下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

徳川慶喜

大泉学園 喫茶アン 10th

徳川ケイキさんは偉かった
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今日は徳川慶喜さんの話です。
大河ドラマでは草剛さんが慶喜役を好演していますよね。

慶喜 (2)
徳川慶喜については、大正時代の教科書では「逃げ帰った」「罪を謝罪した」と薩長軍との戦いに敗れて逃げたあげく、城を明け渡した臆病者扱いをされており、情けない書かれようであります。
しかし現在の教科書を見てみると「フランス軍からの軍事援助を断って外国の介入を防ぎ、日本の独立を守ることにつながった名君」として書かれているのです。
そんな徳川慶喜さんについて書いてみます。
慶喜さんは明治時代に隠遁生活をしていた駿府においては、音読みでケイキさんと言われて庶民から親しまれていました。ここでは敢えてケイキさんと書きます。
私のケイキさんの評価は、とても頭がよく、この英明さによって先が見えてしまうという欠点を持った人であります。加えてこの人は生涯をかけて自らの命を守る事を徹底してやり通した人だとも思います。
このように書くと自らの保身のように思いますが、そうではなくて自分の事がとてつもなく好きだったのでしょう。
その為に自らが死と向き合うリスクを極端にまで避けてきたのだと思います。
例えば1867年10月14日の「大政奉還」ですが、大政奉還の数カ月前には反徳川雄藩連合の形成が急速に進んでいる情勢に気づいてケイキさんは警戒を強めていました。
土佐藩の申し入れの「大政奉還」を受け入れなければケイキさんはセゴドン率いる反徳川雄藩連合によって首を取られてしまうかもしれないリスクが訪れていました。
そこでケイキさんは、セゴドンの裏をかいて「大政奉還」を受け入れたのでした。
これには諸説ありますが、私の恣意的な意見であります。
ケイキさん不在の江戸で薩摩藩の挑発にのった旧幕府の家臣団が2カ月後のクリスマスの日に薩摩藩邸焼き討ちを強行したことから戊辰戦争に突入しました。
正月明けの4・5日で鳥羽と伏見で同時に起こった鳥羽・伏見の戦いにおいて旧幕軍は壮絶なる戦いの中を繰り広げるも連敗を喫してボロ負けとなってしまいました。
この時もケイキさん自慢のフランス式軍隊を率先して指揮していれば負ける事はなかったと思われますが、この時も先を読んでしまったのです。
この時のケイキさんは、大政奉還によって得られた慶喜政権というものは天皇の権威を掌中に収め、それに依拠することによってのみ成立していたものとしていました。
しか〜し、それを薩長等に譲り渡した時点で彼の政治生命は潰えたと判断したのでしょう。
完勝すればいいのですが、中途半端に負けたらその首を差し出さなければなりません。
ここで彼は前線で指揮することなく一目散に船にて江戸へ逃げ帰ったのです。
江戸に帰ってからはケイキさんの周辺には色々と良くないことが起こり、熟慮の末に勝さんと大久保一翁に事態収拾を一任して自らは上野の寛永寺大慈院において1人で謹慎を始めたのでした。
2月9日には東征大総督・有栖川宮熾仁親王に率いられた政府軍が東征を開始しました。
ここでケイキさんは勝さんに事態収拾を一任したのですが、大変なのは勝さんです。
1か月後の3月14日のホワイトデーに三田の薩摩屋敷で勝さんセゴドンと会談したのです。
勝さんはセゴドンに対して、もしケイキさんの首をとるなら東洋一の幕府海軍を率いて東海道を通り抜ける政府軍に対して駿河湾から艦砲射撃をして壊滅させる。
仮に運よく江戸に入ったとしても新門辰五郎(子孫は三社祭の総責任者)等の配下に銘じて江戸市中を火の海にしてしまうと脅したのです。
セゴドンも頭のキレる方ですから、勝さんが言っている事はブラフではないという事がわかり、当時すべての政治機能が集中している江戸が消滅したら、新政権の運営はできませんのでこれには慄然としたのであります。
そして江戸城無血開城とあいなったわけであります。
