今日は「セブンティーン」です。
日本人に一番の衝撃を与えた17歳の若者は、山口二矢(おとや)さんです。
山口二矢さんは、日本の右翼活動家、民族主義者および反共主義者で、1960年(昭和35年)10月12日に発生した浅沼稲次郎暗殺事件の実行犯であります。
1960年(昭和35年)10月、政党代表放送で演説中の日本社会党の党首浅沼稲次郎を小刀で殺害しました。
逮捕後、「後悔はしていないが償いはする」と口にして裁判を待たず、東京少年鑑別所内で「天皇陛下万才、七生報国」との遺書を残して首吊り自殺しました。
わずか17年の人生でした。
犯人の山口さんは少年だったこともあり、この事件をきっかけに「子供に刃物を持たせない運動」が始まりました。
それにより、それまでは鉛筆削りや工作に使用されていた肥後守を始めとする刃物が子供から取り上げられ、以後続く刃物規制の始まりの一つとなったのです。
個人的には、この事件については特段の興味もありませんのでなにも語りません。
というか時代が古すぎて政治的背景が分らないのです。
しか〜し、この事件で一つだけ心に残った事があります。
それは山口少年の自殺の翌日の浅沼委員長の妻・享子さんの談話です。
山口少年の自殺は、けさ新聞ではじめて知りました。山口少年が憎いというより、むしろ気の毒な気持ちです。
17の少年にあのような思想を吹き込み、暗殺にかりたてた背後の力に対し、あらためて腹の底から憎しみが燃えあがってきます、というものです。
罪を憎んで人を憎まず、ですがなかなか言えるものではありません。
たいした人です。
ちなみに、浅沼委員長と享子さんとのなれそめは大正末から昭和に改元される頃で、当時社会主義運動に身を投じた浅沼委員長らは、享子さんが働いていた喫茶店をたまり場としていたそうです。
結婚後も恐妻家、愛妻家として知られていました。
合掌・・・
今日は、大阪出張からの帰路、暮れなずむ東京駅に滑り込みました。
今日はライトランチでしたのでお腹がすきました。
東京に戻ってから、大阪で食べようと思っていたお好み焼きを、リベンジということで食べたくなりました。
今日のお店はお好み焼き「きじ」丸の内店さんです
住所: 東京都千代田区丸の内2-7-3東京ビルB1
電話:03-3216-3123
定休日:不定休
お店の外観です。
店内の雰囲気です
メニューです。
きょうのオーダー「豚玉」@850円です。
待つこと5分で「さんて寛皿」の到着です。
「さんて寛」という名前は、「来て」「見て」「食べて」の3つの「て」と「寛いで」が合わさった造語です。
待つこと14分で「豚玉」の到着です。
見た目、茶色と緑色は合うなと思わせました。
それでは実食です。
いつも感じる生地のふんわり感と生地自体のうま味も感じられずどちらかといえば固めです。カリッと焼けた豚肉の美味しさも、今日はそれも感じられず、加えて赤囲みのオコゲが苦くて、ここは本当に「きじさんですか?」という感じです。
理由を考えたのですが、今日の焼き方は黒服Tシャツさんで、白の半袖コックコートの方ではありません。
私は特段黒服Tシャツさんを指名していません。
誰が焼いても構いませんが、いつも高品質で美味しいお好み焼きを供して欲しいと強く思うところであります。
日本人に一番の衝撃を与えた17歳の若者は、山口二矢(おとや)さんです。
山口二矢さんは、日本の右翼活動家、民族主義者および反共主義者で、1960年(昭和35年)10月12日に発生した浅沼稲次郎暗殺事件の実行犯であります。
1960年(昭和35年)10月、政党代表放送で演説中の日本社会党の党首浅沼稲次郎を小刀で殺害しました。
逮捕後、「後悔はしていないが償いはする」と口にして裁判を待たず、東京少年鑑別所内で「天皇陛下万才、七生報国」との遺書を残して首吊り自殺しました。
わずか17年の人生でした。
犯人の山口さんは少年だったこともあり、この事件をきっかけに「子供に刃物を持たせない運動」が始まりました。
それにより、それまでは鉛筆削りや工作に使用されていた肥後守を始めとする刃物が子供から取り上げられ、以後続く刃物規制の始まりの一つとなったのです。
個人的には、この事件については特段の興味もありませんのでなにも語りません。
というか時代が古すぎて政治的背景が分らないのです。
しか〜し、この事件で一つだけ心に残った事があります。
それは山口少年の自殺の翌日の浅沼委員長の妻・享子さんの談話です。
山口少年の自殺は、けさ新聞ではじめて知りました。山口少年が憎いというより、むしろ気の毒な気持ちです。
17の少年にあのような思想を吹き込み、暗殺にかりたてた背後の力に対し、あらためて腹の底から憎しみが燃えあがってきます、というものです。
罪を憎んで人を憎まず、ですがなかなか言えるものではありません。
たいした人です。
ちなみに、浅沼委員長と享子さんとのなれそめは大正末から昭和に改元される頃で、当時社会主義運動に身を投じた浅沼委員長らは、享子さんが働いていた喫茶店をたまり場としていたそうです。
結婚後も恐妻家、愛妻家として知られていました。
合掌・・・
今日は、大阪出張からの帰路、暮れなずむ東京駅に滑り込みました。
今日はライトランチでしたのでお腹がすきました。
東京に戻ってから、大阪で食べようと思っていたお好み焼きを、リベンジということで食べたくなりました。
今日のお店はお好み焼き「きじ」丸の内店さんです
住所: 東京都千代田区丸の内2-7-3東京ビルB1
電話:03-3216-3123
定休日:不定休
お店の外観です。
店内の雰囲気です
メニューです。
きょうのオーダー「豚玉」@850円です。
待つこと5分で「さんて寛皿」の到着です。
「さんて寛」という名前は、「来て」「見て」「食べて」の3つの「て」と「寛いで」が合わさった造語です。
待つこと14分で「豚玉」の到着です。
見た目、茶色と緑色は合うなと思わせました。
それでは実食です。
いつも感じる生地のふんわり感と生地自体のうま味も感じられずどちらかといえば固めです。カリッと焼けた豚肉の美味しさも、今日はそれも感じられず、加えて赤囲みのオコゲが苦くて、ここは本当に「きじさんですか?」という感じです。
理由を考えたのですが、今日の焼き方は黒服Tシャツさんで、白の半袖コックコートの方ではありません。
私は特段黒服Tシャツさんを指名していません。
誰が焼いても構いませんが、いつも高品質で美味しいお好み焼きを供して欲しいと強く思うところであります。