下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

彰義隊

池袋 タカセ 13th

今日は「縁(えにし)」です。
彰義隊墓
私が幼少の頃、家から近いこともあり父はよく上野公園に私を遊びに連れてきました。
そして父は上野公園にくると、必ずこの上野彰義隊墓所で墓参をさせていました。
その当時の父の説明では、彰義隊は命を賭けて江戸を守ったとの事でしたが、長じて彰義隊の悲惨な歴史譚を見ますと、父の説明は正鵠を射ておりませんでしたが、それはたいした問題ではありません
その彰義隊ですが、明治戊辰の役、即ち上野戦争において江戸っ子侍の壮丁(働き盛りの男)数百人が斬り死にしたことと、その後にこの戦争で勝ち誇った薩長人の得意顔の市中の大闊歩は、古今を通じてこれほど江戸っ子に痛痕の衝撃を与えたことはありません。 
ということを私は幼児の頃、地元の古老よりよくその憤慨を聞かされていました。
いずれにしても、それほどにも徳川幕府の壊滅や彰義隊壮丁多数の戦死は、江戸っ子の痛憤のきわみで、戊辰戦後の江戸っ子は怒りと哀愁でみちていそうです。 
まことに彰義隊士の奮起は、徳川武士の立場として止むに止まれぬ江戸っ子侍の行為であったと言われていました。特に、敵を迎えて何の要営もなき丘での無謀の戦い、時の大勢に反抗して28,000人の大軍に対してわずか2,000人との少数で挑めば、その敗北ははなから知れたことです。
血気に走る烏合の衆との酷評をなす幕末歴史評論家もおりますが、彰義隊はそんな軽率なものではないと思います。武士道に殉じた尊き時代の犠牲者であり、その戦死に江戸っ子が深く哀悼をなすも道理であったと強く思うところであります。

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上野の山で戦った彰義隊ですが、隣接する忍不池にも悲劇がおきていました。
戦いに敗れ、忍不池の蓮池に潜み、ときおり水面に出て息を吸うところを生け捕りになり、殺された彰義隊士もいたそうです。
ちなみに当時本所に妻、子供を寓居に住まわせていた新撰十番隊長の原田左之助は家族に、上野の山の戦いに行ってくる、と言い残してその戦闘での負傷がもとで落命しております。まるでコインの裏表のような政権の激変から将来に絶望し、原田左之助のように死に場所を探して参戦して人も数多くいたのではと個人的には思っております。
江戸っ子がいちばん憤ったのは戦いで死んだ新政府軍の遺体は即座に荼毘にふされたのですが、彰義隊の遺体は見せしめのために放置されていたことです。
戦争が梅雨時だったことも相俟って遺体の損傷がひどく、勝海舟の尽力があって始めて遺体の埋葬が叶ったそうです。

今回、色々な偶然が重なって私の菩提寺となった寛永寺は、くだんの彰義隊をかくまったという事で全山没収の上、関係者は退去を命じられたのです。
このようなまさに寛永寺存続の危機であったにもかかわらず、寛永寺では彰義隊を供養しようと考えました。
しか〜し、国家の敵である彰義隊を、堂々と供養するわけにはいきません。
そこで寛永寺子院の寒松院と護国院の当時の住職が、それぞれの寺名から一文字を取って「沙門(お坊さんの意)松国」と名乗り密に供養を行ったのです。
こうしたことから、寛永寺では上野戦争当日の5月15日に一山住職が揃って毎年法要を行っているのですが、150回忌にあたる今年は、追悼のため境内で鳴鍾が行われたそうです。
この偶然の縁(えにし)は驚きました。
何でこのような偶然に驚くかと申しますと、私の名前にはその彰義隊に対するリスペクトからその一文字の「彰」が使われているからなのです。


これは軍隊訓練、笑います。


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久々に美味しい洋食が食べたくなりました。
今日のお店は立教ボーイ御用達の「タカセ」さんです。

住所: 東京都豊島区東池袋1-1-4 3F
電話:03-3971-0211
定休日:無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です