一方のケイキさんは、すでに寛永寺で謹慎しているわけですから、ここでも政府軍にそっ首を差し出すことはなくなりました
4月11日に東征軍諸兵が江戸城に入城し、城郭は尾張藩、武器は熊本藩が管理することになり、江戸城は開城されました。4月21日には東征大総督の有栖川宮熾仁親王が江戸城に入城したのです。
ここに徳川幕府は名実ともに滅びさったのです。
以後、幕府制度や征夷大将軍の官職は廃止され、これによりケイキさんは日本史上最後の征夷大将軍となったのであります。
この歴史の政変劇は前年の10月から4月までのわずか7カ月間で終了したのです。
そして7月にはケイキさんは静岡に移り謹慎生活に入ったのです。
翌年の明治2年(1869年)5月に函館は五稜郭で戦っていた榎本一党の降伏をもって戊辰戦争は終結しました。
この時に土方のトシさんは鉄砲で撃たれて戦死しております。
勝さんや大久保一翁ら旧臣が三条実美や大久保利通などの政府高官に働きかけた結果、この年の9月にはケイキさんの謹慎が解除されたのです。
わずか2カ月の謹慎生活でした。
謹慎が説かれた背景は、当時の新政府は地方政治の経験しかなく、旧幕府の実務に長けた人材を取り込んで、行政を円滑に進めるために旧幕臣の主君であるケイキさんの謹慎を解く必要があったというのが本当の理由であります。
その後は月2,000万円位のお金を徳川本家から頂いいましたが、ケイキさんの家は使用人が多くその生活はカツカツでした。
元部下の渋沢栄一さんが株の投資(今でいうインサイダー取引)でケイキさんの資産を増やしていったのです。
その後は趣味の銃猟・鷹狩・囲碁・投網・鵜飼をやっており、明治6年以降になると謡曲・能・小鼓・洋画・刺繍・将棋とその趣味を一段と増やしていきました。
さら〜に、静岡時代にケイキさんは子作りに励み10男11女を儲けています。
21人の子持ちというのは流石にすごいですね(笑)
ちなみに産んだのは正妻ではなくてお2人の側室さんです。
それから時計の針がギュンと飛んだ24年後の明治30年には、ケイキさんは60歳になりました。
この年に東京に移住したのです。
この移住には色々な背景があるのですが、最大の理由は、病気に冒されたときの医療看護の便を考えてのことであります。当時の東京は医療が日本で一番進んでいた都市だったのです。
これは今でもそうですが。
ここでもケイキさんの命大事ということが伺えます。
明治31年3月ケイキさんが61歳になった時には明治天皇陛下と会談して朝敵としての汚名が晴らされたのでした。それから4年後の明治35年にはケイキさんは公爵を受爵しました。
ここで初めてケイキさんは、大政奉還が近代天皇制国家の発展につながったという揺るぎない自信をもつようになりまして、35年間という永きに亘って続けていた自己韜晦(自分のあらゆる面をつつみかくすこと)を止めたのです。この間に将軍時代の愚痴や不満をいうと、そのそっ首が飛ぶかもしれないという事でひたすら沈黙を続けていたのであります。
ここらあたりで部下であった渋沢栄一さんがケイキさんに永年お願いしていた伝記編纂にも協力的になってきたのです。
これも公爵になり名誉回復が叶い世間的なケイキさんの評価も変わってきたことで自らの過去に向き合う精神的な余裕ができてきたのだと思います。
ここらでストレスがぬけたのでしょうか。本当に永かったですね。
最後の将軍であるケイキさんは、辛亥革命による清朝崩壊・中華民国成立(1911年〜1912年)やタイタニック号沈没事故(1912年)の時にもなお存命で、年下の明治天皇より長生きして大正時代の到来を見届け、大正2年(1913年)11月22日、(急性肺炎を併発した)感冒のために享年77(満76歳25日)歳でこの世をさりました。
元部下の渋沢栄一さんが編纂した「徳川慶喜公伝」では、「侮辱されても国のために命を持って顧みざる偉大なる精神の持ち主」と、最高の敬意で締めくくられています。
まさしくその通りであります。
そして今日の日本があるのははるか昔にケイキさんが「大政奉還」を受け入れた事で近代日本の扉が開きました。まさしく大恩人と申し上げても良いでしょう。
という事で長くなりましたがケイキさん話でありました。


