下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

本能寺の変

四谷 沼津マルコ

今日は「実録本能寺の変」の話です。
玄八1
このパチリは明智光秀の首塚です。
山崎の戦いで敗れた光秀は、落武者狩に会い落命しました。
部下たちはその首を近江まで持ち帰ろうとしたのですが、間に合わず朝が開けてしまったのです。
その首を秀吉側に奪取されるのを恐れた家来たちは京都は祇園に近いこの地に埋めて隠したとのことです。
ちなみにお参りしているのは私の奥様です・・・

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今日のフリネタは明智憲三郎さん(光秀の血筋を引く子孫)が明智家の名誉を晴らすため、自らの仕事(情報システム)のスキルを生かして、客観的なデータの中から問題点を導き出すという新機軸の歴史調査を用いて書かれた「本能寺の変・427年目の真実」という本のからの引用です。
当時の光秀は土岐一族という明智家の大元の一族が存亡の危機にさらされていたのです。
かかる中、信長は光秀に家康を本能寺に招くから、その期に乗じて暗殺するという指令を下しました。
これは信長にとって邪魔者の二人(家康と光秀)の排除計画なのですね。
即ち光秀に家康を暗殺させ、その領地今川を光秀に与えることで近江から移封し信長から遠ざけるという一挙両得なものなのです。
光秀は信長にとって有能な家臣でありながら排除したい家臣の筆頭でもあったのです。
光秀は考え抜いたあげくの起死回生の一撃は、信長から指示された暗殺プランの相手を家康から信長に変更することだつたのです。
そしてこれは最終的には家康との密約になりました。
光秀は同盟している家康でさえ殺されるのだから遠からず自分も同じ目にあうと結論付けたのです。
本能寺の警戒レベルの低さは、家康暗殺計画のため、すなわち家康を油断させる為のものだったのです。

今回この本を読み替えして光秀の動機がよくわかりました。
光秀の息子光慶(13歳)行く末を案じたことが謀反の最大の動機なのです。
その背景にあるのは、この時、光秀は67歳と高齢だったことがあります。
彼の人生の残り火は、普通の父親と比べると極めて少なかったのです
当時、信長の天下統一の野望が目の前に迫ってきていました。
このままいけば百年続く戦国が終わり平和な世になると信じていたのに、信長が唐突に中国征伐を目論んだ事に光秀の変心があったのです。
まさかこの年で異国の地で戦う事になるとは・・・
さら〜に、その延長線上にあるのは、子の代においては、もしかすると見知らぬ異国で滅亡する可能性もあり、信長の中国大陸征伐の前にこの流れを止めなければならないと熟考していたのです。
ところが今回の信長による家康暗殺に加わる事で、偶然にもその手の内がわかり、絶対に倒せない主君信長が無防備になることも分ったのです。
このチャンスを逃がしたら、もう二度とチャンスはない。
正に「時は今」と謀反を決断したのでした。
一方、今回の光秀の謀反で漁夫の利を得た秀吉ですが彼は彼で決定的な失敗を犯しています。
それは秀吉が存命中に自分の子や孫を殺した徳川家康を排除しなかったことです。
実際、徳川家康を討つ機会を逃した為に、一族の生存に対する責任を果たすことなくこの世を去っていきました。
那辺は歴史が証明しております・・・


振分親方(元高見盛)が場内アナウンスでテンパって泣きそうに→切り替えて立ち直る



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今日は四谷に出没です。

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キャチーな看板が目に入りました。
何でしょう「沼津あんかけスパッゲティ」とは?
今日のお店は「沼津マルコ」さんです。

住所: 東京都新宿区四谷1-2-31 三浜ビル B1F
電話:03-6709-8298
定休日:日曜日

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お店の外観です。


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店内の雰囲気です。
気分は大学の学食です。
それにしましても広いですね・・・

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メニューです。

今日のオーダー「ボロニア(カレーソース・200g)」@850円です。
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待つこと2分で「ボロニア(カレーソース)」の到着です。
見た目、学食のスパゲッテです。

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お約束のチーズをかけ回して実食です。
うん、カレーソースは美味しいですが心に響きません。
それは全般的に熱々でないからかもしれません。
それよりもこんなだだっ広い空間に独りいる気まずさに閉口していました。
要は落ち着かないのです。
さら〜に、店員さんがなにかと気配りしていただいたので恐縮至極状態となり、急いで食べてお店を後にしました。
こんな日もあります。

