下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

宮本武蔵

続 岩本町 おやじ

今日は「宮本武蔵考」の話です。
宮本武蔵
江戸時代において、武蔵という人物がどのような存在であったのかを考えてみたいと思います。
たとえば、いまの軍隊のなかに空手の達人がいたとします。その道においては右に出る者は誰もいません。
しかし、彼が実際の戦場でも最優秀の兵士であるとは限らない。いまの戦争においては、兵士はみな高性能の銃を持っているのですし、闇の中でもものが見えるゴーグルといったものもあります。何百メートルの海底の敵を探せるソナーなどというハイテク兵器も開発されています。こうしたさまざまな兵器を駆使するのですから、必ずしも空手の技は役に立たないのです。

しかし、それとは別問題として、やはり周囲の人間は彼の強さを認めるに違いありませんご江戸時代における武蔵もこのような存在であったのではないでしょうか。
彼のほんの三十年前頃までは、誰々の槍がすさまじいとか、誰々は敵の首をとる名人だとか、今度は誰々がいまの領主にとって代わるだろうといった話題が、現実問題として人々の口に上りました。

しかし、徳川幕府が政権を握ってからは、人々の関心はもっぱら治世、行政の話題に移り、個人個人の武勇などは現実味のない絵空事になってしまいました。
われわれもいま、日常生活で、たとえば「いまのプロレスラーのなかで最強の人物は誰か」といったことを話し合い、「彼こそは」「いやあいつこそは」と蘊蓄を傾け合うことがあります。しかし、それを軍人、兵士として戦場で働いた場合の強さに結びつけて考えることはありません。
そのように、武蔵も一人の「タレント」としてしかとらえられなくなっていたのではないかということです。
「宮本武蔵最強伝説の真実」井沢元彦著より転載


仮に宮本武蔵が戦国時代に生まれたならば栄達を遂げたかといいますと、それはそれで難しかったようです。
と申しますのは「剣術」自体が戦国時代では有効な殺戮手段にはならなかったからです。
基本的に刀は一対一の戦いに用いるものであり、何百何千という人間が相乱れて闘う戦場には向きません。
刀は血糊がつくとすぐ切れなくなるので、多数の敵を相手にする場合は不利です。また当然のことながら、当時は皆鎧を着けていますから、切れる場所は限られています。要するに刀は戦場ではあまり効率のよい武器ではないのです。

戦場で有効な武器は槍です。槍なら刀と比べて長いので有利ですし、馬に乗りながらでも相手を狙えます。
また、本当に相手を殺戮するのであれば、「斬る」動作よりも「突く」動作の方が有効です。
それに火器のまえでは、刀がなんら役に立たない事は日露戦争の203高地の戦いでも証明されております。

そうなのですね、武術最強の武蔵は当時無用の長物だったのです。
しかし敵を倒すことをまっすぐに追求し、自分の信念に対しての揺らぎのなさ、激変する世の中に流されない精神力、独自の個性、それに立脚する戦法は、古今無双の剣豪であったと断言していいでしょう。
多分その振舞いは現代でも通用すると思います・・・
と申したいところでありますが、実際に武蔵が現代に出現したら、生涯風呂に入らなかったと(行水して濡れた手拭で体を拭く程度)いう性癖から、行く先々でファブられて大嫌われされたことと思います。


I would of been like "come back after the cop leaves".



IMG_3323
今日は岩本町に出没です。
今日は無性にお刺身が食べたくて食べたくて仕方がありませんでした。
そういう時はここでしょう。
ということで今日のお店は刺身の絶巓「おやじ」さんです。

住所: 東京都千代田区岩本町3-7-5
TEL:03-3866-9906
定休:土曜日・日曜日・祝日

IMG_3324

IMG_3325
お店の外観です。

IMG_3326
メニューです。

IMG_3327
今日のオーダー「中トロ鉄火丼頭でっかち(大盛)」@900+@100=1,000円です。
注文してから秒殺でこの「中トロ鉄火丼頭でっかち」は運ばれてきやした。
しかし相も変わらず電光石火の早業ですな。
おそれ入谷の鬼子母神てぇのはこのことでしょう。

見た目美丼です。
ちなみに頭でっかちとは築地の河岸符牒でとっぴんぐ部分の大盛のことです。

IMG_3328
築地で吟味して仕入れてくるマグロは光輝いてぃやす。山葵は本山葵。
私は山葵を醤油にちょいグズに溶いていただく派です。
上品に山葵を刺身へのせていただくてぇのもありなぁんですが、この所作がまどろっこしくていけやせん。
やはり下町っ子はテキパキと頂きやせんと。

