今日は「幽霊の正体見たり 枯れ尾花」です
たまに拙文で「江戸っ子」と書いていますが、「三代続けば江戸っ子」と巷間で言われている定義を当て嵌めれば私の父は東京生まれではないので、私が「江戸っ子」というのは間違いです。
このルールに則れば私の孫が真の江戸っ子になります。
今でもそうですが、真の東京っ子がいないのと同じに、江戸時代も江戸に生まれ育った人間が少ないからこのような定義が生まれたのでしょう。
もっと細かく定義しますと、京橋、日本橋は江戸っ子で、私が生まれた神田は江戸っ子と言わず敢えて神田っ子と言います。要は最高級ランクなのです。
同じように下町という言葉もよく使いますが、そもそも下町とは、お城下町 ( おしろしたまち ) であり、京橋、日本橋、神田のあたりだけをいうのだそうです。
そういう意味でも私は真の下町っ子ではありません。
生粋の「江戸っ子」の条件とは「1.水道水 ( 上水 ) で産湯を使い2.金のシャチホコ横目でにらみ、3.おんば日傘で育つ(恵まれた環境で子供を育てること)」と言われています。
私は神田で生まれ佐竹(今の東上野)で育っていますが、その後は父の仕事の都合で下町に移転しましたのでこの条件下でも「江戸っ子」ではありません。
ただし下町に移転する前はこの条件に合致していました。
特に3番目のおんば日傘は母が産後の肥立ちが悪く病弱だったこともあり、赤ん坊の頃は母方の祖母が育児の為に上京してきたので、この点では完璧でしょう。
下町では正しくは江戸でもないのに、三代続いていたら「真の江戸っ子」と尊敬されていました。
しか〜し個人的には、「順江戸っ子」と自称すべきだったのでしょうね。
「江戸っ子」というのが現在でも蔓延(はびこ)っているのは、所謂一つの選民意識なのです。
くだんの影響を多大に受けた小学校の頃には、その選民意識から葛飾区、足立区、江戸川区から転校してきた人間を「カッペ(田舎ッペの略)」と言って思いきり馬鹿にしていました。
理由はかの地には田圃、畑があったからです。
話は少し脱線します。
私と同年で生まれた所謂同級生は約1,800,000人います。
内東大に行ったのが3,000人(0.2%)、慶應に行ったのが6,000人(0.3%)、早稲田に行ったのが12,000人(0.7%)、日大に行ったのが100,000人(5.6%)となります。
要は、東大生は希少価値なのです。
だから彼らはエリート(選民)と言われるのは確率論の上からも必然なのであります。
ちなみに私の高校にも東大進学者は多数おります。
今でもたまに彼らに会いますが、みんただのアル中のハゲデブオッサンです。
東大卒と申しても、それは高校時代に他よりも勉学に励んだ証明であって、その証明だけで厳しい人生行路は乗り切れません。その後の人生において刻苦奮闘の努力が無ければただの通過証明です。
当社においても多数の東大卒がいますが、半分くらいは通過証明書の保有者です。
半分くらいの人達の通底にあるのは単なる薄っぺらい低俗な優越感だけであります。
「優越感はそれを凌駕する優越感に簡単に負ける」という事を言いたかったのでした。
なお例えとして分り易いので東大をだしただけで選民意識を持っている人は皆同じだと思います。
東大関係者の皆々様あいすみません。
そもそも江戸っ子江戸っ子といいますが多くは家康が江戸に政権を移した時に連れてきた愛知県人が祖先ではありませんか。
佃煮でお茶漬けを流し込むといえば、江戸っ子の酒のシメの一つと言われています。
その佃煮の発祥の地で今でも江戸風情が色濃く残る佃は、元はと言えば大阪人の町です。
と申しますのも、本能寺の変が起こった際、わずかな手勢で堺にいた家康の三河への脱出を手助けしたのが、摂津国佃(せっつのくにつくだ)村の漁民だったのです。
家康はそんな彼らを江戸に呼び寄せ、隅田川の石川島という小島続きの干潟(ひがた)を埋め立てた土地と、隅田川と河口一帯の漁業権を与えて恩返しをしたのです。
その埋立地が佃島なのです。
選民思想なんてルーツをたどれば「幽霊の正体見たり 枯れ尾花」と断じたかったのでした・・・
佐賀はハイレグ?
