下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

永倉新八

岐阜市 あお井

今日は「実録池田屋事件」です
新選組VS長州藩士の池田屋の大乱闘は映画、TV、芝居等ありとあらゆるメディアで再現されていますが実際はどうだったのでしょう。今日は池田屋事件の唯一の生き証人、永倉新八氏の証言を紹介することでその臨場感を味わってください。
永倉は撃剣の加勢でもする気で横合いから敵に「お小手ッ」と右の小手をのぞんで斬りこむと、敵もさるもの、「そうはいかね」とうけ流し、今度は藤堂にはかまわず永倉へ斬ってかかる。これはなかなか撃剣(うで)ができるものとみえてよういに永倉を斬りこませない。両人とも必死となって奮闘したが、なかにも敵の刃先が永倉の胸の当たりへスッスッとくるので、傷こそうけぬが永倉の衣類がさんざんに切り裂かれたという。かかるおりしも敵は「ヤッ」と一声小手にきたのを永倉はひきはずし、得意の面を試みると、敵はみごとに左の頬から首へかけて切りさげられ血煙たってうち倒れた。そこでふたたび刀をとりなおし、さいごの一太刀を加えたさい、土間は漆塗(たたき)になっていたので剣はポキリと折れてしまったから、そばにすててある敵の刀をひろって起きなおるとき、ふと自分の左の手がベトベトするのに気がつき、よく見ると親指の付け根の肉を切りとられていたのであった。
【中略】
無類の惨劇を演じた三条小橋の池田屋の跡はじつに惨たんたるものであった。襖障子など一枚としてまんぞくなものがなくこっぱみじんにうちこわされ。天井板はその上に隠れたものがあったのを下から槍で突きあげたからこれもさんざんに引き裂かれた。階上階下の座敷のいく間は鮮血班々として畳を染め、ことにむざんなのは斬りおとされた腕や足が狼藉として散乱し、毛髪のついたままの鬢などが殺(そ)がれて落ちちっているのであった。
「新撰組顛末記」永倉新八著より転載

なんというリアルシーンなのでしょうか、当事者だけが知りえるドキュメンタリーですね。しかし命のやりとりに剣道の気合がでてくるとは、実話だけに正直驚かされました。
このような騒乱の時代に生まれなかったことに感謝です

岐阜に出張です。寒かったのでお昼はうどんにしました。ということで今日のお店はUDON DINING「あお井」さんです。

住所: 岐阜県岐阜市橋本町1-10-1ACTIVE G2F
電話:058-269-4121
定休日:奇数月第三火曜日


あお井1
お店の外観です。

あお井2
店内の雰囲気です。
のどが恋するうどんの艶コシ。旬の肴で今宵も一杯。との惹句から推察しますと、夜は居酒屋さんになるみたいです、沢山の全国名産の焼酎ボトルがそれを物語っています。

あお井3
今日のオーダー季節限定「味噌煮込うどん」@780です。
お店のお姉さんに、山本屋さんより美味しい、と聞きますと、自信あります、とのことでしたので、躊躇なく「味噌煮込うどん」を頼んだのでした。
味ですか、麺は、コシ良し、肌良し、艶良し、縮れ良しで申し分ありませんでした。汁(つゆ)も濃いめの八丁味噌が鰹節の出汁(だし)で溶かれておりこれも申し分ありません。美味しいじゃないですか!満足です。しかし麺量が少なすぎですね、それが唯一の瑕瑾(かきん)です。個人的な感想としては、山本屋さんより美味しいと思います?

それでは(^_-)

大泉学園 伝堂

今日は「実録油小路事件」の話です
今日元新選組永二番組長永倉新八さんの体験記「新選組顛末記」を読んでいましたら「油小路事件(御陵衛子伊東甲子太郎謀殺)」の件(くだり)が従来の私の摺込みとちがいます。
私は従前は以下の「なるほど!幕末」及び「新撰組(壬生浪士)始末記)」の様に思っていたのですが、全く違うじゃないですか
たしかに喉を刺されて即死しないのも変だとは予(かね)てより思っていたのです。やはりこの事件は当事者の永倉新八さんの記述がだと思います。
しかし歴史の話というのは、事実は一つなのにも係わらずこのように異なってしまうのが一興ですね。

永倉新八さんはいい人です。酒好きで、酔えば褌一つの裸になり自分が百余回に旦る戦闘で受けた傷を、これは××の時の傷、これは▲▲の時の傷、と指で指しながら、どうだ、どうだ、と唄いながら踊り廻るのだそうです。
でもその実、明治になってからは苦労されていました。敢えて自分を韜晦され、往年の敵、味方の区別なく亡くなった方々に弔いの鐘を欠かさず叩くのを日課としていたそうです。

