下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

白虎隊

本所吾妻橋 わくい亭

今日は「白虎隊顛末記」の話です。
私は歴史好きです。特に幕末史はかなり勉強しています。
当然の事ながら今回のフリネタの白虎隊の顛末はよく承知していますし白虎隊の墓にもお参りにいっております。
皆さん、あの悲劇の白虎隊に生存者がいたことはご存知ですよね。
この生存者がいたので白虎隊悲話は世に知れ渡る事となったのです。
そして今日の今日まで私の白虎隊の顛末は以下の通りだったのです。
白虎隊
白虎隊の生き残りは飯沼貞吉さんという方です。
白虎隊の面々は飯盛山から鶴ヶ城が燃え盛るのをみてもうお城には戻れない、さりとて敵に攻め込む体力ももはやない、ここに至っては潔く自刃しようと16名が命を絶ったのです。
しかし貞吉少年は、切腹をしたものの、そのまま虫の息で気を失ったのです。
そして貞吉少年はたまたま通りかかった武家の奥様に助けられたのです。
その後彼は生き恥をさらしてしまったという自責の念から、生きている間は会津に帰らず仙台で過ごしたのです。
そして切腹したときの傷が強く癒着したことで彼の姿勢を極端に前かがみにしてしまいました。それでは普通の職業にはつくことができず前かがみでも仕事ができる仕事、電信技士となり、その生涯を電信技術の発展に貢献したのです。

ところがところが今日朝何気に日経をみていますと、実際は私の擦り込みと全然違うじゃないですか。
まずはその記事をご覧ください。
貞吉にはふたりの男子があった。長男一雄は夭折、次男一精の三男が私である。調べ始めると、一精の長男宅に残された貞吉の遺品から自筆文書が見つかった。「白虎隊顛末略記」と題された20ページの文書には「武士の本分を明らかにする」と記されていた。 
落城と誤認して自刃したというお涙ちょうだいの通説にかねて疑いを抱いていたが、やはり白虎隊は恥辱を避け、朝敵呼ばわりされた理不尽への抗議をこめて自刃したのではなかったか。 
この記録によれば、飯盛山へ登った一隊は炎に包まれた城下をみる。勇猛な野村駒四郎が敵軍突入と玉砕を唱えたが、英才の井深茂太郎が異を唱えた。名城の鶴ヶ城は落もない、入城を目指すベきだ。「甲怒り、乙罵り、激論以てこれ争う」
隊長代行の篠田儀三郎分議論をまとめた。もうこの人数では突入も入城も難しい。敵の縄にかかっては君にも祖先にも申し訳がたたない。潔く自刃し、武士の本分を明らかにしようではないか。 
慶応4年8月23日午前10時過ぎ、少年たちは自刃した。このときの模様は貞吉に取材した「白虎隊事蹟」や平石弁蔵という人のまとめた史料によって伝わる。平石本によれば、貞吉は刀をのどに突きたてたが、切っ先が後ろに出ない。岩に柄を当て、全身の体重をかけて切っ先をのどの奥まで押しこんだ。 
人事不省に陥った貞吉は通りがかった女性に炭焼き小屋に運ばれ、一命をとりとめたが、これがのちの汚名につながる。私は祖父が晩年をすごした仙台の家で生まれたが、小学校の修学旅行の行き先がなんと飯盛山。貞吉の孫だと突きとめた誰かに事前学習の翌日「わざとあっさりのどをついた」と落書きされたことがある。 
その後の消息はよく分からなかったが、意外な事実がわかる。仇の中の仇である長州で庇護されていたのだ。はじめは悪い冗談だと一蹴したが、養育先とされる山口県美祢市の楢崎頼三屋敷跡を訪ねることにした。頼三は会津に味方した徳川方諸藩の兵を東京へ護送する責任者だった。 
屋敷で貞吉の世話をした高見フサという女性の曾孫に会うと、高見家では涙ながらに貞吉の思い出が語り伝えられているという。さらに頼三の玄孫の姉にあたる女性から「貞吉を預かっているとの密書を会津の母におくった」という証言が飛び出した。「このことは誰にも言ってはいけないと開かされて育った」。重い口を開いてくれたのだ。 
話に矛盾がないこともわかった。会津ではデマとみられかねないが、飯沼、楢崎両家が秘中の秘とした長州滞在説はやはり事実であろう
日本経済新聞「白虎隊生き残りの真実」飯沼一元著より転載

