんでした。
この話が不思議でした。
といいますのも一般的な木造建築の火災では、炎の温度は約600〜1,000℃程度です。
しかし火災現場全体が高温になるとは限らず、部分的な燃焼で終わることも多いはずです。
さらに、人間の 骨が焼ける温度は、約1,200〜1,600℃が必要です。
現代の火葬場では、この温度で約1.5〜2時間焼いてようやく骨がもろくなり、粉砕可能になるレベルとなります。
とすれば、本能寺の火災程度の熱量では、骨が残ってもおかしくないのです。
それなのに「ない」というのはどう考えてもおかしいのです。

amidadera_D
現在の京都市上京区にある浄土宗の寺・阿弥陀寺に信長の首が埋葬されているという説があります。お寺に残された「信長公阿弥陀寺由緒之記録」によりますと、変が起こったとき、同寺に清玉上人(せいぎょくしょうにん)という生前の信長と親しかった高僧がいて、上人は信長が襲撃されたことを知ると、数人の弟子を引き連れ、当時は堀川四条の近くにあった本能寺に駆け付けています。
本能寺の裏手の生け垣を破って敷地内に入ると、顔に見覚えがある織田方の武士10人ほどが何かを燃やしている場面に出くわします。
恐る恐る何をしているのかと聞くと、武士たちはそれが清玉上人であることを認めたうえで、実は信長公はすでに切腹しており、遺言で首を敵に渡してはならぬと言われていたので、いま遺体を念入りに焼いているところだ、と打ち明けたのです。
それを聞いて清玉上人は、荼毘に付すのは出家の役目です。
あとのことは拙僧らに任せてもらいたい、と言い、遺体を焼く作業を引き受けたといいます。
そして、遺灰にするとそれを法衣にくるんで隠し、本能寺の僧らが右往左往しながら立ち退くのに紛れ、一緒に寺を脱出したそうです。
こうして信長の遺灰を阿弥陀寺に持ってくることに成功した清玉上人はその後、密かに葬儀を執り行い、急きょ敷地内に設けた墓に遺灰を収めたといいます。
のちに上人はその墓の隣に、同じ本能寺の変で亡くなった信長の長男・信忠の墓や、森蘭丸ら側近の墓も建てています。
私は、この話を信じています。
要は、清玉上人が信長の遺骨を、持ち去ったのです。
だから、本能寺には「遺骨」がないのです。
しか〜し、裏手からとはいえ清玉上人たちが本能寺の敷地内にスムーズに進入できたのはなぜでしょうか、遺体を焼いている間、明智の軍勢に見咎められなかったのはなぜでしょうか、この話はあまりにも運が良すぎないか、などなど、この阿弥陀寺説にはいくつもの疑問が残されていることは事実です。
個人的には、遺体を焼いたのは本能寺ではなく、阿弥陀寺であれば辻褄があいます。

7aac058a1571c431bf93eafdd76ce2c7
「信長公阿弥陀寺由緒之記録」の原書は一度焼失して書き直されて、史料的価値は薄いとの見立てもありますが、これが信長の骨が無くなったという話にイチバン合致していると思います。


エクセルに関数のソースコードを貼ったら、ノートンが変なふるまいをして、PCがクラッシュしてしまいました。
PCの取り扱いはかなり詳しいのですが、ソースコードまではわかりません。
そこでヨドバシカメラに行って直してもらいました。
という事で今日のお店はいつも行列の「カヤシマ」さんです。

住所: 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-10-9
電話:0422-21-6461
定休日:第3水曜定休

IMG_3302
お店の外観です。

IMG_3303

IMG_3304
大行列です。

IMG_3305

IMG_3308
店内の雰囲気です。

IMG_3306
メニューです。

今日のオーダー「日替わり弁当」@1,200円です。

今日の「日替わり弁当」は、やわらか豚ロースとブロッコリー・なすの香味ダレ、かぶ、ちくわ、ベーコンのあんかけ煮、マカロニサラダです。

IMG_3307
座るやいなやお水が到着しました。
ご主人が気さくな人で常連さんに愛敬を振りまいていました。

IMG_3311
待つこと11分で「日替わり弁当」が到着しました。
見た目、美味しそうです。

IMG_3312
まずは「やわらか豚ロースとブロッコリー・なすの香味ダレ」を頂きました。
確かに豚は柔らかいです、
加えて香味ダレがイケています。
これだけでもよかったです。

IMG_3313
そして「かぶ、ちくわ、ベーコンのあんかけ煮」を頂きました。
これは完璧な和食テイストです。
ベーコンの脂身がこのあんかけによく合いました。

限定10人でした。
食べられて幸せでした。
ごちそうさまでした。

それでは(^_-)