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今日はアニメの街大泉学園に出没です。
今日は昭和の喫茶店にお邪魔しました。
という事で今日のお店は「喫茶アン」さんです。

住所: 東京都練馬区東大泉1-30-3
電話:03-3921-6909
休日:ほぼ年中無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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これのおかげで店内は満席が続いております。

今日のオーダー「ランチドライカレー」@880円です。

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座るやいなやお水が到着しました。

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待つこと7分でサラダが到着しました。
最近のサラダは美味しいですね。
ご機嫌です。

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待つこと19分でドライカレーが到着しました。
今日のドライカレーはスーパーホットあんど福神漬けでお願いしました。
お願いが通ったみたいで福神漬けがかなりの固まりお皿の上部に乗っています。
これはうれしいですね。
福神漬けは大好物なのであります。

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それでは実食です。
ベーコンにピントを合わせたのですがブレてしまいました。
あいすみません。
今日のドライカレーはかなりの辛さです。
口から火がでてきました。
このくらいが私の好みなのです。
とても美味しいですね。
ベーコンも美味しいです。
ピーマンは箸休めとして食べています。
今日のドライカレーは今まで食べていた中で最高のデキでした。

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食後の珈琲もご機嫌です。
心地よい珈琲は私の気持ちを元気づけてくれます。
窓から通りに目を落としますと、道行く人が別世界の人のように思えます。
ここだけが私の天国なのです。

それでは(^_-)

静岡 ビストロ ザ ファーム

今日は「まれに見る逸材」です。
当部のベテランの女性が念願の子供が授かったので長期産休に入りましたので、その交代要員として英語と独逸語の堪能なベテラン女性が本部内異動してきました。
最初は猫をかぶっていたみたいで大人しかったのですが、徐々にその全容が明らかになってきますとこれが中々の逸材でした。
まずは自らの事を良く持ち上げます。
ついでに話している相手も持ち上げます。
しかもその持ち上げ方はまさに針小棒大の極みでありまして、△△さんは、奥様と仲が宜しいとお聞きしていますわ、とヨイショされたので逆手にでて、決してそんな事はないですよ、と切り返せば、そんなことありませんでしょう。
結婚して何年になられますの、と返されたので、もう少しで30年かな、と言えば、それだけ長く一緒に暮らしているというのは仲が宜しい証拠じゃないではありませんか、とかぶせてきました。
一緒にいたって世の中には家庭内別居の事例は腐るほどありますよ、と上書きしようかと考えていたら、私たち夫婦は二人でいるだけで幸せ。よくぞ一緒になったものですわ、とキメてきました。
まぁ超晩婚で子供ができないので、いまだ蜜月なのかなと思ったりもしましたが、本当に良い年なのによくいいますよ。恥ずかしくないのでしょうか・・・
加えて、自ら幸せだといった人の中で、本当に周りがうらやむ様な幸せだった夫婦は、今だかつて見たことがありません。

三角関係
とある日、この女子と若手の女性が22時近くまで残業していたので、リップサービスでメシでもどう、と誘ったらこの申し入れに乗ってきました。
実はこの若手の女性は、産休で休職した女性の一統だったのですが、彼女がもう少しでいなくなる事が分っていたのでNo.2のベテラン女性に乗り換えていたのです。
仕事中もこの若手はNo.2の女性に慕うそぶりをみせ、その自家薬篭中のものとなるべく刻苦奮闘の努力を重ねていて、もうすぐこのNo.2の女性の若頭になろうかという勢いでした。
いまさらですが、この女子とNo.2の女子の関係は良くなく、仕事中も一触即発のまさに国境警備の韓国と北朝鮮の兵士みたいな緊張感あるものであります。
そのような予備知識を持ってこの酒席に臨みましたら、知らない間にこの女子はこの若手を傘下に収めていたのです。その速さに驚いて理由を聞きだしましたら、ラインでコミュニケーションを取っていたのですね。
加えて、この若手は飲んだ席と言いながら、少し前までお慕い申していたNo.2をそこまでいうのかとまで酷評しておりました。
私は慄然としました。
これらの話はいくら無礼講といえども私は素面で聞いているわけです。
よく私の面前で平然とNo.2に対する裏切りを表明できたものです。
一方で、短期間でこの若手を懐柔したこの女子の水際立ったその手腕には瞠目しました。
仕事の上ではいまやすべてをグループリーダーに任せているので、直接的なマネージはしなくてもよいのですが、それにしてもまさかまさかの新政権が水面下で樹立していたとは驚きを禁じ得ませんでした。

