今日は「天国と地獄」です。
丸の内で打合せがあり、頃良い時間があったので「東京ミチテラス2017」を見て帰りました。
このきらびやかなイルミネーションを見ていますと、在阪時代に見ていた「神戸ルミナリオ」を思い出します。
「神戸ルミナリエ」は、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めるとともに、都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災の起こった1995年の12月に初めて開催されたものです。
以来「神戸ルミナリエ」は震災の記憶を語り継ぎ、都市と市民の「希望」を象徴する行事として、毎年開催されているのです。
阪神・淡路大震災と言いますと、ある悲喜劇が思いだされます。
それは私の取引先の方ですが、この大震災が起きた1995年1月17日までは幸せの渦中にいました。
当時、付き合っている彼女が妊娠してしまいました。
ところがその彼女の父親というのは神戸永田では知らない人がいないという、頑固親爺でして、当時ですからそのようなフライング結婚(できちゃった婚)など許すわけもなく、仕方がないので片親である母親帯同のもと、結婚のお願いに行きました。
瀟洒な神戸の山手の豪邸に暮らす彼女の家をとてもまぶしく感じながら、その家の中にいる頑固親爺の激怒を考えると、家の扉をノックする勇気もなかったのですが、母から、生まれてくる赤ちゃんの為にも、おきばりなはれ、と言われて、インタホンを弱弱しく押下(おしげ)したのです。
家の中に招き入れられて、型通りの挨拶の後は、修羅の嵐が舞ったのですが、頑固親爺とて人の子で、生まれてくる初孫に免じて結婚の運びとなったのであります。
それは蝉が泣き叫ぶ夏の話でした。
それから半年後の1月17日の運命の日は、前の日が新年会だった事もありハジケ飲みをして二日酔いの朝に大地震を知ったのです。
この地震の悲劇は同じ関西に住んでいても、震源地近くに住んでいませんと、この被害の甚大さは分らないのでした。彼はガンガンする頭の中でしばらくTVのニュースをまばたきもせずに見ていますと、婚約者が住んでいる永田地区が壊滅状態であることを知りました。
彼の頭の中では、この世で一番大切にしている彼女とまだ見ぬ子供を失ってしまった事がおぼろげながら分ってきたのです。
彼は、どうしたらええんや、どないしよ、と狂乱状態からくる呆然自失となっていたのでした。
それからしばらくしましたら、家のチャイムが鳴りました。
誰かいな、と思って玄関に行くと、高校時代の親友がやってきて、彼女の家のあたりあかんな、と言われたので、俺は・・・人生の幸せをこの地震ですべて失ってしまったんや、と泣き叫ぶと、ダァホ、まだ死んだわけやない。
助けに行かなあかん、と言ったので、そやかて、電車も動いてへん、どないして行くんや、と言いましたら、せやから車で来たんや。
取り敢えず、水とか食べ物を仰山積んだら、いくで、と言われたのでその仕度をして、着の身着のままで車中の人になりました。
彼は、正直に言いますけれど、と前置きをして、永田に着くまでの10時間は頭が真っ白になっていて、この間の記憶はほとんどありません、と申していました。
海辺の道は道路閉鎖になっていたので六甲道を通っていったそうです。
加えて唯一使えるその道を、皆が使い始めたので10時間もかかったそうなのです。
永田に入りますと、いたるとろで家族を亡くした方々が泣き叫ぶ地獄絵が目の前に飛び込んできました。
彼もこの時間帯になりますと冷静さを取り戻してきて、必ず遺体だけは探そうと、肚を決めたそうです。
彼女の家から3kmくらいで、ここから先は車での進入は難しいので車から降りて、親友と二人で救援物資を詰めこんだリュクッサックの重さを肩にずっしりと感じながら、彼女の家に向かったのです。
眼に入ってくる光景は倒壊した家から家族を救出する人たちの魂を込めた救出活動でした。
50分位して見慣れた彼女の家が視界に入ってきました。
そこで見たのは奇跡でした。
