今日は「首切り異聞」です。
首切り朝衛門
普通の刀は二百人の首を斬ると駄目になるといわれているが、現在、千佳回向院にある浅右衛門が使ったという斬首刀は、実に五百人を斬ったといわれている。
私は実際に首を斬ったことも、斬るところを見たこともないので、この話は、かつて中国大陸で首斬りの現場を目撃した人からのまた聞きだが、日本刀で斬りつけた瞬間、ざくっと、音がするらしい。
これは、強靭な外力がくわえられて硬直した筋肉と、その奥の首の骨に、刀がぶつかって生じる音であろう。
音がするほどだから、斬り手への手応えはかなりなもので、それを一気に斬り抜き、首の皮一枚のところでおさえるというのは、まさに神業に近い。
【中略】
首を斬った場合の直接の死因は失血死ではない。首がきっぱりと胴から離れなくても、大上段に振りかざした刀が、項(うなじ)に当っただけで延髄が衝撃を受けて死に至る。
これは後頭部や項を、うしろから強打されただけで死ぬのと同じ理屈である。
よく首を斬ったのに、上体が起ち上ったとか、その瞬間、手を拡げていたのが拍手を打った、などという話があるが、これは頸椎(首の骨)のなかの脊髄神経が衝撃を受け、反射的に手足が動いただけで意志があってやったわけではない。
例えが悪いが、鶏の首を切った瞬間、鳴いたり走り出すのもこれと同じである。
「長崎遊女館」渡辺淳一著より転載

中学校三年生の時父方の実家に行きました。
その際に父から、△△(私の事)、お前も剣道やっているのだから、真剣の扱いに慣れときな。裏の蔵に刀が沢山あるから適当に見つくろって選び、巻藁でもやりなさい、と言われたので、それこそおっとり刀で蔵から適当な刀を見つけてさすがに巻藁はないのですが、藁があったので試し切りをしてみる事になりました。
当時すでに剣道二段だったので、素振りは死ぬほどやっていました。
従いまして藁ぐらいは切れるだろうと高を括っていたのです。
はじめて手にした真剣は想像以上に重かったのです。
それはそうです普段は竹の刀(竹刀)ですし、真剣は鋼(はがね)の刀ですからおのずと重さはちがいます。
実際刀を抜いて藁を切ってみました。
最初の一太刀はきれいに藁を切落とせました。
なんだ、人を切るのって簡単じゃないか、とその時は思ったのですね。
しか〜し二の太刀、三の太刀はうまく切れなかったのです。
理由を考えてみました。刀ってただやみくもに力任せで切ってはダメなのです。
head speedを上手く使って切らなければならないのです。
例えて言えば、golfのswingに似ています。遠心力を最大に活かさないと藁でさえ切れないのです。
後半はコツがわかり、スパスパっと切れるようになりました。

中学生の私は、実際幕末の頃、王政復古をもくろむ警世家若しくは浪士となって、敵対する相手と路上で切り合いになったら、人を切れるのだろうか、一人や二人なら切れるだろう、いやいや血脂で刃がきかなくなり、最後は突くしかないのだろう、と考えは纏まらなくなってきました。
そこから思考が跳躍して、首を切るのって大変だよな、藁でさえ、二の太刀三の太刀で落とす事もあるのだから、まして骨を断ちきるなんて至難の業だよな、実際赤穂義士の処刑の際も、かなりの剛の者でも腕が縮んだみたいで、二の太刀三の太刀で首を撥ねたという逸話も何かの本で読んだこがあったよな、と思ったのです。

ここで本題に入ります。
紹介分の通り、首切り浅右衛門の斬首刀は500人もの首を落としたのに刃こぼれがないとのことです。
伝承技術のために斬首技術は卓越しているのは十分条件でしょうが、必要条件として刀は名刀なのであろうと思ったのです。しか〜し豈図らんや刀は津軽越中守寧親の差料(さしりょう)で延寿国時であったと言われています。
名刀であることは間違いないようですが、歴史に残る一品ではありません。
そこから演繹するに浅右衛門の斬首の見事さは刀及びその卓越した技術によるものではなく何らかの秘技が存在していたと見るのが自然です。

