謹賀新年
今日は「新春点描」の話です。
とうとう癸巳(2013年)が始動しました。
本年も宜しくお願いいたします。
去年からの感染性胃腸炎を引きずりながら越年したものですからあまり体調よくありません。体調が良くない事を証明するために三段謎を一つ申し上げます。
「感染性胃腸炎とかけてツタンカーメンのミイラと解く」
その心は
「呪(ノロ)われている・・・」
お後がつかえていますのでサクサクと続けます。
旧年中とある事務所に提出しなければならない私的書類を病気の為に提出できませんでした。
さすがに郵送だと新年事情により大幅に遅れると思い、元旦にわざわざ届けにスカイツリー近辺に出没したのです。
ついでに菩提寺で父母の墓参もしました。
墓参りの間に菩提寺の住職の奥様と雑談していたら、スカイツリーって災害用に30万人分の食料がスカイツリーの地下に用意されているのですってね、知りませんでした。
ということでまずはスカイツリーのday nightrの画像ををご覧ください。
次に住職の奥様が立ち寄って行きなさいと強くというか命令的にいわれた「魚力」さんでいくら@928円、寿司@1,190円、大とろにぎり@1,290円を家族の人数分買って帰りました。
それで作った元旦の我が家のおせち料理です。
しか〜し一貫約300円の大とろの美味しさは、くりびつてんぎょのいたおどろ!でした。この味を売られた日には、近隣の寿司屋は洒落でなくマジに潰れてしまうかもしれませんね・・・
二日は体調が大分戻ったので多分生まれて初めての二日目の初詣です。
近所の氷川神社に行ってきたのですが、二日目の午後なので空いているかと思えばこの大行列です。
お参りするのに1時間もかかってしまいました。
氷川神社の境内の雰囲気です。
23区内では珍しいお炊き上げです。
ついでに少し足を伸ばして石神井公園に立ち寄りました。
これは石神井城の城跡です。
この城は、平安時代末期から室町時代中期まで、今の台東・文京・豊島・北・荒川・板橋・練馬・足立などの諸区やその周辺の地域にまで勢力を持っていた豊嶋氏の居城の一つです。
室町時代後期、上杉禅秀の乱で足利持氏側に立った豊島氏は最盛期を迎えますが、やがて新興勢力の扇谷上杉氏側の太田氏と対立を深め、長尾景春の乱において太田道灌に攻められ没落しました。この戦いにおいて、豊島氏は当主の泰経とその弟泰明はそれぞれ石神井城と平塚城に拠り太田道灌と対峙ましたが、攻められた平塚城の後詰戦(江古田・沼袋原の戦い)で惨敗を喫し、泰明は戦死、泰経は石神井城に落ちたそうです。
三宝寺池です。
さて、この三宝寺池には、落城時にまつわる伝説があります。太田道灌に攻め立てられた豊嶋泰経は、重代の家宝の鞍を白馬につけて、この三宝寺池に入水し、その後を追って息女の照姫も城に蓄えられた金銀財宝とともに入水した、というものです。
池の底にはキラキラ光る財宝が見えるそうですが、決してそれを取る事はできないそうです。付近にはふたりを祀った殿塚・姫塚が残っています。
これは虚偽伝説でしょう。
というのも三宝寺池は池の深さはとても浅いのです。いくら室町時代の人の身長が低いとはいえ、ここで入水自殺をするというのは銭湯の浴槽で自殺するのと同じで、足がつく場所で窒息死するのは無理があります。まして豊嶋泰経は馬に乗って入水しているのですから、馬に足のつく場所で潜れといってもさすがにそれには従わないでしょう。
所謂、馬くいかないのです。
入水自殺に見せかけるために大きな石を投げ込んだというのが正しい史実の解釈かと思います。
今日は「新春点描」の話です。
とうとう癸巳(2013年)が始動しました。
本年も宜しくお願いいたします。
去年からの感染性胃腸炎を引きずりながら越年したものですからあまり体調よくありません。体調が良くない事を証明するために三段謎を一つ申し上げます。
「感染性胃腸炎とかけてツタンカーメンのミイラと解く」
その心は
「呪(ノロ)われている・・・」
お後がつかえていますのでサクサクと続けます。
旧年中とある事務所に提出しなければならない私的書類を病気の為に提出できませんでした。
さすがに郵送だと新年事情により大幅に遅れると思い、元旦にわざわざ届けにスカイツリー近辺に出没したのです。
ついでに菩提寺で父母の墓参もしました。
墓参りの間に菩提寺の住職の奥様と雑談していたら、スカイツリーって災害用に30万人分の食料がスカイツリーの地下に用意されているのですってね、知りませんでした。
ということでまずはスカイツリーのday nightrの画像ををご覧ください。
次に住職の奥様が立ち寄って行きなさいと強くというか命令的にいわれた「魚力」さんでいくら@928円、寿司@1,190円、大とろにぎり@1,290円を家族の人数分買って帰りました。
それで作った元旦の我が家のおせち料理です。
しか〜し一貫約300円の大とろの美味しさは、くりびつてんぎょのいたおどろ!でした。この味を売られた日には、近隣の寿司屋は洒落でなくマジに潰れてしまうかもしれませんね・・・
二日は体調が大分戻ったので多分生まれて初めての二日目の初詣です。
近所の氷川神社に行ってきたのですが、二日目の午後なので空いているかと思えばこの大行列です。
お参りするのに1時間もかかってしまいました。
氷川神社の境内の雰囲気です。
23区内では珍しいお炊き上げです。
ついでに少し足を伸ばして石神井公園に立ち寄りました。
これは石神井城の城跡です。
この城は、平安時代末期から室町時代中期まで、今の台東・文京・豊島・北・荒川・板橋・練馬・足立などの諸区やその周辺の地域にまで勢力を持っていた豊嶋氏の居城の一つです。
室町時代後期、上杉禅秀の乱で足利持氏側に立った豊島氏は最盛期を迎えますが、やがて新興勢力の扇谷上杉氏側の太田氏と対立を深め、長尾景春の乱において太田道灌に攻められ没落しました。この戦いにおいて、豊島氏は当主の泰経とその弟泰明はそれぞれ石神井城と平塚城に拠り太田道灌と対峙ましたが、攻められた平塚城の後詰戦(江古田・沼袋原の戦い)で惨敗を喫し、泰明は戦死、泰経は石神井城に落ちたそうです。
三宝寺池です。
さて、この三宝寺池には、落城時にまつわる伝説があります。太田道灌に攻め立てられた豊嶋泰経は、重代の家宝の鞍を白馬につけて、この三宝寺池に入水し、その後を追って息女の照姫も城に蓄えられた金銀財宝とともに入水した、というものです。
池の底にはキラキラ光る財宝が見えるそうですが、決してそれを取る事はできないそうです。付近にはふたりを祀った殿塚・姫塚が残っています。
これは虚偽伝説でしょう。
というのも三宝寺池は池の深さはとても浅いのです。いくら室町時代の人の身長が低いとはいえ、ここで入水自殺をするというのは銭湯の浴槽で自殺するのと同じで、足がつく場所で窒息死するのは無理があります。まして豊嶋泰経は馬に乗って入水しているのですから、馬に足のつく場所で潜れといってもさすがにそれには従わないでしょう。
所謂、馬くいかないのです。
入水自殺に見せかけるために大きな石を投げ込んだというのが正しい史実の解釈かと思います。