しか〜し仕事中にラインでコミュニケーションを取るのは当たり前に厳禁なのですが、よく私の前でいいますよね。
それともしかしてこの若手はNo.2が差し向けた二重スパイではないかと思ったりしていたら、頭の芯が痛くなってきました。
もしかして、実はNo.2とこの女子は頭上では手を結んでいて、かつてのNo.1の配下女性の流れを一気に断ち切ろうとする深謀かもしれません。
女性はやはり敵に廻したらいけません。
なぜかと申せば、男性のロジカルな思考経路ではこの知能戦というか情報戦の全容が皆目見当がつかないからです。まだリアルビジネスの方が楽です。
こういう話は素面で聞いてはいけないなと深く胸に刻んだ飲み会でありました。


意外な結末!




今日は静岡に出没です。
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まずは静岡の街並みを紹介します。
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徳川慶喜公屋敷跡です。
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お屋敷はこんなにも駅から近かったのですね。
この人多趣味です。
代表的なのは写真撮影ですが、この他にも油絵,狩猟,自転車でサイクリング、放鷹(ほうよう),打毬(うちまり),碁、将棋、刺繍、お菓子作り、能楽、投網(とあみ=網を使った魚釣りのことか)、それから毎日欠かすことなく晩年まで続けた弓道、さらには維新後に大阪城を訪ねたとき、様々最新の軍事兵器を紹介されたあと、おまけとして飯盒(はんごう)炊飯という、皆さんも小学校でやったこともあろうご飯作りを紹介されたのだが、兵器よりもこっちをえらく気に入り、自分でも実行している。
確か、孫もこの匠の技を継承していたはずです。

という事で今日のお店は「BISTRO THE FARM (ビストロ ザ ファーム)」さんです。

住所: 静岡県静岡市葵区紺屋町12-8 三晃社ビル 1F
電話:054-221-5250
定休日:無休営業(年末年始の休みを除く)

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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テレビ静岡の「あたりまえ散歩」のロケをやっていました。
インタビュアーはCOWCOW さんです。
しか〜し、 このハンバーグおいしいですね、を最低5回は言っていました。
なんだか興ざめでしたね(笑)

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メニューです。

今日のオーダー「ザファームランチ&カフェセット」@1,200+@500=1,700円(外税)

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待つこと5分で「カボチャのクリームスープ」の到着です。
コクがあり且つ甘いのですが如何せんぬるうございました。
プチ残念です。

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待つこと10分で「前菜」の到着です。
特段のサプライズもなく強いて申せばキッシュがまずまずですか。
私の好みの味わいではありませんでした。

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待つこと24分で「ぶりのソテー、ゴボウのタプナードソース」の到着です。
見た目美味しそうです。
それでは実食です。
ぶりの臭みが取れていません。
タプナードソースが少ないのでは若しくはもう少し生姜を効かせた方が良かったとは思うのですが、ちょっと損した感じの一皿です。
ブリは難しいですよね・・・

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デザートのガトーショコラです。

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うん、これは今日一ですね。
しか〜し、これで帳尻合わされてもね。
TV撮影があったので調理が雑になったのでは・・・


新幹線の待ち時間でメールの整理です。
最近の静岡は、ここのケーキを食べに来ているような感じです。
そのお店とは「キル フェ ボン 静岡 」さんです。

住所: 静岡県静岡市葵区紺屋町12-8
電話:054-205-5678
定休日: 年中無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

