今日は「Last Shogun」の話です。
徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ)は、江戸幕府第15代征夷大将軍(在職:1867年〜1868年)。
江戸幕府最後の将軍で征夷大将軍に任じられた最後の人物です
御三卿一橋徳川家の第9代当主として将軍後見職・禁裏御守衛総督など要職を務めた後に徳川宗家を相続、第15代将軍に就任しました。
大政奉還や新政府軍への江戸城明け渡し(無血開城)を行ない明治維新後に従一位勲一等公爵、貴族院議員となられています。
このLast Shogun、徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ)さん、後半の人生ではケイキさんと呼ばれており美味しいそうな名前(呼び名)になったのですが、もともとはよろこぶが2つ重なっておりとてもめでたい名前なのです。
ということで、本日のフリネタは徳川 慶喜さんトリビアです。
宜しかったらお付き合いください。
◆将軍の食事
将軍のご飯は炊きません。炊かずに蒸すのです。いまでいう強飯(こわめし)です
おまけに毒見やらなんやらで冷めています。
ちなみにお米は一粒々が調理人よって厳選された最上級のお米でしたので、炊いたらどれだけ美味しかったのかとの想像がかきたたれます。
お酒はaperitif(食前酒)は許されず、食後のみ(呑み?)しかいただけなかったそうです。
空きっ腹にかけつけ三杯は×ですね。
◆将軍と江戸城
慶喜さんは信じられないのですが将軍として江戸城に入ったことは一度もありません。
京都にいるとき将軍となり、京都で将軍を辞め、そのまま江戸城に戻ってきたからです。
その後しばらく江戸城にいたのですが、大奥の女性からは、将軍職を投げ出した男として、陰険な意地悪をされたようです。
さらに当時では珍しい豚肉を食べるのがお好きだったようで、端(はな)から大奥での評価は惨憺だったものだそうです
◆将軍は多趣味
慶喜さんは人生の後半多趣味だったようです。
写真に熱中したのは有名ですが、刺繍、工芸、陶芸、油絵、乗馬、サイクリング、ドライブ、狩猟、釣り、投網、弓、能、書、和歌、囲碁、将棋、俳句、日本画、鶴の飼育、打毬、洋弓、小筒、放鷹などがあり、これらはどれも、名人とまではいかないものの上手の域に達していたそうです。
◆大政奉還
慶喜さんは大政奉還をしましたが、徳川家からするとこれはおかしなことらしいそうです。
徳川家初代の家康は、自分の力で天下をとったのであって、別に当時の天皇から大政を預かったわけではないのです。したがって預かってないものを返すのは変だという論調が当時はあったようですよ。
◆将軍の好物
慶喜さんの好物は「蒲鉾」です。
これは父で水戸にいる斉昭からの手紙に
「このかまぼこ微小ながら御好み故(かまぼこを少しだが、好物なので贈った)」
と書かれていことからの推察です。
元幕臣、江戸市中取締観察隊長、木村安兵衛が当時主流だったフランスパンが硬くて食べにくいのに注目して、冷やしても柔らかいパンを考えました。
そのパンには餡が入っていて、さらに甘みを引き締めるため、パンの上に塩漬けにした奈良県吉野山の塩漬けにした桜をのせました。
そうです、いわずとしれた「木村屋のあんぱん」です。
これを友人の山岡鉄舟さんがわざわざ駿府の慶喜さんのところまで行って献上したところ、慶喜さんは病みつきになったようです。
その後、山岡鉄舟さんが天皇陛下の侍従になられ、なかなか駿府に行けなくなった時に、代わりにとどけていたのが、海道一の大親分、清水次郎長だったそうです。
幕末にはイギリス公使パークスらとの晩餐会ではコーヒーを飲みながら一時間ほど談笑し、この時は巻煙草とリキュール酒も頂いたとのことで、慶喜さんの開明性の一端を示しております。しかし幕末の時にコーヒーを飲んでいたとはすごいですね。
この辺りの進取の精神は大分遡りますが、同じ血脈の日本で最初にラーメンを食べた先祖の水戸黄門さんに似ているようですよ。隔世遺伝ですか・・・
「徳川慶喜家の食卓」徳川慶喜家当主徳川慶朝著より転載
個人的には、私の慶喜さん評価は他の方々とは少し違います。
この最後の将軍が常人とかけ離れているのは、その子供の多さです。
その数10男11女で21名です。しかも皆本妻の子ではなく、二人の側室との間に儲けた子女です。まあそれはそれでいいのですが、問題は子供の多さです。
多分ですよ、慶喜さんは人生双六のなかでとんでもない賽を振ったために、なることを夢想だにしなかった将軍になり、そして時勢の流れで将軍を返上するという軌跡とあいなったわけです。
将軍を辞した後は不遇をかこつており、ご紹介の通り元来才能あふれた英才であったためその鬱屈したものを多趣味に転化しましたが、その陰(かげ)の部分として、まさに人間ダイナモと化して徳川家の繁栄に資したのではないかと忖度しているのです。
それしにしても21名ですか・・・
He looks like an octopus with ADHD(多動性障害)
今日は神田に出没です。
今日は前回食べられなかった「西海」さんの特別定食を頂きに参りました。
という事で今日のお店は長崎料理の名店「西海」さんです。
住所: 東京都千代田区内神田2-8-5 山口ビル1F
電話:03-3254-4780
定休日:土曜・日曜・祝日