でしょう、飯沼貞吉さんは切腹したのではなく喉を突いて自栽しようとしたのではないですか。
さら〜に白虎隊の面々はお城が燃えたのを見て悲嘆して死ぬことを選んだのではなく、武士の本懐を遂げようとして死出の旅に着いたのですね。
歴史学者の方も、史実を書く時は思い入れで書いてはイケませんよ。
もし今日、何かの都合でこの記事を読んでいなかったら、それこそ上述の間違った歴史認識を地獄まで持ちこんでいたのです、本当に勘弁していください。
しか〜し飯沼貞吉さんは死んだ仲間の無念を胸に収めながら、新時代をしっかりと生き抜き文明開化に尽力した事は本当に偉いものです。
さら〜に飯沼貞吉さんが仇敵、長州藩士に庇護されたというのは、事実は小説よりも奇なりそのものですね・・・


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今日は下町ビギナーさんと本所吾妻橋に特攻です。
今日のお店は、下町で大breakしている「わくい亭」さんです。

住所:東京都墨田区本所3-22-12
TEL:03-3829-3751
定休日:日曜日・祝日

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お店の外観です。
ここのご主人は涌井優二さんです。
日本橋で喫茶店を経営していた頃、奥様の純子さん(51歳)と知り合い結婚されました。
15年前に全くの素人からここ本所に居酒屋をひらき、特に奥様の純子さんは「本所わくい亭のお惣菜ふう酒の肴−お酒がすすむごはんもすすむ」を上梓するほどの料理研究家でもあり、その料理の評価は高いものであります。

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さてさて入店しようとした私達の目に止まったものはこの真っ白なプレートです。
なな何ですと、お酒の飲めない方は、入店禁止ですと、最初は未成年の間違いかなとおもったのですが、それならそれでそのように書くはずですし、今さら他の店にも行けませんのでこれには困ってしまいました。
このプレートを見続けても仕方がないので、下町ビギナーさんと顔を見合わせて取りあえず入る事にしました。
店内に入ると、奥様の純子さんに、医者にお酒を止められているので料理だけでもいいですか、と聞けば、それは大変ですね。でも料理をおかずにご飯を食べることはできませんよ、とキツク言われたのです。
しか〜しノンアルコールビールやノンアルコールカクテルが有卦に入ってお酒を作る会社は活況を呈しているのになんたる入店禁止、さら〜に遠路はるばる来た客が嘘(体は悪くない、単なる停酒)をついてまでその料理を求めるなんて、許せない。
近所に住んでいたらこんな失礼なお店には絶対にイキません。
我が一族のこのお店の近隣に住んでいるLethal Weapon(最終兵器)の妹を送りこんで暴れさせてやるかとも思ったのですが・・・嘘です。
いずれにしてもお酒の飲めない方の入店禁止の理由くらいは書かれた方が良いと思いますよ。

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メニューです。

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最初のオーダー「ハチノストマトソース煮」@800円です。
待つこと8分で到着です。
見た目美ハチノスです。
いつものお約束で、写真撮っていいですか、確認をすると、いいですよ、といわれたので実写です。
味ですか、トマトソースの味付けはいいのですが、ハチノスにwildさがありません。
ハチノスがソースに負けるのってあまりないと思うのですよ。
それにあまり熱くなかったので少し味が落ちていますネ。

次のオーダー「牛ハラミ焼き」@800円です。
アレッ、画像がありませんネ。
そうなのです、「ハチノストマトソース煮」の到着から待つこと10分後、この料理がきて写真を取り始めたら、それと同時に料理を持ってきたホールのオバさんが、すみません、料理の写真は禁止されています、とのことです。
私は、最初に写真撮影の許可を確認した時に、いいですよ、って言ったじゃないですか、と言うと、すみません、私はいいものだと思っていたのですが、たった今店主から料理撮影は禁止だといわれたものですから、と切なそうに言い訳をしています。
私は、何か私のすることがご主人の気に障ったのですか。このお店によく来店される芸能人さんなんかは来店の度に自分のblogにこのお店の料理写真を掲載しています。芸能人ならいいのですか、何かの差別があるのですか、と畳みかけますと、すみません、主人が言っていますので、と言いきって、そそくさと立ち去ってしまいました。
すると下町ビギナーさんが、しょうがないじゃん、駄目っていってるんだから、撮らないいほうがいいよ、と言われたので仕方なく画像撮影は断念したのです。
しか〜しそれならそれでここのご主人は自ら出向いて説明すべきです。
何故、芸能人がよくて、私がいけないのか明確に説明すべきです。
大体ここのご主人は、奥様の純子さんと炒め物、揚げもの担当の方に料理はまかせっきりで、私が見ているかぎり、その動線は緩慢というかほとんどなく、東郷平八郎宜しくただ店内を睥睨しているだけです。
そのうち常連さんに呼ばれて、その席でワインを飲み始めています。
仕事中にお酒を飲むようなプロ意識が欠如している料理人を私は軽蔑します、ハイ。

