今日は「坂本龍馬は梅毒だった」の話です。
龍馬が梅毒だったというのは以下の件(くだり)からきています。
惜しいかな、龍馬は十一月十五日、川原町通り近江屋の二階で暗殺された。千葉門下の有数な使い手の龍馬がどうしてむざむざやられたか。龍馬は梅毒を患っていた。それが運動神経をにぶらせたのでないか。龍馬が長崎にいた頃から梅毒であったことは、彼の弟子であった中江兆民が次の様に証言している。
当時の長崎の地は、独り西欧文明の中心として、書生の留学する者多きのみあらず、故坂本龍馬君等の組織する所の海援隊、亦運動の根拠を此地に置き、土佐藩士の往来極めて頻繁なりき。
(兆民)先生嘗(かつ)て坂本君の状を述べて曰く、豪傑は自ら人をして崇拝の念を生しむ、予は当時少年なりしも、彼を見て何となくエラキ人なりと信ぜるが故に、平生人に屈せざるの予も彼が純然たる土佐訛(なま)りの方言もて、「中江のニイさん煙草を買ふてきてオーセ」などと命ぜらるれば、快然として使いせしこと屡々(しばしば)なりき。彼の眼は細くして其(そ)の額は梅毒の為め抜上がり居たりと(幸徳秋水「兆民先生」岩波文庫8ページ)
「勝海舟伝」勝部真長著より転載
ところがこの兆民の記述に対して、高知県立坂本龍馬記念館の見解は以下の通りです。
中江兆民は龍馬の事を「其額は梅毒の為め抜上がり居たり」と語っているようですが、梅毒で髪が抜けるということはないようです。兆民以外で、龍馬の事を梅毒と語っている人はいない上に、兆民自身が龍馬と特に親しかったわけでもないですので、兆民の勘違いという事は十分考えられます。
一方このようなコメントもNET上にはありました。
竜馬は妻のお龍さんから梅毒をうつされており、幕末の活動中もオランダ人医師から治療を受けていました。かなり進行してしまい、前頭部が禿げ上がり、うまくちょん髷が結えない状態でした。平成になって発見された最新の写真でもそれが見て取れます。
個人的には当時の龍馬の動静からするとこの病気に成っていたことは充分ありえたと思います。しかしその当時の志士達は多かれ少なかれこの病気に罹患していたと思われますので不可避的なことではなかったのでしょうか。
高知県立坂本龍馬記念館の見解の通り、梅毒では髪が抜けるということはないらしいのですが、どうやら龍馬は暗殺直前には額は禿げていたようで、そのほうがイメージがくるって嫌ですよね…
※宜しかったら私の真説龍馬暗殺犯をご覧ください。
今日は何故か「ラーメン二郎」のラーメンが食べたくてまずは池袋店に立ち寄りました。しかし長蛇の列に嫌気がさし、桜台駅前店の方が多少空いているかなと考え踵を返し転進したのです。ということで今日は「ラーメン二郎桜台駅前店」です。
住所: 東京都練馬区桜台1-5-1
電話番号:非公開
定休日:日曜日、祝日は不定休
お店の外観です。Just21時にお店に到着です。行列は16人です、20分位かなと思い風邪引きではありましたが、寒い夜空の中行列に加わりました。すると見積もり時間の通り20分後には入店できました。
店内の雰囲気です。
今日のオーダーは「小ラーメン麺硬、麺少なめ」@650です。お約束の呪文は「野菜、ニンニク」です。ブレスケアを常備しているのでニンニクも気軽に頼めるようになりました。しかしここのお店は量が多いですね、麺少なめでも普通のお店の大盛ラーメン位の麺量です。麺は極太縮れ麺です。野菜はそれ程グダグダではなくシャキシャキしてイケました。濃厚な熱々クリーミースープも結構でした。途中から魚粉をいれてみたのですが味わいがふくよかになりました。豚(チャーシュー)はカネシが良く染み込んでいてホッコリジューシでとてもとても美味しいです
オールドジロリアンとしては、今まで食べたお店の中では、ここが大学時代三田で食べていた「ラーメン二郎」の味に一番近いものでした。
この画像は「ポパイさん」より転載
隣の同年代とおぼしきオジがこれをムシャムシャと食べており、何故か連(つら)れ見をしていたら、見ている私の方が胸一杯となってしまい、完食できず少し残してしまったのです。
駅の待合室で電車を待っていたら、このオジもやって来て胃の膨満感のせいかグッタリして横になっていました。腹も身の内だよ、と声がけしたい気持ちもあったのですが、まもなく入ってきた電車に乗り込みイソイソと帰途に着いたのでした。
