今日は「人生はマラソンレース」です。
「アンパンマン」といえば、「ドラえもん」とならび、時代を超えて子供たちに愛されてきた、日本を代表する国民的キャラクターといっていいでしょう。
その「アンパンマン」の作者、やなせたかしさん。やなせさんは、漫画家として輝かしい人生をおくったかのように思うでしょうが、実はそうではありません。
絵本「それいけ!アンパンマン」が出版されたのは、1975年。その時なんと、やなせさんは、56歳でした。
やなせさんは語っています。
「僕は50代半ばまで代表作を生むことができず、
“自分はいったい、何のために生まれてきたのだろう”
とずいぶん苦労しました。
でも、若いときに苦労したり悩んだりしたことが、
いまの僕に活力を与えてくれる
“宝物”になっているような気がします。」
1988年にアニメ「それいけ!アンパンマン」がスタート。
1990年(71歳)に、日本漫画家協会賞大賞。
その後、劇場版アニメも何本も公開され、国民的アニメとなって現在に至ります。
やなせさんは、『手のひらを太陽に』の作詞家としても知られますが、34歳で専業漫画家として独立するものの、漫画やイラストの仕事よりも舞台装置の製作や放送作家、作詞家としての仕事の方が多かった。つまり、漫画家としてはなかなか芽が出なかったのです。
しかし、やなせさんは、それでもやめずに、絵本や漫画を書き続けた。
そして、50代半ばで、自信の代表作「アンパンマン」を作り上げ、70歳になって大ブレイクしたのです。
まさに、大器晩成。
私は50歳を超えてまで、漫画をやめないで書き続けていたというのが凄いと思います。
あなたも、自分の好きなことを、なかなか成功しなくても、56歳までやり続けることができますか?
やめてしまえば、それで終わり。
「成功」するまで、続けられるか。
「続ける」は、最強の成功法則である。
やなせたかしさんの人生を振り返り、改めてそう思いました。
これは、やなせ氏が、東日本大震災の被災者に贈った言葉ですが、うつ病で「死にたい」と悩んでいる人にも伝えたいメッセージです。
戦争体験者であるやなせ氏は、従軍中に食糧不足からの空腹を体験し、また仲間の兵隊が餓死するのを目の当たりにしました。そこで、「人生で一番つらいことは食べられないこと」という考えをもったそうです。
そしてそれまでのヒーローは飢えた人間に対して食糧をあたえるといった行動がなく、「それならば食糧をあたえるヒーローがいてもいい」という発想から生まれたのがアンパンマン。
そんな、やなせ氏の体験談を知って、改めて「生きていることが大切なんです」という言葉を読むと、この言葉の持つ深い意味が心に刺さります 。
精神科医「樺沢 紫苑FB」より転載
アニメ「アンパンマン」シリーズの作者として知られる漫画家のやなせたかしさんが10月13日(日)未明心不全のために亡くなりました。94歳でした。
私はこの方の本(漫画ではありません)を相当読んでいます。
読後感としてはこの方は人生の達人だという認識です。
プラ〜ス明るいですね。
ご出身が坂本龍馬等を輩出した土佐であることから人生の明色化の達人でもあります。
悲観的な過去体験も事実は事実として語られていましたが、最後はこのような事があったからかえって楽しく生きなければいけないといように纏めておられました。
確か石坂泰三さんですか、以下の様な事を言われていました。
「人生はマラソンなんだから、百メートルで一等をもらったってしょうがない」
私も全くその通りだと思っています。
そしてこれを人生で実践されたのがやなせ先生だと思っています。
それでなければ56歳で「あんぱんまん」を上梓してそれが70歳になって大ブレイクなぞしなかったでしょう。
まさに人生はマラソンレースだと思っていたからの快挙だと思うところであります。
多分苦しい時もあったのでしょう、でもいつまでもこんな苦しいことが続けくわけがない。必ず良いときがくるはずだ。その時にはこの苦しさをバネにして10倍返しだと、思っていたのではないでしょうか。
人生はマラソンの如くperspective on life(人生の俯瞰)が必要なのです。
そしてマラソンの要諦はただ一つです。
体調の如何にかかわらずただひたすらゴールを目指すこれに尽きます。
ところでマラソンをやる人達に共通したふるまいがあります。
それは人生にはメリハリをつけていますが、マラソンの練習にはメリハリがないということです。
特に走りたての方に多い特徴なのですが練習をしすぎる事です
練習で張り詰めた状態は短期間であれば人間は耐えられますが、長期では絶対に無理です。
弓の弦(つる)があります。弦は緩めるから、再び強く引くことができるのです。
弦を引っ張り続けると、いつか弦が切れてしまいます。当たり前の事ですね。
引っ張っては、緩める。
引っ張っては、緩める。
こが練習の秘訣です。
リラックスして休む時間があるから、マラソンレースでよいタイムが出るのです。
これは自分への戒めでした・・・
最後にやなせ先生のご冥福を祈り、衷心より哀悼の意を表します。
やなせ先生お疲れ様でした。
今日は有楽町に出没です。
今日のお店はここのところお気に入りになった「宝(たから)」さんです。
住所: 東京都千代田区丸の内3-5-1 東京国際フォーラム B1F
電話:03-5233-9888
定休日:無休
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
龍馬の愛した軍鶏鍋ですか、これって暗殺された日に中岡の慎の字とこの鍋をつつこうとして、峰吉に買いにいかせたものですよね。
私も食べてみた〜い!
