下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

池田屋事件

海浜幕張 デリフランス

今日は「続池田屋事件異聞」です。
幕末の京都は政局の中心地となり、尊王攘夷・勤王等の政治思想を持つ諸藩の浪士が潜伏して活動していた。
長州藩は会津藩と薩摩藩による宮中クーデターである8月18日の政変で失脚し、朝廷では公武合体派が主流となっていた。尊王攘夷派は勢力挽回を試みており、京都守護職は新選組を用いて市内の警備や捜索を行わせた。
5月下旬頃、諸士調役兼監察の山崎烝・島田魁らによって四条小橋上ル真町で炭薪商を経営する枡屋(古高俊太郎)の存在を突き止め会津藩に報告。武器や長州藩との書簡等が発見された。
古高を捕らえた新選組は、土方歳三の拷問により古高を自白させた。
自白内容は、「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉し、一橋慶喜・松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ連れ去る」というものであった。
さらに探索によって、長州藩・土佐藩・肥後藩等の尊王派が古高逮捕をうけて襲撃計画の実行・中止について協議する会合が池田屋か四国屋に於いて行われる事を突き止めた。


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亥の刻(22時頃)すぎ、捜索の末に近藤隊は池田屋で謀議中の尊攘派志士を発見した。
近藤隊は数名で突入し、真夜中の戦闘となった。
20数名の尊攘派に対し当初踏み込んだのは近藤・沖田総司・永倉新八・藤堂平助の4名で、残りは屋外を固めた。
屋内に踏み込んだ沖田は奮戦したが、戦闘中に病に倒れ戦線離脱した。
また1階の藤堂は汗で鉢金がずれたところに太刀を浴びせられ、額を斬られ血液が目に入り戦線離脱した。
新選組側は一時近藤・永倉の2人となるが土方隊の到着により戦局は新選組に有利に傾き、方針を「斬り捨て」から「捕縛」に変更。
9名討ち取り4名捕縛の戦果を上げた。
会津・桑名藩の応援は戦闘後に到着した。
土方は手柄を横取りされないように、一歩たりとも近づけさせなかったという。
この戦闘で数名の尊攘派は逃走したが、続く翌朝の市中掃討で会津・桑名藩らと連携し20余名を捕縛した。
この市中掃討も激戦となり、会津藩は5名、彦根藩は4名、桑名藩は2名の即死者を出した。
翌日の正午(夜のうちに帰ったのでは闇討ちの恐れがあるため夜が明けるまで待機していた)、新選組は壬生村の屯所に帰還した。沿道は見物人であふれていたという。
歴史倶楽部「新撰組について」より転載

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池田屋事件は新撰組のその名を歴史上に残した大事件です。
実際に新撰組はこの事件で、9名討ち取り4名捕縛の戦果を上げました。
会津・桑名藩の応援は戦闘後に到着しました。
近藤勇は池田屋には攻撃要員4名、池田屋の周辺警護要員5名の計9名という少人数で当たっています。
したがいまして「新選組の御用改めである。無礼すまいぞっ」と裂帛の気合で切り込んだものの、実際はこんなにも中に人がいたのかい、というのが正直なところではないでしょうか。
尊攘派志士は酒を飲みながら謀議をしていたので、酒の勢いで血気がはやる者は少人数と侮(あなど)って打ちかかったのでしょう。
一方こんなところで捕まってたまるかという者はそそくさと逃げたようです。
実際池田屋にいた尊攘派志士の半分近くの7名は周辺警護の薄さから逃げおおせました。
それでも4名対13名での戦いはかなりのハンディキャップバトルになります。
ということで近藤隊は鎖を着て籠手脛当てで完全武装だったにしても、相当に善戦したと言えます。
この勝利について今まで漠とし飲みこんでいましたが、この度NHKさんの「風雲!大歴史実験『新選組マジック』を解く」 を見てこの勝利の原因がわかりました。
要は、新選組が用いた剣術である「天然理心流」が極めて実践的な剣術であり、それの底流にあるのは、勝利の為には手段を選ばない太刀さばきが勝利に導いたのです。
もう少し具体的に申しますと、「天然理心流」は最初から1対複数人を想定した剣術であり、その為に、相手の意表をつく動きをする・常に移動する・複数の相手を均等に見る等のテクニックを有しており、このような乱闘には最も適した剣術だったのです。