お店の外観です。

店内の雰囲気です。

メニューです。
特別定食です。
この特別定食を食べるのには13時を過ぎなければなりません。
よって満を持して13時に到着するように参りました。
席につくやいなやお店の人に「特別定食」と発声すると、お店の人がおもむろにやってきて、口に手をあてます。
まさかここで「ヤッホー」の練習をするのかと思いきや、大きく深呼吸したのち小声で「麻婆豆腐は凄く辛いけど大丈夫ですか」言われました。
最初意味が分からず考えていたのですが、2〜3秒後に「大丈夫です」と返しました。
不思議な儀式ですネ(笑)
待つこと10分で着皿です。

特別定食は、麻婆豆腐、小ちゃんぽん、角煮、水ギョウザ、小鉢、ライスで@900円です。
それでは実食です。

小チャンポンは前回頂いた時よりさらにクリーミーで本当に美味しいですネ。

角煮はほのかな甘さが感じられ、お肉はもうお箸でさっくりトロッと切れるくらい本当にやわらかく煮込まれています。これは絶品ですね。

水餃子の皮はもちもちしていたのですが如何せん温かくなかったので平板な味わいでした。

麻婆豆腐は八角がよくきていてしかも辛いです。
これだけで充分にオカズになってしまうイキオイです。
そうそう味はとても美味しいですね。このオカズ兄弟の中では首一つ抜きんでいます。
しかし、このパフォーマンスで900円はかなりのお得感があります。
時間がゆるせばもう一度いただきたいランチでした。
徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ)は、江戸幕府第15代征夷大将軍(在職:1867年〜1868年)。
江戸幕府最後の将軍で征夷大将軍に任じられた最後の人物です
御三卿一橋徳川家の第9代当主として将軍後見職・禁裏御守衛総督など要職を務めた後に徳川宗家を相続、第15代将軍に就任しました。
大政奉還や新政府軍への江戸城明け渡し(無血開城)を行ない明治維新後に従一位勲一等公爵、貴族院議員となられています。
このLast Shogun、徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ)さん、後半の人生ではケイキさんと呼ばれており美味しいそうな名前(呼び名)になったのですが、もともとはよろこぶが2つ重なっておりとてもめでたい名前なのです。
ということで、本日のフリネタは徳川 慶喜さんトリビアです。
宜しかったらお付き合いください。
◆将軍の食事
将軍のご飯は炊きません。炊かずに蒸すのです。いまでいう強飯(こわめし)です
おまけに毒見やらなんやらで冷めています。
ちなみにお米は一粒々が調理人よって厳選された最上級のお米でしたので、炊いたらどれだけ美味しかったのかとの想像がかきたたれます。
お酒はaperitif(食前酒)は許されず、食後のみ(呑み?)しかいただけなかったそうです。
空きっ腹にかけつけ三杯は×ですね。
◆将軍と江戸城
慶喜さんは信じられないのですが将軍として江戸城に入ったことは一度もありません。
京都にいるとき将軍となり、京都で将軍を辞め、そのまま江戸城に戻ってきたからです。
その後しばらく江戸城にいたのですが、大奥の女性からは、将軍職を投げ出した男として、陰険な意地悪をされたようです。
さらに当時では珍しい豚肉を食べるのがお好きだったようで、端(はな)から大奥での評価は惨憺だったものだそうです
◆将軍は多趣味
慶喜さんは人生の後半多趣味だったようです。
写真に熱中したのは有名ですが、刺繍、工芸、陶芸、油絵、乗馬、サイクリング、ドライブ、狩猟、釣り、投網、弓、能、書、和歌、囲碁、将棋、俳句、日本画、鶴の飼育、打毬、洋弓、小筒、放鷹などがあり、これらはどれも、名人とまではいかないものの上手の域に達していたそうです。
◆大政奉還
慶喜さんは大政奉還をしましたが、徳川家からするとこれはおかしなことらしいそうです。
徳川家初代の家康は、自分の力で天下をとったのであって、別に当時の天皇から大政を預かったわけではないのです。したがって預かってないものを返すのは変だという論調が当時はあったようですよ。
