下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

西郷隆盛

上野 黒門

今日は「蓮の開花の音」です。
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前回話題にしました通り、蓮の開花する際に鳴る“ポン”という音をわざわざ不忍池まで聴きに行きました。
当初は私と奥様だけだったのですが家で暇こいている次男もjoinすることになりました。
ということで本日は5時起きです。
朝の支度をテキパキとしたおかげで不忍池には6時に到着です。
いるわ、いるわ、人・人・人で不忍池は煮えたぎっています。
日本人って早起きなのですね・・・

エジプトの女王は、蓮の開花の音を目覚まし代わりにしていたそうです。
さぞかし雅やかな音色なのでせうね・・・
それでは不忍池の蓮の開花音に耳を傾けます。
シーン・・・
音がしないではありませんか。
今日は蓮様のご機嫌が悪い、まさか、そんなことってあるんですか。
私と奥様とがこの件で甲論乙駁(こうろんおつばく)を続けていると、Nikonの高級一眼レフをもっているカメラマンさんが親切にも私達に教えてくれました。
彼の説明では、蓮の花ってゆっくりと開花するので音なんか鳴るわけがない、とのことでした。もしその音を聞いたという人がいるのであれば、蛙が池に飛び込んだ音を勘違いしたんだろう、とのことでした。
というのも不忍池で朝もはやから暇こいているおじいさん、おばあさん達から彼が蓮の開花音の話を色々と聞きつけた上での結論とのことでした。
要は所謂一つの都市伝説のようです。

Netでも以下のような記載を見つけました。
古い文献にもハスの開花音についての記述がありますし、啄木の詩にも「静けき朝音たてて白き蓮花のさくきぬ」、正岡子規の句にも「蓮開く音聞く人か朝まだき」や「朝風にぱくりぱくりと蓮開く」などと詠われ、それらの印象から、ハスの花が音を立てて咲くと信じている人が今でもあるようです。静かな水面に次々と音を立てて咲くハス、なかなか愉快なシーンですが、残念ながら開花時には音を立てません。このことは、千葉県検見川の1200年頃の地層から大賀一郎博士によって発掘された種子から得られた大賀ハス(2000年ハス)で実証されています。開花時の振動を500倍に増幅して測定しましたが、花弁の擦れ合うごくわずかな振動があるだけで、開花音ではないことが科学的に証明されました。
(原体験コラム集より)

どうやらこの話はハスの開花の有様から生まれたロマンのようです。
しか〜し人騒がせな都市伝説ですね・・・

折角ですから上野周辺のパチリを紹介します。

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大白鳥の集団です。
静かすぎて不気味です・・・

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正岡子規記念球場です。
この球場の名前を冠している正岡子規は、明治初期に日本に野球が紹介されて間もない頃の愛好者であり、1886年(明治19年)〜1890年(明治23年)頃、この球場がある上野公園内で野球を楽しんでいたといわれています。
その証拠に子規の随筆「筆まかせ」の中に、明治23年3月21日午後、上野公園博物館横の空き地で試合を行った事が書かれており、その時子規は捕手を守っていた事が分かる内容が書かれています。
その後、子規は野球を題材とした俳句や短歌・小説・随筆を発表して野球の普及に貢献しています。また、数々の野球用語を日本語訳したことも知られています。
このような功績を称え、上野恩賜公園開園式典130周年を記念し、2006年(平成18年)7月21日に上野恩賜公園野球場で句碑の除幕式と正岡子規記念球場の愛称が披露されました。
碑には「春風や まりを投げたき 草の原」の句が刻まれています。

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上野の待合せspotとなってしまった西郷隆盛像です。
西郷さんは戊辰戦争で上野を焼き尽くした官軍の中心人物なのに、どうしてその上野を眺めるような場所に像を立っているのかという話があります。
実は、西郷さんは当初皇居の前に立てられる予定だったそうです。
それに対し、西南戦争で政府に対し叛乱を起こした者の銅像を皇居に立てるのはいかがなものか、という反対が出て、上野になったといわれています。
自分が焼け野原にしたところに立たせて、いささかバツの悪い思いをさせてやろうという意地悪な気持ちが政府にあったのかもしれませんね。
西郷さんのすぐ後ろには、官軍が壊滅させた彰義隊隊士たちの墓があります。
今度西郷さんが何かを仕掛けようしても、後ろから銃を突きつけて絶対阻止してやるぞ、という意思表示なのかもしれないと言われています。

