下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

夏目漱石

花巻 麺房高松庵

今日は「夏目漱石異聞 其の参」です。
夏目漱石さんは、江戸時代末期の1867(慶応3)年、江戸の牛込馬場下(現在の東京都新宿区)に生まれました。
東京帝国大学(現在の東京大学)の講師等を経て38歳にして「吾輩は猫である」で小説家デビューを果たし、以後亡くなるまでの約10年間に、「坊っちゃん」「こころ」といった数々の名作を著しています。
実は夏目漱石さんは大好きです。
高校三年生の時に名作「三四郎」を読んでノックアウトされた為です。
爾来、この作家とその妻の奥様である鏡子さんに興味をもって接してきました。
実際、次男の高校は敢えて漱石さんが住んでいた家の隣の学校にしたほどです。

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世間では鏡子さんはソクラテスの妻と並び称されるほどの悪妻として通っていましたが、当のご本人は、自分だからあの漱石とやっていけたのだと、むしろ褒めてあげたいくらいのことが沢山あったのだ、と自賛していました。
しか〜し以下のようなエピソードもありました。
漱石さんが大阪の講演の後、疲労による胃の不調で入院した時に、鏡子さんが東京からすっ飛んできたのですが、病室に入ったとたん、見舞客の菓子折りを見つけて「大阪ではこんなものを病室におくのか」と言って、詰めていた朝日新聞関係者をなじりました。
それを見ていた漱石さんは「まあそこまでいわんでもよかろう。お前はお守りなぞを、私にわからぬようポケットへ入れてくれたが、それでも病気になったじゃないか」と苦笑いしながらその場をとりなしたそうです。

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漱石さんは、写真で見る限りでは「苦虫を噛み潰したような顔」をしていますが、実態は東京の町屋の旦那といった風情で、学者や文士みたいに権威や退廃を自慢するような人ではなかったようです。
加えてドレスコードは、かなりラフだったようです。
特に性格は学者や文士とはおおいに異なり、几帳面で事務的且つ約束と義理は必ず守ったそうです。
実際、漱石さんは朝日新聞の社員であったことから、小説の過半は新聞での連載という形を取っており、連載中断を回避する為に胃潰瘍で病床にあった時も書き続けていたのです。

学業優秀、特に英語は頭抜けて優れていて、東京帝国大学では英文科特待生に選ばれ、J・M・ディクソン教授の依頼で「方丈記」の英訳をするなどの誉れがあります。
その一方で、大の落語好きで、特に柳家小さん(三代目)が贔屓でした。
「小さんは天才である。彼と時を同じうして生きている我々は大変な仕合せである」と名著「三四郎」の中で書いている程です。具体的に大ヒット小説「吾輩は猫である」の中では、随所に落語のワーディングが使われていました。
実際に漱石さんの講演では「どこかの新聞に僕の事を風上におけぬ奴だと書いてあったが、僕を肥桶(こえおけ)だと思っているんだろうか。吾輩は子の通り立派な男でハイカラにできている」とか「可愛い子には旅をさせろという事は、足の裏へ豆をこしらえろ、というのではない。つまり世の中の状態を知らせるために、可愛い子突き放すのであるから、自然派の親爺といってよろしい」とか言って笑いを取っています。
要は、漱石さんは、落語を通して、人が笑ったり、喜んだり、怒ったり、しんみりさせたりする言葉を熟知していて、実際に多用していたいみたいです。
さら〜に、イギリスに留学して最高、最新の英語、英文学を学び英語感に磨きをかけました。
夏目漱石
実際、奥様の鏡子さんは帰国後の漱石さんを、これだけ沢山の分厚い英文学書と毎日夜遅くまで格闘している姿を見ていて、何をしているかわからないけれど、このひたむきな姿が報われないとこはないと迄言わしめたほどでした。要は、漱石さんは、小さんの口語体を下地に当時の最高の言語学を学んで、平明でしなやか、しかも意識の内側のことや、大局的な事柄も搭載できる現代日本語を作り上げたことが最大の功績でしょう。