今日のオーダー「ティラミス&珈琲」@1,007円です。
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待つこと9分でケーキセットの到着です。
甘さ控え目です。
マスカルポーネも控え目です。
上品な味わいです。
ベースのカリカリ感もたまりません。
うん、ここのパティシェフは腕がいいですね。
大満足な「ティラミス」でした。

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最後にこの女性は静岡で一番長い髪の持ち主です、多分。
みんな驚いてみていました。
ちなみに私もです・・・

それでは(^_-)

上野桜木 ラ・クール櫻

今日は「葵の間」です
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色々な偶然が重なり、私と奥様と長男は寛永寺内にある徳川慶喜公謹慎の部屋である「葵の間」を特別に見せてもらいました。なお室内は写真撮影厳禁ですのでnetよりの転載です。
歴史を紐解きますと、江戸幕府が慶応3年(1867)に大政奉還し、慶喜は征夷大将軍職を返上し、翌慶応4年(1868)に慶喜は、ここ寛永寺書院「葵の間」に二か月間蟄居していました。
案内していただいた僧侶の話では、慶喜さんはこの間でず〜っと瞑想し続けていたそうです。
それに疑問を持った私は僧侶に、慶喜さんは、その実読書三昧ではなかったのですか、と聞きますと、ひたすら恭順の意を示すために終日ひたすら瞑想し続け、部屋も雨戸を閉めており、わずかに開けた雨戸の隙間から差し込む日の光で時間の移ろいを確認されていました、との事でした。
さらに非公開の慶喜様が使用した雪隠も見せていただきました。
三畳くらいの畳敷の部屋の中央に雪隠がありました。
皆さんご存知でしょうか、今の和風便所は前方に金隠しがありますが、正しくは後ろにあるのが正しいのです。
ちょっと冷静に考えれば、ひどい下痢でもあんなところまで我が身の分身は飛沫しません。
実はあれって、もともとは金隠しではなく「きぬかくし」とか「きぬかけ」と呼ばれていたのです。
昔の人は裾野長い着物を着ていましたから、それが汚れないように、着物の裾をまくりあげて立てかけておくための板が金隠しの由来です。
その板はトイレの前ではなく、後ろに設置されていたのです。
ちなみに慶喜様の「きぬかくし」は上品な飾り装飾が施された井桁の横三本格子でした。
さらに慶喜様は用便をすますとお付きの者が紙を手渡してくれるので雪隠内には紙置きがありません。
すごいですね。
さらにこの雪隠は深く底までは4〜5Mもあるそうです。
そこで、なんでそんなに深く掘ったのですかね、と聞きますと、それは不明です、と返されたのですが、正しくは便所の底に暗殺者がひそみ槍で突き殺されるのを防止されるためなのですが、さすがにそこは槍だけに突かなかったのです。いずれにしても歴史の1ページを見る事ができました。

個人的には慶喜さんと言えば、10男11女に恵まれ合計21名の「子宝チャンピオン」の方という認識です。
これは、11代家斉(55名)、12代家慶(29名)に次ぐ第3位です。しか〜も産まれた子供は全て明治に入ってからの子供であり、厳密に言うと、将軍で無くなってからの記録と言えます。
正室との間には一子が生まれましたが、夭折してしまい、以後、子供が生まれる事はありませんでした。
慶喜さんの子供は、全て二人の側室との間に出来た子供です。
普通、側室同士と言えば、仲が悪いモノと思いますが、それは慶喜の側室に関しては当てはまりませんでした。
側室は、幸さんと信さんの二人でしたが、慶喜の寵愛を競う事もなく、夜の勤めも、日替わりで勤めるなど関係も良好でした。
慶喜もそんな二人をとても気に入り、就寝では、3名で川の字になって寝るなど奇妙な程に仲良しだったのです。
側室二人は、21名の子供も分け隔てなく愛し、子供達は、どちらの親のお腹から産まれたか分からない程だったと言います。ここまで、居心地のよい環境なら、子供も自然に多くなるのはうなずける理屈だと思われます。
その影響か現在徳川家は18家にも増殖したそうです。
さもありなんです。