まるでモーゼ十戒の海を割るシーンのように彼女の家の前の道路を挟んで、海側は壊滅状態でしたが、彼女の家のある山側の住居は何事もなかったかのようにたたずんでいたのです。
彼は、それを見届けると一目散に彼女の家に走って向かい、息を整える間もなく、家の玄関を開けると、彼女が大きなお腹をかかえて、なんや、遅かったやない、と言ってにっこりと笑って出てきたそうです。
そこから後は感極まって声にならず、人生でこれだけの滂沱の涙を流したことはなかった、と彼は言っていました。
世の中にはまさに「天国と地獄」が存在するという実話であります。
私は「東京ミチテラス2017」のようなきらびやかイルミネーションを見ると、上述の話を思い出すので、皆のように心の底からこのまばゆい光のページェントを楽しめないのですが、皆さまにはこの光の饗宴は画像でご紹介いたします。
歩き疲れたので夕食です。
丸の内といえばここしかありまへん。
今日のお店は「きじ」さんです。
住所: 東京都千代田区丸の内2-7-3東京ビルB1
電話:03-3216-3123
定休日:不定休
お店の外観です。
店内の雰囲気です
メニューです。
きょうのオーダー「モダン焼き」@1,150円です。
座るやいなやテーブルセットの到着です。
時間差で「お冷」の到着です。
すんまへん、アルコール飲めまへんねん。
美味しく焼いておくんなはれ・・・
待つこと7分で「モダン焼」の完成です。
見た目、美味しそうです。
当然のことながらマヨネーズでいただきます。
「モダン焼」とは、そばをだしと玉子に絡めてオムソバ風にジューシーに焼き上げたものです。
これが美味しいのです。
とろとろの玉子がそばに絡みつくこのまったりとした感触がたまらないのです。
焼き上げた後も過熱していますので「モダン焼」から立ち昇ってくる芳しい匂いが、時間とともに深まり美味しさを倍増させます。
豚とイカが入っているのですが、豚クンの存在がどうしても高まります。
この世に極楽があるとすればこの食べ物を食べている時でしょう。
まさに私の身に至福が訪れました。
このような場合は「天国と天国」と表現して良いのかもしれません・・・
丸の内で打合せがあり、頃良い時間があったので「東京ミチテラス2017」を見て帰りました。
このきらびやかなイルミネーションを見ていますと、在阪時代に見ていた「神戸ルミナリオ」を思い出します。
「神戸ルミナリエ」は、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めるとともに、都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災の起こった1995年の12月に初めて開催されたものです。
以来「神戸ルミナリエ」は震災の記憶を語り継ぎ、都市と市民の「希望」を象徴する行事として、毎年開催されているのです。
阪神・淡路大震災と言いますと、ある悲喜劇が思いだされます。
それは私の取引先の方ですが、この大震災が起きた1995年1月17日までは幸せの渦中にいました。
当時、付き合っている彼女が妊娠してしまいました。
ところがその彼女の父親というのは神戸永田では知らない人がいないという、頑固親爺でして、当時ですからそのようなフライング結婚(できちゃった婚)など許すわけもなく、仕方がないので片親である母親帯同のもと、結婚のお願いに行きました。
瀟洒な神戸の山手の豪邸に暮らす彼女の家をとてもまぶしく感じながら、その家の中にいる頑固親爺の激怒を考えると、家の扉をノックする勇気もなかったのですが、母から、生まれてくる赤ちゃんの為にも、おきばりなはれ、と言われて、インタホンを弱弱しく押下(おしげ)したのです。
家の中に招き入れられて、型通りの挨拶の後は、修羅の嵐が舞ったのですが、頑固親爺とて人の子で、生まれてくる初孫に免じて結婚の運びとなったのであります。
それは蝉が泣き叫ぶ夏の話でした。
それから半年後の1月17日の運命の日は、前の日が新年会だった事もありハジケ飲みをして二日酔いの朝に大地震を知ったのです。
