今日は「涙は心の汗だ!」です
青春時代、欧米の小説ばかり読んでいた。
日本の小説は貧乏臭くて読む気が失(う)せた。
自分の家が貧乏で苦労しているのに、他人の家の貧乏まで心配したくなかったのだ。
そんなわけで、いい年になって名作と言われる作品を読んだら、これがもう、驚いたのなんのって。
まず『坊っちゃん』。ドラマなどを見る限り、“熱血教師が活躍する青春学園物語で、マドンナとラブラブ”というイメージだった。ところが漱石の書いた『坊っちゃん』は、熱血ではあっても青春でも学園でもラブラブでもなかった。
坊っちゃんにとって教職は単に一番給料の高い仕事であって、学校はただの職場でしかない。
学校に対する理想も教育に対する情熱も生徒に対する愛情も、何一つ持ち合わせていないのである。
生徒のことは“田舎者”と、ひたすら嫌悪し、軽蔑している。
この人が教職に就いたのは、学校にも生徒にも本人にも、不幸なことだったと思う。
そして“チッチとサリー”“ヒデとロザンナ”“白子とポン酢”の如く、坊っちゃんと言えばマドンナがセットだと思っていたら、実は2人は何の関係もない間柄で、言葉を交わすことさえないのだった。
坊っちゃんはマドンナの美しさに感心しているが、感動はしていない。
そしてマドンナの境遇に同情したり、行く末を案じたり、幸せを願ったり、一肌脱いでやろうと思ったりは全然していない。そのような感情は、彼女の婚約者であったうらなり君に対して抱いているのだ。
坊っちゃんの心を常に占めている女性は、年老いた乳母の清である。
美しい景色を見れば「こんな所に清と一緒に来たらどんなに楽しいだろう」と思い、腹黒い人間に会えば「清は教育はないが、人間としてはずっと上等だ」と思い、下宿でショボいお菜を出されれば「清なら俺の好きなマグロの刺身か蒲鉾(かまぼこ)の付け焼きを出してくれるのに」と思うのだ。
虚心に読めば『坊っちゃん』は「親譲りの無鉄砲が災いして負け組街道を突っ走った青年と、彼に無償の愛を捧(ささ)げた孤独な老女の純愛物語」である。
この話を「青春学園ラブラブ物語」に改変した脚本家の手腕には、敬意を表する他あるまい。
わずか一月あまりで教職を辞した坊っちゃんは東京へ戻り、まっすぐ清の元へ行き、ポロポロと涙を流して喜ぶ清に「もうどこにも行かない。清と一緒にいる」と誓う。
以後、死が2人を分かつまで、坊っちゃんと清は同じ屋根の下に暮らす。
私はこのシーンを涙無くしては読めない。無償の愛は裏切られると相場が決まっているのに、この青年は真心で応えてくれたのである。
古今の小説の中で清ほど幸せな女性はいないと思う。
私は清になりたい。
ある冬の日、清は肺炎で亡くなる。死の間際「坊ちゃんと同じお墓に入れてください。
清はそこで坊ちゃんが来るのを楽しみに待っています」と頼み、坊っちゃんは快くその願いを聞き入れて菩提寺に葬る。物語はそこで終わっている。
トーマス・マンは「より多く愛した者が敗者である」と言った。
しかし清の如く無私に徹した純真な愛の前で、勝敗は意味をなさない。
さてこの様に『野菊の墓』『源氏物語』『こころ』等々、いい年して読んでみたらイメージと違った名作は色々あるのだが、今日はこの辺でお終(しま)いにしましょう。
読んでびっくり『坊っちゃん』山口恵以子著より転載
このエッセイを読んで驚いた事があります。
それは私も「坊ちゃん」を読んで号泣したのです。
ただし小学生の頃です。
そして私が号泣したくだりというのは以下のくだりです。
ある冬の日、清は肺炎で亡くなる。死の間際「坊ちゃんと同じお墓に入れてください。清はそこで坊ちゃんが来るのを楽しみに待っています」と頼み、坊っちゃんは快くその願いを聞き入れて菩提寺に葬る。
これにはjust burst out cryingになってしまったのです。
感動した理由はよく分りませんが、いまでもこの一文にはウルットきます。
私は涙もろいのです。