最後に次のエピソードを紹介します。
ある日のこと、胃の悪い漱石さんを気遣った鏡子さんは、食べ過ぎないように好物のようかんを隠したそうです。すると漱石さんは、ようかんが入っているはずの戸棚を必死に探し続けていました。
すると、その必死さを見かねた幼い娘さんが、お父さんここにようかんがありますよ、と教えてやりますと、漱石さんは娘を最上級のほめ言葉で称え、笑みがこぼれんばかりの破顔でようかんを頬張ったそうです。
私は、このような幼弱性を持った天才を愛しています。
さら〜に大衆をマスとしてとらえずインディビジュアルなマス、すなわち個人の集まり、独り独りの集積体と見る流れは、大正デモクラシーへと繋がっていくのですが、それを推し進めたのが漱石さんでした。
今、私たちが民主主義という自由や平等といった権利を謳歌できる礎を作ったのが漱石さんだったというのは、正鵠を射ているといっても過言ではないでしょう。
参考文献「新聞記者夏目漱石」牧村健一郎著


サプライズ?



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今日はイーハトーブ花巻に出没です。

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今日のお店は美味しんぼの海原雄山になりすました雁屋哲さんが大絶賛した「暮坪そば」のお店です。
今日のお店は「麺房高松庵」 花巻店 さんです。

住所: 岩手県花巻市高松第11地割172-1
電話:0198-31-2888
定休日: 不定休

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お店の外観です。

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「暮坪かぶ」の紹介です。

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沢山の芸能人の方が来店されています。

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お店のこだわりです。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

今日のオーダー「暮坪そば松」@1,620円です。
このお店は、駅から1.4kmもありましたので歩いたら大変でした。
加えて良く来ていた花巻ですが、さすがに10年ぶりなので地理が不案内になりタクシーでお邪魔しました。
ちなみにタクシーの運転手さんは、この「暮坪そば」というかこのお店は一度も来たことがないそうです。
理由を聞きましたら、高いから、ですとメイクセンスであります。

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待つこと8分で「暮坪そば松」の到着です。
見た目豪華です。

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これが噂の「暮坪かぶのおろし」です。

天麩羅の面々です。
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今日の天麩羅は、海老、ピーマン、カボチャです。海老天麩羅の花の咲き方が弱いですね、やはりお蕎麦屋さんの天麩羅ですから素寒貧の海老じゃさまになりません。
実際、天麩羅の味は素寒貧とまではいいませんが、私の好みではありませんでした。

それでは蕎麦にいきます。
蕎麦は水切りが良くなくてだらっとした感じでしたがまずまずのお味です。
肝心の「暮坪かぶのおろし」です。
「究極の薬味」として海原雄山をうならせたこの蕪は、私の場合は峻烈すぎて喉がうなってしまいました。
どうでしょうか、蕎麦にここまでの辛い薬味が必要なのでしょうか。
それを希釈するかのように付け汁は甘く感じました。
部分最適ではありますが全体最適ではないような感じというのが総評です。

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最初の膳がきてから8分後に二枚目のせいろがきましたがtoo lateです。
ちょっと乾いていますね。
私が注文した時は、私しか客がいなかったのですから、頃合いをみて供して欲しかったものです。
その為に、甘いつけ汁に呻吟する事となりました。
所謂、観光名所蕎麦ですね。
失礼しました。私が海原雄山になれない事を証明できた花巻のランチでした。

それでは(^_-)

神田 松榮亭

アルコール依存症
今日は「AC(Adult Children )」です。
実は私、正真正銘の「AC」であります。
アダルトチルドレン(Adult Children)とは、「機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持つ」という人のことを指します。
幼少期から青年期までの私が傷ついた件(くだり)は、思い出したくもなく、多分書けばその当時のみじめさに押しつぶされてしまい筆がすすまなくなりますので敢えて割愛します。