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この画像は「図解・池田屋事件」より転載

特に戦いの場(主戦場は星印)が狭い部屋だった事もあり、実際は1対Nの戦いが1対1になっていたのです。
イメージがわかない方は、川を渡る時に人が1人しか通れない細い橋を想起してください。
例えば20人で攻めようとしてもこの橋を渡る時には独りです。
従いまして、橋の対岸にいる相手が実際に闘うのは唯一その橋を渡る事ができる者だけなのです。
従いましたこの者と切り結んで勝てばまた次の者という事になるので衆寡敵せずとはならないのであります。
さら〜に、新選組の真剣での乱闘慣れもあります。
実際この事も、幕末で最初の大戦争である「蛤御門の変(禁門の変)」では、対峙した長州藩兵と会津・桑名藩兵・薩摩藩の兵士は、これまで戦闘をした経験がなかったので、最初はどのように戦ってよいのかわからなかったのと同じです。
まして、当時の剣の実力者は道場剣道ですから、人を切り殺すより、その様式美の中での優劣ですから、何をかいわんやであります。
要は、人殺しの剣術には慣れていなかったのです。
この番組を見る限りでは、新選組側は、袈裟切りを多用して鴨居に刀が引っかからないようにする、片手付きで障子に裏に隠れている相手を突くようにする、大声で威嚇する、といったテクニックを使い勝利したみたいですね。
まさにヤゴロ(刃物での乱闘)慣れした8983と道場剣道の達人とのストリートファイトみたいなものでしょう。
それにしても、改めて思いましたが、新選組は良くも勝利したものです。
勝つという執念の差だと臆断しています。

女性の怖さが分かる動画



今日は海浜幕張に出没です。
今日のお店は前から行きたかったのです。
今日のお店は「デリフランス」海浜幕張店さんです。

住所: 千葉県千葉市美浜区ひび野2-110 ペリエ海浜幕張
電話:043-213-5750
定休日: 無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

きょうのオーダー
カスタードプディング@180円
ペッパーフランク@310円
レーズンパン@200円
ブレンドコーヒー@300円
の計@990円です。
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ブーランジェリー (boulangerie)とはフランス語でパン屋(パンのお店)のことです。
特に「職人が小麦を選び、そこから焼き上げたパンをそのまま売る店」という意味合いが強いようです。

キャフェテリア方式でパンを選んでから、あらかじめ取っておいた席でいただきます。
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それでは実食です。

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まずは、ペッパーフランクをいただきます。
これはペッパーが強すぎます。
辛いです(笑)
そしてカスタードプディングです。
これは甘すぎてその甘さが口に残ります。
味見したのでしょうか。
レーズンパンも甘さが強く感じました。
しか〜し、これは好き好きです。

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珈琲が美味しいのでパンの味のインバランスは許しますが、初体験なのですべて分っているわけではありません。
ここでのパンの選択は乾坤一擲(ギャンブル)的なリスクがあります。

それでは(^_-)

京都 京とんちん亭

今日は「2014京都観桜旅行其の貮」です。
気象庁予報によると土日の降水確率70%という京都に観桜旅行にきてしまった下町っ子夫婦の涙ぐましい旅行記です。果たして70%という最悪の予報の中、無事に観桜ができるのか、乞うご期待です。
画像主体ですが宜しかったらお付き合いください

■池田屋事件跡
池田屋

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予定では四条河原町停留所だったのに、バスから降りたのは三条河原町停留所でした。
私は池田屋跡地の最新の動静を知りたくて急遽途中下車をしたのでした。
といいますのは、バスから池田屋事件跡地に「はなの舞」が見えたからです。
私の記憶によりますと池田屋事件跡地はたしかパチンコ屋さんでした。
実際そばまで行って再確認しましたところ、いつの間にか「はなの舞」に変わっていたようです。
そういえば坂本龍馬遭難の場所、旅寓「近江屋」跡地もたしか以前は京阪交通という旅行代理店だったのですが、いまではサークルKにかわっていましたのでさもありなんですね。
サークルKもいつの日かセブンイレブンに変わってしまうかもしれません。
これはよけいな事でした。

