下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

日本の一番長い日

月島 めし屋 14th

今日は「続 日本の一番長い日」です。
田中司令官
実はこの間「日本の一番長い日」を見て一番驚きましたのは、この日にミニクーデータが起こった事です。
簡単に記しますと、反乱軍の首謀者の畑中少佐は東部軍管区田中司令官(大将)にクーデターの協力要請にいったところ眼光炯炯の迫力の田中司令官「馬鹿者、貴様らの言わんとすることはわかっている」と一喝され、その迫力に転がるように退出し悲嘆のなか今度は近衛師団司令部に出向きました。
そこではクーデーの仲間が森師団長を説得していました。
しかし説得の時間がないという短慮から畑中少佐は森師団長をその場で射殺してしまったのです。
近衛師団司令部に衝撃が走りましたが、その中で畑中少佐は森師団長の判を使い「宮城を占拠し玉音盤を奪取せよ」という偽命令を出してクーデターが動き出したのです。
近衛師団は宮内庁の中をすみずみまでさがしましたが、宮内省の徳川侍従の考えで、あえて金庫にはしまわず、「木を隠すなら森へ」の格言とおりに宮内省事務室の乱雑な机の上の書類の下に置く事にしました。
これが奏功して反乱軍は玉音盤を探すことができませんでした。
一方宮城の中でクーデターが起きていると判断した田中司令官は塚本副司令官(少佐)を一人のみを帯同して反乱軍のところに車で向かったところ乾門で反乱軍に入門を止められました。
そこで田中司令官は、俺は東部軍官の司令官だ、無礼だ、お前らのやっていることはなんだ。わかっているのか、大音一喝しました。そして間髪入れず門の傍らにいた守衛に連隊長を呼ばせ併せてその場にいた憲兵に、奴らを捕縛せい、と命じました。そこで何が起きたのかわからないものの、憲兵はすぐに命令にしたがい反乱軍を縛り上げ反乱軍を鎮圧したのです。
まさに奇跡的な顛末であります。
たった一人の司令官の機転によってクーデターが起こらなかったのですね。

私の祖母は、この日玉音放送を聞き戦争が終わったのを知りました。
戦争に行っていた子供二人は内地勤務ですからすぐに無事な姿を見せるだろうと不謹慎ではありますが喜んでいたのです。実際、横浜の陸軍にいた次男(父は三男、長男は招集されず)は終戦からすぐに復員しました。
玉音放送から数日後、父が軍務していた横須賀海軍艦船修理廠が米国海軍に接収されるので、そこにいた日本兵は皆殺しにされたという噂を祖母は聞いていました。
終戦の日から1カ月経っても父は帰郷しなかったのでした。
1カ月たっても帰郷しないのはやはり噂とおり米軍に殺されたのかな、さりとて国からは死亡通知もきていないし、一体全体どうなったものなのかなと悶々としていたそうです。

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一方父はこの日、神奈川県横須賀市追浜(おっぱま)にある海軍艦船修理廠にいました。
前日、上官より最後の命令を受け日本海軍軍事機密に該当する艦船の書類の整理、焼却の業務についていたのです。終戦当日は、敗戦を知り日本の将来を悲観し拳銃で自裁する上官が多数続出したそうです。
そのかたわらで戦争中に無理難題を強いた元上官に対する私刑(リンチ)が横行しており殺伐した空気の中で父は黙々と最終業務を遂行していました。
只々この業務が終われば故郷(くに)に帰れるという喜びが父の頭の中を占めていました。
結局一月位かけ何とか業務を終わらせて故郷に帰ることとなりました。
まだ戦争が終わったという実感もあまり湧かず、そうはいながらこれでもう死ぬことはないなと妙な安堵感も生まれていたそうです。
省線等に乗り継ぎ半日かけ帰郷しました。
「国敗れて山河あり」実家のある駅に降り立った父は何も変わらない景色をみてそう感じたそうです。

ゆっくりと着実に一歩ずつ歩を進めながら我家を目指しました。
まもなく見慣れた景色の中、我家の輪郭を確認できた当りで、一人の中年の女性が家のとなりにある畑で一生懸命に鍬(くわ)を打ちこんでいる姿が目に入りました。
父がその姿に目を凝らしていると、その女性が突然手から鍬を離し父の方を振りむきじっと見つめています。
父はどうしたのだろうと思っていましたら父の方に振り向いた女性が自分の母親であることがわかったのです。
1km以上も離れた距離なのに何故父に気がついたのでしょうか。
少しずつ母親との距離が詰まってくると、久々に再会した祖母の顔は涙で溢れかえっていました。
それから暫くして、父は祖母の前に立ち、無事帰還した挨拶を敬礼にてしました。
「お国の為にご苦労様でした。本当に本当によく無事で帰ってきてくれました」と祖母は父にねぎらいの言葉をかけようとしたものの、湧き上がる涙で声がむせびほとんど聞き取れなかったそうです。
どんな時でも子供の事を思ってくれる母親というのはありがたいものですね・・・