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メニューです。

きょうのオーダー「サーモンステーキ&ライス」@900+@180=1,080円です。
今日は店内ほぼほぼ満席です。
多分に美味しいからでしょう。

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待つこと2分テーブルセットの到着です。

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待つこと10分サーモンステーキの到着です。
見た目、美味しそうです。

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それでは実食です。
サーモンはほっこりと焼けています。
脂が過不足なくのっています。
上品な味わいです。
加えて塩の加減がいいですね。
特に今日はパリパリの皮の後ろの脂身が秀逸でした。
サーモンステーキの美味しさの極みってこの部位ではないかと思っています。
いつもながら最後まで飽きずにいただきました。
何度食べてもこれは絶品です。
満足なディナーでした。

それでは(^_-)

上野 黒門

今日は「蓮の開花の音」です。
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前回話題にしました通り、蓮の開花する際に鳴る“ポン”という音をわざわざ不忍池まで聴きに行きました。
当初は私と奥様だけだったのですが家で暇こいている次男もjoinすることになりました。
ということで本日は5時起きです。
朝の支度をテキパキとしたおかげで不忍池には6時に到着です。
いるわ、いるわ、人・人・人で不忍池は煮えたぎっています。
日本人って早起きなのですね・・・

エジプトの女王は、蓮の開花の音を目覚まし代わりにしていたそうです。
さぞかし雅やかな音色なのでせうね・・・
それでは不忍池の蓮の開花音に耳を傾けます。
シーン・・・
音がしないではありませんか。
今日は蓮様のご機嫌が悪い、まさか、そんなことってあるんですか。
私と奥様とがこの件で甲論乙駁(こうろんおつばく)を続けていると、Nikonの高級一眼レフをもっているカメラマンさんが親切にも私達に教えてくれました。
彼の説明では、蓮の花ってゆっくりと開花するので音なんか鳴るわけがない、とのことでした。もしその音を聞いたという人がいるのであれば、蛙が池に飛び込んだ音を勘違いしたんだろう、とのことでした。
というのも不忍池で朝もはやから暇こいているおじいさん、おばあさん達から彼が蓮の開花音の話を色々と聞きつけた上での結論とのことでした。
要は所謂一つの都市伝説のようです。

Netでも以下のような記載を見つけました。
古い文献にもハスの開花音についての記述がありますし、啄木の詩にも「静けき朝音たてて白き蓮花のさくきぬ」、正岡子規の句にも「蓮開く音聞く人か朝まだき」や「朝風にぱくりぱくりと蓮開く」などと詠われ、それらの印象から、ハスの花が音を立てて咲くと信じている人が今でもあるようです。静かな水面に次々と音を立てて咲くハス、なかなか愉快なシーンですが、残念ながら開花時には音を立てません。このことは、千葉県検見川の1200年頃の地層から大賀一郎博士によって発掘された種子から得られた大賀ハス(2000年ハス)で実証されています。開花時の振動を500倍に増幅して測定しましたが、花弁の擦れ合うごくわずかな振動があるだけで、開花音ではないことが科学的に証明されました。
(原体験コラム集より)

どうやらこの話はハスの開花の有様から生まれたロマンのようです。
しか〜し人騒がせな都市伝説ですね・・・

折角ですから上野周辺のパチリを紹介します。

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大白鳥の集団です。
静かすぎて不気味です・・・

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正岡子規記念球場です。
この球場の名前を冠している正岡子規は、明治初期に日本に野球が紹介されて間もない頃の愛好者であり、1886年(明治19年)〜1890年(明治23年)頃、この球場がある上野公園内で野球を楽しんでいたといわれています。
その証拠に子規の随筆「筆まかせ」の中に、明治23年3月21日午後、上野公園博物館横の空き地で試合を行った事が書かれており、その時子規は捕手を守っていた事が分かる内容が書かれています。
その後、子規は野球を題材とした俳句や短歌・小説・随筆を発表して野球の普及に貢献しています。また、数々の野球用語を日本語訳したことも知られています。
このような功績を称え、上野恩賜公園開園式典130周年を記念し、2006年(平成18年)7月21日に上野恩賜公園野球場で句碑の除幕式と正岡子規記念球場の愛称が披露されました。
碑には「春風や まりを投げたき 草の原」の句が刻まれています。