第6回公共広告CM学生賞優秀賞「猫と女子高生」



今日はふりネタの通り上野に出没です。
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今日は甘味です。
いつも行列ができているお店ですが、今日は空いていたのでお邪魔しました。
今日のお店は「ラ・クール櫻」さんです。

住所: 東京都台東区上野桜木2-19-1
電話:03-3821-4463
定休日:月曜日(祝日の際は翌火曜日)

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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「ちい散歩」でも紹介されています。

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メニューです。

今日のオーダー
私「あんみつ」@500円
奥様「おしるこ おぐら 餅入り」@550円
長男「(冷)ぜんざいアイスクリームのせ」@550円
店内は外国人夫婦と私たち家族だけですので陽だまりのまったりした空気に室内は支配されていました。
待つこと12分ですべてが供されました。
甘味には全て本格的な抹茶が付きます。

見た目きれいですね。
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私が頼んだ「あんみつ」は寒天、ギュウヒ、ミカン、パイナップルが乗っていました。
味ですか、とても美味しいです。
と申しますのはここのつぶ餡は甘さ控えめで私の好きな味わいなのです。
脇役のミカン、パイナップルとの相性も抜群でした。

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おしるこ、ぜんざいも同様に甘さ控えめです。
このお店は美味しいですね。
まったりとした空間で甘さに心をとろけさせたいお方にお奨めです。

それでは(^_-)

続 神田 西海

今日は「Last Shogun」の話です。
徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ)は、江戸幕府第15代征夷大将軍(在職:1867年〜1868年)。
江戸幕府最後の将軍で征夷大将軍に任じられた最後の人物です
御三卿一橋徳川家の第9代当主として将軍後見職・禁裏御守衛総督など要職を務めた後に徳川宗家を相続、第15代将軍に就任しました。
大政奉還や新政府軍への江戸城明け渡し(無血開城)を行ない明治維新後に従一位勲一等公爵、貴族院議員となられています。

このLast Shogun、徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ)さん、後半の人生ではケイキさんと呼ばれており美味しいそうな名前(呼び名)になったのですが、もともとはよろこぶが2つ重なっておりとてもめでたい名前なのです。

ということで、本日のフリネタは徳川 慶喜さんトリビアです。
宜しかったらお付き合いください。

◆将軍の食事
将軍のご飯は炊きません。炊かずに蒸すのです。いまでいう強飯(こわめし)です
おまけに毒見やらなんやらで冷めています。
ちなみにお米は一粒々が調理人よって厳選された最上級のお米でしたので、炊いたらどれだけ美味しかったのかとの想像がかきたたれます。
お酒はaperitif(食前酒)は許されず、食後のみ(呑み?)しかいただけなかったそうです。
空きっ腹にかけつけ三杯は×ですね。

◆将軍と江戸城
慶喜さんは信じられないのですが将軍として江戸城に入ったことは一度もありません。
京都にいるとき将軍となり、京都で将軍を辞め、そのまま江戸城に戻ってきたからです。
その後しばらく江戸城にいたのですが、大奥の女性からは、将軍職を投げ出した男として、陰険な意地悪をされたようです。
さらに当時では珍しい豚肉を食べるのがお好きだったようで、端(はな)から大奥での評価は惨憺だったものだそうです

◆将軍は多趣味
慶喜さんは人生の後半多趣味だったようです。
写真に熱中したのは有名ですが、刺繍、工芸、陶芸、油絵、乗馬、サイクリング、ドライブ、狩猟、釣り、投網、弓、能、書、和歌、囲碁、将棋、俳句、日本画、鶴の飼育、打毬、洋弓、小筒、放鷹などがあり、これらはどれも、名人とまではいかないものの上手の域に達していたそうです。

◆大政奉還
慶喜さんは大政奉還をしましたが、徳川家からするとこれはおかしなことらしいそうです。
徳川家初代の家康は、自分の力で天下をとったのであって、別に当時の天皇から大政を預かったわけではないのです。したがって預かってないものを返すのは変だという論調が当時はあったようですよ。

◆将軍の好物
慶喜さんの好物は「蒲鉾」です。
これは父で水戸にいる斉昭からの手紙に
「このかまぼこ微小ながら御好み故(かまぼこを少しだが、好物なので贈った)」
と書かれていことからの推察です。