味ですか、マジにアタボーの美味しさです。
赤身と中トロのはーもにぃがたまりやせん。
酢飯もおつです。

IMG_3331
途中運ばれてきた蜆のおつけです。
蜆のエキスがてぇっぷりへぇっておりやす。
愚図ついていた肝臓が生きけぇりやした。
あまりの美味しさに、おもわず、シジミはしみじみ、というあほ与太も口からこぼれてきやす。

IMG_3329
箸休めの唐辛子で和えた大根の漬物もおつです。
たまりやせんね。

本当にこの店は、見上げたもんだよ、屋根屋のふんどし、です。
でぇ満足のらんちでした。

それでは(^_-)






続 銀座 スパッソ

今日は「文化祭の思い出」の話です。
高校一年時の話です。
中学三年生の時に好きだった女子がいて思いを告げつることができず、別々の高校に進学しました。
私は中学の時やっていた剣道を高校に進学しても続けていました。

秋の文化祭で他校との新人戦がありました。
それも好きだった女子が進学した高校とです。
私は思い切って彼女に試合に見に来ないかと誘ったのです。
すると彼女は二つ返事で見に来ると言ったのです。

それから試合までの間、猛稽古をして鍛錬に鍛錬を重ねました。
対戦するのは、中学校の時に何度も城東地区の個人戦で戦った西村です。
対戦成績は7対3で私の方が有利だったのです。

とうとう試合の日が来ました。
私は家族全員をよんで不退転の状態に追い込みました。
私と西村はともに大将だったので最終戦です。

副将まで2対2でしたので大将戦で雌雄が決します。
私といえば好きだった彼女が最前列に座ってじっと私の方を見ていてくれていたのですごく緊張してしまい、体全体が強張(こわば)ってカチンコチンになってしまいました。
駄目だ、試合の前に自分に負けている、と気がついたのですが、もうどうにもなりません。

試合の結果ですか、厳しい稽古は裏切りませんでした。
私が2−0で一方的に快勝しました。
最後の1本はすごく余裕ができたのでかなり西村をいたぶり、頃良しとなった時に、これで負けたら恥ずかしいという引き面を使って西村を完膚なきまでたたきのめしました。
こういうのをカタルシスというのでしょうね。

試合のあと彼女のところに飛んでいき、試合見てくれた、と息を弾ませて聞いたところ、西村くんのこと楽勝だと思って最後は見世物にしたでしょう、貴方って最低ね!っと剣突をくわされたのです。
そしてその後、彼女は私にさようならも言わずそそくさと帰ったのです。

私の頭はマークが噴き上がり、結局意味が分からず悶々としていました。
その後、彼女の高校に行っていた同級生から、彼女はいま西村とつきあっているんだぜ、といわれ全てが氷解したのです。
要は私の応援にきたのではなく端(はな)から西村の応援にきていたのですね。
そんなことありなのと思った15歳の秋でした。

実はこの話は私の青春の蹉跌であり加えてトラウマなのであります。
というのもこの話はほとんど正しいのですが、唯一異なっているのは、私が勝ったのではなく、この試合に勝利したのは忌々しくも西村でした。
ですのでこの話はず〜っと今日の今日まで封印していたのです。

こんなに格好悪いことが世の中にあっていいのでしょうか。
結論から申せば、私は西村の単なる引立て役だったのです。
さらに試合が終わった後、母親からは、折角応援にきたのになんで負けたんだ、とブチブチと小言を言われるし、小学校低学年だった妹からも、お兄ちゃん、格好悪い!と揶揄されるし本当に踏んだり蹴ったりだったのです。

かつて剣豪武蔵が主君から達磨の絵を描いてくれと依頼を受けました。
達磨大師とは、禅宗でいう「解(げ)」、即ち悟りに至った仏にもっとも近い人物で、描くのは非常に難しいとされていました。
武蔵は主君の御前で何度も描きましたが、どうしてもうまくいきませんでした。
ところが、帰宅したのちにもう一度描いたところ、みごとなできばえで描けたのです。
そこで武蔵は反省してこう言います。
主君の御前ということで、つい「うまく描こう」と考えてしまった。
本来なら無念夢想の境地で描かなければならないのに、うまく描こうと思う心が邪魔になった。

でしょう・・・
剣豪武蔵でも良い格好しようとして失敗しているのですから、安(いずく)んぞ15歳の私では、当然のことながら陥る青春の陥穽(かんせい)だったのであります。
ちょっと今日のオチはこじつけの様な気がします・・・