最後に今日の最初のふりネタのクーデターのくだりは、この動画が分りやすくまとめています。
よろしかったらと書こうかとおもったのですが、もう9月の下旬ですよね。
終戦の日にこのネタ書いていたものですから、かなり温度差があります。
お暇でしたらご覧ください。



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今日は勝どきに出没です。
夕飯を何にしようかと迷っていましたらこのお店に来ていました。
今日のお店は「めし屋」さんです。

住所: 東京都中央区月島1-5-7
電話:03-3534−0486
定休日:無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

今日のオーダー「さば定食」@930円です。
久々に行きましたら美人のサリーさんがネパールから戻ってきました。
あんど女性ゴルファーの伊藤さんと奈良間のオヤジさんが今日の「めし屋」さんの布陣です。

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まずはオカズ三兄弟ですが、今日はアミとキザミ沢庵の二兄弟です。
塩辛は夜の部ではつまみとして売られていますのでオカズから外れているのは承知していましたが、二兄弟ではさすがに寂しいですね。

待つこと13分で「さば定食」の到着です。
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今日のさば君は脂が甘いですね。
肉も弾力があります。
今日のさば君はスーパーデリシャスです。
久々に口福の坩堝(るつぼ)状態となりました。
このお店の干物の安定感はたいしたものです。

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そうそう最近「塩辛」はお店で買って家でも食べています。
値段は520円です。
家で「めし屋」の味わいが再現されますので家メシの楽しみが増えました、ハイ。

それでは(^_-)

続 神田 天兵

今日は「日本の一番長い日」です。
成功と失敗のどちらをよく覚えているかはひとそれぞれの性格によるが、戦争となると負け戦の方が忘れがたくないか。フランスのペタン元帥は第1次大戦の英雄としてよりも、第2次大戦でヒトラーに屈したビシー政権の首班として語られることの方がはるかに多い。
70年前のきょう、米戦艦ミズーリ上で降伏文書に署名した重光葵も自身の姿が長く記憶されることを意識していたに違いない。前夜にこんな短歌を残した。「願はくば御国の末の栄え行き 我名をさげすむ人の多きを」
いまの日本が重光の願い通りかはともかく、同じ役回りがその後はいないことを泉下で喜んでいよう。
右足が義足の重光の不自由な歩みに敗戦を印象付けられたという話をよく聞く。本人は至って冷静だった。『続重光葵手記』にはカナダ代表が欄を間違えて署名したなど細かいことまで記してあるし、列の並び方を描いたスケッチも添付されている。帰京後、昭和天皇に「先方の態度は適切にビジネスライク」と報告した。
むしろ大変だったのはその後だ。宿舎で休んでいると、米軍が軍政を布告するらしいとの報告が入った。
翌日、間接統治の方が日米双方に有益とマッカーサーを説き伏せた弁舌は有名だが、それよりも驚くのは前夜の態度だ。善後策を協議しに来た部下を追い返して寝てしまう。最後は策より度胸。さげすむ人などいまい。
日本経済新聞「春秋」より転載


奥様が同窓会で宿泊不在だったので一人で時間を使える僥倖を得ましたので映画「日本の一番長い日」を観に行きました。「日本の一番長い日」とは、昭和天皇や閣僚たちが御前会議において降伏を決定した1945年(昭和20年)8月14日の正午から宮城事件、そして国民に対してラジオ(日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言の受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を描いていたものです。
2度にわたり日本で映画化され、製作・配給東宝、岡本喜八監督による1967年版、製作・配給松竹、原田眞人監督による2015年版があります。
実は岡本喜八監督のものも見ていまして、三船敏郎さんの壮絶なる切腹シーンはかなり私の心を重くしたのでした。