2010年5月、WHOは全世界でアルコール有害使用を減らす取り組みを行うことを決議しました。
WHOの「タバコ」に続く取り組みです。確かにタバコは健康被害のトップです。
アルコールは三番目です。しかし・・・です。
タバコで、交通事故は起こりません! 
タバコで、家庭暴力は起こりません! 
タバコで、児童虐待は起こりません! 
タバコで、家庭崩壊は起こりません!
タバコは、次の世代に生き辛さをもたらすことはありません! 
タバコには、家族の嗚咽(おえつ)はありません!
タバコには、涙の出るような家族の長い長い長い回復の努力は必要ありません!
ということでタバコと違って酒害が及ぼす影響は根深いのです。

私が年に一回訪れる人間ドックはアルコール依存症対策のクリニックでもあり、その関係の書物が診察室においてあります。たまさかドックの待ち時間に自分には関係ないや的風情でパラパラとページをめくりながら読んでいますと、本当にアルコール依存症を家族にもつと大変だなぁ、とあらためて実感したのでした。
特に腹オチしたのは、アルコール依存症の人を持つ家族の多くは、飲まない時はとても良い人だからという擦り替えにより、アルコール依存症の人を容認し、かばい、支えてしまう、という件(くだり)でした。
まさに我が一家の事を見ていたのか!と思わずつっこみたくなってしまいました。
さら〜にこういった機能不全家族で成長した子どもが感じているのは、「両親に様々な面で束縛され続けている」といったトラウマの記憶の継続なのです。
親が情緒的な問題や依存症の病気を抱えていたが為に、子どもは親の身勝手な振る舞いや暴力に振り回されてしまい、自分自身の人生を自由に自立して生きることが出来ないという観念に縛られてしまっているそうなのです。
一方親から過大な期待を掛けられて過保護に育てられた人は、「親の期待に沿った生き方をしなければならない」という強迫的な観念に束縛されて窮屈な気持ちになって萎縮してしまうそうなのです。

ちなみにACにはさまざまなタイプがあるそうですが、自分に当てはまるタイプがあったので記してみます。

※マスコット(ピエロ、クラウン、道化師):おどけた仮面を被って不安を隠してきたタイプ」です。
外面: 過度にかわいく子どもっぽい、家族の笑いと関心の対象
内面: 自己評価が低い、恐れ、孤独、無力感言動 - ふざけ、ユーモア
弱点: ひょうきん、ストレス処理が下手、いつもヒステリー寸前
長所: 人あたりがいい、良き友人となる、頭の回転が速い、ユーモアのセンスがある、有能

※ヒーロー:家族の期待を一身に背負ったタイプ
外面: 小さな親、小さな大人、生真面目、努力家
内面: - 心の傷、不適応感、罪悪感、過剰な自尊心言動 - 他者に自分の評価を押し付けて尊敬を得ようとする
弱点 :仕事依存、依存的な人と結婚、人を支配し操作、完全主義
長所 : 自身の失敗を許容しない、自己に厳しく他人にも厳しい、管理職の適性有り

私の性格は上述の「マスコット」と「ヒーロー」で構成されていたのでした。実はこのフリネタを書くまで、自分の性格がACを体験したがために醸成されたとはユメユメにも思っていませんでした。
どうやら私のイビツな性格の外輪はACなるがゆえにできたようです。
それならば、つらいときは、「つらい」と言ってもよかったのですね。
周囲の緊張にいつも自分が責任をもつ必要はなかったのですね。
あらゆることを完璧にこなす必要はなかったのですね。
自分も人も能力や努力だけで評価してはいけないかったのですね。
ホッと息抜きできる時間を持っても良かったのですね。
なんだか書いて嫌になってきました。
決心しました、今日から考え方を変える努力をしましょう。
多分無理でしょう?
始めてです自分のフリネタでここまで落ち込んでしまったのは・・・
こんな日もあります。


日本人なら会話の最中に相づちがないと不安になりますよね?


