今日は「お龍さん異聞」の話です。
今日NTVの「ぶらり途中下車の旅」を見ていましたら、「お龍さん」がでていましたので紹介します。
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まずこの有名な写真ですが、これは調べてみたら35歳の時のパチリです。
お龍さんは、龍馬が暗殺された時26歳ですから、それから9年後の時撮ったものです。
以下にでてくる「田中家(創業文久3年の老舗料亭)」で働いていた頃のパチリでしょうか?
このあたりは歴史的にはハッキリとしていません。
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これは「田中家」さんの社員旅行での写真です。すなわち37歳以降の時ですが、前述のパチリからすると、たった2年間で大分老け顔になったといえます。

そして横浜の老舗「田中家」さんでの「お龍さん伝説」です。
明治八年頃、母と弟に死別して全くな孤独な身となってしまった坂本竜馬の妻であったおりょうは神奈川の田中家(原文は田中屋)という高級料亭の仲居として働いていたが、深酒に溺れるようになっていて、女将も困っていたらしい。当時彼女は三十七歳位であった。
この料亭に遊びに来る客で西村松兵衛という男がいたが、彼は横須賀造船所建設用の資材の回漕業をしていて、度々来るうちにおりょうさんと意気投合し、彼の住んでいる横須賀の地で世帯を持つことになった。入籍は明治八年七月で、この時おりょうさんは西村ツルと名前を変えている。
出典「おりょうさん」追想より、大津観光協会発行より転載

※当時を知る仲居が調査員に語った内容
「おりょうさん」は非常に頭が良く酒を好み、人情深く、客あしらいもうまく、当時無数にいた仲居の中でも飛び抜けて目立つ存在だった。勉強家で英語を喋り海外事情にも詳しく話題も豊富な彼女は別格であっただろう。おりょうはきっぷの良い粋な人であった。泥酔して根っこを生やしてしまったお客様を帰すのにも活躍していたであろうとは想像に難くない。田中家を去った後も彼女を知る贔屓客より「今日はおりょうはどうした?」という声が長い間聞かれ、当時在籍していた多くの仲居が「もういないのにナニヨ!」と嫉妬したという逸話が残っている。
「田中家」HPより転載


龍馬と同じく土佐藩士だった佐々木高行は、お龍のことを「有名なる美人なれども、賢婦人なるや否やは知らず。善悪ともに兼ぬるように思われたり」(大変な美人だが、賢婦と言えるかどうかは疑わしい。善にも悪にもなるような女)と評している。
「楢崎龍-Wikipedia」より転載

「田中家」さんの現女将さんから、ここで語り続けられているお龍さんは毎日一升酒を飲んでいる酒豪でした。そして極めて頭の回転がよく、そのため接客も最高だったようです。さらに独学で英語を勉強し、外国人の宴席にもでていたとか、かなり才気走った姿が彷彿されます。しかし晩年はアルコール依存症状態で、かなり苦労したそうです。
そうか当時のお龍さんは、今でいう肉食系、キャリアウーマンみたいな感じだったのですね、酒が強くて、話が面白くて、美人であれば、さぞかし人気があったことでしょう。
しかし京都生まれのことからとてもprideが高く、さらに狷介なところもあったようで、嫌われる人には嫌われていたようです…
やはり龍馬の膝下にいて、初めて活き活きと暮らせた人ではないかと思います。

今日は久々に寛いでいます。昼飯を何にしようか悩んだのですが、次男がいたので相談のうえ大泉町「やぶ重」さんの暖簾をくぐりました。

住所: 東京都 練馬区大泉町1-2-2
電話: 03-3922-3352
定休日:水曜日

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お店の外観です。今日はランチのコアタイムを外していったのですが満員でした。マッここ美味しいからな(笑)

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店内の雰囲気です。所謂気取りけのない町のお蕎麦屋さんです。

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私のオーダーは「天もり」@1,100です。
天麩羅は、海老、ぜんまい、南瓜、茄子です。ぜんまいの天麩羅って生まれて初めて食べたのですが、エグミの中に甘みがあって美味しいですね。それ以外の天麩羅もカラって揚がっていってとても美味しくいただきました。蕎麦はいつも通りです。

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次男の頼んだ「カルビ丼定食」です。これはカルビ丼に野菜の煮物、香の物、味噌汁がつきます。味ですか、お蕎麦屋さんならではのシッカリとした味付けで迷いがありあません、これも美味しいです。

このお店は、いつ訪れても裏切らないので安心していただけます。やはりこのようなお店を手持ちで持っていることは必要ですね。
ご馳走様でした

それでは(^_-)