今日は「富士塚」です。
日本の象徴ともいえる霊峰が富士山です。
富士山は古来より、憧れと畏敬、そして招福の願いをもって眺められていました。
人は富士山の霊力をどうにかして得たいと考えていました。
徳川家康は江戸の町をつくった時、富士山のパワーを引き込む目的で、富士山と江戸城を結ぶ線を軸にして通りをつくり、町を形成していったといわれています。
富士山のパワーはそれほどまでに信奉されていたのです。
そこで江戸の庶民は、富士山に登ることによって、健康や幸せ、一家繁栄などの現世利益を得ようとしたのです。
しかし、女人禁制の霊山であったし、遠路なので老人や子供には無理があった為、誰にでも登拝の喜びが味わえるようにと、早稲田の水稲荷の境内に小高い人造富士を築いたのが評判となり、各地に富士塚を築く嚆矢となったのです。
東京には江戸七富士と言われている富士塚があります。
具体的には以下の七社内にあります。
品川富士(品川神社境内)、千駄ヶ谷富士(鳩森八幡神社境内)、下谷坂本富士(小野照崎神社境内)、江古田富士(茅原浅間神社境内)、十条富士(富士神社境内)、音羽富士(護國寺境内)、高松富士(富士浅間神社境内)
その内の品川富士、下谷坂本富士、音羽富士は既に登頂しております。
今回は4番目の富士塚として鳩森八幡神社境内の千駄ヶ谷富士を奥様と長男とで目指しました。
画像で紹介しますので宜しかったらお付き合いください。
#鳩森八幡神社
千駄ヶ谷一帯の総鎮守です。
貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が関東巡錫の途中、鳩森(はとのもり)のご神体を求める村民の強い願いによりできた神社のようです。
#庚申塚
人間の体の中には三尸(サンシー)という蟲(むし)がいて、庚申の日の夜には身体を出て天に昇り、その宿主の悪い行いを天帝に告げ口をしに行くのです。
そもそも体内にいる三尸を殺してしまえば問題は解決するのですが、それには五穀断ちなどの、厳しい修行が必要であり、結構面倒くさいのです。
それならば、三尸がでかける庚申の日の夜は一晩中起きていて、三尸が身体から出て行かないよう見張っていれば天帝に告げが口できない、ということで始まったのが庚申講です。
当時の庚申講とは、庚申の日の夜、一晩中起きていて寝ずに、庚申塚の周辺に集って飲み食いし、語り明かし、続ける楽しい楽しい完全徹夜の飲み会だったのでしょう。
ちなみにここの庚申塚は足腰健康のご利益があるとされ、多くの人が草履を奉納しています。
#茅の輪くぐり
山開きの時に茅(チガヤ)の輪くぐりが行われます。
茅を束ねてつくった大きな輪をくぐって身を祓い清めます。くぐり方は、左に1度、右に1度、最後に左にもう1度くぐって拝殿に向います。茅の輪は3度くぐるのがお約束です。
#富士塚登頂
高さ約7mの富士塚は都内最古のもので、東京都の指定有形民俗文化財です。
#登山口入口
社殿を背にして、正面に立つ鳥居から入山するのが正しい登山ルートです。
お詣りをするまえには、手水舎(ちょうずや)で身を清めるのがお約束です。
#里宮
登山道は自然岩でできた階段になっています。
石橋を渡った山裾には、御影石の浅間神社の里宮(村里にある宮)があります。
実際の里宮は河口湖畔の勝山にあります。
#身禄様(みろくさま)
7合目にあたる場所に小さな洞窟があります。
そこには、富士信仰の中興の祖であります修験者の食行身禄像(じきぎょうみろくぞう)が安置されています。
#奥宮(山上にある宮)
山頂には溶岩で固められた祠の中に富士浅間神社の奥宮(山上にある宮)が安置されています。
富士山頂の出水口の金明水と銀明水を模した水鉢もあります。
如何でしたか。
あに、あまりたいした事ないじゃないか、ですと、それは言えるかもしれませんね。
新しい年の平安と開運を私が皆様の分まで祈願してきました。
ご利益にあやかる事は間違いないでしょう。
今日は富士塚登頂の流れで池袋に出没です。
四川料理の巨匠「陳建民」さんの薫陶が今でも脈々と息づくナイスなお店が池袋にあるそうです。
今日のお店は池袋の四川料理の絶巓「黒龍門」さんです。
住所: 東京都豊島区南池袋1-20-1 横田ビルB1F
電話:03-5952-8870
定休日:無休