感情量が多いと言えば格好いいのですが・・・
涙もろいと言う意味にはもうひとつ情に弱い、情にもろいという側面もあるようです。
従いまして、親しい間柄でなくても苦労した話や感動的な話を聞いただけでも感情が揺さぶられ涙してしまいます。
辛い経験をして強くなる人は多くいますが、私の場合は強くはなりません。
その為か、似たような辛い経験を乗り越えた境遇の人の話を聞くと考えるよりも先に感情があふれてきます。
涙は心の汗だ、って昔誰かが言っていました。
身体が熱くなると汗をかくように、胸が熱くなると涙が出るのです。
人生は感動です。
どんどん感動して泣きましょう。
This video make me cry.
It’s so touching!
今日は池袋に出没です。

美味しい「担々麺」のお店があるとお邪魔しました。
今日のお店は「香家
」エソラ池袋店さんです。
住所: 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋 6F
電話:03-5944-9158
休日:無休

お店の外観です。


店内の雰囲気です。

メニューです。
今日のオーダー「担々麺とご飯セット」@1,000円です。
実はこのお店は再訪店です。
前回の辛さはデフォルトにしたのですが今回はワンランク上の「鬼もっと」にしました。
待つこと6分で「担々麺とご飯セット」の到着です。

麺は香家オリジナルの細くストレートな 香港麺です。
それでは、胡麻・唐辛子・花椒・陳皮・八角などさまざまな漢方素材のスパイスが生み出す絶妙な味わいのスープをいただきましょう。

うん、これは美味しいですね。
味噌が美味しいのです。

辛さは私が丁度良いので、普通の舌なら少し辛いかもしれません。
白眉はザーサイです。

今回珍しくご飯セットにしたのはこのザーサイの味を高菜とブレンドしていただきたかったのです。

このザーサイ・・・多分池袋一番でしょう。
このザーサイを食べたら桃屋のザーサイは銀河の果てまで飛んで行ってしまいます。
BGMはデイズニーのしっとりしたものですし、女性客が多いことも理解できます。
要はオサレな香港料理屋さんなのでした。
青春時代、欧米の小説ばかり読んでいた。
日本の小説は貧乏臭くて読む気が失(う)せた。
自分の家が貧乏で苦労しているのに、他人の家の貧乏まで心配したくなかったのだ。
そんなわけで、いい年になって名作と言われる作品を読んだら、これがもう、驚いたのなんのって。
まず『坊っちゃん』。ドラマなどを見る限り、“熱血教師が活躍する青春学園物語で、マドンナとラブラブ”というイメージだった。ところが漱石の書いた『坊っちゃん』は、熱血ではあっても青春でも学園でもラブラブでもなかった。
坊っちゃんにとって教職は単に一番給料の高い仕事であって、学校はただの職場でしかない。
学校に対する理想も教育に対する情熱も生徒に対する愛情も、何一つ持ち合わせていないのである。
生徒のことは“田舎者”と、ひたすら嫌悪し、軽蔑している。
この人が教職に就いたのは、学校にも生徒にも本人にも、不幸なことだったと思う。
そして“チッチとサリー”“ヒデとロザンナ”“白子とポン酢”の如く、坊っちゃんと言えばマドンナがセットだと思っていたら、実は2人は何の関係もない間柄で、言葉を交わすことさえないのだった。
坊っちゃんはマドンナの美しさに感心しているが、感動はしていない。
そしてマドンナの境遇に同情したり、行く末を案じたり、幸せを願ったり、一肌脱いでやろうと思ったりは全然していない。そのような感情は、彼女の婚約者であったうらなり君に対して抱いているのだ。
坊っちゃんの心を常に占めている女性は、年老いた乳母の清である。
美しい景色を見れば「こんな所に清と一緒に来たらどんなに楽しいだろう」と思い、腹黒い人間に会えば「清は教育はないが、人間としてはずっと上等だ」と思い、下宿でショボいお菜を出されれば「清なら俺の好きなマグロの刺身か蒲鉾(かまぼこ)の付け焼きを出してくれるのに」と思うのだ。
虚心に読めば『坊っちゃん』は「親譲りの無鉄砲が災いして負け組街道を突っ走った青年と、彼に無償の愛を捧(ささ)げた孤独な老女の純愛物語」である。
この話を「青春学園ラブラブ物語」に改変した脚本家の手腕には、敬意を表する他あるまい。
わずか一月あまりで教職を辞した坊っちゃんは東京へ戻り、まっすぐ清の元へ行き、ポロポロと涙を流して喜ぶ清に「もうどこにも行かない。清と一緒にいる」と誓う。
以後、死が2人を分かつまで、坊っちゃんと清は同じ屋根の下に暮らす。
私はこのシーンを涙無くしては読めない。無償の愛は裏切られると相場が決まっているのに、この青年は真心で応えてくれたのである。
古今の小説の中で清ほど幸せな女性はいないと思う。
私は清になりたい。
ある冬の日、清は肺炎で亡くなる。死の間際「坊ちゃんと同じお墓に入れてください。
清はそこで坊ちゃんが来るのを楽しみに待っています」と頼み、坊っちゃんは快くその願いを聞き入れて菩提寺に葬る。物語はそこで終わっている。
トーマス・マンは「より多く愛した者が敗者である」と言った。
しかし清の如く無私に徹した純真な愛の前で、勝敗は意味をなさない。
さてこの様に『野菊の墓』『源氏物語』『こころ』等々、いい年して読んでみたらイメージと違った名作は色々あるのだが、今日はこの辺でお終(しま)いにしましょう。
読んでびっくり『坊っちゃん』山口恵以子著より転載
このエッセイを読んで驚いた事があります。
それは私も「坊ちゃん」を読んで号泣したのです。
ただし小学生の頃です。
そして私が号泣したくだりというのは以下のくだりです。
ある冬の日、清は肺炎で亡くなる。死の間際「坊ちゃんと同じお墓に入れてください。清はそこで坊ちゃんが来るのを楽しみに待っています」と頼み、坊っちゃんは快くその願いを聞き入れて菩提寺に葬る。
これにはjust burst out cryingになってしまったのです。
感動した理由はよく分りませんが、いまでもこの一文にはウルットきます。
私は涙もろいのです。