元幕臣、江戸市中取締観察隊長、木村安兵衛が当時主流だったフランスパンが硬くて食べにくいのに注目して、冷やしても柔らかいパンを考えました。
そのパンには餡が入っていて、さらに甘みを引き締めるため、パンの上に塩漬けにした奈良県吉野山の塩漬けにした桜をのせました。
そうです、いわずとしれた「木村屋のあんぱん」です。
これを友人の山岡鉄舟さんがわざわざ駿府の慶喜さんのところまで行って献上したところ、慶喜さんは病みつきになったようです。
その後、山岡鉄舟さんが天皇陛下の侍従になられ、なかなか駿府に行けなくなった時に、代わりにとどけていたのが、海道一の大親分、清水次郎長だったそうです。

幕末にはイギリス公使パークスらとの晩餐会ではコーヒーを飲みながら一時間ほど談笑し、この時は巻煙草とリキュール酒も頂いたとのことで、慶喜さんの開明性の一端を示しております。しかし幕末の時にコーヒーを飲んでいたとはすごいですね。
この辺りの進取の精神は大分遡りますが、同じ血脈の日本で最初にラーメンを食べた先祖の水戸黄門さんに似ているようですよ。隔世遺伝ですか・・・
「徳川慶喜家の食卓」徳川慶喜家当主徳川慶朝著より転載

個人的には、私の慶喜さん評価は他の方々とは少し違います。
この最後の将軍が常人とかけ離れているのは、その子供の多さです。
その数10男11女で21名です。しかも皆本妻の子ではなく、二人の側室との間に儲けた子女です。まあそれはそれでいいのですが、問題は子供の多さです。
多分ですよ、慶喜さんは人生双六のなかでとんでもない賽を振ったために、なることを夢想だにしなかった将軍になり、そして時勢の流れで将軍を返上するという軌跡とあいなったわけです。
将軍を辞した後は不遇をかこつており、ご紹介の通り元来才能あふれた英才であったためその鬱屈したものを多趣味に転化しましたが、その陰(かげ)の部分として、まさに人間ダイナモと化して徳川家の繁栄に資したのではないかと忖度しているのです。
それしにしても21名ですか・・・


He looks like an octopus with ADHD(多動性障害)



今日は神田に出没です。
今日は前回食べられなかった「西海」さんの特別定食を頂きに参りました。
という事で今日のお店は長崎料理の名店「西海」さんです。

住所: 東京都千代田区内神田2-8-5 山口ビル1F
電話:03-3254-4780
定休日:土曜・日曜・祝日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

特別定食です。
この特別定食を食べるのには13時を過ぎなければなりません。
よって満を持して13時に到着するように参りました。
席につくやいなやお店の人に「特別定食」と発声すると、お店の人がおもむろにやってきて、口に手をあてます。
まさかここで「ヤッホー」の練習をするのかと思いきや、大きく深呼吸したのち小声で「麻婆豆腐は凄く辛いけど大丈夫ですか」言われました。
最初意味が分からず考えていたのですが、2〜3秒後に「大丈夫です」と返しました。
不思議な儀式ですネ(笑)

待つこと10分で着皿です。
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特別定食は、麻婆豆腐、小ちゃんぽん、角煮、水ギョウザ、小鉢、ライスで@900円です。
それでは実食です。

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小チャンポンは前回頂いた時よりさらにクリーミーで本当に美味しいですネ。

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角煮はほのかな甘さが感じられ、お肉はもうお箸でさっくりトロッと切れるくらい本当にやわらかく煮込まれています。これは絶品ですね。

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水餃子の皮はもちもちしていたのですが如何せん温かくなかったので平板な味わいでした。

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麻婆豆腐は八角がよくきていてしかも辛いです。
これだけで充分にオカズになってしまうイキオイです。
そうそう味はとても美味しいですね。このオカズ兄弟の中では首一つ抜きんでいます。

しかし、このパフォーマンスで900円はかなりのお得感があります。
時間がゆるせばもう一度いただきたいランチでした。

それでは(^_-)
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