今日は「九州大旅行 vol.4」です。
前回の続きです。
弾丸体力勝負旅行の最終日前半です。
画像主体ですが宜しかったらお付き合いください。
#雲仙地獄
雲仙温泉は、島原半島のほぼ中央に位置する硫酸塩泉で、数多くの旅館が立ち並ぶ九州でも有数の温泉地です。
雲仙の地名は、大宝元年(701年)、僧行基によって開山した「温泉山満明寺」の山号から由来し、温泉と書いて「うんぜん」と読まれていた時代があります。約350年前に加藤善右衛門が湯宿を設置した雲仙温泉は、その標高の高さ故に夏でも涼しいため、明治以降は、主に外国人向けの温泉保養地として栄えました。
その外国人を長崎駅で客を待ち受けていた車曳きの人たちは、外国人と見るや「アイゴー、ユーゴー、スワ(諏訪)テンプル、テンセン(十銭) ゴー」と客引きをしたものだった、とバスガイドさんが説明していました。
その料金は現在の貨幣価値でいえば100,000円程度とのことですが、雲仙温泉は山の中腹にありますので、外国人が異国の地をしかも長崎から歩いて行く事を考えれば決して高いものではなかったのでしょうね。
そうそう雲仙地獄でしたね。
雲仙地獄は硫黄の香りが立ち込め、地の底から吹き出す蒸気と熱気が辺り一面を覆い尽くす光景は、まさに地獄そのものです。ここはキリシタン殉教の舞台になったことでも知られ、殉職碑も建てられています。
幕府からの棄教命令に背いた方々が、温泉地獄の中に投げ込まれたのですが、命より大事な宗教って一体何なのでしょうか。
たまに泥酔客が夜この温泉地獄に訪れるそうですが、彼らにはちがう意味での地獄が待ちうけていたそうです・・・
これ以上は恐ろしくて書けません、ちなみに実話だそうですが「まちこの店」さんとは関係ない事を予めお断りしておきます、ハイ。
#長崎南山手地区です
長崎といえばここでしょう。
貿易商達が住んだ海が見える丘には、グラバーをはじめとした貿易商達が住んだ洋館や、居留地に住む外国人のために建てられた国宝・大浦天主堂が現存しています。
長崎は進取の気風にあふれています。
ここで始まった日本初をご紹介します。
#アスファルト道路
グラバーの息子の倉場富三郎がつくらせた日本最古のアスファルト道路だといわれています。
ちなみにこの画像はグラバー園内にある「ハ―トストーン」です。
このハートの敷石にさわると恋がかないます。
二つのハートの敷石を見つけると良いことがあります。
という説明を受けたので、私達おとぼけ夫婦は必死になって探しだしました。
# ボウリング
ボウリングは安政開港後、わが国で初めて長崎に伝えられたそうです。
#汽車(アイアン・デューク号)
客車二両を曳いた蒸気機関車が、真黒い煙をもうもうと吐いて走り、近郷近在からの見物人を驚かせたそうです。
龍馬フリークの私としましては、龍馬が興した亀山社中は是非とも行きたかったのですが、今回のツアーのコースに入っていませんでした。
そこでグラバー邸でその場所をガイドさんから聞きましたらこの赤丸だそうです。
司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」では、竜馬は気軽にグラバー邸にいっていましたが、結構その道行きはきつかですよ。
長崎ならではのカステラ神社です。
御利益あるのでしょうか?