閑話休題おはなしはもどりまして
私も下町ビギナーさんも牛天国の北海道が長かったので美味しい牛ハラミ(北海道ではサガリと言います)は食べつくしているのでその味は知悉しています。
味ですか、肉の味が今一です。
そのためかソースを濃くしていますが、肉の味は隠せません。

次のオーダー「はまぐりの酒蒸し」@600円です。
これは画像がないのでうまく説明できませんが、かなり大ぶりのハマグリです。
で〜も私は生っぽくてイケませんでしたが、下町ビギナーさんは美味しいとガシガシ頂いていました。
このコスパは高いと思います、私以外は・・・

次のオーダー「ネギオムレツ」@500円です。
見た目美オムレツです。
しか〜し中はトロトロではありません。
別にトロトロでなくもていいのですがね・・・
バターが今一ですかね、これは家庭でも味わえるlevelでしょう。

わくい亭1
画像はグルナビより転載

天ぷら(竹の子、たらの芽、ふきのとう他)@650円です。
これは絶ウマです。
ここの油場の人の腕はすごいですね・・・
下町ビギナーさんともども舌鼓の連打です。
春を感じさせる一品です。

わくい亭2
画像はグルナビより転載
締めは「ヒレカツサンド」@800円です。
グルナビ大絶賛の一品です。
味ですか、コスパ以外は特段のsurpriseはありませんでした。
数が三切れでしたので下町ビギナーさんとshareできません。
仕方ないので一切れを半分にして下さい、といったらナイフを持ってきました、自宅で食べているのではないのですから、もう少し気配りしていただきたいものです、ハイ。

料金は上記料理プラ〜ス付出しプラ〜スアルコールフリービール×5本を頂いて締めて¥6,400でした。
コスパはいいですね、しか〜し感じはよくありませんでした。
特にご主人、店内で飲みすぎですよ・・・・

最後にyoutubeの画像をご覧ください。
現在、奥様の純子さんは眼鏡をかけられて大分ふくよかになられています。
お店の入口の真っ白なプレートにもご注目下さいね。


それでは(^_-)

東池袋 伊東食堂

今日は「彰義隊異聞」の話です。
白虎隊
一枚の絵があります。
この絵は、はるか昔上野公園の西郷さんの銅像の後ろにある上野彰義隊墓所に屋外展示されていました。今も現存するかどうか未確認ですので不明ですが。
私はこの壮絶な絵を物心ついてから数えないくらい見ています。というか、正しくは見せられていたのです。

彰義隊墓
幼い頃の私は父に連れられて上野公園にくると、必ずこの上野彰義隊墓所で墓参させられて、そのついでにこの壮絶な絵を見せられていました。
そしてこの絵は彰義隊の戦士の自刃画だと小学校高学年になるまで信じていたのです。
そしてこの絵を見る度に、このような小高い山々がどこにあるのかいつも上野の山から周囲を見回していたのです
歴史に造詣のある方はこの画が白虎隊自刃の図であることがお分りだと思います。
白虎隊は負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びましたが、ここから眺めた戦闘による市中火災の模様を、若松城が落城したものと誤認して悲観、その結果総勢20名がこの場所で自刃を決行したといわれています。事実は少し異なるようですが。

何で上野彰義隊墓所にこの絵が掲示されていたのかは不明ですが、それ以上に幼児にこのような刺激的な絵をみせるという我が父親の情操教育は如何なものなのかなと今となっては思うところではあります。
一つだけ父親の弁護をしますと、実は私の名前にはこの彰義隊の「彰」の字が使われており、私が長じて「彰」の字を説明するときには、彰義隊の「彰」と言わせるべくの深謀遠慮だったらしいのです。しかしpracticalな話「彰」の字を説明する際には、彰義隊の「彰」より「表彰状」の「彰」の方が万民の方には理解されていたのでした。
東京の下町ならともかく、「彰義隊」のことを知っている人は数少なく、昨今の若年層の歴史離れにより年々急速に「彰義隊」のことは希釈されてきましたからね。