実は私、コニーのファンなのです・・・



IMG_3355

IMG_3354

IMG_3353
今日は銀座に出没です。
今日のお店は、松坂屋の地下で行列ができているパスタ屋さん「パスタカフェ スパッソ」銀座店さんです。

住所: 東京都中央区銀座6-10-1 銀座松坂屋B1F
電話:03-5537-3001
定休日:不定休(銀座松坂屋の休館日に準ずる)

IMG_3357

IMG_3362
お店の外観です。

IMG_3356
メニューです。

IMG_3358
本当はパスタよりアメリカンパンケーキが食べたかったのですが、さすがにランチで食べるのはなぁ、とヘジったのです。

本日のオーダー「うに風味のカルボナーラLサイズ(180g)+ドリンクセット」@810円です。

IMG_3359
待つこと5分でコーヒーの到着です。

IMG_3360

IMG_3361
それから遅れること3分で「うに風味のカルボナーラ」の着皿です。
見た目美パスタですね。
それでは実食です。

ウン、これは美味しいです。
うにのカルボナーラなのでくどいのかなと思ったのですが、たしかに濃厚なソースではありますが、それは気にせずにいただけます。
紫色の布海苔が箸休め的な役割を果たしていて濃厚なソースを飽きさせません。
量も180gもあり、それなのに値段が変わらずは高評価です。
Staffさんの接客も良いのでホッコリとした気分で食事が楽しみます。
銀座でお財布の中身が寂しい時にお薦めのお店です。
是非お立ち寄りください。

それでは(^_-)

西川口 海と大地のらあめん ひろや

今日は「五輪書」の話です。
「五輪書」は、寛永20年(1643)武蔵60歳の時、熊本市西方の金峰山麓「霊巖洞」にこもって書きつづったもので完成は正保2年(1645)春。武蔵の死去は正保2年5月、「五輪書」は死の間際まで筆をとり続けた武蔵執念の書です。
地・水・火・風・空の5巻からなり、「地之巻」は兵法の全体像を、「水之巻」は剣法の技術を、「火之巻」では駆け引きや戦局の読み方を、「風之巻」では他流派の兵法を評論、「空之巻」では武蔵の考える兵法の意義・哲学を書いている。「空」は武蔵晩年の心境を描いたもので、「空有善無悪、智は有也、利は有也、道は有也、心は空也。」と「兵法を究めることが善の道」と説いています。
兵法には剣技以外に、人身掌握術や対人関係の心構えなど様々な面がある。武器(道具)はその機能を熟知し完全に使いこなすことが大切。難題に対しても個々の問題を一つずつ着実に解決していけば何とかなる。何事にもタイミングやリズムが必要、等々。その教えは現代社会にも通じると思いませんか。武蔵は「兵法の道」の極意を極めたほか、「詩歌」「茶道」「彫刻」「絵画」「文章」「碁」「将棋」等にも秀た才能を発揮しています。
「熊本国府高等学校パソコン同好会より」転載

何かやってやろうと意図してやっている技は、つくった技になる。本当の自然な技は無心にでる。頭で考えて「こうだから」では間に合わない。「こうやってやろう」と思ってやる技は生きてはいない。無心で、おのずから技になりきってしまうのが剣の極意だ。新陰流第二十一世柳生延春氏談
真剣をとって敵とむかいあうとき、恐怖心をさることができない者は、平常の剣技の半ばほども生かせることができず、萎縮して敵刃のもとに倒れることになる。
これについて千葉周作は「道場で竹刀をとっての剣法に、水際立った技の冴えを見せる者ほど、真剣勝負では普段の進退ができなくなる」ともいっています。
さすがに命のやり取りだけあって、如何に恐怖心を拭いさり平常心で戦うかが勝利の要諦なのでしょう。しかし武蔵は死に臨んでも動揺しない境地に達したようですが、一体どのような修行をしたのでしょうか、あるいは不滅の命を信じていたのでしょうか。
ところで武蔵は天才の為か自分の秘伝をうまく伝えられず、最後に“能々鍛錬有るべき物也(よくよくたんれんあるべきものなり)” とか“能々吟味すべし(よくよくぎんみすべし)”とか“能々工夫すべし(よくよくくふうすべし)”とか、五輪書では突き放した言い方で終わるのが面白いところでもあります。やはり天才は書物では生まれないことを実感させられました。