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
陳建民の愛弟子で、黒龍門のアドバイザー荘明義氏のご尊顔です
荘さんは、元横浜重慶飯店の料理長でもあり、テレビ番組でもよくfutureされています。
今日のオーダー
私は「海老・レタス炒飯セット」@842円
奥様は「海鮮汁そばセット」@896円
長男は「麻婆炒飯セット」@820円
です。
待つこと13分で全ての料理が出揃いました。
それでは実食です。
まずは「海老・レタス炒飯セット」です。
見た目の通りパラパラ感のない炒飯です。
熱さもなくベトベトしています。
それに反して海老の揚げものが熱々ですので、揚げものを待っている間に冷たさが移ったのでしょう。
味付けがよかったので残念な一品です。
そして「海鮮汁そばセット」です。
麺の茹で過ぎを除けばそれなりの水準です。
スープ美味しです。
ただ胡椒を意図的に強めにいれているので婦女子はno thank youでしょう。
私の奥様は辟易顔で食していました。
で〜も私においては好きな一品です。
最後に「麻婆炒飯セット」です。
最初の一口目は、花椒のききが弱いのではないか、と思ったのですが、そのようなことはありませんでした。
どちらかと申せばtoo spicyです。しか〜しここでも炒飯がベチャコなので美味しさ半減です。
これまた残念な一品です。
早めに食事が終わったのでボーっと厨房の方に目をやっていました。
すると加え煙草のコックさんが私の視野に入ってきました。
厨房で煙草を吸うなんて、コックさんともあろうものが、地獄に落ちる所業であります。
そしてそのコックさんは煙草をゴミ箱に無造作になげすてたので、さすがに手を洗うのだろうなと思って見ていましたら、何もせずに厨房に戻っていきました。
このブログはお店のあら捜しブログではありませんので、このような事はあまり書きたくありませんが、プロのコックさんはそれなりの矜持を持つべきです。
傷を負った人間は間に合わせの包帯が必ずしも清潔であることを要求しない、というのは戦場での話で、口に入るものを扱うコックさんは「清潔は命の次に守らなければならないもの」だと敢えて言わせていただきます。
日本の象徴ともいえる霊峰が富士山です。
富士山は古来より、憧れと畏敬、そして招福の願いをもって眺められていました。
人は富士山の霊力をどうにかして得たいと考えていました。
徳川家康は江戸の町をつくった時、富士山のパワーを引き込む目的で、富士山と江戸城を結ぶ線を軸にして通りをつくり、町を形成していったといわれています。
富士山のパワーはそれほどまでに信奉されていたのです。
そこで江戸の庶民は、富士山に登ることによって、健康や幸せ、一家繁栄などの現世利益を得ようとしたのです。
しかし、女人禁制の霊山であったし、遠路なので老人や子供には無理があった為、誰にでも登拝の喜びが味わえるようにと、早稲田の水稲荷の境内に小高い人造富士を築いたのが評判となり、各地に富士塚を築く嚆矢となったのです。
東京には江戸七富士と言われている富士塚があります。
具体的には以下の七社内にあります。
品川富士(品川神社境内)、千駄ヶ谷富士(鳩森八幡神社境内)、下谷坂本富士(小野照崎神社境内)、江古田富士(茅原浅間神社境内)、十条富士(富士神社境内)、音羽富士(護國寺境内)、高松富士(富士浅間神社境内)
その内の品川富士、下谷坂本富士、音羽富士は既に登頂しております。
今回は4番目の富士塚として鳩森八幡神社境内の千駄ヶ谷富士を奥様と長男とで目指しました。
画像で紹介しますので宜しかったらお付き合いください。
#鳩森八幡神社
千駄ヶ谷一帯の総鎮守です。
貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が関東巡錫の途中、鳩森(はとのもり)のご神体を求める村民の強い願いによりできた神社のようです。
#庚申塚
人間の体の中には三尸(サンシー)という蟲(むし)がいて、庚申の日の夜には身体を出て天に昇り、その宿主の悪い行いを天帝に告げ口をしに行くのです。
そもそも体内にいる三尸を殺してしまえば問題は解決するのですが、それには五穀断ちなどの、厳しい修行が必要であり、結構面倒くさいのです。
それならば、三尸がでかける庚申の日の夜は一晩中起きていて、三尸が身体から出て行かないよう見張っていれば天帝に告げが口できない、ということで始まったのが庚申講です。