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上野の待合せspotとなってしまった西郷隆盛像です。
西郷さんは戊辰戦争で上野を焼き尽くした官軍の中心人物なのに、どうしてその上野を眺めるような場所に像を立っているのかという話があります。
実は、西郷さんは当初皇居の前に立てられる予定だったそうです。
それに対し、西南戦争で政府に対し叛乱を起こした者の銅像を皇居に立てるのはいかがなものか、という反対が出て、上野になったといわれています。
自分が焼け野原にしたところに立たせて、いささかバツの悪い思いをさせてやろうという意地悪な気持ちが政府にあったのかもしれませんね。
西郷さんのすぐ後ろには、官軍が壊滅させた彰義隊隊士たちの墓があります。
今度西郷さんが何かを仕掛けようしても、後ろから銃を突きつけて絶対阻止してやるぞ、という意思表示なのかもしれないと言われています。

ちなみに1899年、上野公園の銅像除幕式に列席した西郷さんの未亡人イトさんが西郷さんの銅像を見た瞬間、「宿んしは、こげなお人じゃなかったこて」(うちの人は、このような人ではなかったのに」)と思わず声を出すと、隣席に腰かけていた西郷縦道がイトの足を踏んでたしなめたというエピソードが噂となって全国に広まったそうです。
それが元になって銅像の西郷隆盛の顔は本物と似ていないと信じる人が増えたということを物の本で読んだことがありますが、このイトさんの言葉は「銅像の顔が記憶に残る亡夫の顔と似ていない」ことを意味するのではないようで、「銅像のように、西郷が着物姿で人前に現れるはずがない」という意味であったと、新人物往来社編集の『西郷隆盛 七つの謎』に書いてありました、プチトリビアです。

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その西郷さんの後ろにある彰義隊の墓です。
この彰義隊ですが、明治戊辰の役、上野戦争における彰義隊の敗北で、江戸ッ子侍の壮丁数百人が斬り死にしたことと、勝ち誇った薩長人の得意顔の市中の大闊歩、古今を通じてこれほど江戸ッ子に痛痕の衝撃を与えたことはありません。 
ということを私は幼児の頃、地元の古老よりよくその憤慨を聞かされていました。
といってもその古老も父親ないし祖父からのimprint(擦り込み)ですが。
いずれにしても、それほどにも徳川幕府の壊滅や彰義隊壮丁多数の戦没は、江戸ッ子の痛憤のきわみで、戊辰戦後の江戸ッ子は怒りと哀愁でみちていたそうです。 
まことに彰義隊士の奮起は、徳川武士の立場として止むに止まれぬ江戸ッ子侍の行為であったと言われていました。敵を迎えて何の要営もなき岡に無謀の戦い、時の大勢に反抗して大軍に挑む(2,000人VS28,000人)、敗北は知れたこと、血気に走る烏合の衆との酷評をなす幕末歴史評論家もおりますが、彰義隊はそんな軽率なものじゃありません。
武士道に殉じた尊き時代の犠牲者であります。戦没に江戸ッ子が深く哀悼なすも道理であったのです。

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長男を良く遊びに連れてきた「上野子供遊園」です。
長男はこのような車を運転していればどんなにぐずっていてもご機嫌がなおりました。
当時はタクシーでしたが、今はパトカーに変わっていました。
時の移ろいを奥様と二人で感じいっていました・・・

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最後に何ともふてぶてしいニャンコがいたのでパチリしました。
昔はこのようなニャンコが魚屋さんから魚を盗んでいたのです・・・


時計を見るとまだ7時15分です。
お腹が空きました。
ということでファーストフード店以外を探していたらこのお店にたどり着きました。
今日のお店はきねやホテル内にある「黒門」さんです。

住所: 東京都台東区上野2-14-28 きぬやホテル
電話:03-3833-1916
定休日:無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