龍馬が梅毒だったというのは以下の件(くだり)からきています。
惜しいかな、龍馬は十一月十五日、川原町通り近江屋の二階で暗殺された。千葉門下の有数な使い手の龍馬がどうしてむざむざやられたか。龍馬は梅毒を患っていた。それが運動神経をにぶらせたのでないか。龍馬が長崎にいた頃から梅毒であったことは、彼の弟子であった中江兆民が次の様に証言している。
当時の長崎の地は、独り西欧文明の中心として、書生の留学する者多きのみあらず、故坂本龍馬君等の組織する所の海援隊、亦運動の根拠を此地に置き、土佐藩士の往来極めて頻繁なりき。
(兆民)先生嘗(かつ)て坂本君の状を述べて曰く、豪傑は自ら人をして崇拝の念を生しむ、予は当時少年なりしも、彼を見て何となくエラキ人なりと信ぜるが故に、平生人に屈せざるの予も彼が純然たる土佐訛(なま)りの方言もて、「中江のニイさん煙草を買ふてきてオーセ」などと命ぜらるれば、快然として使いせしこと屡々(しばしば)なりき。彼の眼は細くして其(そ)の額は梅毒の為め抜上がり居たりと(幸徳秋水「兆民先生」岩波文庫8ページ)
「勝海舟伝」勝部真長著より転載
ところがこの兆民の記述に対して、高知県立坂本龍馬記念館の見解は以下の通りです。
中江兆民は龍馬の事を「其額は梅毒の為め抜上がり居たり」と語っているようですが、梅毒で髪が抜けるということはないようです。兆民以外で、龍馬の事を梅毒と語っている人はいない上に、兆民自身が龍馬と特に親しかったわけでもないですので、兆民の勘違いという事は十分考えられます。
一方このようなコメントもNET上にはありました。
竜馬は妻のお龍さんから梅毒をうつされており、幕末の活動中もオランダ人医師から治療を受けていました。かなり進行してしまい、前頭部が禿げ上がり、うまくちょん髷が結えない状態でした。平成になって発見された最新の写真でもそれが見て取れます。
個人的には当時の龍馬の動静からするとこの病気に成っていたことは充分ありえたと思います。しかしその当時の志士達は多かれ少なかれこの病気に罹患していたと思われますので不可避的なことではなかったのでしょうか。
高知県立坂本龍馬記念館の見解の通り、梅毒では髪が抜けるということはないらしいのですが、どうやら龍馬は暗殺直前には額は禿げていたようで、そのほうがイメージがくるって嫌ですよね…
※宜しかったら私の真説龍馬暗殺犯をご覧ください。
今日は何故か「ラーメン二郎」のラーメンが食べたくてまずは池袋店に立ち寄りました。しかし長蛇の列に嫌気がさし、桜台駅前店の方が多少空いているかなと考え踵を返し転進したのです。ということで今日は「ラーメン二郎桜台駅前店」です。
住所: 東京都練馬区桜台1-5-1
電話番号:非公開
定休日:日曜日、祝日は不定休
お店の外観です。Just21時にお店に到着です。行列は16人です、20分位かなと思い風邪引きではありましたが、寒い夜空の中行列に加わりました。すると見積もり時間の通り20分後には入店できました。
店内の雰囲気です。
今日のオーダーは「小ラーメン麺硬、麺少なめ」@650です。お約束の呪文は「野菜、ニンニク」です。ブレスケアを常備しているのでニンニクも気軽に頼めるようになりました。しかしここのお店は量が多いですね、麺少なめでも普通のお店の大盛ラーメン位の麺量です。麺は極太縮れ麺です。野菜はそれ程グダグダではなくシャキシャキしてイケました。濃厚な熱々クリーミースープも結構でした。途中から魚粉をいれてみたのですが味わいがふくよかになりました。豚(チャーシュー)はカネシが良く染み込んでいてホッコリジューシでとてもとても美味しいです
オールドジロリアンとしては、今まで食べたお店の中では、ここが大学時代三田で食べていた「ラーメン二郎」の味に一番近いものでした。
この画像は「ポパイさん」より転載
隣の同年代とおぼしきオジがこれをムシャムシャと食べており、何故か連(つら)れ見をしていたら、見ている私の方が胸一杯となってしまい、完食できず少し残してしまったのです。
駅の待合室で電車を待っていたら、このオジもやって来て胃の膨満感のせいかグッタリして横になっていました。腹も身の内だよ、と声がけしたい気持ちもあったのですが、まもなく入ってきた電車に乗り込みイソイソと帰途に着いたのでした。