Y君の事
私が高校1年生の時、同級生のY君が亡くなりました。
所属している山岳部の歩荷訓練の最中に熱中症になり帰らぬ人となりました。
彼は坊主頭でいつも大きな目をギョロっとさせていたのが印象的でした。
高校の初めての期末試験が終わった後に、クラスの連絡網でY君の死亡が伝えられて葬式に行くことになりました。当日は暑く汗がたくさん噴き出てきて自分のシャツの匂いに鼻を曲げながらY君の家に向かいました。
Y君の家は門前仲町でしたか・・・
かなり前の事なので那辺の記憶は定かではありません。
淀んだ川にかかった橋を渡り右折しますY君の自宅でした。
葬式に1人でいくのは初めてなのでなにか非礼な事をするのではないかと不安でしたが葬式に来ていた同級生も似たような面持ちでしたので安心しました。
焼香がおわると私たち同級生が集められてY君のお母さんから会葬御礼がありました。
お母さんの頬には、悲嘆が深い陰りとなって表れていました。
すべては覚えてないのですが、お母さんが嗚咽をもらしながら、皆さんは△△の分まで長生きしてください。
そしてこのような事で親を悲しませないでください、と絞り出すように言っていた事が胸の奥に突き刺さりました。
あれから幾星霜、Y君の分までは生きられませんが、それなりの歳になってしまいました。
今年の夏、そんな「Y君を偲ぶ会」が行われました。
その際にわかったのは、Y君は期末試験の為にほとんど寝ていなかったようです。
さらに、この日は朝から蒸し暑くてY君が倒れなかったのなら他の同級生が同じような状態になっていた事もわかりました。
当時は昭和でしたのでこのような訓練での水分補給は制限されていたのでした。
今では言語道断の話であります。
確かに過酷な状況を耐え抜くことは、これまでとは違う、新しい自分を作るものです。
耐え抜くことにより力が生まれ、自分の中で不撓不屈の精神が育ちます。
しかしそれに対して命までかけてでもやれとは誰も言っておりません。
ひとたび偲ぶ会が始まりますと皆の眼には言葉があふれ、順番によりポツリポツリと話すM君の思い出に皆の心が揺れました。
そして皆の記憶の壁には、あらためてY君の人となりが大きく書き足されたことでしょう
毎年、夏になると私は早逝のY君の事を思い出していました。
その中でも今年の夏は特に印象深いものとなりました。
【ケセラセラ】ドリス・デイ
ということでY君の思い出探しの旅で東陽町にやってきました。
この街ってあまり食べるところはないのです。
探した結果はこのお店でした。
今日のお店は「銀座コージーコーナー」東陽町店さんです。
住所: 東京都江東区東陽3-27-25 ストークマンション1F
電話:03-5677-5531
休日:なし
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
メニューです。
今日のオーダー「サンドイッチプレート」@1,000円です。
座るやいなテーブルセットが用意されました。
待つこと5分で「サンドイッチプレート」と珈琲が到着しました。
見た目、サンドイッチの色が良くないですね。
気を取り直して実食です。
玉子サンド、ハムサンド共々美味しいのです。
これは見た目に騙されました(笑)
さら〜に、コーンスープが美味しいのです。
珈琲も私の好みの味です。
とても満足なランチでした。
食事の後、Y君の家を探しました。
多分、ここではなかったかなと思いましたが大昔の事で確証がありません。
その後、門前仲町までブラブラしました。
妹が出禁になった店が現存していました。
さら〜に、私が通い詰めた飲み屋さんも現存していました。
この辰巳新道はなかなかタフな飲み屋街でした。
近いうちに再訪しましょう・・・
私が高校1年生の時、同級生のY君が亡くなりました。
所属している山岳部の歩荷訓練の最中に熱中症になり帰らぬ人となりました。
彼は坊主頭でいつも大きな目をギョロっとさせていたのが印象的でした。
高校の初めての期末試験が終わった後に、クラスの連絡網でY君の死亡が伝えられて葬式に行くことになりました。当日は暑く汗がたくさん噴き出てきて自分のシャツの匂いに鼻を曲げながらY君の家に向かいました。
Y君の家は門前仲町でしたか・・・
かなり前の事なので那辺の記憶は定かではありません。
淀んだ川にかかった橋を渡り右折しますY君の自宅でした。
葬式に1人でいくのは初めてなのでなにか非礼な事をするのではないかと不安でしたが葬式に来ていた同級生も似たような面持ちでしたので安心しました。
焼香がおわると私たち同級生が集められてY君のお母さんから会葬御礼がありました。
お母さんの頬には、悲嘆が深い陰りとなって表れていました。
すべては覚えてないのですが、お母さんが嗚咽をもらしながら、皆さんは△△の分まで長生きしてください。
そしてこのような事で親を悲しませないでください、と絞り出すように言っていた事が胸の奥に突き刺さりました。
あれから幾星霜、Y君の分までは生きられませんが、それなりの歳になってしまいました。
今年の夏、そんな「Y君を偲ぶ会」が行われました。
その際にわかったのは、Y君は期末試験の為にほとんど寝ていなかったようです。
さらに、この日は朝から蒸し暑くてY君が倒れなかったのなら他の同級生が同じような状態になっていた事もわかりました。
当時は昭和でしたのでこのような訓練での水分補給は制限されていたのでした。
今では言語道断の話であります。
確かに過酷な状況を耐え抜くことは、これまでとは違う、新しい自分を作るものです。
耐え抜くことにより力が生まれ、自分の中で不撓不屈の精神が育ちます。
しかしそれに対して命までかけてでもやれとは誰も言っておりません。
ひとたび偲ぶ会が始まりますと皆の眼には言葉があふれ、順番によりポツリポツリと話すM君の思い出に皆の心が揺れました。
そして皆の記憶の壁には、あらためてY君の人となりが大きく書き足されたことでしょう
毎年、夏になると私は早逝のY君の事を思い出していました。
その中でも今年の夏は特に印象深いものとなりました。
【ケセラセラ】ドリス・デイ
ということでY君の思い出探しの旅で東陽町にやってきました。
この街ってあまり食べるところはないのです。
探した結果はこのお店でした。
今日のお店は「銀座コージーコーナー」東陽町店さんです。
住所: 東京都江東区東陽3-27-25 ストークマンション1F
電話:03-5677-5531
休日:なし
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
メニューです。
今日のオーダー「サンドイッチプレート」@1,000円です。
座るやいなテーブルセットが用意されました。
待つこと5分で「サンドイッチプレート」と珈琲が到着しました。
見た目、サンドイッチの色が良くないですね。
気を取り直して実食です。
玉子サンド、ハムサンド共々美味しいのです。
これは見た目に騙されました(笑)
さら〜に、コーンスープが美味しいのです。
珈琲も私の好みの味です。
とても満足なランチでした。
食事の後、Y君の家を探しました。
多分、ここではなかったかなと思いましたが大昔の事で確証がありません。
その後、門前仲町までブラブラしました。
妹が出禁になった店が現存していました。
さら〜に、私が通い詰めた飲み屋さんも現存していました。
この辰巳新道はなかなかタフな飲み屋街でした。
近いうちに再訪しましょう・・・