■瑞泉寺
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瑞泉寺は豊臣秀次一族の菩提を弔うために建立された寺です。
太閤秀吉は1595年に、甥である関白・秀次とその小姓らを高野山にて切腹させ、秀次の首は三条河原へ送らせました。三条河原では秀次の首を前に、秀次の幼児や妻・妾ら三十九名が大勢の町衆が見守る中で公開処刑され、遺骸はその場に掘られた大きな穴に投げ込まれたのです。
その場所には「殺生塚」と呼ばれる大きな塚が築かれ、塚の頂上には秀次の首を入れた「石びつ」を据えて三条大橋を大来する人々への見せしめにしたといわれています。
この「秀次事件」の16年後(1611年)、角倉了以が高瀬川を開くとき 洪水などで荒廃したその「塚」の跡に江戸幕府の許しを得て、墓地と堂を建立しました。寺号は秀次の戒名から「瑞泉寺」と名付けられたとのことです。

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その時の処刑の絵です。
じつはこの絵をかつて大阪城で見ました。
これは人の行う所業ではありません。
まさに鬼畜です。多分この事件が起こった時の秀吉は愛児秀頼を守るために性格がかなりおかしくなってきておりそれに加えて孤高がその所業をエスカレートさせたのですが、なんともむごたらしい事をしたものです。
画像下の哀れな妻子の境遇に涙する武士の姿が強く印象に残りました。合掌・・・

■先斗町
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先斗町の由来は、ポルトガル語のponto(「先」の意)にあるとされています。
しか〜し、正しいポルトガル語は「PONTA」なのに「ポント」と読まれることや、なぜ「先斗」の字があてられたのかなどが謎とさているために今一つ信憑性かけています。

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先斗町歌舞連場です。
先斗町歌舞練場は大正14年(1925年)に着工し、昭和2年(1927年)に完成しました。設計は大阪松竹座(大正12年)東京劇場(昭和2年)などを手がけて劇場建築の名手といわれた大林組の技師、木村得三郎氏です。
鉄筋コンクリート造り、地上四階、地下一階で、当時「東洋趣味を加味した近代建築」と賞賛されたそうです。
ここで行われる「鴨川おどり」は一度みてみたいものです。


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ウォッカバーナカニシ
ウオッカバー「ナカニシ」さんです。
マトリョーシカと呼ばれるロシアの人形が並んでいるお店なのでロシア語でか書かれていてもすぐわかります。
ここが、世界のウオッカを集めたウオッカバーのお店なのです。
なぜ京都のここ先斗町にあるのですかね?

■円山公園
円山公園に着きました。
なんと空には青空が広がってきました。
京都は晴天です。
まだ私達夫婦には運が残っているようです。

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あら懐かしい、円山公園内にあったお化け屋敷です。

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全く人を恐れないカラスです。
迫力ありますね。

■和服の面々です。
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中国人の方が観光記念に和服の女性の方々と一緒に記念写真を撮らせてもらっていました。
私も便乗のお願いをして撮らせてもらいました。

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こちらの外国人の方は、京都の日本人の友達が和服を用意してくれたそうです。
良く似合っていますよ、と言いましたら満面の笑みでファインダーに収まってくれました。

■八坂神社のしだれ桜です
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ちょっと盛りを過ぎたような感じですがまずまずです。
これが見たかったのです。これが見ることができましたので、これから豪雨になってもへっちゃらです。


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円山公園の桜です。

■二年坂〜三寧坂〜清水寺
二年坂〜三寧坂〜清水寺まで一挙にお見せします。
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清水寺は改修工事中でクローズしていました。
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京都駅に着きました。
この時間帯でぽつりぽつりと雨が落ちてきました。
で〜も今日はほとんど晴天の中で旅行することができました。
日頃の行いがよいとこのような事になるのです。