それでは(^_-)

池袋 つけ蕎麦 玄八

今日は「真実本能寺の変」の話です。
玄八1
このパチリは明智光秀の首塚です。山崎の戦いで敗れた光秀は、落武者狩に会い落命しました、部下たちはその首を近江まで持ち帰ろうとしたのですが、間に合わず朝が開けてしまったのです。
その首を秀吉側に奪取されるのを恐れた部下たちは京都は祇園に近いこの地に埋めて隠したとのことです。ちなみにお参りしているのは私の奥様です…

今日のフリネタは明智憲三郎さん(本能寺の変に続く山崎の合戦の後、明智残党狩りの手を逃れた光秀の子、於寉丸(おづるまる)の血筋を引く子孫)が明智家の名誉を晴らすため、自らの仕事(情報システム分野=三菱電機OB)のスキルを生かした、客観的なデータの中から問題点を導き出すという実務的方法による歴史調査を行う中で行き着いた「本能寺の変・427年目の真実」という上梓本のダイジェストをラジオ(安住伸一郎の日曜天国)で聞いた話の受け売りです。

当時の光秀は土岐一族という明智家の大元の一族が存亡の危機のにさらされていたのです。

信長は光秀に家康を本能寺に招くから、その期に乗じて暗殺するという指令を下しました。これは信長にとって邪魔者の二人(家康と光秀)の排除計画なのですね。
即ち光秀に家康を暗殺させ、その領地今川を光秀に与えることで近江から移封し信長から遠ざけるという一挙両得なものなのです
光秀は考え抜いたあげくの起死回生の一撃は、暗殺プランの相手を家康から信長に変更すること、そしてこれは最終的には家康との密約になったのです。光秀は同盟している家康でさえ殺されるのだから遠からず自分も同じ目にあうと結論付けたのです。
本能寺の警戒レベルの低さは、家康暗殺計画のため、すなわち家康を油断させる為だったのですね。

しかし盟友細川藤孝の裏切りによりこの計画はほころびを見せたのです。
秀吉は細川藤孝の家老からのリークでこのクーデタを知りえていました。熟考を重ねた秀吉は今回の計画を受け入れ、逆にこの機会を天下取りの最大の好機としたのです。

簡潔に申しますと、要は「本能寺の変」は家康暗殺のために仕組まれたもので、光秀と家康の共同謀議により、信長に変わったものです。そして秀吉はあらかじめこの情報を知りえたので、信長死亡の二日前には光秀征伐のため備中高松城の水攻めから踵を返すことができたのです。
光秀はその後の秀吉や家康によって書かれた軍記物のような軽挙妄動でこのクーデタを起こしたのではなく、家康との連携でクーデタ後の政権planまでも綿密に構想していたのです。
家康の孫の「家光」の光は、光秀の光であり、家康は隠し続けたとはいえ、光秀への感謝を忘れなかったのです。
光秀は謀議漏洩がなければ11日天下ではなく、真の天下取りが実現できたのですね!


今日は池袋のつけ蕎麦「玄八」さんの暖簾をくぐりました。

住所: 東京都豊島区池袋2-42-1 第3ミネオカビル1F
電話:03-3971-7565
休日:日曜日・祝日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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今日のオーダーは「肉蕎麦300g」@800です。これはいま流行りの「港家」系のお店です。ここの特徴はコスパがすごいのです。小300g、並400g、中500g、大600g全てfreeです。
早速食べてみましょう、麺は田舎蕎麦風のバリバリ麺です、これはイケます。付け汁はラー油が入ったパンチある汁ですが、味付けが腰だめです。要は辛いのか辛くないのか、甘いのか甘くないのかはっきりしません。決して不味くはないでのすが、旗幟が鮮明ではありません。牛肉は良く煮込まれとても美味しいです。
全体的に満足ですが、やはり付け汁の曖昧さが気になるお店でした。

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最後にこのメタル系の器物は何でしょう?
私はしばらく分からなかったのですが、これは黄身取り機なのですね、卵にコダワル方は付け汁にこれを使って黄身だけを入れるようです…店主もこの食べ方を推奨していました?

それでは(^_-)
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