今日のお店はB級グルメの街、川口は「海と大地のらあめん ひろやラーメン」さんに出向きました。

住所: 埼玉県川口市西川口1-22-1
電話:048-452-4527
休日:月曜日

ひろや1
お店の外観です。なんで西川口がB級グルメの街かともうせば、今から数年前、西川口が風俗のメッカとして活況を呈したていたことに、当時の警察署長(女性)が怒り、風俗大浄化運動を推進し、風俗店を移転、廃業させてしまったのです。すると街が急速にさびれてシャッターの街となってしまったのですね。これでは“イケン”と街起こしとしてB級グルメの街の変革案をぶち上げたのですが、これが完璧な打ち上げ花火になってしまい、シャッターの街は変わらずということみたいです。
しかし栄えある第三回埼玉B級ご当地グルメ王決定戦に輝いたのが今日のお店「海と大地のらあめん ひろや」さんです。

ひろや2
店内の雰囲気です。

ひろや3
メニューです。

ひろや4
「ひろや」流食の仕方です。

ひろや5
本日のオーダー「たたららあめん(坦々麺)」@800です。
溶岩のようにみえるのは店主が踏鞴(たたら=足で踏んで空気を送る大形のふいご鋳鉄加工)をイメージしたみたいです。ご主人曰くスープはワタリガニ、甘エビ等魚介系からタップリとっておりそれに地鶏、ゲンコツを加えたWスープです。麺は浅草開花楼製です。
味ですか、少し甘みのある坦々麺ですが、美味しいじゃないですか、好きですこの味。
それにたっぷりの黒ゴマ、カシューナッツが入っており食べていてとても楽しいです。
店主お勧めのトッピングも大地(にんにく)で始め、締めは海(わさび)にしました。
最後はお茶漬け味みたいになってしまったので、サービスライスを投入したら、中華風お茶漬けです、一体何を食べているんだろうと自問自答をしてしまいました。
でも美味しかったですよ、ご馳走様でした 

それでは(^_-)

続 燕三条 小島屋総本店 県央店

今日は「巌流島決闘」の話です。
宮本武蔵と佐佐木小次郎との「巌流島の決闘」は宮本武蔵の一太刀で雌雄を決しましたがこの勝因は何だったのでしょうか。
1612年(慶長17年)5月13日、実力伯仲の佐々木小次郎との、巌流島での戦いでは、武蔵が燕返しの刃渡り3尺1寸(94cm)の刀に対して、4尺2寸(1m27cm)の「木太刀(きだち)」を武器としたことが最大の勝因です。武蔵はその武器を木太刀(きだち)で作ろうとして、鉋(かんな)、鋸(のこぎり)を使って古びた櫂を削りだしたのです。結果この工作のために決闘の時間に遅れたのですが、兵法家の武蔵としては織り込み済みの遅延です。
一方の小次郎は武蔵が二刀流で打ち向かってくるものと確信しており、二刀の場合、長剣のほうはあまり長くてはあつかいに困ります。よって小次郎は自分の長剣の方が有利という自ら作った陥穽(かんせい)にはまっていったのです。結果この33cmの差によって小次郎は脳天を砕かれ、武蔵はむこう鉢巻の結び目が切れただけで終わったのです。
実際の戦いの場では武蔵は最後の最後まで、「木太刀(きだち)」の長さを小次郎に悟られないように、背の後ろに斜めに構えて対戦に望み、小次郎のほうは、物干し竿と呼び名される自分の長い武器を信頼し、武蔵の所持する武器について長さを判断せずに、最後まで確認することなく戦ったために負けたのです。
「宮本武蔵」司馬遼太郎著より転載
武蔵の勝因は意図的な遅れは勿論ですが、なぜ鞘を捨てる、という声かけ心理作戦も奏功したのはいうまでもありあません。また現場をよく下見をして、干満の砂地の状態・太陽の位置・海に反射する陽光などを調べたことなどの環境分析も勝利に貢献したのです。
生涯に試合うこと六十余度、勝利を得ざることなし---剣の道を極めた武蔵、この巌流島においても今迄の戦歴のdatabaseが活かされています、さすがですね。

小島屋総本店1
今日は新潟は燕三条に出張です。
今日のお店はへぎそば名店の「小島屋総本店」県央店さんです。

住所: 新潟県燕市井土巻3-65
:0256-66-3003
休日:不明


小島屋総本店22
お店の外観です。

小島屋総本店23
店内の雰囲気です。

小島屋総本店24
「へぎ」の語源です。

小島屋総本店27
ゴマを擂(す)ってツケ汁に入れます。

小島屋総本店25

小島屋総本店26
今日のオーダーは「へぎそば」@735です。
良く冷えてedgeのきいた蕎麦です、さすが本場の味ですね。
石臼挽きによる製粉ですが、あまり蕎麦の香りは強くないものの口当たりよく結構でした。
美味しゅうございました、ご馳走様でした