たまるかです。
今日のオーダー「スタミナ生姜焼き膳」850円です。
待つこと7分で「スタミナ生姜焼き膳」の到着です。
見た目、スタミナつくじゃん膳、です。
付出しの面々です
私は下段の画像のワカメの佃煮和え蕗のおつくりが好きです。
これだけでも良いかもしれません・・・
「スタミナ生姜焼き」です。
この生姜焼きは肉が柔らかいですね。
タレは少しこってり感ありますが、イケます、美味しいです。
この味わいにはやはりマヨネーズが必要でしょう。
ということでお願いしましたらこのようにコンモリと持ってきて頂きました。
そうそう、この生姜焼きの味付けのどこが「スタミナ」なのですか、と聞きましたら、ニンニク等のスタミナ材料を使っているのではなく、豚そのものにスタミナの原(もと)があるのです、とのことでした。
なぜかすごく納得しました。
お替り自由の豚汁です。
これは今でもbravoですが、寒くなるに従ってbravo度は上がっていくでしょう!
今日のランチもとても美味しかったです。
今度は夜の部で龍馬の愛した軍鶏鍋に挑戦です。
ブログアップを待っておうせよ!
「アンパンマン」といえば、「ドラえもん」とならび、時代を超えて子供たちに愛されてきた、日本を代表する国民的キャラクターといっていいでしょう。
その「アンパンマン」の作者、やなせたかしさん。やなせさんは、漫画家として輝かしい人生をおくったかのように思うでしょうが、実はそうではありません。
絵本「それいけ!アンパンマン」が出版されたのは、1975年。その時なんと、やなせさんは、56歳でした。
やなせさんは語っています。
「僕は50代半ばまで代表作を生むことができず、
“自分はいったい、何のために生まれてきたのだろう”
とずいぶん苦労しました。
でも、若いときに苦労したり悩んだりしたことが、
いまの僕に活力を与えてくれる
“宝物”になっているような気がします。」
1988年にアニメ「それいけ!アンパンマン」がスタート。
1990年(71歳)に、日本漫画家協会賞大賞。
その後、劇場版アニメも何本も公開され、国民的アニメとなって現在に至ります。
やなせさんは、『手のひらを太陽に』の作詞家としても知られますが、34歳で専業漫画家として独立するものの、漫画やイラストの仕事よりも舞台装置の製作や放送作家、作詞家としての仕事の方が多かった。つまり、漫画家としてはなかなか芽が出なかったのです。
しかし、やなせさんは、それでもやめずに、絵本や漫画を書き続けた。
そして、50代半ばで、自信の代表作「アンパンマン」を作り上げ、70歳になって大ブレイクしたのです。
まさに、大器晩成。
私は50歳を超えてまで、漫画をやめないで書き続けていたというのが凄いと思います。
あなたも、自分の好きなことを、なかなか成功しなくても、56歳までやり続けることができますか?
