#春帆楼で考えたこと
旅行が好きです。
気が付いたら、日本中をくまなくいき、残っているのは山口県のみとなりました。
そこで私の日本巡りのラストピースをはめるために、奥様と萩、下関、門司港レトロへ行って参りました。
旅のエッセンスは
スライドショーでご覧ください。

今回の山口旅行で楽しみにしていた場所の一つが春帆楼でした
正確にいうと私ではなくて奥様です。
春帆楼は日本で最初のフグ料理店です。
春帆楼は最初から料亭だったわけではなく、もともとは病院だったそうですね。
そして院長の奥様が料理上手で、患者や来客に料理を出しているうちに評判になり、やがて料亭・旅館へ発展したそうです
なかなかのドラマがあります。
また、フグは下関の市民食というのも、東京人には意外でした。
下関の人は、河豚は福(ふく)と発音します
東京ではふぐ = 高級料理ですが、下関では昔からたくさん獲れたので、魚が獲れないときは危険な「ふく」を食べていたという身近な魚だったのです。
つまり、東京人にとっての「特別なごちそう」が、下関では「日常の魚」だったのです。
当地輩出の松田優作さんも「ふく」が大好物だったそうです
春帆楼は、日清戦争の講和会議が行われ、伊藤博文と李鴻章によって下関条約が締結された場所でもあります。
私はかねがね、なぜ東京でも広島でもなく、わざわざ下関の春帆楼だったのか疑問だったので、お店のスタッフに聞いてみました。
当時の日本政府にとって、春帆楼は絶妙な場所だったそうです。
東京だと李鴻章が右翼に命を狙われても防ぎきれませんが、下関なら警備もしやすかったからだそうです。
また会談の時には店の前の関門海峡に沢山の軍艦を浮かべて李鴻章を威圧したそうです。
当の李鴻章は、春帆楼の窓から軍艦が見えようが見えまいが、「日本が軍事的優位にある」ことは十分承知していましたので軍事パフォーマンスだったのでしょう。
さらに日本側の実力者である伊藤博文の地元でもありました。
口に火がついたスタッフの口跡は滑らかです。
とうとう彼の口跡はトップスピードとなり、下関自慢のフグ料理の話になりました。
実は明治時代までフグは危険な魚として扱われていたそうです。
ところが伊藤博文が下関を訪れた際、春帆楼で出されたフグ料理を大変気に入り、これをきっかけに山口県でフグ食が認められたという有名な話が残っています。
九州や西日本の一部には、昔からフグの肝を食べる文化があったといいます。
特に大分県や福岡県、佐賀県などでは、肝に対する感覚が東京とはかなり違います。
現在では禁止されていますが、今でも「一番うまいのは肝だ」という人がいるそうです。
キモを食べてメディアで取り上げられたのは、池上季実子さんの祖父、坂東三津五郎です。
彼は、フグの肝を好み、危険性を知りながら食べ続けた結果、中毒死した歌舞伎役者として一時期は池上季実子さんより有名になりました。
今回の春帆楼訪問では、下関条約よりもフグの肝の話の方が印象に残ってしまいました。
歴史好きとしては少々複雑ですが、それもまた旅の醍醐味なのでしょう。
さて、お腹もすいてきました。
肝は出てきませんが、お腹だけは「ふく」のように膨れるまで、下関名物の河豚料理を堪能することにします。

ということで今日のランチは「浜料理がんがん」さんです。
住所: 山口県萩市椿東北前小畑4160-61 道の駅萩しーまーと内
電話: 0838-25-3452
定休日:無休