ちなみに1899年、上野公園の銅像除幕式に列席した西郷さんの未亡人イトさんが西郷さんの銅像を見た瞬間、「宿んしは、こげなお人じゃなかったこて」(うちの人は、このような人ではなかったのに」)と思わず声を出すと、隣席に腰かけていた西郷縦道がイトの足を踏んでたしなめたというエピソードが噂となって全国に広まったそうです。
それが元になって銅像の西郷隆盛の顔は本物と似ていないと信じる人が増えたということを物の本で読んだことがありますが、このイトさんの言葉は「銅像の顔が記憶に残る亡夫の顔と似ていない」ことを意味するのではないようで、「銅像のように、西郷が着物姿で人前に現れるはずがない」という意味であったと、新人物往来社編集の『西郷隆盛 七つの謎』に書いてありました、プチトリビアです。

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その西郷さんの後ろにある彰義隊の墓です。
この彰義隊ですが、明治戊辰の役、上野戦争における彰義隊の敗北で、江戸ッ子侍の壮丁数百人が斬り死にしたことと、勝ち誇った薩長人の得意顔の市中の大闊歩、古今を通じてこれほど江戸ッ子に痛痕の衝撃を与えたことはありません。 
ということを私は幼児の頃、地元の古老よりよくその憤慨を聞かされていました。
といってもその古老も父親ないし祖父からのimprint(擦り込み)ですが。
いずれにしても、それほどにも徳川幕府の壊滅や彰義隊壮丁多数の戦没は、江戸ッ子の痛憤のきわみで、戊辰戦後の江戸ッ子は怒りと哀愁でみちていたそうです。 
まことに彰義隊士の奮起は、徳川武士の立場として止むに止まれぬ江戸ッ子侍の行為であったと言われていました。敵を迎えて何の要営もなき岡に無謀の戦い、時の大勢に反抗して大軍に挑む(2,000人VS28,000人)、敗北は知れたこと、血気に走る烏合の衆との酷評をなす幕末歴史評論家もおりますが、彰義隊はそんな軽率なものじゃありません。
武士道に殉じた尊き時代の犠牲者であります。戦没に江戸ッ子が深く哀悼なすも道理であったのです。

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長男を良く遊びに連れてきた「上野子供遊園」です。
長男はこのような車を運転していればどんなにぐずっていてもご機嫌がなおりました。
当時はタクシーでしたが、今はパトカーに変わっていました。
時の移ろいを奥様と二人で感じいっていました・・・

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最後に何ともふてぶてしいニャンコがいたのでパチリしました。
昔はこのようなニャンコが魚屋さんから魚を盗んでいたのです・・・


時計を見るとまだ7時15分です。
お腹が空きました。
ということでファーストフード店以外を探していたらこのお店にたどり着きました。
今日のお店はきねやホテル内にある「黒門」さんです。

住所: 東京都台東区上野2-14-28 きぬやホテル
電話:03-3833-1916
定休日:無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

今日のオーダーです。
私は「洋食(ベーコンオムレツ、パン、スープ、サラダ、季節の果物、珈琲)」@900円です。
奥様は「中華粥(中華粥、スープ、サラダ、杏仁豆腐、紅茶)」@900円です。
次男は「ホットドッグ(ホットドッグ、スープ、サラダ、紅茶)」@700円です。
最初店員さんは、定食類はただいま混みあっているので(きぬやホテルの宿泊客優先)、定食系の料理のでき上がる時間は全くわかりません、と木で鼻を括ったような言い方をしたものですから、私の目がつり上がったのです。
しか〜しすぐに奥様からイエローカードがでた為に口から出かけた言葉を呑み込んで沈黙していました。
しかしなんともひどい説明ですね、空いた口がふさがりませんでした。