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今日は夕方の淡路町に出没です。

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若い頃停止線オーバーで捕まった事があります。
従いまして、このような違反行為には強い憤りを感じます。

今日のお店は夏目漱石が常連だったという都市伝説のある老舗の洋食店です。
ということで今日のお店は「松榮亭」さんです。

住所: 都千代田区神田淡路町2-8
電話:03-3251-5511
定休日:日曜日・祝日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

今日のオーダー「オムライス」@900円です。
広い店内は19時前だというのにお客は一組だけです。
乾いた空気が店内を濃密に支配しています。
座って5分待ちましたが、水さえ出てきません。
後1分待って案内がなければお店を出ようと思っていましたら、ガタイのよいシェフがのそっと水の入ったコップを持ってでてきました。
何にします、って言われたので、「何にします」って言われたって、そもそもメニューがないじゃない、ていうかないよね、それならあなたが水と一緒にメニューを持ってくるべきじゃないの、とブツブツつぶやいていたら、どうやら前方の壁に貼ってあるのがメニューらしくて、そこから選べよ、みたいな感じでした。
黒い幕に切っ先の鋭いナイフをすっと走らせたような痛みが心の中におこりました。
一体全体なんなんだこの店は・・・
目が良くないので、その壁に貼ってあるメニューを見るために立ちあがったのです。
しか〜し体はまったく別の行動をしていました。
気がつけばそのシェフの方に向かって歩いて行き鋭い視線をぶつけたのです。
それを受けてシェフも鋭い視線で返したので、数秒間お互い対峙したままでした。
さすがに大相撲の仕切りをしにきたのではないよな、と思い直して一言「オムライス」とボソッっと言い放ち席に戻ったのです。

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待つこと4分「オムライス」の到着です。
見た目昭和のオムライスです。
玉子は今風のトロトロ風ではありません。
それでは実食です。
玉子は見た目通りの味です。
ライスはベチャコライスです。
鶏肉が数える程度入っています。
最初は特筆するものはなかったのですが、後半味がなじんできたみたいで、がぜん美味しくなったのです。
ちょっと不思議です。
神田ですからコスパはまずまずです。
睨みあいのお好きな大相撲ファンの方にお勧めのお店です、ちがうか・・・

それでは(^_-)


続 荒木町 キッチンたか

今日は「死語の世界はな〜い」です。
夏目漱石
〈余は一度死んだ。そうして死んだ事実を、平生からの想像通りに経験した。果して時間と空間を超越した。しかしその超越した事が何の能力をも意味さなかった。余は余の個性を失った。余の意識を失った。ただ失った事だけが明白なばかりである。どうして幽霊となれよう。どうして自分より大きな意識と冥合出来よう。〉  
これが漱石の実感であった。  
全体の文脈を離れて読むと、この部分、ややわかりにくい気がする。僕なりに現代風に補足して意訳してみる。  
「たしかに事実として私は一度死んだらしい。けれどその事実は、いつも想像していたように、突然の意識の断絶、無であった。そこには、やはり日常感じていた時間も 空間もなかった。私は、私か私であるという個性と自意識を失っていた。その事実だけがはっきりしていて、私は死後の世界で存在しようがなかったし、まして個を包括する大きな存在に帰ってゆくような経験などできようはずはなかった。」
いかにも漱石らしい。
そうは思うのだが、凡俗の常として、このとき、漱石に死後の世界をかいまみせるような「臨死体験」があったとしたら、とつい思ってしまう。  
立花隆『臨死体験』(文春文庫 上下 2000年)によれば、欧米の臨死体験者は多くが死後の世界や神を信じるようになる。が、意外にも日本人には、あれは脳のみせた幻覚だったと考える人が比較的多いのだという。ただ、面白いのは、それでも死を怖がる気持ちはなくなり、生そのものをみる目もかわるという。体験としての深度はあまりかわらないのだ。
僕に臨死体験はないが、おそらく人が死に瀕するほどの危機にあるとき、脳内ではそうした現象がおこるはずだと思っている。それに近い脳内現象をおこすのが宗教的な「悟り」や「啓示」なのだろう。
「孫が読む漱石」夏目房之介著より転載

