忠臣蔵異聞 内匠頭と上野介の対立とその背景
内匠頭は、今回の従二位叙位の儀式を70百万円と見積もっていたのに対して上野介は100百万円なければ、満足な饗応ができないとしていて、その差分に激怒したのです。
捕捉しますと、内匠頭の勅使饗応役は確かに二度目ですが、一回目の時からは19年経っています。一回目の時、赤穂藩は40百万円を使っています。4年前の元禄10年に饗応役を勤めた伊東出雲守は120百万円を使っていましたので、赤穂藩はその間をとって、今回は70百万円くらいでいいかと考えたのでした。
つまり、赤穂藩の江戸留守居役たちは経済成長期にあった江戸の金銭感覚に馴染んでいなかったので、縮減できると考えたのです。
吉良はそれに対して、勅使饗応役はそんなに何回も担当するものではないので、今回はは節約するに及ばないと、言ったと伝わっています。
この赤穂藩と吉良上野介の考え方の食い違いが赤穂事件の根本原因をつくったと私は考えています。要はこの赤穂藩の節約で、高家である上野介の指導の評価が下がることを嫌がったのでした。これにより、上野介は、田舎大名と馬鹿にして内匠頭にパワハラを行ったのです。これで必要十分条件の必要条件が整いました。

十分条件ですが、実は、内匠頭は「痞え」という今でいう自律神経失調症だったのです。
今の言葉でいうと「キレ易い」人だったのです。
実際、大石内蔵助はこの変事を聞いて、即座に「あれが出たか・・・」と言ったそうです。それゆえに突発性なものだったのでしょう。
これが十分条件です。
これで必要十分条件が整いました。
これに対して私は違うと思っています。
内匠頭心の内に分け入ってみれば、4日間のパワハラをどこかで晴らそうかと考えていましたが、私怨ですので、式典の最中にはできなかったのです。江戸時代の武士は、侮辱を受けたら即座に反応することが名誉とされましたので、内匠頭の取った行動はTPO冴えわきまえれば寛容できるものでありました。
そして、最後の日が来ました。
午前中の伝奏屋敷で行うと思ったのですができなかったのです。
伝奏屋敷は公的な施設であり、多くの幕府関係者や他の大名が出入りしていました。
そのため、内匠頭が上野介を襲撃すれば、多くの目撃者がいる中での暴力行為となり、即座に取り押さえられる可能性が高かったと考えられます。
そこで内匠頭は、移動した江戸城の中の、セキュリティが緩く且つ明かりが射さない薄暗い松の廊下で上野介を狙ったのです。
浅野内匠頭は武芸者です、本来なら、当初の目的を達したはずですが、そこに居合わせたのが怪力無双の梶川与惣兵衛でした。
彼により後ろから取り押さえられしまいました。
これにより、吉良上野介は刀を抜いて反撃することもなく、後で江戸市民から大ブーイングとなる「浅野は刀を抜いた、吉良は抜いてなかったので喧嘩両成敗にはならない」とする裁断への嚆矢となります。なお綱吉の生母の桂昌院の叙位は、幕府の権威維持と朝廷との関係強化のために中止にはなりませんでした。
To be continued


今日は丸の内にガイドの下調べできました。
今日のお店は「M&C Cafe」 丸の内オアゾ店さんです。
住所: 東京都千代田区丸の内1-6-4 丸の内オアゾ 4F
電話:03-3214-1013
定休日:無休

お店の外観です。

店内の雰囲気です。


丸善の歴史です。

メニューです。
今日のオーダー「ポーク早仕&ブレンドコーヒー」@1,680円です。

座るやいなやお水が到着しました。


待つこと4分で「ポーク早仕」と「サラダ」が到着しました。

フライドオニオンとピクルスを載せていただきます。
口に入る瞬間はトマトなどの芳醇な甘さを感じる豊かさがいいですね。
ゴージャスな味わいです。
しいて瑕瑾を申せば量が少ないですね。