今日の夕食は、料理屋「X」さん だったのですが残念な事に休日でした。
雨が強くなってきたこともあり、えいやぁでとあるお店に飛び込みました。
今日のお店は「京とんちん亭」北店さんです。

住所: 京都府京都市下京区東塩小路町579-11
電話:077-343-9955
定休日:無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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まずは「お疲れさんビール」です。
奥様はなぜか今日は端(はな)から飛ばしていました。
気になったのでその理由を聞きましたら、京都に泊まるものだと勘違いしていたそうです。
よく言います。温泉付きホテルでないと機嫌が悪くなりますので、その為にわざわざ大阪まで範囲を広げて探し当てた温泉付きホテルでの宿泊を忘れていたようです。
まして今回は太っ腹でexecutive roomですからね。
宿泊部屋(28/30階)、料金共々お高いのですよ・・・

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牛筋煮@450円です。
コラーゲンたっぷりではないですか。いきなりイケますコールです。
美味しいですね。

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ピリ辛きゅうり@400円です。
シンプルな味付けです。
ビールにあいますね。
私も遅れてキリンフリーでお付き合いしました。

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明太子出し巻き@620円です。
オムレツの中に明太子を包んでいました。
玉子と明太子って合います。

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九条ネギチーズ入りベタ焼き@780円です。
九条ネギにやられました、美味しかったです。
奥様も気にいってワシワシたべていました。

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ホルモンたれ焼き@680円です。
これはホルモンが硬すぎます。
ペケポン料理です。

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川エビの唐揚げ@480円です。
素揚げでないので良く味わっていただきました。
マイルドな川エビの唐揚げに仕上がっています。
美味しいです。

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締めのガーリック炒飯@700円です。
今日一です。
やはり高温の鉄板でよく炒めますから、まずいわけがありません。
ガーリックのふくよかな香りが今日の疲れをぬぐいさってくれました。

■番外編
本日の宿泊地大阪に着きました。
大阪の天気はひっくり返したような大雨です。
やはり天気予報は当りますね。
いいのですよ、夜で帳尻合わせてくれれば(笑)

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この画像は「薬ダイコク」のオープニングセールです。
妙齢の女性にプラカードを持たせていたので驚きパチリしました。
関東では見かけませんね。
別にこの光景を否定しているわけではないのですが正直驚きました、ハイ。
其の参もお楽しみください。

それでは(^_-)

続 小伝馬町 鳥番長 総本店

今日は「池田屋事件異聞」の話です。
池田屋
この画像は「図解・池田屋事件」より転載
幕末の京都は政局の中心地となり、尊王攘夷・勤王等の政治思想を持つ諸藩の浪士が潜伏して活動していた。長州藩は会津藩と薩摩藩による宮中クーデターである八月十八日の政変で失脚し、朝廷では公武合体派が主流となっていた。尊王攘夷派は勢力挽回を試みており、京都守護職は新選組を用いて市内の警備や捜索を行わせた。

5月下旬頃、諸士調役兼監察の山崎烝・島田魁らによって四条小橋上ル真町で炭薪商を経営する枡屋(古高俊太郎)の存在を突き止め会津藩に報告。武器や長州藩との書簡等が発見された。古高を捕らえた新選組は、土方歳三の拷問により古高を自白させた。自白内容は、「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉し、一橋慶喜・松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ連れ去る」というものであった。

さらに探索によって、長州藩・土佐藩・肥後藩等の尊王派が古高逮捕をうけて襲撃計画の実行・中止について協議する会合が池田屋か四国屋に於いて行われる事を突き止めた。

亥の刻(22時頃)すぎ、捜索の末に近藤隊は池田屋で謀議中の尊攘派志士を発見した。近藤隊は数名で突入し、真夜中の戦闘となった。20数名の尊攘派に対し当初踏み込んだのは近藤・沖田総司・永倉新八・藤堂平助の4名で、残りは屋外を固めた。屋内に踏み込んだ沖田は奮戦したが、戦闘中に病に倒れ戦線離脱した。また1階の藤堂は汗で鉢金がずれたところに太刀を浴びせられ、額を斬られ血液が目に入り戦線離脱した。