◆将軍の好物
慶喜さんの好物は「蒲鉾」です。
これは父で水戸にいる斉昭からの手紙に
「このかまぼこ微小ながら御好み故(かまぼこを少しだが、好物なので贈った)」
と書かれていことからの推察です。
元幕臣、江戸市中取締観察隊長、木村安兵衛が当時主流だったフランスパンが硬くて食べにくいのに注目して、冷やしても柔らかいパンを考えました。
そのパンには餡が入っていて、さらに甘みを引き締めるため、パンの上に塩漬けにした奈良県吉野山の塩漬けにした桜をのせました。
そうです、いわずとしれた「木村屋のあんぱん」です。
これを友人の山岡鉄舟さんがわざわざ駿府の慶喜さんのところまで行って献上したところ、慶喜さんは病みつきになったようです。
その後、山岡鉄舟さんが天皇陛下の侍従になられ、なかなか駿府に行けなくなった時に、代わりにとどけていたのが、海道一の大親分、清水次郎長だったそうです。
幕末にはイギリス公使パークスらとの晩餐会ではコーヒーを飲みながら一時間ほど談笑し、この時は巻煙草とリキュール酒も頂いたとのことで、慶喜さんの開明性の一端を示しております。しかし幕末の時にコーヒーを飲んでいたとはすごいですね。
この辺りの進取の精神は大分遡りますが、同じ血脈の日本で最初にラーメンを食べた先祖の水戸黄門さんに似ているようですよ。隔世遺伝ですか・・・
「徳川慶喜家の食卓」徳川慶喜家当主徳川慶朝著より転載
個人的には、私の慶喜さん評価は他の方々とは少し違います。
この最後の将軍が常人とかけ離れているのは、その子供の多さです。
その数10男11女で21名です。しかも皆本妻の子ではなく、二人の側室との間に儲けた子女です。まあそれはそれでいいのですが、問題は子供の多さです。
多分ですよ、慶喜さんは人生双六のなかでとんでもない賽を振ったために、なることを夢想だにしなかった将軍になり、そして時勢の流れで将軍を返上するという軌跡とあいなったわけです。
将軍を辞した後は不遇をかこつており、ご紹介の通り元来才能あふれた英才であったためその鬱屈したものを多趣味に転化しましたが、その陰(かげ)の部分として、まさに人間ダイナモと化して徳川家の繁栄に資したのではないかと忖度しているのです。
それしにしても21名ですか・・・
He looks like an octopus with ADHD(多動性障害)
今日は神田に出没です。
今日は前回食べられなかった「西海」さんの特別定食を頂きに参りました。
という事で今日のお店は長崎料理の名店「西海」さんです。
住所: 東京都千代田区内神田2-8-5 山口ビル1F
電話:03-3254-4780
定休日:土曜・日曜・祝日

お店の外観です。

店内の雰囲気です。

メニューです。
特別定食です。
この特別定食を食べるのには13時を過ぎなければなりません。
よって満を持して13時に到着するように参りました。
席につくやいなやお店の人に「特別定食」と発声すると、お店の人がおもむろにやってきて、口に手をあてます。
まさかここで「ヤッホー」の練習をするのかと思いきや、大きく深呼吸したのち小声で「麻婆豆腐は凄く辛いけど大丈夫ですか」言われました。
最初意味が分からず考えていたのですが、2〜3秒後に「大丈夫です」と返しました。
不思議な儀式ですネ(笑)
待つこと10分で着皿です。

特別定食は、麻婆豆腐、小ちゃんぽん、角煮、水ギョウザ、小鉢、ライスで@900円です。
それでは実食です。

小チャンポンは前回頂いた時よりさらにクリーミーで本当に美味しいですネ。

角煮はほのかな甘さが感じられ、お肉はもうお箸でさっくりトロッと切れるくらい本当にやわらかく煮込まれています。これは絶品ですね。

水餃子の皮はもちもちしていたのですが如何せん温かくなかったので平板な味わいでした。

麻婆豆腐は八角がよくきていてしかも辛いです。
これだけで充分にオカズになってしまうイキオイです。
そうそう味はとても美味しいですね。このオカズ兄弟の中では首一つ抜きんでいます。
しかし、このパフォーマンスで900円はかなりのお得感があります。
時間がゆるせばもう一度いただきたいランチでした。