今日は「続池田屋事件異聞」です。
幕末の京都は政局の中心地となり、尊王攘夷・勤王等の政治思想を持つ諸藩の浪士が潜伏して活動していた。
長州藩は会津藩と薩摩藩による宮中クーデターである8月18日の政変で失脚し、朝廷では公武合体派が主流となっていた。尊王攘夷派は勢力挽回を試みており、京都守護職は新選組を用いて市内の警備や捜索を行わせた。
5月下旬頃、諸士調役兼監察の山崎烝・島田魁らによって四条小橋上ル真町で炭薪商を経営する枡屋(古高俊太郎)の存在を突き止め会津藩に報告。武器や長州藩との書簡等が発見された。
古高を捕らえた新選組は、土方歳三の拷問により古高を自白させた。
自白内容は、「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉し、一橋慶喜・松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ連れ去る」というものであった。
さらに探索によって、長州藩・土佐藩・肥後藩等の尊王派が古高逮捕をうけて襲撃計画の実行・中止について協議する会合が池田屋か四国屋に於いて行われる事を突き止めた。
亥の刻(22時頃)すぎ、捜索の末に近藤隊は池田屋で謀議中の尊攘派志士を発見した。
近藤隊は数名で突入し、真夜中の戦闘となった。
20数名の尊攘派に対し当初踏み込んだのは近藤・沖田総司・永倉新八・藤堂平助の4名で、残りは屋外を固めた。
屋内に踏み込んだ沖田は奮戦したが、戦闘中に病に倒れ戦線離脱した。
また1階の藤堂は汗で鉢金がずれたところに太刀を浴びせられ、額を斬られ血液が目に入り戦線離脱した。
新選組側は一時近藤・永倉の2人となるが土方隊の到着により戦局は新選組に有利に傾き、方針を「斬り捨て」から「捕縛」に変更。
9名討ち取り4名捕縛の戦果を上げた。
会津・桑名藩の応援は戦闘後に到着した。
土方は手柄を横取りされないように、一歩たりとも近づけさせなかったという。
この戦闘で数名の尊攘派は逃走したが、続く翌朝の市中掃討で会津・桑名藩らと連携し20余名を捕縛した。
この市中掃討も激戦となり、会津藩は5名、彦根藩は4名、桑名藩は2名の即死者を出した。
翌日の正午(夜のうちに帰ったのでは闇討ちの恐れがあるため夜が明けるまで待機していた)、新選組は壬生村の屯所に帰還した。沿道は見物人であふれていたという。
歴史倶楽部「新撰組について」より転載
池田屋事件は新撰組のその名を歴史上に残した大事件です。
実際に新撰組はこの事件で、9名討ち取り4名捕縛の戦果を上げました。
会津・桑名藩の応援は戦闘後に到着しました。
近藤勇は池田屋には攻撃要員4名、池田屋の周辺警護要員5名の計9名という少人数で当たっています。
したがいまして「新選組の御用改めである。無礼すまいぞっ」と裂帛の気合で切り込んだものの、実際はこんなにも中に人がいたのかい、というのが正直なところではないでしょうか。
尊攘派志士は酒を飲みながら謀議をしていたので、酒の勢いで血気がはやる者は少人数と侮(あなど)って打ちかかったのでしょう。
一方こんなところで捕まってたまるかという者はそそくさと逃げたようです。
実際池田屋にいた尊攘派志士の半分近くの7名は周辺警護の薄さから逃げおおせました。
それでも4名対13名での戦いはかなりのハンディキャップバトルになります。
ということで近藤隊は鎖を着て籠手脛当てで完全武装だったにしても、相当に善戦したと言えます。
この勝利について今まで漠とし飲みこんでいましたが、この度NHKさんの「風雲!大歴史実験『新選組マジック』を解く」 を見てこの勝利の原因がわかりました。
要は、新選組が用いた剣術である「天然理心流」が極めて実践的な剣術であり、それの底流にあるのは、勝利の為には手段を選ばない太刀さばきが勝利に導いたのです。
もう少し具体的に申しますと、「天然理心流」は最初から1対複数人を想定した剣術であり、その為に、相手の意表をつく動きをする・常に移動する・複数の相手を均等に見る等のテクニックを有しており、このような乱闘には最も適した剣術だったのです。
この画像は「図解・池田屋事件」より転載
特に戦いの場(主戦場は星印)が狭い部屋だった事もあり、実際は1対Nの戦いが1対1になっていたのです。
イメージがわかない方は、川を渡る時に人が1人しか通れない細い橋を想起してください。
例えば20人で攻めようとしてもこの橋を渡る時には独りです。
従いまして、橋の対岸にいる相手が実際に闘うのは唯一その橋を渡る事ができる者だけなのです。
従いましたこの者と切り結んで勝てばまた次の者という事になるので衆寡敵せずとはならないのであります。
さら〜に、新選組の真剣での乱闘慣れもあります。