襲撃を受けた宮部鼎蔵ら志士達は応戦しつつ、現場からの脱出を図った。裏口を守っていた安藤早太郎・奥沢栄助・新田革左衛門達のところに土佐藩脱藩望月亀弥太ら浪士が脱出しようと必死で斬りこみ逃亡。これにより奥沢は死亡し、安藤・新田も1ヶ月後に死亡した。望月は負傷しつつも長州藩邸付近まで逃げ延びたが、追っ手に追いつかれ自刃した。

新選組側は一時近藤・永倉の2人となるが土方隊の到着により戦局は新選組に有利に傾き、方針を「斬り捨て」から「捕縛」に変更。9名討ち取り4名捕縛の戦果を上げた。会津・桑名藩の応援は戦闘後に到着した。土方は手柄を横取りされないように、一歩たりとも近づけさせなかったという。

この戦闘で数名の尊攘派は逃走したが、続く翌朝の市中掃討で会津・桑名藩らと連携し20余名を捕縛した。この市中掃討も激戦となり、会津藩は5名、彦根藩は4名、桑名藩は2名の即死者を出した。

翌日の正午(夜のうちに帰ったのでは闇討ちの恐れがあるため夜が明けるまで待機していた)、新選組は壬生村の屯所に帰還した。沿道は見物人であふれていたという。
歴史倶楽部「新撰組について」より転載

池田屋事件は新撰組のその名を歴史上に残した大事件です。
実際に新撰組はこの事件で、9名討ち取り4名捕縛の戦果を上げました。
会津・桑名藩の応援は戦闘後に到着しました。
土方は手柄を横取りされないように、一歩たりとも近づけさせませんでした。
ということにwikipediaではなっています。
しか〜しこの大殊勲は少しおかしいように思います。

まず“襲撃計画の実行・中止について協議する会合が池田屋か四国屋に於いて行われる事を突き止めた”ということですが、当時は不定時法なので現代の時間に置き換えると微妙にずれがあるのですが、新撰組は謀議中の尊攘派志士を池田屋で発見するのに3時間もかかっています。
実際池田屋突入する前に近藤隊は市中探索において嶋村屋で三人を捕獲し内二人を切り捨てています。
加えてその後に美濃屋でも捕獲活動をしています。
つまり近藤勇は池田屋及び四国屋のいずれをも真っ先に襲撃していません。
このことからして近藤勇は祇園を中心に疑わしい場所をしらみつぶしに探しに探して、その中で池田屋にたどり着いたとうのが順当なところでしょう。
といいますのも自白者古高俊太郎は謀議場所をしらなかったのです。
そもそも今回の池田屋の謀議の内容は古高奪還とその善後策です。
したがいまして古高俊太郎は未来予測できるわけもありませんのでいくら凄惨な拷問を受けても分からないものは分からないので自白できる術がなかったのですね。

近藤勇は池田屋には攻撃要員4名、池田屋の周辺警護要員5名の計9名という少人数で当たっています。
したがいまして“新選組の御用改めである。無礼すまいぞっ”と裂帛の気合で切り込んだものの、実際はこんなにも中に人がいたのかい、というのが正直なところではないでしょうか。
尊攘派志士は酒を飲みながら謀議をしていたので、酒の勢いで血気がはやる者は少人数と侮(あなど)って打ちかかったのでしょう。一方こんなところで捕まってたまるかという者はそそくさと逃げたようです。
実際池田屋にいた尊攘派志士の半分近くの7名は周辺警護の薄さから逃げおおせました。

それでも4名対13名での戦いはかなりのhandicap battleとなります。
いくら天然理心流・北辰一刀流の手練(てだれ)の面々とはいえ厳しいものです。
桜田門外の変では彦根藩の剣豪川西忠左衛門は襲撃する水戸浪士から井伊直弼の籠を守るために二刀で戦い善戦したのですが、最後は水戸浪士がじれて四方から一斉に攻め込んでめった突きにすることで倒しています。
敵を倒すためには手段を選ばない、これが戦いの常套です。
ということで近藤隊は鎖を着て籠手脛当てで完全武装だったにしても、相当に善戦したと言えます。

