今日は「巌流島決闘」の話です。
宮本武蔵と佐佐木小次郎との「巌流島の決闘」は宮本武蔵の一太刀で雌雄を決しましたがこの勝因は何だったのでしょうか。
1612年(慶長17年)5月13日、実力伯仲の佐々木小次郎との、巌流島での戦いでは、武蔵が燕返しの刃渡り3尺1寸(94cm)の刀に対して、4尺2寸(1m27cm)の「木太刀(きだち)」を武器としたことが最大の勝因です。武蔵はその武器を木太刀(きだち)で作ろうとして、鉋(かんな)、鋸(のこぎり)を使って古びた櫂を削りだしたのです。結果この工作のために決闘の時間に遅れたのですが、兵法家の武蔵としては織り込み済みの遅延です。
一方の小次郎は武蔵が二刀流で打ち向かってくるものと確信しており、二刀の場合、長剣のほうはあまり長くてはあつかいに困ります。よって小次郎は自分の長剣の方が有利という自ら作った陥穽(かんせい)にはまっていったのです。結果この33cmの差によって小次郎は脳天を砕かれ、武蔵はむこう鉢巻の結び目が切れただけで終わったのです。
実際の戦いの場では武蔵は最後の最後まで、「木太刀(きだち)」の長さを小次郎に悟られないように、背の後ろに斜めに構えて対戦に望み、小次郎のほうは、物干し竿と呼び名される自分の長い武器を信頼し、武蔵の所持する武器について長さを判断せずに、最後まで確認することなく戦ったために負けたのです。
「宮本武蔵」司馬遼太郎著より転載
武蔵の勝因は意図的な遅れは勿論ですが、なぜ鞘を捨てる、という声かけ心理作戦も奏功したのはいうまでもありあません。また現場をよく下見をして、干満の砂地の状態・太陽の位置・海に反射する陽光などを調べたことなどの環境分析も勝利に貢献したのです。
生涯に試合うこと六十余度、勝利を得ざることなし---剣の道を極めた武蔵、この巌流島においても今迄の戦歴のdatabaseが活かされています、さすがですね。

小島屋総本店1
今日は新潟は燕三条に出張です。
今日のお店はへぎそば名店の「小島屋総本店」県央店さんです。

住所: 新潟県燕市井土巻3-65
:0256-66-3003
休日:不明


小島屋総本店22
お店の外観です。

小島屋総本店23
店内の雰囲気です。

小島屋総本店24
「へぎ」の語源です。

小島屋総本店27
ゴマを擂(す)ってツケ汁に入れます。

小島屋総本店25

小島屋総本店26
今日のオーダーは「へぎそば」@735です。
良く冷えてedgeのきいた蕎麦です、さすが本場の味ですね。
石臼挽きによる製粉ですが、あまり蕎麦の香りは強くないものの口当たりよく結構でした。
美味しゅうございました、ご馳走様でした

それでは(^_-)