実際この事も、幕末で最初の大戦争である「蛤御門の変(禁門の変)」では、対峙した長州藩兵と会津・桑名藩兵・薩摩藩の兵士は、これまで戦闘をした経験がなかったので、最初はどのように戦ってよいのかわからなかったのと同じです。
まして、当時の剣の実力者は道場剣道ですから、人を切り殺すより、その様式美の中での優劣ですから、何をかいわんやであります。
要は、人殺しの剣術には慣れていなかったのです。
この番組を見る限りでは、新選組側は、袈裟切りを多用して鴨居に刀が引っかからないようにする、片手付きで障子に裏に隠れている相手を突くようにする、大声で威嚇する、といったテクニックを使い勝利したみたいですね。
まさにヤゴロ(刃物での乱闘)慣れした8983と道場剣道の達人とのストリートファイトみたいなものでしょう。
それにしても、改めて思いましたが、新選組は良くも勝利したものです。
勝つという執念の差だと臆断しています。
女性の怖さが分かる動画
今日は海浜幕張に出没です。
今日のお店は前から行きたかったのです。
今日のお店は「デリフランス」海浜幕張店さんです。
住所: 千葉県千葉市美浜区ひび野2-110 ペリエ海浜幕張
電話:043-213-5750
定休日: 無休
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
きょうのオーダー
カスタードプディング@180円
ペッパーフランク@310円
レーズンパン@200円
ブレンドコーヒー@300円
の計@990円です。
ブーランジェリー (boulangerie)とはフランス語でパン屋(パンのお店)のことです。
特に「職人が小麦を選び、そこから焼き上げたパンをそのまま売る店」という意味合いが強いようです。
キャフェテリア方式でパンを選んでから、あらかじめ取っておいた席でいただきます。
それでは実食です。
まずは、ペッパーフランクをいただきます。
これはペッパーが強すぎます。
辛いです(笑)
そしてカスタードプディングです。
これは甘すぎてその甘さが口に残ります。
味見したのでしょうか。
レーズンパンも甘さが強く感じました。
しか〜し、これは好き好きです。
珈琲が美味しいのでパンの味のインバランスは許しますが、初体験なのですべて分っているわけではありません。
ここでのパンの選択は乾坤一擲(ギャンブル)的なリスクがあります。
幕末の京都は政局の中心地となり、尊王攘夷・勤王等の政治思想を持つ諸藩の浪士が潜伏して活動していた。
長州藩は会津藩と薩摩藩による宮中クーデターである8月18日の政変で失脚し、朝廷では公武合体派が主流となっていた。尊王攘夷派は勢力挽回を試みており、京都守護職は新選組を用いて市内の警備や捜索を行わせた。
5月下旬頃、諸士調役兼監察の山崎烝・島田魁らによって四条小橋上ル真町で炭薪商を経営する枡屋(古高俊太郎)の存在を突き止め会津藩に報告。武器や長州藩との書簡等が発見された。
古高を捕らえた新選組は、土方歳三の拷問により古高を自白させた。
自白内容は、「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉し、一橋慶喜・松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ連れ去る」というものであった。
さらに探索によって、長州藩・土佐藩・肥後藩等の尊王派が古高逮捕をうけて襲撃計画の実行・中止について協議する会合が池田屋か四国屋に於いて行われる事を突き止めた。
亥の刻(22時頃)すぎ、捜索の末に近藤隊は池田屋で謀議中の尊攘派志士を発見した。
近藤隊は数名で突入し、真夜中の戦闘となった。
20数名の尊攘派に対し当初踏み込んだのは近藤・沖田総司・永倉新八・藤堂平助の4名で、残りは屋外を固めた。
屋内に踏み込んだ沖田は奮戦したが、戦闘中に病に倒れ戦線離脱した。
また1階の藤堂は汗で鉢金がずれたところに太刀を浴びせられ、額を斬られ血液が目に入り戦線離脱した。
新選組側は一時近藤・永倉の2人となるが土方隊の到着により戦局は新選組に有利に傾き、方針を「斬り捨て」から「捕縛」に変更。
9名討ち取り4名捕縛の戦果を上げた。
会津・桑名藩の応援は戦闘後に到着した。
土方は手柄を横取りされないように、一歩たりとも近づけさせなかったという。
この戦闘で数名の尊攘派は逃走したが、続く翌朝の市中掃討で会津・桑名藩らと連携し20余名を捕縛した。
この市中掃討も激戦となり、会津藩は5名、彦根藩は4名、桑名藩は2名の即死者を出した。
翌日の正午(夜のうちに帰ったのでは闇討ちの恐れがあるため夜が明けるまで待機していた)、新選組は壬生村の屯所に帰還した。沿道は見物人であふれていたという。