以下は池田屋事件の唯一の生き証人、永倉新八氏の証言を紹介しますので、その迫力を感じとってください。
永倉は撃剣の加勢でもする気で横合いから敵に「お小手ッ」と右の小手をのぞんで斬りこむと、敵もさるもの、「そうはいかね」とうけ流し、今度は藤堂にはかまわず永倉へ斬ってかかる。これはなかなか撃剣(うで)ができるものとみえてよういに永倉を斬りこませない。両人とも必死となって奮闘したが、なかにも敵の刃先が永倉の胸の当たりへスッスッとくるので、傷こそうけぬが永倉の衣類がさんざんに切り裂かれたという。かかるおりしも敵は「ヤッ」と一声小手にきたのを永倉はひきはずし、得意の面を試みると、敵はみごとに左の頬から首へかけて切りさげられ血煙たってうち倒れた。そこでふたたび刀をとりなおし、さいごの一太刀を加えたさい、土間は漆塗(たたき)になっていたので剣はポキリと折れてしまったから、そばにすててある敵の刀をひろって起きなおるとき、ふと自分の左の手がベトベトするのに気がつき、よく見ると親指の付け根の肉を切りとられていたのであった。
【中略】
無類の惨劇を演じた三条小橋の池田屋の跡はじつに惨たんたるものであった。襖障子など一枚としてまんぞくなものがなくこっぱみじんにうちこわされ。天井板はその上に隠れたものがあったのを下から槍で突きあげたからこれもさんざんに引き裂かれた。階上階下の座敷のいく間は鮮血班々として畳を染め、ことにむざんなのは斬りおとされた腕や足が狼藉として散乱し、毛髪のついたままの鬢などが殺(そ)がれて落ちちっているのであった。
「新撰組顛末記」永倉新八著より転載

最後にwikipediaによりますと“会津・桑名藩の応援は戦闘後に到着した。土方は手柄を横取りされないように、一歩たりとも近づけさせなかった”とのことですが、実際に土方隊は戦い開始の四時間もの後、即ち戦いが終わった後に駆けつけています。
さらに巷間でいわれている二時間の乱闘も怪しいですね。
このようなhandicap battleで2時間も切り合いしていれば多勢に無勢、寡は衆に敵せず、で新撰組は打ち倒されていたでしょう。
実際のところは池田屋の戦いが始まった時点で、周辺警護の人間がすぐそばにあった祇園会所(武器保管場所)にいた会津藩士の精鋭部隊に応援を頼み短時間にこの騒乱を収拾したのでしょう。
後は残敵掃討をしたり、この謀議の部屋を提供した池田屋総兵衛他家人一同をひっ捕らえたり、味方の死傷者を祇園会所か医者のところに運んだりしていたのではないでしょうか。
これを含めて二時間なら辻褄があいます。

この池田屋事件の反省は、古高奪還とその善後策の打合せを長州藩御用達で且不逞浪士のアジトであった池田屋を極秘謀議の場所にしたという事、なお且酒宴までも開いていたという事であり、これはあまりにもeasyというか軽率だったのですね・・・
でなければ尊攘派志士にとってここまでの愁嘆場の一日にはならなかったでしょう
ちなみに近藤勇はこの日を人生の絶巓として4年後の5月17日にその激動の人生を中仙道板橋宿近くの板橋刑場で幕を閉じました。
参考文献「池田屋、祇園祭り宵宮に舞う血刃」早乙女著


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今日は小伝馬町に出没です。
小伝馬町って昔は牢屋敷があったのですよ。
かの幕末、明治維新の精神的支柱であった吉田松陰さんはこの地で亡くなれています。
そんなことよりランチです
今日のお店は再訪店、炭火鳥料理「鳥番長」総本店さんです。