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それでも待つこと15分で「洋食」の到着です。
あれつ、見た目おいしそうじゃん定食、です。
それでは実食です。
ベーコンオムレツはトロトロで美味しいです。
サラダも冷えていてしかもedgeがたっていてイケます。
スープもまずまずの味です。
このような逆期待裏切り料理はwelcomeです。
とても美味しいです。
かなりクリビツしました。

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待つこと17分、「中華粥」の到着です。
これも、見た目おいしそうじゃん定食、です。
これは「中華粥」の味わいが深いです。
かなりのレベルです。
特筆するのは「杏仁豆腐」です。
これは味が濃いです、多分ココナッツシロップを使ったのものではなくて原材料が作られたものです。
これは超ウマウマです。これまたクリビツです。
とても美味しいです。

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待つこと21分、「ホットドッグ」の到着です。
あれっ、ホンマモンのホットドッグじゃん、です。
これはウィンナーのカリカリ炒めが光っています。
パンの焼き具合も過不足ありません。
これはイケます、ここでもさらにクリビツです。
とても美味しいです。

このお店は接客こそ噴飯ものですが、味のレベルはかなり高いと申して宜しいでしょう。
今度訪問したときは接客マナーを従業員に教えられない店長を更迭しておいてください、ハイ。

それでは(^_-)

初台 魚吉

今日は「たんたんたぬきの▲▲タマは♪」の話です。 
たぬき
居酒屋などの入口脇に置かれている、大きなたぬきの人形は、現在では日常的に街の風景のなかで見かけることも多い。しかしその発祥となると、知っている人はあまりいないのではないだろうか。

まずはそのたぬきをじっくりと観察してみることにしよう。定番の大きなおなかの下には、立派で巨大な“ふくろ”が下がっている。これは商売繁盛と子孫繁栄のシンボルであり、大きく広げることから八畳敷きといわれ、多くの客が入る、という意味が込められている。

次に頭にかぶっている“すげ笠”は魔除けで、手に持っている大福帖も商売繁盛・信用第一、さらに一升徳利に「八」の文字が入っているのは、八の字が末広がりで縁起が良いことから。丸い目は気配りをする、大きな耳はお客の話を聞く、すなわち注文をよく聞けるようにという、すべて商売をする上での重要なことがらや意味が込められているのである。

さらに付け加えるならば、たぬきという言語の発音から「他を抜く」、ぶら下がっている“ふくろ”には「前金」や「お金が入る」という意味もあるという。従ってたぬきは、同類の招き猫や福助人形などから比べると、一般家庭より飲食店に多いことが理解できるが、最近は一般家庭においても玄関先に置かれることが以前より多く見られるようになった点が興味深い。

たぬきの人形が全国に広まった真相とは?

では、このようなたぬきは、いつ、どのようにして広まったのだろうか。そのヒントとしてたぬき人形の多くが滋賀県の信楽(しがらき)町で作られている点に注目したい。信楽町に伝わる話として、明治9年(1876年)生まれの陶芸家、藤原銕造(初代狸庵)が京都の清水焼の窯元で仕事をしているとき、月夜の晩にたぬきが腹鼓(はらつづみ)を打って踊っているのを見て好きになり、自分でも飼ってしまったという言い伝えがある。

そうした縁もあってか、藤原銕造は後に信楽に出て、信楽焼のたぬき人形を本格的に作り始め、それが戦後になって徐々に知られるようになった。昭和30年代に入ってから、そのユーモラスさと、群馬県館林の「ぶんぶく茶釜」の民話などで親しみのある動物として飲食店に置かれるようになり、さきほどの縁起かつぎの意味も相まって、全国に広がっていったというのが、その真相のようである。 
「店頭のたぬき」町田 忍 庶民文化研究家著より転載