歴史倶楽部「新撰組について」より転載
池田屋事件は新撰組のその名を歴史上に残した大事件です。
実際に新撰組はこの事件で、9名討ち取り4名捕縛の戦果を上げました。
会津・桑名藩の応援は戦闘後に到着しました。
近藤勇は池田屋には攻撃要員4名、池田屋の周辺警護要員5名の計9名という少人数で当たっています。
したがいまして「新選組の御用改めである。無礼すまいぞっ」と裂帛の気合で切り込んだものの、実際はこんなにも中に人がいたのかい、というのが正直なところではないでしょうか。
尊攘派志士は酒を飲みながら謀議をしていたので、酒の勢いで血気がはやる者は少人数と侮(あなど)って打ちかかったのでしょう。
一方こんなところで捕まってたまるかという者はそそくさと逃げたようです。
実際池田屋にいた尊攘派志士の半分近くの7名は周辺警護の薄さから逃げおおせました。
それでも4名対13名での戦いはかなりのハンディキャップバトルになります。
ということで近藤隊は鎖を着て籠手脛当てで完全武装だったにしても、相当に善戦したと言えます。
この勝利について今まで漠とし飲みこんでいましたが、この度NHKさんの「風雲!大歴史実験『新選組マジック』を解く」 を見てこの勝利の原因がわかりました。
要は、新選組が用いた剣術である「天然理心流」が極めて実践的な剣術であり、それの底流にあるのは、勝利の為には手段を選ばない太刀さばきが勝利に導いたのです。
もう少し具体的に申しますと、「天然理心流」は最初から1対複数人を想定した剣術であり、その為に、相手の意表をつく動きをする・常に移動する・複数の相手を均等に見る等のテクニックを有しており、このような乱闘には最も適した剣術だったのです。
この画像は「図解・池田屋事件」より転載
特に戦いの場(主戦場は星印)が狭い部屋だった事もあり、実際は1対Nの戦いが1対1になっていたのです。
イメージがわかない方は、川を渡る時に人が1人しか通れない細い橋を想起してください。
例えば20人で攻めようとしてもこの橋を渡る時には独りです。
従いまして、橋の対岸にいる相手が実際に闘うのは唯一その橋を渡る事ができる者だけなのです。
従いましたこの者と切り結んで勝てばまた次の者という事になるので衆寡敵せずとはならないのであります。
さら〜に、新選組の真剣での乱闘慣れもあります。
実際この事も、幕末で最初の大戦争である「蛤御門の変(禁門の変)」では、対峙した長州藩兵と会津・桑名藩兵・薩摩藩の兵士は、これまで戦闘をした経験がなかったので、最初はどのように戦ってよいのかわからなかったのと同じです。
まして、当時の剣の実力者は道場剣道ですから、人を切り殺すより、その様式美の中での優劣ですから、何をかいわんやであります。
要は、人殺しの剣術には慣れていなかったのです。
この番組を見る限りでは、新選組側は、袈裟切りを多用して鴨居に刀が引っかからないようにする、片手付きで障子に裏に隠れている相手を突くようにする、大声で威嚇する、といったテクニックを使い勝利したみたいですね。
まさにヤゴロ(刃物での乱闘)慣れした8983と道場剣道の達人とのストリートファイトみたいなものでしょう。
それにしても、改めて思いましたが、新選組は良くも勝利したものです。
勝つという執念の差だと臆断しています。
女性の怖さが分かる動画
今日は海浜幕張に出没です。
今日のお店は前から行きたかったのです。
今日のお店は「デリフランス」海浜幕張店さんです。
住所: 千葉県千葉市美浜区ひび野2-110 ペリエ海浜幕張
電話:043-213-5750
定休日: 無休
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
きょうのオーダー
カスタードプディング@180円
ペッパーフランク@310円
レーズンパン@200円
ブレンドコーヒー@300円
の計@990円です。
ブーランジェリー (boulangerie)とはフランス語でパン屋(パンのお店)のことです。
特に「職人が小麦を選び、そこから焼き上げたパンをそのまま売る店」という意味合いが強いようです。
キャフェテリア方式でパンを選んでから、あらかじめ取っておいた席でいただきます。
それでは実食です。
まずは、ペッパーフランクをいただきます。
これはペッパーが強すぎます。
辛いです(笑)
そしてカスタードプディングです。
これは甘すぎてその甘さが口に残ります。
味見したのでしょうか。
レーズンパンも甘さが強く感じました。
しか〜し、これは好き好きです。
珈琲が美味しいのでパンの味のインバランスは許しますが、初体験なのですべて分っているわけではありません。
ここでのパンの選択は乾坤一擲(ギャンブル)的なリスクがあります。