今日はとばりが降りた神田司町に出没です。
このお店は中学生の時に三省堂に参考書を買いに来た時に立ち寄っていました。
本当に久しぶりです。
今日のお店は昭和27年創業の老舗「博雅」さんです。
住所: 東京都千代田区神田司町2-2-8
電話:03-3252-5001
定休日: 日曜・祝日
お店の外観です。
私が通っていた頃のお店の外観です。
店内の雰囲気です。
メニューです。
今日のオーダー「豚肉と玉葱の卵とじ定食」@900円です。
博雅とは「学問・技芸に広く通じ、道理をわきまえていること」だそうです。
なんだか本の街神田にそぐった店名ですね・・・
待つこと5分で「豚肉と玉葱の卵とじ定食」が到着しました。
見た目紅一点の福神漬けが目に鮮やかです。
それでは実食です
豚肉と玉葱と卵のゴールデントライアングルが不味いわけがありません。
トロトロの玉子に甘みがあふれた玉葱にふんわりとした豚肉は絶妙です。
清湯も味が深いです。
食べている箸が踊ります。
安定感ある下町の中華です。
満足しました。
美味しゅうございました。
たまに拙文で「江戸っ子」と書いていますが、「三代続けば江戸っ子」と巷間で言われている定義を当て嵌めれば私の父は東京生まれではないので、私が「江戸っ子」というのは間違いです。
このルールに則れば私の孫が真の江戸っ子になります。
今でもそうですが、真の東京っ子がいないのと同じに、江戸時代も江戸に生まれ育った人間が少ないからこのような定義が生まれたのでしょう。
もっと細かく定義しますと、京橋、日本橋は江戸っ子で、私が生まれた神田は江戸っ子と言わず敢えて神田っ子と言います。要は最高級ランクなのです。
同じように下町という言葉もよく使いますが、そもそも下町とは、お城下町 ( おしろしたまち ) であり、京橋、日本橋、神田のあたりだけをいうのだそうです。
そういう意味でも私は真の下町っ子ではありません。
生粋の「江戸っ子」の条件とは「1.水道水 ( 上水 ) で産湯を使い2.金のシャチホコ横目でにらみ、3.おんば日傘で育つ(恵まれた環境で子供を育てること)」と言われています。
私は神田で生まれ佐竹(今の東上野)で育っていますが、その後は父の仕事の都合で下町に移転しましたのでこの条件下でも「江戸っ子」ではありません。
ただし下町に移転する前はこの条件に合致していました。
特に3番目のおんば日傘は母が産後の肥立ちが悪く病弱だったこともあり、赤ん坊の頃は母方の祖母が育児の為に上京してきたので、この点では完璧でしょう。
下町では正しくは江戸でもないのに、三代続いていたら「真の江戸っ子」と尊敬されていました。
しか〜し個人的には、「順江戸っ子」と自称すべきだったのでしょうね。
「江戸っ子」というのが現在でも蔓延(はびこ)っているのは、所謂一つの選民意識なのです。
くだんの影響を多大に受けた小学校の頃には、その選民意識から葛飾区、足立区、江戸川区から転校してきた人間を「カッペ(田舎ッペの略)」と言って思いきり馬鹿にしていました。
理由はかの地には田圃、畑があったからです。
話は少し脱線します。
私と同年で生まれた所謂同級生は約1,800,000人います。
内東大に行ったのが3,000人(0.2%)、慶應に行ったのが6,000人(0.3%)、早稲田に行ったのが12,000人(0.7%)、日大に行ったのが100,000人(5.6%)となります。
要は、東大生は希少価値なのです。
だから彼らはエリート(選民)と言われるのは確率論の上からも必然なのであります。
ちなみに私の高校にも東大進学者は多数おります。
今でもたまに彼らに会いますが、みんただのアル中のハゲデブオッサンです。
東大卒と申しても、それは高校時代に他よりも勉学に励んだ証明であって、その証明だけで厳しい人生行路は乗り切れません。その後の人生において刻苦奮闘の努力が無ければただの通過証明です。
当社においても多数の東大卒がいますが、半分くらいは通過証明書の保有者です。
半分くらいの人達の通底にあるのは単なる薄っぺらい低俗な優越感だけであります。
「優越感はそれを凌駕する優越感に簡単に負ける」という事を言いたかったのでした。
なお例えとして分り易いので東大をだしただけで選民意識を持っている人は皆同じだと思います。
東大関係者の皆々様あいすみません。
そもそも江戸っ子江戸っ子といいますが多くは家康が江戸に政権を移した時に連れてきた愛知県人が祖先ではありませんか。
佃煮でお茶漬けを流し込むといえば、江戸っ子の酒のシメの一つと言われています。
その佃煮の発祥の地で今でも江戸風情が色濃く残る佃は、元はと言えば大阪人の町です。
と申しますのも、本能寺の変が起こった際、わずかな手勢で堺にいた家康の三河への脱出を手助けしたのが、摂津国佃(せっつのくにつくだ)村の漁民だったのです。
家康はそんな彼らを江戸に呼び寄せ、隅田川の石川島という小島続きの干潟(ひがた)を埋め立てた土地と、隅田川と河口一帯の漁業権を与えて恩返しをしたのです。
その埋立地が佃島なのです。
選民思想なんてルーツをたどれば「幽霊の正体見たり 枯れ尾花」と断じたかったのでした・・・
佐賀はハイレグ?
今日はとばりが降りた神田司町に出没です。
このお店は中学生の時に三省堂に参考書を買いに来た時に立ち寄っていました。
本当に久しぶりです。
今日のお店は昭和27年創業の老舗「博雅」さんです。
住所: 東京都千代田区神田司町2-2-8
電話:03-3252-5001
定休日: 日曜・祝日
お店の外観です。
私が通っていた頃のお店の外観です。
店内の雰囲気です。
メニューです。
今日のオーダー「豚肉と玉葱の卵とじ定食」@900円です。
博雅とは「学問・技芸に広く通じ、道理をわきまえていること」だそうです。
なんだか本の街神田にそぐった店名ですね・・・
待つこと5分で「豚肉と玉葱の卵とじ定食」が到着しました。
見た目紅一点の福神漬けが目に鮮やかです。
それでは実食です
豚肉と玉葱と卵のゴールデントライアングルが不味いわけがありません。
トロトロの玉子に甘みがあふれた玉葱にふんわりとした豚肉は絶妙です。
清湯も味が深いです。
食べている箸が踊ります。
安定感ある下町の中華です。
満足しました。
美味しゅうございました。