それではそれぞれのstoryの違いをご覧下さい。

慶応3年11月18日(1867年12月13日)夜、晴れ。 近藤勇の妾宅で歓待された伊東甲子太郎は、酩酊して帰営中、妾宅から目と鼻の先の木津屋橋近くで、待ち伏せの新選組隊士数名に襲われました。物陰から突然、槍で肩から喉を刺し貫かれたのです。伊東は、瀕死の重傷を負いながらも、刀を抜いて応戦し、一名を斬捨てると油小路通りへ逃れました。しかし、北に数メートル行った本光寺あたりで、力尽きたのです。
「なるほど!幕末」より転載

近藤妾宅で歓待されて酩酊して帰営中に、木津屋橋近くで待ち伏せの新選組に塀越しに槍で肩から喉を刺し貫かれた。待ち伏せは4〜5名。伊東は手負いながらも、一名を斬捨て、油小路の本光寺前まで逃れ、「奸賊ばら」と叫んで絶命した
伊東らと親交のあった西村兼文「新撰組(壬生浪士)始末記)」より転載

慶応3年11月18日、かねて伊東が長州への間者を送り込む費用300両の借用を近藤勇に申し入れていたことから、用立てできたと伊東を単身で呼び出し、醒ヶ井通りの近藤妾宅にて酒宴を催す。
【中略】
薄闇の京の街を七条油小路までさしかかると、待ち伏せした宮川が太刀を抜いておどりいで、まっこうから伊東に斬ってかかった。最初の一太刀は伊東に身をかわされて打ち損ずる。伊東も腰の一刀をひきぬいて「ごじょうだんめさるな、ごじょうだんめさるな」といいながらジリジリあとへさがった。このとき物陰から電光一閃、前方へ気をとられた伊東の横顔をきりつけたものが。「アッ」というまもなく伊東は左の耳からあごへかけて十分にあびせられて即死をとげた。斬ったのは大石鍬次郎であった。
「新選組丈ア末記」永倉新八著より転載


今日は風邪の為、朝一番で医者に行きその後は家で臥せっていました。お昼は次男が家にいたので、大泉学園に行列のできるラーメン屋ができたとのことで、連れだって行ってまいりました。今日のお店は「伝堂ラーメン」さんです。

住所: 東京都練馬区東大泉3-16-8
電話番号:03-3925-0724
定休日:月曜日

伝堂1
お店の外観です。12人位の行列でしたが入店するのに50分もかかってしまい、回転率の悪さを物語っています。入ってみてわかったのですが、このお店お客が坐ってから作り始めるので時間は掛かるようです。

伝堂2
店内の雰囲気です。

伝堂3
お店のメニューです。

伝堂4
次男のオーダー「濃厚中華そば 大盛り(270g)」@800dです。これは濃厚な豚骨スープに魚介類を加えた醤油らーめんです。コシが強い太麺を使用しています。
スープは豚骨が強く、コンビーフとコーンスープを併せたような味で美味しいです。コリコリシャキシャキしたシナチクは絶品です。チャーシューもホロホロと口の中でとろけこれまた申し分ありません。麺量も270gは大盛としてはまずまずでそれなりの満腹感が得られます。

伝堂5
私のオーダー「中華そば 並盛り(180g)」@650です。これは煮干を中心とした魚介スープをメインに豚骨・鶏スープをブレンドしたものです。個人的にはこちらのらーめんの方キレがあって好きですね。ネギの代わりの玉ネギの付け合せもこちらのスープでは際立ちます。何れにしてもすごくレベルの高いラーメン屋さんが大泉学園に忽然と現われたことは間違いないようです。
とても美味しゅうございました、ご馳走様です

それでは(^_-)

濃厚中華そば つけそば 伝堂 ( 大泉学園 / つけ麺 )
★★★★★5.0
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オムニバスな日

ここのところ帰宅が遅くBlogをかくのもままならず、反省の日々です。
今日はオムニバス風でまとめてみました。
まずは私の大好きな永倉新八の後日譚です。
これは書きだせばかなりあるのですが今日はその中の一つです。

永倉新八が東北帝国大学(現在の北海道大学)の学生に撃剣の指導を頼まれた時の話です。
家族は高齢を理由に断ったのですが、新八は若い者の為なら、少々の型位はできると快諾したのです。

当日、新八は大学の演舞場に出向き神道無念流や多流派の型を見せた後、さあ諸君、良く見てください、人を斬る時はこうして斬る、と大上段に振りかぶり、大喝一声、振りかぶったまでは良かったのですが、そのまま道場にぶっ倒れてしまい、即に馬車に乗せられて小樽まで運ばれたそうです。

永倉新八
これが新八翁の晩年の写真です。ちなみに新八の身長は165cm位のズングリ型で体格はがっちりしていました。
しかしこういうのを年寄りの冷や水というのでしょうね(笑)




杉村悦郎(新八の曾孫)著「新選組永倉新八外伝」より転載


先日・・・
電車に乗っていた時の事・・・
向かい側に教育ママと思われるお母さんと、いかにもお勉強が出来そうな子供(小1ぐらい)の親子が乗っていた。
そしておもむろに本を取り出した。どうやら英語の勉強らしい・・・
「○○ちゃん?次に言うフルーツを英語で答えるのよ?」
「ハイ!ママ」
車両中に聞こえるような声で得意げに英語の勉強を始めた。
「ではリンゴは?」
「アプゥ」
腹が立つほどの発音の良さで子供は答えた。
「じゃみかんは?」
「オーレンジ」
「はい。じゃ〜桃は?」
「バーミヤン!」
「・・・・・」