今回の「日本の一番長い日」の主演は陸軍大臣・阿南惟幾を演じた役所広司さんでしたが、私の心を一番鷲掴みしたのは、鈴木貫太郎首相を演じる山崎努さんだったのです。
それでは鈴木首相の終戦間際の動静をWikipediaからの抜粋で紹介します。
8月6日の広島への原爆投下、9日のソ連参戦と長崎への原爆投下、15日の終戦に至る間、鈴木は77歳の老体を押して不眠不休に近い形で終戦工作に精力を尽くした。
昭和天皇の希望は『軍や国民の混乱を最低限に抑える形で戦争を終らせたい』というものであり、鈴木は『天皇の名の下に起った戦争を衆目が納得する形で終らせるには、天皇本人の聖断を賜るよりほかない』と考えていた。
8月10日未明から行われた天皇臨席での最高戦争指導会議(御前会議)では、ポツダム宣言受諾を巡り、東郷茂徳外相が主張し米内光政海相と平沼騏一郎枢密院議長が同意した条件付受諾と、本土決戦を主張する阿南惟幾陸相が梅津美治郎陸軍参謀総長と豊田副武海軍軍令部総長の同意を受け主張した条件付受諾との間で激論がたたかわされ、結論がでなかった。
10日午前2時頃に鈴木が起立し『誠に以って畏多い極みでありますが、これより私が御前に出て、思召しを御伺いし、聖慮を以って本会議の決定と致したいと存じます』と述べた。
昭和天皇は涙ながらに『朕の意見は、先ほどから外務大臣の申しているところに同意である』と即時受諾案に賛意を示した。
昭和天皇の聖断が下ったが、ポツダム宣言に記された国体に関する条文の解釈について外務省と軍部の間で見解が分裂し、8月14日に再度御前会議が招集され天皇の聖断を再び仰ぐことになった。
御前会議は8月14日正午に終わり、日本の無条件降伏が決まった。
翌8月15日の早朝、佐々木武雄陸軍大尉を中心とする国粋主義者達が総理官邸及び小石川の私邸を襲撃し(宮城事件)、鈴木は警護官に間一髪救い出された。
同日正午、昭和天皇の朗読による終戦の詔勅がラジオで放送された。この日の未明、阿南惟幾が自刃した。
同日鈴木は天皇に辞表を提出し鈴木内閣は総辞職した。東久邇宮内閣成立の同月17日まで職務を執行している。
鈴木の述懐によると、生涯二度の暗殺の危機を生き延びた鈴木は、『軍人は政治に関わるべきではない』を信条としていた。敗戦の1年後1946年のインタビューでは、『われは敗軍の将である。ただいま郷里に帰って、畑を相手にいたして生活しております』とコメントしている。

鈴木首相
この映画で見る限り山崎努演じる人を食った鈴木首相の人となりに感動しました。
高齢による耳の聞こえの悪さを随所に意図的に駆使して議論を纏めていく手腕というかその外連(ケレン)には感動すら覚えました。ふりネタの重光葵の様に昔はこのような泰然自若(落ち着きはらっ て物事に動じない様)の方は多かったように思います。
阿南陸軍大臣との確執も出来レースの様でしたし、端から天皇のご聖断を落としどころにして会議を進めていたのは本当にたいしたものです。
多分この老大臣がいなければ日本の終戦はなされなかったのでしょう。
それにしても若手将校のクーデターである宮城事件は危機一髪でした。
色々な偶然が重なり玉音放送のテープが放送までの間に死守されたのはまさに幸運と言わざるを得ません。

日本の一番長い日
役所広司さんも前作の三船敏郎さんと比較されるのでやりにくかったのでしょうが名演技でした。
阿南大臣の自裁は前作ではそのグロテスクさが前面にですぎ、自裁の理由がわかりませんでしたが、今回の映画ではその自裁は、陸軍トップとして強硬論を最後まで貫きながら、自身の死でポツダム宣言受諾後の陸軍の暴走をおさめようとしたという深謀遠慮がわかり、これにてやっと腹に落ちた次第であります。
しか〜しこの自裁を見届ける為に別室で待機していた人がいたことも時代を感じました。
ということではあり今回のふりネタは完璧にネタバレですが、一食抜いても見る事をお勧めします。
私たちが現在つつがなくある嚆矢を大いに体感できる事かと思います。


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今日は神田に出没です。
このお店は若かりし頃、仕事に行き詰るとよくここの天丼を食べに来ました。
私の「青春の蹉跌」を埋めに来たお店ともいえます。
今日のお店は神田「天平(てんぺい)」さんです。 

住所: 東京都千代田区神田須田町1-2
電話:03-3256-5788
定休日:土曜、日曜、祝日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

創業時のお店です。
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もともとはお米屋さんだったので「天米」なのです。
このメニューは創業時のものでしょうか、完璧にデフレ価格ですね(笑)