ちなみにカステラは和菓子なので教会でなくて神社で正しいのです。
#グラバー園です
正直グラバー園ってグラバー邸があるだけなのかなと思ってきましたら、とんでもございません。
グラバー邸以外にも9件の住宅がありました。
ここはグラバー園のHPからのYouTubeでご紹介しますのでご覧ください。
すご〜くきれいでしょう・・・
#大浦天主堂です
大浦天主堂は、長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂で、1865年に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物です。
正式名は日本二十六聖殉教者堂です。
その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられています。
荘厳な教会です。心が洗われるような気持ちになりました。
#lunchです
今日のlunchは自達です。
私達夫婦は雲仙地獄前にある朝食のafter coffeeを頂きましたオサレなカフェ「かせやCAFE」さんで焼き立てのパンを予め求めておきました
プラ〜ス長崎においても岩崎本舗さんも「ながさき角煮まんじゅう」を求めてlunchにしたのです。
いずれも美味しかったのですが、「ながさき角煮まんじゅう」はバリ美味でした。
「名物に美味いものなし」という都市伝説があるものの、これは自信を持って美味しいとおすすめできます。
角煮はすこし甘みがあるですが、かえってそれが味をまろやかにしています。
さら〜に角煮のとろけるような食感に二人ともknockoutされました。
久々の「くりびつてんぎょのいたおどろ!」でございました。
Vol.5もお楽しみください。
前回の続きです。
弾丸体力勝負旅行の最終日前半です。
画像主体ですが宜しかったらお付き合いください。
#雲仙地獄
雲仙温泉は、島原半島のほぼ中央に位置する硫酸塩泉で、数多くの旅館が立ち並ぶ九州でも有数の温泉地です。
雲仙の地名は、大宝元年(701年)、僧行基によって開山した「温泉山満明寺」の山号から由来し、温泉と書いて「うんぜん」と読まれていた時代があります。約350年前に加藤善右衛門が湯宿を設置した雲仙温泉は、その標高の高さ故に夏でも涼しいため、明治以降は、主に外国人向けの温泉保養地として栄えました。
その外国人を長崎駅で客を待ち受けていた車曳きの人たちは、外国人と見るや「アイゴー、ユーゴー、スワ(諏訪)テンプル、テンセン(十銭) ゴー」と客引きをしたものだった、とバスガイドさんが説明していました。
その料金は現在の貨幣価値でいえば100,000円程度とのことですが、雲仙温泉は山の中腹にありますので、外国人が異国の地をしかも長崎から歩いて行く事を考えれば決して高いものではなかったのでしょうね。
そうそう雲仙地獄でしたね。
雲仙地獄は硫黄の香りが立ち込め、地の底から吹き出す蒸気と熱気が辺り一面を覆い尽くす光景は、まさに地獄そのものです。ここはキリシタン殉教の舞台になったことでも知られ、殉職碑も建てられています。
幕府からの棄教命令に背いた方々が、温泉地獄の中に投げ込まれたのですが、命より大事な宗教って一体何なのでしょうか。
たまに泥酔客が夜この温泉地獄に訪れるそうですが、彼らにはちがう意味での地獄が待ちうけていたそうです・・・
これ以上は恐ろしくて書けません、ちなみに実話だそうですが「まちこの店」さんとは関係ない事を予めお断りしておきます、ハイ。
#長崎南山手地区です
長崎といえばここでしょう。
貿易商達が住んだ海が見える丘には、グラバーをはじめとした貿易商達が住んだ洋館や、居留地に住む外国人のために建てられた国宝・大浦天主堂が現存しています。
長崎は進取の気風にあふれています。
ここで始まった日本初をご紹介します。
#アスファルト道路
グラバーの息子の倉場富三郎がつくらせた日本最古のアスファルト道路だといわれています。
ちなみにこの画像はグラバー園内にある「ハ―トストーン」です。
このハートの敷石にさわると恋がかないます。
二つのハートの敷石を見つけると良いことがあります。
という説明を受けたので、私達おとぼけ夫婦は必死になって探しだしました。
# ボウリング
ボウリングは安政開港後、わが国で初めて長崎に伝えられたそうです。
#汽車(アイアン・デューク号)
客車二両を曳いた蒸気機関車が、真黒い煙をもうもうと吐いて走り、近郷近在からの見物人を驚かせたそうです。
龍馬フリークの私としましては、龍馬が興した亀山社中は是非とも行きたかったのですが、今回のツアーのコースに入っていませんでした。
そこでグラバー邸でその場所をガイドさんから聞きましたらこの赤丸だそうです。
司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」では、竜馬は気軽にグラバー邸にいっていましたが、結構その道行きはきつかですよ。
長崎ならではのカステラ神社です。
御利益あるのでしょうか?
ちなみにカステラは和菓子なので教会でなくて神社で正しいのです。
#グラバー園です
正直グラバー園ってグラバー邸があるだけなのかなと思ってきましたら、とんでもございません。
グラバー邸以外にも9件の住宅がありました。
ここはグラバー園のHPからのYouTubeでご紹介しますのでご覧ください。
すご〜くきれいでしょう・・・
#大浦天主堂です
大浦天主堂は、長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂で、1865年に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物です。
正式名は日本二十六聖殉教者堂です。
その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられています。
荘厳な教会です。心が洗われるような気持ちになりました。
#lunchです
今日のlunchは自達です。
私達夫婦は雲仙地獄前にある朝食のafter coffeeを頂きましたオサレなカフェ「かせやCAFE」さんで焼き立てのパンを予め求めておきました
プラ〜ス長崎においても岩崎本舗さんも「ながさき角煮まんじゅう」を求めてlunchにしたのです。
いずれも美味しかったのですが、「ながさき角煮まんじゅう」はバリ美味でした。
「名物に美味いものなし」という都市伝説があるものの、これは自信を持って美味しいとおすすめできます。
角煮はすこし甘みがあるですが、かえってそれが味をまろやかにしています。
さら〜に角煮のとろけるような食感に二人ともknockoutされました。
久々の「くりびつてんぎょのいたおどろ!」でございました。
Vol.5もお楽しみください。