お店の外観です。


店内の雰囲気です。

メニューです。
今日のオーダー「がんがんスペシャル定食」&「さざえつぼ焼き」@2,200+@350=2,550円

目の前に海が広がっています。
キレイですね。
待つこと9分で「がんがんスペシャル定食」が到着しました。
見た目、おいしそうです。

刺身はひらまさ、鯛、剣先イカ、エビです。
ひらまさは肉厚で噛み応えありです。
剣先いかはツルっと喉に入ってこれはこれで美味しいです。

天ぷらはフライヤーですが美味しいです。
海老が新鮮なのでしょう、


さざえのつぼ焼きは久々に食べました。
私のソウルフードです。
美味しいです。
海風にあたりながらご飯をたべるのは久々でした。
奥様が喜んでいましたね。
ごちそうさまでした
旅行が好きです。
気が付いたら、日本中をくまなくいき、残っているのは山口県のみとなりました。
そこで私の日本巡りのラストピースをはめるために、奥様と萩、下関、門司港レトロへ行って参りました。
旅のエッセンスは
スライドショーでご覧ください。
今回の山口旅行で楽しみにしていた場所の一つが春帆楼でした
正確にいうと私ではなくて奥様です。
春帆楼は日本で最初のフグ料理店です。
春帆楼は最初から料亭だったわけではなく、もともとは病院だったそうですね。
そして院長の奥様が料理上手で、患者や来客に料理を出しているうちに評判になり、やがて料亭・旅館へ発展したそうです
なかなかのドラマがあります。
また、フグは下関の市民食というのも、東京人には意外でした。
下関の人は、河豚は福(ふく)と発音します
東京ではふぐ = 高級料理ですが、下関では昔からたくさん獲れたので、魚が獲れないときは危険な「ふく」を食べていたという身近な魚だったのです。
つまり、東京人にとっての「特別なごちそう」が、下関では「日常の魚」だったのです。
当地輩出の松田優作さんも「ふく」が大好物だったそうです
春帆楼は、日清戦争の講和会議が行われ、伊藤博文と李鴻章によって下関条約が締結された場所でもあります。
私はかねがね、なぜ東京でも広島でもなく、わざわざ下関の春帆楼だったのか疑問だったので、お店のスタッフに聞いてみました。
当時の日本政府にとって、春帆楼は絶妙な場所だったそうです。
東京だと李鴻章が右翼に命を狙われても防ぎきれませんが、下関なら警備もしやすかったからだそうです。
また会談の時には店の前の関門海峡に沢山の軍艦を浮かべて李鴻章を威圧したそうです。
当の李鴻章は、春帆楼の窓から軍艦が見えようが見えまいが、「日本が軍事的優位にある」ことは十分承知していましたので軍事パフォーマンスだったのでしょう。
さらに日本側の実力者である伊藤博文の地元でもありました。
口に火がついたスタッフの口跡は滑らかです。
とうとう彼の口跡はトップスピードとなり、下関自慢のフグ料理の話になりました。
実は明治時代までフグは危険な魚として扱われていたそうです。
ところが伊藤博文が下関を訪れた際、春帆楼で出されたフグ料理を大変気に入り、これをきっかけに山口県でフグ食が認められたという有名な話が残っています。
九州や西日本の一部には、昔からフグの肝を食べる文化があったといいます。
特に大分県や福岡県、佐賀県などでは、肝に対する感覚が東京とはかなり違います。
現在では禁止されていますが、今でも「一番うまいのは肝だ」という人がいるそうです。
キモを食べてメディアで取り上げられたのは、池上季実子さんの祖父、坂東三津五郎です。
彼は、フグの肝を好み、危険性を知りながら食べ続けた結果、中毒死した歌舞伎役者として一時期は池上季実子さんより有名になりました。
今回の春帆楼訪問では、下関条約よりもフグの肝の話の方が印象に残ってしまいました。
歴史好きとしては少々複雑ですが、それもまた旅の醍醐味なのでしょう。
さて、お腹もすいてきました。
肝は出てきませんが、お腹だけは「ふく」のように膨れるまで、下関名物の河豚料理を堪能することにします。

ということで今日のランチは「浜料理がんがん」さんです。
住所: 山口県萩市椿東北前小畑4160-61 道の駅萩しーまーと内
電話: 0838-25-3452
定休日:無休


お店の外観です。


店内の雰囲気です。

メニューです。
今日のオーダー「がんがんスペシャル定食」&「さざえつぼ焼き」@2,200+@350=2,550円

目の前に海が広がっています。
キレイですね。
待つこと9分で「がんがんスペシャル定食」が到着しました。
見た目、おいしそうです。

刺身はひらまさ、鯛、剣先イカ、エビです。
ひらまさは肉厚で噛み応えありです。
剣先いかはツルっと喉に入ってこれはこれで美味しいです。

天ぷらはフライヤーですが美味しいです。
海老が新鮮なのでしょう、


さざえのつぼ焼きは久々に食べました。
私のソウルフードです。
美味しいです。
海風にあたりながらご飯をたべるのは久々でした。
奥様が喜んでいましたね。
ごちそうさまでした























































































