今日のオーダーです。
私は「洋食(ベーコンオムレツ、パン、スープ、サラダ、季節の果物、珈琲)」@900円です。
奥様は「中華粥(中華粥、スープ、サラダ、杏仁豆腐、紅茶)」@900円です。
次男は「ホットドッグ(ホットドッグ、スープ、サラダ、紅茶)」@700円です。
最初店員さんは、定食類はただいま混みあっているので(きぬやホテルの宿泊客優先)、定食系の料理のでき上がる時間は全くわかりません、と木で鼻を括ったような言い方をしたものですから、私の目がつり上がったのです。
しか〜しすぐに奥様からイエローカードがでた為に口から出かけた言葉を呑み込んで沈黙していました。
しかしなんともひどい説明ですね、空いた口がふさがりませんでした。

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それでも待つこと15分で「洋食」の到着です。
あれつ、見た目おいしそうじゃん定食、です。
それでは実食です。
ベーコンオムレツはトロトロで美味しいです。
サラダも冷えていてしかもedgeがたっていてイケます。
スープもまずまずの味です。
このような逆期待裏切り料理はwelcomeです。
とても美味しいです。
かなりクリビツしました。

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待つこと17分、「中華粥」の到着です。
これも、見た目おいしそうじゃん定食、です。
これは「中華粥」の味わいが深いです。
かなりのレベルです。
特筆するのは「杏仁豆腐」です。
これは味が濃いです、多分ココナッツシロップを使ったのものではなくて原材料が作られたものです。
これは超ウマウマです。これまたクリビツです。
とても美味しいです。

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待つこと21分、「ホットドッグ」の到着です。
あれっ、ホンマモンのホットドッグじゃん、です。
これはウィンナーのカリカリ炒めが光っています。
パンの焼き具合も過不足ありません。
これはイケます、ここでもさらにクリビツです。
とても美味しいです。

このお店は接客こそ噴飯ものですが、味のレベルはかなり高いと申して宜しいでしょう。
今度訪問したときは接客マナーを従業員に教えられない店長を更迭しておいてください、ハイ。

それでは(^_-)

東池袋 伊東食堂

今日は「彰義隊異聞」の話です。
白虎隊
一枚の絵があります。
この絵は、はるか昔上野公園の西郷さんの銅像の後ろにある上野彰義隊墓所に屋外展示されていました。今も現存するかどうか未確認ですので不明ですが。
私はこの壮絶な絵を物心ついてから数えないくらい見ています。というか、正しくは見せられていたのです。

彰義隊墓
幼い頃の私は父に連れられて上野公園にくると、必ずこの上野彰義隊墓所で墓参させられて、そのついでにこの壮絶な絵を見せられていました。
そしてこの絵は彰義隊の戦士の自刃画だと小学校高学年になるまで信じていたのです。
そしてこの絵を見る度に、このような小高い山々がどこにあるのかいつも上野の山から周囲を見回していたのです
歴史に造詣のある方はこの画が白虎隊自刃の図であることがお分りだと思います。
白虎隊は負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びましたが、ここから眺めた戦闘による市中火災の模様を、若松城が落城したものと誤認して悲観、その結果総勢20名がこの場所で自刃を決行したといわれています。事実は少し異なるようですが。

何で上野彰義隊墓所にこの絵が掲示されていたのかは不明ですが、それ以上に幼児にこのような刺激的な絵をみせるという我が父親の情操教育は如何なものなのかなと今となっては思うところではあります。
一つだけ父親の弁護をしますと、実は私の名前にはこの彰義隊の「彰」の字が使われており、私が長じて「彰」の字を説明するときには、彰義隊の「彰」と言わせるべくの深謀遠慮だったらしいのです。しかしpracticalな話「彰」の字を説明する際には、彰義隊の「彰」より「表彰状」の「彰」の方が万民の方には理解されていたのでした。
東京の下町ならともかく、「彰義隊」のことを知っている人は数少なく、昨今の若年層の歴史離れにより年々急速に「彰義隊」のことは希釈されてきましたからね。