「強いて寝返りを右にうとうとした余と、枕元にある金盥に鮮血を認めた余とは、一分の隙もなく連続しているとのみ信じていた。その間には一本の髪毛を挟む余地のないまでに、自覚が働いてきたのみ心得ていた」とは漱石の死の世界からの生還の感想です。
その時の漱石は、眠りからさめたともさえも思わなかったそうです。
死と生の間にある「霊妙な境界を通過した」とも当然のことながら考えなかったそうです。
つまり死んだという自覚もなく、よくいわれる魂の肉体からの離脱も体験しなかったそうです。
さらに死は漱石にとってすこしも恐ろしいものでもなく、spiritualな体験でもありませんでした。
伊豆の大患の後東京に戻った漱石は、死ぬ事とは本人が存在しない事だと理解したそうです。
そして人間にとって死ぬ事はすくいにさえならない。さらに人間は幽霊にもなれそうにないことを漠然と心に留めて、死とはそのようなことだと思うと心細さとつまらなさを感じたそうです。

私は“死後の世界”の否定論者でもありません。
しか〜し直感的に死語の世界があるのはおかしいなと思っていて、「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士の、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとしてから、死後の世界があるとの考えを否定したインタビューで「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない」と述べていたことに賛同していたのです。
夏目漱石の件(くだり)でさら〜にその意を強くしたのです。

やはり人間は死後の世界を賛美するのではなく、現世を一生懸命生きるべきだと思います。
生きている間には色々と辛いことや苦しいことがありますが、生きているからこそ味わえるのです。やまない雨がないように辛いことや苦しい事の後には必ず陽が射します。
生前恨み辛(つら)みを持っていた人達に対して“我が命たとえ絶えたとしても、悪霊となり七代に亘ってこの恨みはらさずにおくべきか”というのはどうやらできそうにありません。
もしこれらの人達に恨みを晴らすのであれば現世しかありません。
来世はすり替え、もしくはある種のmoratorium (モラトリアム)でしょう。
ここを強調しておきたいのです。

〈おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。
おれも余り嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだといった。
「中略」
玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちやん後生だから清か死んだら、坊っちゃんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊っちやんの来るのを楽しみに待っておりますといった。だから清の墓は小日向の養源寺にある。〉
「孫が読む漱石」夏目房之介著より転載

で〜もこのような件(くだり)には自然と目頭が熱くなります。
人の死のせつなさはよくよく理解していますので、私の事を誤解しないでください・・・


Laughing but he forgot to wash his hands:D


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暑い!まだ夏です。
今日は四谷荒木町に出没です。
荒木町といえばここでしょう。
今日のお店は「キッチン たか」さんです。

住所: 東京都新宿区荒木町3-1
電話:03-3356-2646
定休日:日・祝日 年末年始 お盆休み

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お店の外観です。

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メニューです。

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本日のオーダー「マスタードソースのチキンソテー」@900円です。
待つこと13分で「マスタードソースのチキンソテー」の到着です。
見た目、濃いなこのソテー、です。

それでは実食です。
粒マスタードの味と香りが峻烈ですがギリです。所謂見切り寸止めです。
これはすごいですね、これでこのお店のchefの力量がわかります。
この素晴らしいマスタードソースのおかげでチキンソテーの美味しさ特に甘さが引き立ちます。
すごく美味しいです、ウマウマです。
この味が@900円で味わるのは本当にBravoです。
また来ようって!

それでは(^_-)

早稲田 ホドリ

今日は「漱石終焉の地を訪ねて」です。
今日は久々に時間がたっぷりあったので、夏目漱石の終焉の地を次男と訪れてきました。
ここから先は画像でお付き合いください。

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まずは夏目坂にある漱石誕生の地です。
漱石は慶応三年(1867年)2月9日、牛込馬場下横町(明治以降は、喜久井町)に、父夏目小兵衛直克と母千枝の五男として生まれました。
時代はまさに幕末の混乱期、その年の11月9日に徳川慶喜が体制を奉還、翌年には戊辰戦争、上野の山では「官軍」と「彰義隊」のすさまじい戦闘が行われました。
しかしこの場所は分かりにくいですね、スマホのナビを駆使して何とか辿りつきました。