当時の庚申講とは、庚申の日の夜、一晩中起きていて寝ずに、庚申塚の周辺に集って飲み食いし、語り明かし、続ける楽しい楽しい完全徹夜の飲み会だったのでしょう。
ちなみにここの庚申塚は足腰健康のご利益があるとされ、多くの人が草履を奉納しています。
#茅の輪くぐり
山開きの時に茅(チガヤ)の輪くぐりが行われます。
茅を束ねてつくった大きな輪をくぐって身を祓い清めます。くぐり方は、左に1度、右に1度、最後に左にもう1度くぐって拝殿に向います。茅の輪は3度くぐるのがお約束です。
#富士塚登頂
高さ約7mの富士塚は都内最古のもので、東京都の指定有形民俗文化財です。
#登山口入口
社殿を背にして、正面に立つ鳥居から入山するのが正しい登山ルートです。
お詣りをするまえには、手水舎(ちょうずや)で身を清めるのがお約束です。
#里宮
登山道は自然岩でできた階段になっています。
石橋を渡った山裾には、御影石の浅間神社の里宮(村里にある宮)があります。
実際の里宮は河口湖畔の勝山にあります。
#身禄様(みろくさま)
7合目にあたる場所に小さな洞窟があります。
そこには、富士信仰の中興の祖であります修験者の食行身禄像(じきぎょうみろくぞう)が安置されています。
#奥宮(山上にある宮)
山頂には溶岩で固められた祠の中に富士浅間神社の奥宮(山上にある宮)が安置されています。
富士山頂の出水口の金明水と銀明水を模した水鉢もあります。
如何でしたか。
あに、あまりたいした事ないじゃないか、ですと、それは言えるかもしれませんね。
新しい年の平安と開運を私が皆様の分まで祈願してきました。
ご利益にあやかる事は間違いないでしょう。
今日は富士塚登頂の流れで池袋に出没です。
四川料理の巨匠「陳建民」さんの薫陶が今でも脈々と息づくナイスなお店が池袋にあるそうです。
今日のお店は池袋の四川料理の絶巓「黒龍門」さんです。
住所: 東京都豊島区南池袋1-20-1 横田ビルB1F
電話:03-5952-8870
定休日:無休
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
陳建民の愛弟子で、黒龍門のアドバイザー荘明義氏のご尊顔です
荘さんは、元横浜重慶飯店の料理長でもあり、テレビ番組でもよくfutureされています。
今日のオーダー
私は「海老・レタス炒飯セット」@842円
奥様は「海鮮汁そばセット」@896円
長男は「麻婆炒飯セット」@820円
です。
待つこと13分で全ての料理が出揃いました。
それでは実食です。
まずは「海老・レタス炒飯セット」です。
見た目の通りパラパラ感のない炒飯です。
熱さもなくベトベトしています。
それに反して海老の揚げものが熱々ですので、揚げものを待っている間に冷たさが移ったのでしょう。
味付けがよかったので残念な一品です。
そして「海鮮汁そばセット」です。
麺の茹で過ぎを除けばそれなりの水準です。
スープ美味しです。
ただ胡椒を意図的に強めにいれているので婦女子はno thank youでしょう。
私の奥様は辟易顔で食していました。
で〜も私においては好きな一品です。
最後に「麻婆炒飯セット」です。
最初の一口目は、花椒のききが弱いのではないか、と思ったのですが、そのようなことはありませんでした。
どちらかと申せばtoo spicyです。しか〜しここでも炒飯がベチャコなので美味しさ半減です。
これまた残念な一品です。
早めに食事が終わったのでボーっと厨房の方に目をやっていました。
すると加え煙草のコックさんが私の視野に入ってきました。
厨房で煙草を吸うなんて、コックさんともあろうものが、地獄に落ちる所業であります。
そしてそのコックさんは煙草をゴミ箱に無造作になげすてたので、さすがに手を洗うのだろうなと思って見ていましたら、何もせずに厨房に戻っていきました。
このブログはお店のあら捜しブログではありませんので、このような事はあまり書きたくありませんが、プロのコックさんはそれなりの矜持を持つべきです。
傷を負った人間は間に合わせの包帯が必ずしも清潔であることを要求しない、というのは戦場での話で、口に入るものを扱うコックさんは「清潔は命の次に守らなければならないもの」だと敢えて言わせていただきます。