感情量が多いと言えば格好いいのですが・・・
涙もろいと言う意味にはもうひとつ情に弱い、情にもろいという側面もあるようです。
従いまして、親しい間柄でなくても苦労した話や感動的な話を聞いただけでも感情が揺さぶられ涙してしまいます。
辛い経験をして強くなる人は多くいますが、私の場合は強くはなりません。
その為か、似たような辛い経験を乗り越えた境遇の人の話を聞くと考えるよりも先に感情があふれてきます。
涙は心の汗だ、って昔誰かが言っていました。
身体が熱くなると汗をかくように、胸が熱くなると涙が出るのです。
人生は感動です。
どんどん感動して泣きましょう。
This video make me cry.
It’s so touching!
今日は池袋に出没です。

美味しい「担々麺」のお店があるとお邪魔しました。
今日のお店は「香家

住所: 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋 6F
電話:03-5944-9158
休日:無休

お店の外観です。


店内の雰囲気です。

メニューです。
今日のオーダー「担々麺とご飯セット」@1,000円です。
実はこのお店は再訪店です。
前回の辛さはデフォルトにしたのですが今回はワンランク上の「鬼もっと」にしました。
待つこと6分で「担々麺とご飯セット」の到着です。

麺は香家オリジナルの細くストレートな 香港麺です。
それでは、胡麻・唐辛子・花椒・陳皮・八角などさまざまな漢方素材のスパイスが生み出す絶妙な味わいのスープをいただきましょう。

うん、これは美味しいですね。
味噌が美味しいのです。

辛さは私が丁度良いので、普通の舌なら少し辛いかもしれません。
白眉はザーサイです。

今回珍しくご飯セットにしたのはこのザーサイの味を高菜とブレンドしていただきたかったのです。

このザーサイ・・・多分池袋一番でしょう。
このザーサイを食べたら桃屋のザーサイは銀河の果てまで飛んで行ってしまいます。
BGMはデイズニーのしっとりしたものですし、女性客が多いことも理解できます。
要はオサレな香港料理屋さんなのでした。