漱石山房

漱石山房

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漱石終焉の地である「漱石山房」です。
漱石は朝日新聞に入社した後は、ここ漱石山房で本格的な作家活動を開始しています。
「三四郎」「それから」「こゝろ」「道草」などの作品を書き続けました。
「明暗」の執筆途中に、胃潰瘍が原因とみられる内出血により、大正5年(1916年)12月9日49年の生涯を閉じました。

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漱石の猫塚です。
猫塚は漱石の遺族が飼っていた猫や犬の供養に建てたもので,昭和28年(1953年)の漱石の命日に復元されたものです。
したがいまして「吾輩は猫である」の猫とは関係がありません、ニャンだ・・・
なおこの山房跡は現在新宿区が区立漱石公園として保全していますが、2015年には隣接する都営アパートを取り壊した跡地に山房が復元される予定になっています。

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漱石と奥様の鏡子さんです。

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晩年の鏡子夫人です。

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漱石の散歩道です。

最後に漱石のプチトリビアです。
1.漱石の本名は?
夏目漱石の本名は夏目金之助です。
庚申の日の申の刻に生れた漱石は、一つ間違えると大泥棒になるとのことでした。
しか〜し名前の前に金の字か金偏の字を選んで名付ければ難を逃れるという迷信から「金之助」と名付けられたそうです。
ちなみに漱石は号ですから。

2.漱石のなりたかった職業は?
建築家です。
漱石は、自分は変人だから変人でも日常欠かせない仕事をすれば、自然と人が仕事を頼みにくると考えていました。
また美術が好きなので建築を美術的にしてみたいというのも理由であったそうです。
しか〜し、第一高等中学校時代の同級生の米山保三郎に諭されて断念しました。

3.坊ちゃんの卒後した学校は?
東京理科大学です。
当時は東京物理学校といわれていました。
三代目校長の中村恭平は漱石と懇意で「吾輩は猫である」の苦沙弥先生のモデルともいわれています。
その関係で「坊ちゃん」を物理学校卒にさせたのです。
ちなみに坊ちゃんは東京理科大学の125周年記念イメージキャラクターにもなっています。
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4.漱石が亡くなる最後に口にしたものは?
葡萄酒です。
漱石は医者のはからいで与えられた一匙の葡萄酒を口に含んで「うまい」と言って亡くなったそうです。
ところで「ビスケット」はロンドン留学時代、昼食代わりに食べていた大好物です。
「アイスクリーム」も好きで、義弟鈴木禎次から家庭用アイスクリーム器をもらい、子供の多い夏目家では大いに重宝したそうです。
即ち、漱石はかなりの甘党だったのですね。


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ということで本日のランチは漱石のながれで早稲田です。
最初は早稲田の“ラーメン二郎”こと“メルシー”さんに伺ったところ休日でした
仕方なく、私と次男の動物的な嗅覚で見つけた本日のお店は「ホドリ」さんです。
美味しいのでしょうか・・・

住所: 東京都新宿区馬場下町61
電話:03-3203-8084
定休日:なし

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。
斜め前の席は、トレパン姿の女性二人連れなどがいて店内はかなりくだけた感じです。
右隣のカップルの席は昼間だというのにビールをグイグイと飲(や)りながら楽しそうに食べています。
いかにも早稲田ですね。

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メニューです。

今日のオーダー「まつりランチ(250g)」@840円です。

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まずはサラダの到着です。
これは見た目通りのサラダですので、特筆するものはありません。

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待つこと5分で「まつりランチ(250g)」の到着です。
これってtoo much than I thoughtじゃないですか(笑)
気持ち300gはありそうな感じです。

肉はカルビらしくサシが細かく走った赤身肉です。
それでは実食です。
柔らかいですね。さらにすごく美味しいのです。
この肉のperformanceはすごいですよ。
食べながら冷静に考えてみたら、この肉の柔らからするとこの肉はカルビではなくサガリ(ハラミ)でしょう、違うかなぁ・・・
ご飯が少し硬めなのが気になりますが、そのような事はno problemです。
久々に美味しい肉を頂きました。
早稲田でしっかりとしたものが食べたかったらこのお店でしょう、自信ありです