これは知りませんでしたね。
特に” ふくろ”の件(くだり)ですか、は商売繁盛と子孫繁栄のシンボルだったのですね。
” ふくろ”を大きく広げることは、多くの客が入る、という願いだったのですね。
” ふくろ”といえば思い出してしまうのが、高知で「男勝りの女性」を指す「はちきん」という土佐弁です。
この由来は、男性の” ふくろ”は一般的に2つであるため4人の男性が揃うと” ふくろ”が8つになりますよね。
” ふくろ”は古くから▲▲タマと別称で呼ばれており、8つの▲▲タマを手玉に取る女性ということでなのですね。
これって今でも高知では使われているのですかね、セクハラのような気もしますが、というかこれって完璧なセクハラですよね(笑)
日本の歴史上の人物で” ふくろ”が一番大きかったのは、私の浅学の記憶によれば西郷隆盛さんです。
彼は幕末期に2度流罪になっていますが、流刑先の沖永良部島で風土病に感染し、その後遺症で” ふくろ”が腫れ上がってしまいました。西南戦争後、首の無い西郷さんの死体を本人のものと特定させたのは、その巨大な” ふくろ”だったそうですよ。
玉にはこんな話もします・・・


実はこんな歌だったのでした・・・

「愛はかげろうのように」♪♪

ねえ あなた ひどい人生だと思ってるでしょう
子育てにうんざりし 夫に束縛されているあなた
分かるわ 非現実的な甘い夢を見ているのね
少し話を聞いて 若かった頃の私に
誰かが こうやって話しかけてくれていたならと思うのよ

ジョージアだって カリフォルニアだって 
行けるところなら どこへでも出かけたわ
牧師とつきあって 太陽の下で愛を交わしたりもしたわ
でも どうしても 自由になりたくて
優しい人たちのところから 何度も逃げ出したの
そして誰もが羨むような幸せを手に入れたけど
本当の私が みつからないの

ねえ お願いだから まだ行かないで
どうしても あなたに伝えておきたいの 私がなぜ 今独りぼっちなのかを
あなたの瞳には 昔の私と同じものを感じるの
あなたに少しでも分かってほしいの
数え切れないほど嘘をつき 疲れ果てた心を

ニースでも ギリシャの小島でも
豪華なヨットの上でシャンパンを楽しんだわ
モンテカルロでは ジーン・ハーローみたいな夜の蝶を気取って
私の色香を連中にひけらかしたわ
たくさんの偉い人と寝て
女が決して見てはならないものも見てしまったわ
誰もが羨むような幸せを手に入れたけど
本当の私が みつからないの

(語り▽)
ねえ 誰もが羨むような幸せって何だと思う?
それは 嘘
幸せな人 幸せな家 すべて
こうだったらいいな、という願いが創りあげた幻想よ

じゃあ 本当の幸せって?
それは あなたが今抱いているかわいい赤ちゃん 今朝あなたが喧嘩したあの人
今夜もまた あの人と愛し合うんでしょう
それが本当の幸せ それが愛
(語り△)

生まないことにした赤ちゃんを想い 泣いた日もあるわ
もしかしたら 私を満たしてくれたかもしれないと
でも私は 快楽を選んだのよ
まさか 快楽が苦痛に変わる日がくるなんて 思いもしなかった
ずる賢く 心を売って 体を売って 生きてきたのよ
自由を手に入れる代償としては あまりに大きすぎたわ
ねえ、私は 誰もが羨むような幸せを手に入れたけど
本当の私が みつからないの

誰もが羨むような幸せを手に入れたけど
本当の私が みつからないの

I've Never Been to Me
Hey lady, you lady, cursing at your life
You're a discontented mother and a regimented wife
I've no doubt you dream about the things you'll never do
But, I wish someone had talked to me
Like I wanna talk to you.....

Oh, I've been to Georgia and California and anywhere I could run
I took the hand of a preacher man and we made love in the sun
But I ran out of places and friendly faces because I had to be free
I've been to paradise but I've never been to me

Please lady, please lady, don't just walk away
'Cause I have this need to tell you why I'm all alone today
I can see so much of me still living in your eyes
Won't you share a part of a weary heart that has lived million lies....

Oh, I've been to Niece and the Isle of Greece while I've sipped champagne on a yacht
I've moved like Harlow in Monte Carlo and showed 'em what I've got
I've been undressed by kings and I've seen some things that a woman ain't supposed to see
I've been to paradise, but I've never been to me

[spoken]
Hey, you know what paradise is?
It's a lie, a fantasy we create about people and places as we'd like them to be
But you know what truth is?
It's that little baby you're holding, it's that man you fought with this morning
The same one you're going to make love with tonight
That's truth, that's love......