それでは(^_-)

神田小川町 二代目つじ田 味噌の章

今日は「宮本武蔵と吉岡一門」の話です。
修学院離宮15
ここは宮本武蔵が吉岡一門と死闘を繰り広げた一乗寺下り松(いちじょうじさがりまつ)です。
武蔵は、慶長9年(1605)京都の兵法家として名高い吉岡一門に挑み、吉岡清十郎を蓮台野(現在は佛教大学の敷地内)の対戦で勝ち、更にその弟の伝七郎を三十三間堂でも破りました。吉岡道場は、一門の面目に賭けて17歳の吉岡源次郎を名目人として、最後の一戦を挑んだ場所が、この一乗寺下り松なのですね。武蔵は、この決闘では源次郎をはじめ70数名もの門弟を相手にしましたが、勝利しています。 
というのが吉川英治の長編小説「宮本武蔵」、井上雄彦(たけひこ)の劇画「バカボンド」でのstoryですよね。しかし吉岡家側から書かれたものには上記三人、即ち「清十郎」「伝七郎」「源次郎」の名前はおらず、当主の憲法(この人は歴史上の人物)も又一郎(この人も歴史上の人物)も天寿を全うしています。
これはどちらが正しいのかを知る由もありませんが、清十郎、伝七郎が架空の人物とは…
ただ宮本伊織(武蔵の養子)の碑文には、吉岡家の当主らしい者が、武蔵に破れたがために「遂に兵術を棄て薙髪(ちはつ)し畢(おわ)んぬ=坊主になって終わった」とありますが、これは正確ではありません。吉岡家兵法所はその後十年も続いています。
現地で一乗寺下り松(いちじょうじさがりまつ)の説明札をこの目で見た限りでは、ここで宮本武蔵は7〜8人の侍と戦った旨しか書いておらず、吉岡家と戦ったとは一言も書かれていませんでした…

宮本武蔵はとても汚いのです。基本的に入浴する習慣はなく、絶えず垢まみれで異臭がし、身体には虱(しらみ)が動き回っていたそうです。
髪は頭に疱瘡のあとがあることから月代が剃れず、いつも総髪の赤茶け髪で当然のことながら風呂に入ってないのでゴワゴワの荒縄髪。目は何故か黄色の輝きをしていたそうです…黄疸か?
要は不潔オジだったのですね、なにかimageが狂いマス
参考文献「京の剣客」司馬遼太郎著

今日のお店は神田小川町につい最近できた「二代目つじ田 味噌の章 ラーメン」さんです。

住所: 東京都千代田区神田小川町1-1
電話:03-6659-7676
定休日:不定休

二代目つじ田 味噌の章1
お店の外観です。

二代目つじ田 味噌の章2
店内の雰囲気です。

二代目つじ田 味噌の章3
メニューです。

二代目つじ田 味噌の章4

二代目つじ田 味噌の章5
今日のオーダー「味噌らーめん」@800です。
熱々のスープに北海道直送の玉子ちぢれ麺がからみ、まさに王道の札幌らーめん。生姜青海苔をスープに少しずつ溶かすことにより味の変化が楽しめます…お店の惹句!
北海道在住7年、52週/年×7年=364週、週に三回以上は札幌らーめんを食べていたので364週/7年×3食/週=1,092食/7年以上の食歴をもっています、はたして満足させてくれるのでしょうか…
このお店の作り方は札幌らーめん正統流で、ラードでもやし、玉ねぎ、ひき肉などを炒め、スープを注いでさらに煮立てたものを温めたどんぶりに注ぐというやり方です、これは同じですね。
トッピングはブロック状の刻みチャーシュー、角太メンマ、炒められたモヤシや玉葱、刻みネギ、青海苔、生姜です。
まずレンゲでスープをすすると、熱い、しかもナマラ熱い!が結構です…夏場は大汗で死ぬかも(笑)
スープはニンニクがほのかにきいていて濃厚味噌味も結構です。
玉子ちぢれ麺もパンチのあるスープに良くからんでイケます。
特に秀逸なのはチャーシューです。これはとても美味しい、口の中でトロケます。
全般的にhigh-levelです。
しいていえば野菜が少なすぎるのと、ラードが多すぎです。
多分野菜特にもやしが多いと気にならないかもしれません。
食べていて思ったのですが、ここの味付け純連、すみれのインスパイアのようですね。
純連・すみれの大量ラードは札幌ではこの二店だけで、他はここまで脂層は作りませんから…でも大満足!
ご馳走様でした

それでは(^_-)
訪問者数

    Archives
    Categories
    記事検索
    • ライブドアブログ