やめてしまえば、それで終わり。
「成功」するまで、続けられるか。
「続ける」は、最強の成功法則である。
やなせたかしさんの人生を振り返り、改めてそう思いました。
これは、やなせ氏が、東日本大震災の被災者に贈った言葉ですが、うつ病で「死にたい」と悩んでいる人にも伝えたいメッセージです。
戦争体験者であるやなせ氏は、従軍中に食糧不足からの空腹を体験し、また仲間の兵隊が餓死するのを目の当たりにしました。そこで、「人生で一番つらいことは食べられないこと」という考えをもったそうです。
そしてそれまでのヒーローは飢えた人間に対して食糧をあたえるといった行動がなく、「それならば食糧をあたえるヒーローがいてもいい」という発想から生まれたのがアンパンマン。
そんな、やなせ氏の体験談を知って、改めて「生きていることが大切なんです」という言葉を読むと、この言葉の持つ深い意味が心に刺さります 。
精神科医「樺沢 紫苑FB」より転載
アニメ「アンパンマン」シリーズの作者として知られる漫画家のやなせたかしさんが10月13日(日)未明心不全のために亡くなりました。94歳でした。
私はこの方の本(漫画ではありません)を相当読んでいます。
読後感としてはこの方は人生の達人だという認識です。
プラ〜ス明るいですね。
ご出身が坂本龍馬等を輩出した土佐であることから人生の明色化の達人でもあります。
悲観的な過去体験も事実は事実として語られていましたが、最後はこのような事があったからかえって楽しく生きなければいけないといように纏めておられました。
確か石坂泰三さんですか、以下の様な事を言われていました。
「人生はマラソンなんだから、百メートルで一等をもらったってしょうがない」
私も全くその通りだと思っています。
そしてこれを人生で実践されたのがやなせ先生だと思っています。
それでなければ56歳で「あんぱんまん」を上梓してそれが70歳になって大ブレイクなぞしなかったでしょう。
まさに人生はマラソンレースだと思っていたからの快挙だと思うところであります。
多分苦しい時もあったのでしょう、でもいつまでもこんな苦しいことが続けくわけがない。必ず良いときがくるはずだ。その時にはこの苦しさをバネにして10倍返しだと、思っていたのではないでしょうか。
人生はマラソンの如くperspective on life(人生の俯瞰)が必要なのです。
そしてマラソンの要諦はただ一つです。
体調の如何にかかわらずただひたすらゴールを目指すこれに尽きます。
ところでマラソンをやる人達に共通したふるまいがあります。
それは人生にはメリハリをつけていますが、マラソンの練習にはメリハリがないということです。
特に走りたての方に多い特徴なのですが練習をしすぎる事です
練習で張り詰めた状態は短期間であれば人間は耐えられますが、長期では絶対に無理です。
弓の弦(つる)があります。弦は緩めるから、再び強く引くことができるのです。
弦を引っ張り続けると、いつか弦が切れてしまいます。当たり前の事ですね。
引っ張っては、緩める。
引っ張っては、緩める。
こが練習の秘訣です。
リラックスして休む時間があるから、マラソンレースでよいタイムが出るのです。
これは自分への戒めでした・・・
最後にやなせ先生のご冥福を祈り、衷心より哀悼の意を表します。
やなせ先生お疲れ様でした。
今日は有楽町に出没です。
今日のお店はここのところお気に入りになった「宝(たから)」さんです。
住所: 東京都千代田区丸の内3-5-1 東京国際フォーラム B1F
電話:03-5233-9888
定休日:無休
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
龍馬の愛した軍鶏鍋ですか、これって暗殺された日に中岡の慎の字とこの鍋をつつこうとして、峰吉に買いにいかせたものですよね。
私も食べてみた〜い!
たまるかです。
今日のオーダー「スタミナ生姜焼き膳」850円です。
待つこと7分で「スタミナ生姜焼き膳」の到着です。
見た目、スタミナつくじゃん膳、です。
付出しの面々です
私は下段の画像のワカメの佃煮和え蕗のおつくりが好きです。
これだけでも良いかもしれません・・・
「スタミナ生姜焼き」です。
この生姜焼きは肉が柔らかいですね。
タレは少しこってり感ありますが、イケます、美味しいです。
この味わいにはやはりマヨネーズが必要でしょう。
ということでお願いしましたらこのようにコンモリと持ってきて頂きました。
そうそう、この生姜焼きの味付けのどこが「スタミナ」なのですか、と聞きましたら、ニンニク等のスタミナ材料を使っているのではなく、豚そのものにスタミナの原(もと)があるのです、とのことでした。
なぜかすごく納得しました。
お替り自由の豚汁です。
これは今でもbravoですが、寒くなるに従ってbravo度は上がっていくでしょう!
今日のランチもとても美味しかったです。
今度は夜の部で龍馬の愛した軍鶏鍋に挑戦です。
ブログアップを待っておうせよ!