Sometimes I've been to crying for unborn children that might have made me complete
But I took the sweet life, I never knew I'd be bitter from the sweet
I've spent my life exploring the subtle whoring that costs too much to be free
Hey lady......
I've been to paradise, (I've been to paradise)
But I've never been to me



今日は初台に出没です。
今日のお店は一時期良く通っていた魚屋さんがやっている定食屋「魚吉(うおきち)」さんです。

住所: 東京都渋谷区初台1-37-1
電話: 03-3379-5696
定休日:日曜日

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お店の外観です。

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メニューです。

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店内の雰囲気です。

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今日のオーダー「さば一夜干し(金崋山沖)定食」@920円です。
待つこと7分で着膳です。
見た目美さばです。

それでは実食です。
うん、焼き立ての魚は良い香りがしますね。
しかも金崋山の潮の匂いが・・・
しません、大体金崋山には行ったことがないので知りようもないのですが、ハイ。

味ですか、ここのお店って店構えも店内も“美味しいぞ”オーラが出まくっているのですが、実はそれほどのお味ではないのです。プラ〜ス高いですしね。
決して不味くはないのですが、わざわざ食べに行くお店ではありません。
初台に出向いた時に焼魚が食べたいなぁ思った時にはお薦めです。
そういうお店です・・・

それでは(^_-)

続 新富鮨 4th

今日は「坂本竜馬」評です
勝海舟「彼はおれを殺しにきた奴だが、なかなか人物さ。その時、おれは笑って受けたが、沈着(おちつ)いて、何となく冒(おか)しがたい権威があってよい男だったよ」
西郷隆盛「天下に有志あり、余多く之と交(まじ)わる。然(しか)れども度量の大、竜馬に如くもの、未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず」
寺田屋でともに襲撃された三吉慎蔵「過激なることは豪(えら)も無し。かつ声高に事を論じるような事も無く、至極おとなしき人なり。容貌を一見すれば、豪気に見受けられるも、万事温和に事を処する人なり。但し胆力が極めて大なり」
妻のおりょう「それはそれは妙な男でして、まるで人さんとは一風違っていたのです。少しでも間違ったことは、どこまでも本(もと)を糺(ただ)さねば承知せず、はっきりと謝りさえすれば、すぐに許してくれました。その後は、よくよくせねばならぬぞとていねいに教えてくれました。」
新富寿司41
ちなみにおりょうは、龍馬暗殺後、三吉慎蔵に保護され、土佐の坂本家へ送られました。しかし奔放な性格や素行の悪さから居づらくなり、その後各地を放浪。やがて妹を頼って横須賀へ流れつき、旧知の商人・西村松兵衛と再婚しました。
新聞記者や文筆家のインタビューを受けたのは、横須賀に住んでいた時代ですが、そのころのおりょうは、酒びたりでアルコール依存状態となっており、荒れた日々を送っていたといいます。
また龍馬の生前の仕事や業績について何もしらず、明治政府から知らされて、はじめて自分の夫の偉大さを知ったといいます。
「あなたの知らない坂本龍馬の謎」歴史の謎を探る会[編]
三吉慎蔵さんの龍馬評が個人的にはそぐっています。そうだよなあまり毀誉褒貶の激しい竜馬ってイメージに合いませんものね…個人的に納得

久々に地雷を踏み抜いてしまいました酔った勢いで何やらしでかしたようで顔中血だらで帰宅したものですから、すごく奥様に怒られました。当然のことながらヒドイ二日酔いで一日がすぎるのがとても遅く感じられたのです。
私はたまに飲みすぎてしまうことがあります、その度反省するのですが、忘れた頃必ず何かをやらかすのです(阿保)

今日は飲み仲間の山チャンがやっている「新富鮨」さんです。

住所: 東京都中央区月島3-7-10
電話:03-3533-0755
定休日:土曜日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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今日のオーダー「ちらし寿司」@700です。
私はここの「ちらし寿司」大大大好きです。盛り付けは綺麗ですし、味も最高ですし、値段も安いしというくらい申し分がありません。
ちなみにこの間、山チャン飲み屋で若いお兄ちゃんに、独り身は良くないぞ!早く身を固めなきゃダメだよ、って説教していましたが、自分はどうなんですか、とその時返したかったのですができなく、今日お店でその旨を話したら、そうだよね〜、人のこといえないよね〜ですと。人柄が出ていますね(笑)