その彰義隊ですが、明治戊辰の役、上野戦争における彰義隊の敗北で、江戸ッ子侍の壮丁数百人が斬り死にしたことと、勝ち誇った薩長人の得意顔の市中の大闊歩、古今を通じてこれほど江戸ッ子に痛痕の衝撃を与えたことはありません。 
ということを私は幼児の頃、地元の古老よりよくその憤慨を聞かされていました。
といってもその古老も父親ないし祖父からのimprint(擦り込み)ですが。
いずれにしても、それほどにも徳川幕府の壊滅や彰義隊壮丁多数の戦没は、江戸ッ子の痛憤のきわみで、戊辰戦後の江戸ッ子は怒りと哀愁でみちていそうです。 
まことに彰義隊士の奮起は、徳川武士の立場として止むに止まれぬ江戸ッ子侍の行為であったと言われていました。敵を迎えて何の要営もなき岡に無謀の戦い、時の大勢に反抗して大軍に挑む(2,000人VS28,000人)、敗北は知れたこと、血気に走る烏合の衆との酷評をなす幕末歴史評論家もおりますが、彰義隊はそんな軽率なものじゃありません。武士道に殉じた尊き時代の犠牲者であります。戦没に江戸ッ子が深く哀悼なすも道理であったのです。

上野の山で戦った彰義隊ですが、隣接する忍不池にも悲劇がおきていました。
戦いに敗れ、忍不池の蓮池に潜み、ときおり水面に出て息を吸うところを生け捕りになり、殺された彰義隊士もいたそうです。

ちなみに当時本所に妻、子供を寓居に住まわせていた新撰十番隊長の原田左之助は家族に、上野の山の戦いに行ってくる、と言い残してその戦闘での負傷がもとで落命しております。まるでコインの裏表のような政権の激変から将来に絶望し、原田左之助のように死に場所を探して参戦して人も数多くいたのではと個人的には思っております。

江戸ッ子がいちばん憤ったのは戦いで死んだ新政府軍の遺体は即座に荼毘にふされたのですが、彰義隊の遺体は見せしめのために放置されていたことです。
戦争が梅雨時だったことも相俟って遺体の損傷がひどく、勝海舟の尽力があって始めて遺体の埋葬が叶ったそうです。

その彰義隊士の遺体は南千住の円通寺に埋葬されております。
ここには激戦の拠点「黒門」も移転されており、多数の弾痕はその戦闘のすさまじさを無言で表しています。

教王寺弾痕

 
教王寺
これは谷中にある新政府軍の射撃した弾の痕が門に残っている教王寺さんです。
彰義隊の一部は谷中まで敗走してこの寺に身をひそめていました。
しかしこの様に攻撃されたのでいたたまれずさらに逃走し、最後は千住まで追いつめられそこで壊滅したのです。
上野から千住といえば約6kmですので、武器を持っての逃避行ですから、かなりつらかったのではと想像するに難くありません。


今日は東池袋に出没です。
今日は地元サラリーマンに絶大の人気がある「伊東食堂」さんです。

住所: 東京都豊島区東池袋5-11-10
電話:03-3982-8601
.定休日:土・日・祝日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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名物「鳥羽の山カレー」です。
鳥羽の山とは店主の贔屓の関取だそうですよ。
このカレーは盛りがすごく、三人前だそうです、ハイ。

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本日のオーダー「焼肉カレー」@600円です。
元はサンシャインのそばにあったお店がこちらに移転しきたそうです。
それにしても超満員の店内ですね。
待つこと10分で着皿です。
見た目普通のカレーです。
味ですか、カレーはチョイ辛です。
ボリュームも普通です。
味噌汁も普通です。
何で超人気なのだろうと思わず考え込んでしまったのですが、これはやはりコスパでしょう。店内には多数のメニューが櫛比しており、夜の部の充実さがうかがえます。
鶏玉子論でいくと、夜の常連さんが昼の部にもなだれ込んでいるのだと断じたのですが如何でしょうか・・・

それでは(^_-)
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