その彰義隊ですが、明治戊辰の役、上野戦争における彰義隊の敗北で、江戸ッ子侍の壮丁数百人が斬り死にしたことと、勝ち誇った薩長人の得意顔の市中の大闊歩、古今を通じてこれほど江戸ッ子に痛痕の衝撃を与えたことはありません。 
ということを私は幼児の頃、地元の古老よりよくその憤慨を聞かされていました。
といってもその古老も父親ないし祖父からのimprint(擦り込み)ですが。
いずれにしても、それほどにも徳川幕府の壊滅や彰義隊壮丁多数の戦没は、江戸ッ子の痛憤のきわみで、戊辰戦後の江戸ッ子は怒りと哀愁でみちていそうです。 
まことに彰義隊士の奮起は、徳川武士の立場として止むに止まれぬ江戸ッ子侍の行為であったと言われていました。敵を迎えて何の要営もなき岡に無謀の戦い、時の大勢に反抗して大軍に挑む(2,000人VS28,000人)、敗北は知れたこと、血気に走る烏合の衆との酷評をなす幕末歴史評論家もおりますが、彰義隊はそんな軽率なものじゃありません。武士道に殉じた尊き時代の犠牲者であります。戦没に江戸ッ子が深く哀悼なすも道理であったのです。

上野の山で戦った彰義隊ですが、隣接する忍不池にも悲劇がおきていました。
戦いに敗れ、忍不池の蓮池に潜み、ときおり水面に出て息を吸うところを生け捕りになり、殺された彰義隊士もいたそうです。

ちなみに当時本所に妻、子供を寓居に住まわせていた新撰十番隊長の原田左之助は家族に、上野の山の戦いに行ってくる、と言い残してその戦闘での負傷がもとで落命しております。まるでコインの裏表のような政権の激変から将来に絶望し、原田左之助のように死に場所を探して参戦して人も数多くいたのではと個人的には思っております。

江戸ッ子がいちばん憤ったのは戦いで死んだ新政府軍の遺体は即座に荼毘にふされたのですが、彰義隊の遺体は見せしめのために放置されていたことです。
戦争が梅雨時だったことも相俟って遺体の損傷がひどく、勝海舟の尽力があって始めて遺体の埋葬が叶ったそうです。

その彰義隊士の遺体は南千住の円通寺に埋葬されております。
ここには激戦の拠点「黒門」も移転されており、多数の弾痕はその戦闘のすさまじさを無言で表しています。

教王寺弾痕

 
教王寺
これは谷中にある新政府軍の射撃した弾の痕が門に残っている教王寺さんです。
彰義隊の一部は谷中まで敗走してこの寺に身をひそめていました。
しかしこの様に攻撃されたのでいたたまれずさらに逃走し、最後は千住まで追いつめられそこで壊滅したのです。
上野から千住といえば約6kmですので、武器を持っての逃避行ですから、かなりつらかったのではと想像するに難くありません。


今日は東池袋に出没です。
今日は地元サラリーマンに絶大の人気がある「伊東食堂」さんです。

住所: 東京都豊島区東池袋5-11-10
電話:03-3982-8601
.定休日:土・日・祝日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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名物「鳥羽の山カレー」です。
鳥羽の山とは店主の贔屓の関取だそうですよ。
このカレーは盛りがすごく、三人前だそうです、ハイ。

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本日のオーダー「焼肉カレー」@600円です。
元はサンシャインのそばにあったお店がこちらに移転しきたそうです。
それにしても超満員の店内ですね。
待つこと10分で着皿です。
見た目普通のカレーです。
味ですか、カレーはチョイ辛です。
ボリュームも普通です。
味噌汁も普通です。
何で超人気なのだろうと思わず考え込んでしまったのですが、これはやはりコスパでしょう。店内には多数のメニューが櫛比しており、夜の部の充実さがうかがえます。
鶏玉子論でいくと、夜の常連さんが昼の部にもなだれ込んでいるのだと断じたのですが如何でしょうか・・・

それでは(^_-)
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