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メニューです。

今日のオーダー「天丼」1,250円です。

まずはお店の紹介です。
「神田淡路町の「天兵」は法外な値段ではなく、昔からの東京の天ぷらを楽しめる一軒だ「天兵」の創業は昭和15年。以来、64年間、神田の地元客や東京の天ぷらを愛する客が集まる店となっている。
この店の味の特徴は、まずはクリスピーな表面の下に厚さ1ミリに満たないマシュマロのような層ができる「衣」。
さらに「天兵」の天タネは東京湾で獲れる魚介を主としているところだ。天兵のような正統派の店に通う楽しみは単に天ぷらを味わうことだけではない。
江戸前の技術が目の前で進化、発展していくところを見守るところにもある。
「東京カレンダー」より転載

待つこと8分で「天丼」の到着です。
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店員さんが奥にいたので店内のオーダーが不明で「かき揚げ丼」を頼んだ人のところに私の「天丼」がいってしまいました。私は即その間違いに気がついたのですが「かき揚げ丼」を頼んだ人はそれに気づかず食べようとした時、厨房のご主人が誤配に気がつき謝罪しました。
私はその天丼が手付かずだったので、もったいないからそれでいいですよ、といいましたら、私どもの間違いですのですぐに作り直します、と言い切ったのです。
流石ですね。

今日のタネは、海老×2本、メゴチ、鱚(きす)、ピーマン、茄子です。
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それでは実食です。
ここの天麩羅はカラッと揚げないので衣にちょっとウェット感ありです。
丼つゆはちょっと濃い目の下町風です。
このお店では、私は海老のみ単独で食べて後は小分けして少しずつ纏めて渾然と食べるのが私の好みの食べ方です。
味ですか、美味しいとか不味いとかではなくてここの味が好きなのです。
換言すれば好物なのです。

最後に強いて瑕瑾をあげれば昔に比べればタネが縮小していました。
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この大きさでないと纏めて渾然と食べられません。
値段を上げても結構です。
元の大きさに戻してください・・・

それでは(^_-)

池袋 韓韓市場

今日は「終戦秘話」の話です。
「週刊文春」「文藝春秋」元編集長の半藤一利さんの調べによりますと終戦は以下のような顛末だったとのことです。
僕ら、昭和38年の時点では、戦争はどうやって終わったのかのについて、具体的なことは知りませんでしたから。
日本は終戦工作にあたり、中立条約を結んでいたソ連を頼りにしていたから、日本の無条件降伏を求め、さもなくば壊滅あるのみというポツダム宣言が発表されたとき(昭和20年7月26日)、ソ連が何か言ってきてから動こうと思っていた。ところが、陸軍が早くからポツダム宣言に対して意思表示しろと催促され、鈴木貫太郎首相は「重要視しない」と言った。それを新聞が「黙殺」と書いたせいか、ついつい首相自らも「黙殺」という言葉を発したんですね。それを同盟通信が「ignore(無視する)」と訳して海外に流し、さらにはアメリカのAP通信やイギリスのロイター通信が「reject(拒絶する)」と言い換えて報道してしまった。日本が“拒絶”したがゆえに、ソ連は満州に侵攻したし、アメリカは広島、長崎に原爆を落としたんです。

エッ!という感じですね。
そもそもヤルタ会談の四カ月前にソ連は対日参戦を決めていたのに、さらに20年4月には21年4月まで中立条約は有効だけど、延長せずと通告を受けていたのに日本のソ連外交の無策が露呈されています。
しかし、こんなことで広島、長崎の多くの同胞が業火に覆われたのかと思えば、言葉がありません・・・65年目の終戦の日がもうすぐ訪れます。

今日のお店は最近韓国づいている?ので「韓韓市場」さんに出向きました。

住所: 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋7F
電話:03-5952-0474
休日:無休

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お店の外観です。このお店は池袋西口のニュースポット「エソラ」7Fにあります。“味も雰囲気もまるで韓国にいるかの様に楽しめるから、皆でプチ韓国旅行に来た気分”とはお店の惹句です。

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店内の雰囲気です。

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韓韓市場4
今日のオーダー「内鶏ももネギまみれ定食」@830です。
この定食にはご飯、サラダ、スープがつきます。こんもりとしたネギが食欲をそそります
ね。
味ですか、はっきり言ってすごく不味い(マドプタ)です。鶏肉は臭いし硬い、さらに
韓国の塩が使われているのでしょうか、日本人の味覚には合いません。
一応完食しましたが、二度はいかないでしょう(笑)

それでは(^_-)
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