そうなのです実は秘技が存在していたのです。
人間には頭蓋骨と第一頸椎の間には5mmほどの空間があるのです。
具体的にいいますと、後頭部のやや下に丘状に突き出た部分があり、この下には小指の先が入るくらいの陥みがあります。
顎を突き出し、頭を後ろに引きますと、この突起が頭の後ろに突き出てきますので、皮膚の上からさわることができます。
要は浅右衛門は刀を振り下ろす時、この突起を目印に、これの直下5mmの空間を切り抜いていたので、骨に当ることなく首を落とせたのです。
もしわずかに上をゆけば頭蓋骨に当りますし、下にゆけば首の骨にあたります。
すこしでも罪人が首をゆすれば、その位置は動きます。
しか〜し山田浅右衛門は常にその5mmの空間を求めて刀を振り下ろしていたのです。
当時は首の構造図があるわけもなく、ましてやレントゲン・フィルムで見られるわけもありません。
これはひとえに山田家の連綿たる歴史の中で自然と知りえた体験的な空間です。
何故、そこが切りやすいかは当の浅右衛門もその理由はわからなかったはずです。
ただそこが首切りの上での急所であるという事しかわからなかったのです。
歴代10人に亘る浅右衛門達は項(うなじ)の下の5mmの空間を切落す事に一生を賭けていたのです。
その見事さだけが、この呪われた仕事の救いだったのかもしれません・・・

余談ですが市ヶ谷駐屯地で起きた三島事件ですが、介錯人の森田必勝は自身の切腹を控えていたためか動揺しており三島の介錯を三度失敗しております。その際に三島は苦悶の表情を浮かべながら「落ち着いてやれ」と森田に言っていました。
歴史にifはないのですが、縦の会の面々がこの山田家の秘儀を知っていたらと思う今日この頃です。

私の剣道の先生は第二次世界大戦において中国で八路軍の兵士の首を100人以上落としていたと豪語していました。加えていちいち切るのが面倒臭くなって最後の方は据え物切りのようにスパスパと落としていたとも言われていましたので、多分ですよ、私の先生も体験的にその空間を知り得ていたのでしょう。
でなければスパスパと切り落とせるものではありません。
山田浅右衛門の偉業をくさすわけではありませんが、道場での剣道談義でも先生以外の方でもそのような行為を為された方は他にもおられましたが、首切りの下手な奴は骨を断つと言われていましたので、意外や山田家の秘技は暗黙知ではなかったのかな、と憶断しております。


またまたユニリーバの、今度は『Project Sunlight』制作の映像。今の時代いろいろあるけれども、過去と比べてみると、今ほど子どもを産むのにふさわしい時代はない、というメッセージが語られています。


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今日は茅場町に出没です。
いつも女性の行列ができるお店があります。
たまには並んでみるかということで列につきました。
今日のお店はイタリアンレストラン「スプーン」さんです。
5年ぶりの再訪です。

住所: 東京都 中央区日本橋茅場町2-4-3
電話:03-3666-0675
定休日:土曜・日曜・祝日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

今日のオーダー「サーモンと根菜のゴボウ香るクリームシチューとソーセージピラフプレート、ミックスフルーツ付」@1,200円です。

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待つこと5分で食べ放題のパンが到着です。
パンは温めて出されるときいていたのですが、暖かさより冷たさ感があり今一つでした。
パン自体は美味しくもなく・・・
せめてオリーブオイルでもテーブルに載せときゃいいのに思った次第です
食べ放題と聞いていましたが、パンを完食してもすすめに来る気配もなし、サービス悪いなぁ、と強く思いました。

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待つこと7分で「サーモンと根菜のゴボウ香るクリームシチューとソーセージピラフプレート、ミックスフルーツ付」が到着しました。
見た目コンパクトに纏まっていて結構です。

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それでは実食です、
「サーモンと根菜のゴボウ香るクリームシチュー」ですが、庶民的な味付けです。
といえば様子がいいのですが、要は家庭料理です。
無くなった母が作るシチューに似ていますが、そのレベルならわざわざ並んで食べる必要もなく、特に舌に残ったのはサケの変な臭みです。
これがこのシチューの幻滅感を加速しています。

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「ソーセージピラフ」は作り置きのピラフを容器に入れて固めてだしたみたいです。
従いまして冷めていて美味しくありせん。
子供の時に食べたデパートの階上レストランのお子様ランチのオムライスみたいな風情です。

最後の砦の「ミックスフルーツ」です。
解凍したばかりみたいで冷たくて食感以前の問題です。
ここに至りますと、心まで冷え冷えとしてきました。

唯一の救いは店員さんの応対ですか。
二度目の訪問ですが、いまだこのお店の行列のできる理由に触れていません。
運が悪いだけでしょうか・・・

それでは(^_-)