住所: 東京都中央区日本橋小伝馬町14-8
電話:03-5651-5366
定休日:無休

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お店の外観です。

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メニューです。

今日のオーダー、私は「からあげ定食」@500円です
待つこと3分で到着ですね。
見た目美からあげですね。
揚げたて6個です。
これは美味しいそう・・・

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それでは実食です。
あれつ・・・衣が硬いですね。鶏肉がシューシィかつスパイシーで美味しいのにともて残念です。多分衣が厚過ぎるのと、それに片栗と小麦の分量を間違えていると思います。衣をつける前にしっかりキッチンペーパーで水気を拭いてから、薄く粉をつけるという気配りがあればこのような事態は避けられたのでしょう。
これではいくら鶏肉が美味しくても評価の落ちるところであります。
「鳥番長」だからといっても衣まで硬派にする必要はないと思うのですが・・・

それでは(^_-)

岐阜市 あお井

今日は「実録池田屋事件」です
新選組VS長州藩士の池田屋の大乱闘は映画、TV、芝居等ありとあらゆるメディアで再現されていますが実際はどうだったのでしょう。今日は池田屋事件の唯一の生き証人、永倉新八氏の証言を紹介することでその臨場感を味わってください。
永倉は撃剣の加勢でもする気で横合いから敵に「お小手ッ」と右の小手をのぞんで斬りこむと、敵もさるもの、「そうはいかね」とうけ流し、今度は藤堂にはかまわず永倉へ斬ってかかる。これはなかなか撃剣(うで)ができるものとみえてよういに永倉を斬りこませない。両人とも必死となって奮闘したが、なかにも敵の刃先が永倉の胸の当たりへスッスッとくるので、傷こそうけぬが永倉の衣類がさんざんに切り裂かれたという。かかるおりしも敵は「ヤッ」と一声小手にきたのを永倉はひきはずし、得意の面を試みると、敵はみごとに左の頬から首へかけて切りさげられ血煙たってうち倒れた。そこでふたたび刀をとりなおし、さいごの一太刀を加えたさい、土間は漆塗(たたき)になっていたので剣はポキリと折れてしまったから、そばにすててある敵の刀をひろって起きなおるとき、ふと自分の左の手がベトベトするのに気がつき、よく見ると親指の付け根の肉を切りとられていたのであった。
【中略】
無類の惨劇を演じた三条小橋の池田屋の跡はじつに惨たんたるものであった。襖障子など一枚としてまんぞくなものがなくこっぱみじんにうちこわされ。天井板はその上に隠れたものがあったのを下から槍で突きあげたからこれもさんざんに引き裂かれた。階上階下の座敷のいく間は鮮血班々として畳を染め、ことにむざんなのは斬りおとされた腕や足が狼藉として散乱し、毛髪のついたままの鬢などが殺(そ)がれて落ちちっているのであった。
「新撰組顛末記」永倉新八著より転載

なんというリアルシーンなのでしょうか、当事者だけが知りえるドキュメンタリーですね。しかし命のやりとりに剣道の気合がでてくるとは、実話だけに正直驚かされました。
このような騒乱の時代に生まれなかったことに感謝です

岐阜に出張です。寒かったのでお昼はうどんにしました。ということで今日のお店はUDON DINING「あお井」さんです。

住所: 岐阜県岐阜市橋本町1-10-1ACTIVE G2F
電話:058-269-4121
定休日:奇数月第三火曜日


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お店の外観です。

あお井2
店内の雰囲気です。
のどが恋するうどんの艶コシ。旬の肴で今宵も一杯。との惹句から推察しますと、夜は居酒屋さんになるみたいです、沢山の全国名産の焼酎ボトルがそれを物語っています。

あお井3
今日のオーダー季節限定「味噌煮込うどん」@780です。
お店のお姉さんに、山本屋さんより美味しい、と聞きますと、自信あります、とのことでしたので、躊躇なく「味噌煮込うどん」を頼んだのでした。
味ですか、麺は、コシ良し、肌良し、艶良し、縮れ良しで申し分ありませんでした。汁(つゆ)も濃いめの八丁味噌が鰹節の出汁(だし)で溶かれておりこれも申し分ありません。美味しいじゃないですか!満足です。しかし麺量が少なすぎですね、それが唯一の瑕瑾(かきん)です。個人的な感想としては、山本屋さんより美味しいと思います?

それでは(^_-)
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