これWALKABOUTのベース宇宙さんのネタの転用です。


珍しい色なし桃のパチリです。どうしたんでしょうね

そして今日はお昼も食べずに成田でクレームの打合せ。
さすがにお腹が空いたので、18:30と若干早いのですがお昼兼夕食を成田空港で食しました。成田空港はとてもエンゲル係数の高いところで美味しく安くあげるところは見つけにくいのです。
そこで今日は皆様にこそっとB級グルメスポットをお教えしましょう。
それは展望ラウンジを併設する成田空五階にあるView Squareです。


ここはかけ蕎麦やラーメンやスパゲッティ等B級グルメのお店がゴチャンとあります。
さらに安く上げたいときには奥にあるローソンでツマミとビールを求めれば簡易飲み会が設営できます。
展望テラスは飲食の持ち込み可ですから、異国に飛び立っていく飛行機の雄姿に自分の思いを乗せればほとんど外地で飲んでいる気分が横溢してきますよ。


今日の獲物のラーメン花月嵐成田国際空港店のげんこつラーメン@620とローソンで買ったキリン・ザ・ゴールド@350というお洒落なコラボです。
そうそう今日花月嵐で久々に壷ニラをこってり入れたら、これって辛いんですね、思いがけない辛さ攻撃で失神しそうになりました(マジ) 

それでは(^_-)

永倉新八異聞

今日は新選組の話です。
私は新選組隊士の中で永倉新八さんが好きです。
私と永倉さんは共通点がいっぱいあります。
1. 江戸生まれの江戸育ち、おまけに育ったところが私は下谷の竹町、永倉さんは清洲橋通りを挟んで反対側の三味線堀でほぼ同じ場所です。歩けば1分程度で遊びに行けます。
2. 北海道小樽に住んでいた、私も札幌に住んでいた。
3. 酒好き。
4. 飲むと踊りだす。

最盛期には約250人にもいた新選組も最後まで生きながらえた人は数人です。
永倉新八、島田魁、斉藤一、稗田利八、川村三郎、篠原泰之進、鈴木三樹三郎・・・これ以上は知りませんが多分この倍はいないでしょう。その中の一人が永倉さんです。
永倉さんは物事にこだわらない恬淡とした性格でその稚気が愛されたようです。
この性格が死地を潜り抜け畳の上で死ぬことができたとも言われています。
近藤勇さんに対しても最後まで「総長」とは呼ばず「近藤さんと」呼び続け、近藤さんとは昔の剣術仲間というスタンスを変えませんでした。
確か近藤さんと袂を分かつたのも、近藤さんに部下扱いされたのが端緒でした。

そしていつも尊敬するのは、お孫さんの杉村道男さんが祖父の思い出を語る以下のエピソードです。

「じじいが亡くなるすこし前でしたかな・・・小樽で、父が経営していた劇場(こや)へよく活動写真や芝居を見に出かけたものです。
はあ、いつも孫の私がお供でしたね。いつでしたかなあ、芝居がハネまして下足番のところへ出てくると、非常に混雑しておりましてね。帰りを急ぐ見物の人達が先を争って履物を取ろうとするわけ。そこでじじいがですな、よろよろしているのです。まったく、よぼよぼのじじいに見えるのですな。ま、そのとおりなので。
するとですな。土地のやくざが五人か六人、おもしろがって、じじいを小突きまわすのですよ。私もたまらなくなってね、じじいが可哀相で・・・・じじいはだまって、よろよろと小突きまわされている。
そのうちにですな。じじいの背筋がぴいんと立ったと思ったら、じじいが、低いけれども肚(はら)の底からひびきだすような気合を発して、ぐいと、やくざどもをにらみつけたんですな。
すると、もうやくざどもは、いっせいに青くなって立ちすくんでしまい、ガタガタとふるえているのですよ。結局、こそこそと逃げてしまいましたが・・・・子供ながら見ていたわたしも、さすがに違ったもんだな、と思いましたよ。・・・・」池波正太郎「新選組異聞」より転用。
そりやそうでしょ、池田屋事件から鳥羽伏見の戦いまで新選組の血戦にはほとんど参加している永倉さんですから、やくざさん達は心の底からただならぬ殺気を感じたのでしょう。

今日の獲物はかつ工房「和光」のカツ丼@980です。
NEC_0077
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これ最低ですね。味付けはショッパ過ぎです。カツもグズグズで丼の上でへったっています。何故かご飯は妙に熱い。推察するに作り置きをチンしたようです。
こんなのでお金取らないで欲しいです。
「和光」といったら「豚カツ」の名店かと思っていましたが、ヘボ店ですね。
初心に立ち返って欲しいと思う今日この頃です(残念)

それでは(^_-)
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