それでも食後に珈琲を飲みながら大手町の超高層ビルと通過する電車を見ながらまったりとしていました。この空間はご機嫌ですね。
ごちそうさまでした
内匠頭は、今回の従二位叙位の儀式を70百万円と見積もっていたのに対して上野介は100百万円なければ、満足な饗応ができないとしていて、その差分に激怒したのです。
捕捉しますと、内匠頭の勅使饗応役は確かに二度目ですが、一回目の時からは19年経っています。一回目の時、赤穂藩は40百万円を使っています。4年前の元禄10年に饗応役を勤めた伊東出雲守は120百万円を使っていましたので、赤穂藩はその間をとって、今回は70百万円くらいでいいかと考えたのでした。
つまり、赤穂藩の江戸留守居役たちは経済成長期にあった江戸の金銭感覚に馴染んでいなかったので、縮減できると考えたのです。
吉良はそれに対して、勅使饗応役はそんなに何回も担当するものではないので、今回はは節約するに及ばないと、言ったと伝わっています。
この赤穂藩と吉良上野介の考え方の食い違いが赤穂事件の根本原因をつくったと私は考えています。要はこの赤穂藩の節約で、高家である上野介の指導の評価が下がることを嫌がったのでした。これにより、上野介は、田舎大名と馬鹿にして内匠頭にパワハラを行ったのです。これで必要十分条件の必要条件が整いました。

十分条件ですが、実は、内匠頭は「痞え」という今でいう自律神経失調症だったのです。
今の言葉でいうと「キレ易い」人だったのです。
実際、大石内蔵助はこの変事を聞いて、即座に「あれが出たか・・・」と言ったそうです。それゆえに突発性なものだったのでしょう。
これが十分条件です。
これで必要十分条件が整いました。
これに対して私は違うと思っています。
内匠頭心の内に分け入ってみれば、4日間のパワハラをどこかで晴らそうかと考えていましたが、私怨ですので、式典の最中にはできなかったのです。江戸時代の武士は、侮辱を受けたら即座に反応することが名誉とされましたので、内匠頭の取った行動はTPO冴えわきまえれば寛容できるものでありました。
そして、最後の日が来ました。
午前中の伝奏屋敷で行うと思ったのですができなかったのです。
伝奏屋敷は公的な施設であり、多くの幕府関係者や他の大名が出入りしていました。
そのため、内匠頭が上野介を襲撃すれば、多くの目撃者がいる中での暴力行為となり、即座に取り押さえられる可能性が高かったと考えられます。
そこで内匠頭は、移動した江戸城の中の、セキュリティが緩く且つ明かりが射さない薄暗い松の廊下で上野介を狙ったのです。
浅野内匠頭は武芸者です、本来なら、当初の目的を達したはずですが、そこに居合わせたのが怪力無双の梶川与惣兵衛でした。
彼により後ろから取り押さえられしまいました。
これにより、吉良上野介は刀を抜いて反撃することもなく、後で江戸市民から大ブーイングとなる「浅野は刀を抜いた、吉良は抜いてなかったので喧嘩両成敗にはならない」とする裁断への嚆矢となります。なお綱吉の生母の桂昌院の叙位は、幕府の権威維持と朝廷との関係強化のために中止にはなりませんでした。
To be continued


今日は丸の内にガイドの下調べできました。
今日のお店は「M&C Cafe」 丸の内オアゾ店さんです。
住所: 東京都千代田区丸の内1-6-4 丸の内オアゾ 4F
電話:03-3214-1013
定休日:無休

お店の外観です。

店内の雰囲気です。


丸善の歴史です。

メニューです。
今日のオーダー「ポーク早仕&ブレンドコーヒー」@1,680円です。

座るやいなやお水が到着しました。


待つこと4分で「ポーク早仕」と「サラダ」が到着しました。

フライドオニオンとピクルスを載せていただきます。
口に入る瞬間はトマトなどの芳醇な甘さを感じる豊かさがいいですね。
ゴージャスな味わいです。
しいて瑕瑾を申せば量が少ないですね。

それでも食後に珈琲を飲みながら大手町の超高層ビルと通過する電車を見ながらまったりとしていました。この空間はご機嫌ですね。
ごちそうさまでした

喉が痞えたと思っていましたが、
病名だったのですね。
今も昔もキレ易い人は、いるもんです。
第三回に続きますね。
ハヤシ(早矢仕)ライス
丸善さんのハヤシって名字から、とったのですか。
上野精養軒の林シェフだと、思っていました。
いい色してますね、
ポーク早矢仕と察しましたぞ。