それでは(^_-)

月島 健楽 3rd

今日は「Is this guy Mr.Takamori Saigo?」の話です
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一葉の写真が伝わっています。慶応元年2月中旬から3月18日までの間に、長崎へ集結をかけられた各藩の勤皇党は、西郷南洲翁及び勝海舟と共に、世界の情勢に明るい、オランダ人宣教師フルベッキ博士を訪問しました。
大隈重信・副島種臣ら門下生と共に、日本の統一をどうしたら良いか、王政復古は、どうなってゆくのかをフルベッキ博士を交え相互して議論し合ったそうです。
この写真は、写真術の祖、長崎大村出身の写真家、上野彦馬の写真スタディオでフルベッキ博士の子どもも交え、和やかな雰囲気で記念撮影されたものです。
明治28年に、この写真は、宗教家で歴史家でもある戸川残花が「太陽」に掲載しましたが、政界の一部の圧迫を受け、やむなく佐賀藩の学生達として紹介されました。
このため現在まで分からなかったのです。また、この写真は、宗教記録として、フルベッキ博士が所持し、絶対に手放さなかったものを、戸川残花の強い要望により借り受けたものなのだそうです。
【中略】
1899年、上野公園の銅像除幕式に列席した西郷隆盛の未亡人イトが亡夫の銅像を見た瞬間、「宿んしは、こげなお人じゃなかったこて」(うちの人は、このような人ではなかったのに」)と思わず声を出すと、隣席に腰かけていた西郷縦道がイトの足を踏んでたしなめたというエピソードが噂となって全国に広まり、それが元になって銅像の西郷隆盛の顔は本物と似ていないと信じる人が増えたということを物の本で読んだことがありますが、このイト未亡人の言葉は「銅像の顔が記憶に残る亡夫の顔と似ていない」ことを意味するのではなく、「銅像のように、西郷が着物姿で人前に現れるはずがない」という意味であったと、新人物往来社編集の『西郷隆盛 七つの謎』に書いてありました。
「教育の源典を考える」及び「www3.ocn.ne.jp/~sigikain/meijisyasin.html」より転載

西郷隆盛は写真嫌いだった為、生前一葉の写真もないというのが歴史上の定説でした。しかし私の前に唐突に出現したのがこの写真(西郷隆盛は後列真ん中の13番)です。
この写真を始めて見たのは今から7年前初めて寺田屋を訪れた時です、何故か寺田屋の一階に貼ってありました。しかし其の真贋はすぐ分りました。これはFakeです、答えは簡単ですね、明治天皇が写っていることと、勝海舟の顔が全く違いうことです。しかし坂本竜馬は似ています、それと西郷隆盛はこのような顔だと思いたいのです・・・いずれにしても貴重な画像であることは間違いありません!

今日は久々に月島に出没です。日曜日の月島のランチといえば「一心」か「健楽」でしょう、悩みに悩んで結局コッテリしたものを食べたいということで「健楽」になりました。
久々に訪れた健楽は、息子さんが茶髪から黒髪の短髪に変わっていました。もうキャバクラ遊びは止めたのでしょうか(笑)

住所: 中央区月島3−7−8
電話:非公開
定休日:木曜日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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今日のオーダーは私の好物の一つ「カレーラーメンラーメン」@800です。

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このラーメン野菜がコンモリです、白菜、キャベツ、ニラ、モヤシ、人参が大挙して入っています。豚肉も負けずにシッカリと投入されています。特筆なのは、単なるカレーパウダーのみでなく、なにやら丸秘の隠し調味料が入っているとか?
味ですか、美味しいですね!カレーの辛さが頭にビンビンきます、これでしょうカレーラーメンの楽しみ方は、私の脳細胞をガツッリと充分にマッサージしてくれました。
麺はストート中太麺ですが、このスープには合います。
とても美味しゅうございました、ご馳走様でした

それでは(^_-)
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