この地震の悲劇は同じ関西に住んでいても、震源地近くに住んでいませんと、この被害の甚大さは分らないのでした。彼はガンガンする頭の中でしばらくTVのニュースをまばたきもせずに見ていますと、婚約者が住んでいる永田地区が壊滅状態であることを知りました。
彼の頭の中では、この世で一番大切にしている彼女とまだ見ぬ子供を失ってしまった事がおぼろげながら分ってきたのです。
彼は、どうしたらええんや、どないしよ、と狂乱状態からくる呆然自失となっていたのでした。
それからしばらくしましたら、家のチャイムが鳴りました。
誰かいな、と思って玄関に行くと、高校時代の親友がやってきて、彼女の家のあたりあかんな、と言われたので、俺は・・・人生の幸せをこの地震ですべて失ってしまったんや、と泣き叫ぶと、ダァホ、まだ死んだわけやない。
助けに行かなあかん、と言ったので、そやかて、電車も動いてへん、どないして行くんや、と言いましたら、せやから車で来たんや。
取り敢えず、水とか食べ物を仰山積んだら、いくで、と言われたのでその仕度をして、着の身着のままで車中の人になりました。
彼は、正直に言いますけれど、と前置きをして、永田に着くまでの10時間は頭が真っ白になっていて、この間の記憶はほとんどありません、と申していました。
海辺の道は道路閉鎖になっていたので六甲道を通っていったそうです。
加えて唯一使えるその道を、皆が使い始めたので10時間もかかったそうなのです。
永田に入りますと、いたるとろで家族を亡くした方々が泣き叫ぶ地獄絵が目の前に飛び込んできました。
彼もこの時間帯になりますと冷静さを取り戻してきて、必ず遺体だけは探そうと、肚を決めたそうです。
彼女の家から3kmくらいで、ここから先は車での進入は難しいので車から降りて、親友と二人で救援物資を詰めこんだリュクッサックの重さを肩にずっしりと感じながら、彼女の家に向かったのです。
眼に入ってくる光景は倒壊した家から家族を救出する人たちの魂を込めた救出活動でした。
50分位して見慣れた彼女の家が視界に入ってきました。
そこで見たのは奇跡でした。
まるでモーゼ十戒の海を割るシーンのように彼女の家の前の道路を挟んで、海側は壊滅状態でしたが、彼女の家のある山側の住居は何事もなかったかのようにたたずんでいたのです。
彼は、それを見届けると一目散に彼女の家に走って向かい、息を整える間もなく、家の玄関を開けると、彼女が大きなお腹をかかえて、なんや、遅かったやない、と言ってにっこりと笑って出てきたそうです。
そこから後は感極まって声にならず、人生でこれだけの滂沱の涙を流したことはなかった、と彼は言っていました。
世の中にはまさに「天国と地獄」が存在するという実話であります。
私は「東京ミチテラス2017」のようなきらびやかイルミネーションを見ると、上述の話を思い出すので、皆のように心の底からこのまばゆい光のページェントを楽しめないのですが、皆さまにはこの光の饗宴は画像でご紹介いたします。
歩き疲れたので夕食です。
丸の内といえばここしかありまへん。
今日のお店は「きじ」さんです。
住所: 東京都千代田区丸の内2-7-3東京ビルB1
電話:03-3216-3123
定休日:不定休
お店の外観です。
店内の雰囲気です
メニューです。
きょうのオーダー「モダン焼き」@1,150円です。
座るやいなやテーブルセットの到着です。
時間差で「お冷」の到着です。
すんまへん、アルコール飲めまへんねん。
美味しく焼いておくんなはれ・・・
待つこと7分で「モダン焼」の完成です。
見た目、美味しそうです。
当然のことながらマヨネーズでいただきます。
「モダン焼」とは、そばをだしと玉子に絡めてオムソバ風にジューシーに焼き上げたものです。
これが美味しいのです。
とろとろの玉子がそばに絡みつくこのまったりとした感触がたまらないのです。
焼き上げた後も過熱していますので「モダン焼」から立ち昇ってくる芳しい匂いが、時間とともに深まり美味しさを倍増させます。
豚とイカが入っているのですが、豚クンの存在がどうしても高まります。
この世に極楽があるとすればこの食べ物を食べている時でしょう。
まさに私の身に至福が訪れました。
このような場合は「天国と天国」と表現して良いのかもしれません・・・