それでは(^_-)

上連雀 コメダ珈琲店

今日は「夏目漱石異聞其の弐」です。
漱石
7月7日まで、東京・上野の東京芸術大学美術館で「夏目漱石の美術世界」展が開催されます。この展示会は文豪の脳内美術館を、できうる限り再現する試みだそうです。
漱石が小説や評論、書簡などで触れた古今東西の絵や、親交のあった同時代の画家たちの作品、彼らが手掛けた漱石作品の装丁の原画などを集め、文豪自筆の書画とともに展示しております。興味のある方はどうぞお立ち寄りください。

ということで今日のフリネタは前回同様「夏目漱石」です。
Let’s get started!

#scene3  三四郎、旅館で見ず知らずの女性と泊まる
「三四郎」の冒頭に、三四郎が汽車で一緒になった女性と旅館に泊まる破目になる場面がありますが、そこで三四郎は一つの布団の真ん中に敷布を横から巻いて境界線を作り同衾を避けます。翌朝、別れ際に「あなたはよっぽど度胸のない方ですね」と言われ困惑していました。これって落語の「宮戸川」に元ネタがあるのです。

将棋で帰りが遅くなって締め出しを食った、小網町の半七は霊岸島の叔父さんのところに泊めて貰おうと思っていると、お花もカルタで遅くなり同じように閉め出されてしまった。お花はその叔父さんの所に一晩泊めて貰えないかと頼むが、早合点の叔父さんだから嫌だと断る。「お花さんは自分の叔母さんの所に行けばいいでしょ」、「だって叔母さんは熊本なんですもの」、叔父さんに誤解されると嫌だからと、駆けだしていると、お花も直ぐ脇を走って一緒に叔父さんの所に着いた。

物分かりの良すぎる”飲み込みの叔父さん”は気を使いすぎて、案の定お花と半七をいい仲と勘違いして、2階に上げてしまう。布団は1組しかない。

「いっしょの布団ですが、離れて寝て下さいよ」「良いですよ」。背中合わせの寒さかな。「半ちゃん、雨が降ってきましたよ」「私が降らせているのではありませんよ」その内雷になり「半ちゃん怖い、何とかして」「こっち向いてはいけませんよ」雷は近づきカリカリカリ、近所に落雷して、お花は半七にかじりついてしまう。ビン付け油と化粧の匂い、冷たい髪の毛。半七も思わずお花を抱き寄せ、裾は乱れて、燃え立つような緋縮緬の長襦袢から覗いた雪のような真っ白な足がス〜と。木石ならぬ半七は、この先・・・、本が破れて分からなくなった。
『落語「宮戸川」の舞台を歩く』より転載

如何ですか、落語好きの漱石ならさもありなんですよね!
これが元ネタだという推測をご理解いただけますよね・・・

#scene4  漱石は“笑い”好き
漱石は寄席好きの江戸っ子ですので小説の中に随所に“笑い”を取り入れています。
Top1は「明暗」の60回、top2は「三四郎」の59回、top3は「虞美人草」の55回でbottomは「野分」の6回です、意外や意外「坊ちゃん」は11回と少なかったのですね。
なお漱石は“笑い”の表現にもこだわっています。
「坊ちゃん」の中では、下宿屋の女中さんは「にやにや」笑います。それを坊ちゃんは「失敬な奴だ。顔の中をお祭りでも通りゃしまいし」と坊ちゃんは怒るのですが。
野だいこも「にやにや」、時々お愛想笑いで「エヘヘヘヘ」です。
山嵐は「アハハハハ」、赤シャツは「ホホホホ」です。
「吾輩は猫である」の中では、隣の家の三毛子はあどけなく笑います。
車屋の黒は、髭をぴりぴりふるわせて笑います。
当時者の主人公猫(吾輩)は一回も笑いません。
ただし「吾輩が笑うのは鼻の孔を三角にして咽喉仏を振動させて笑うから人間にはわからないはずである」と言わせています。ちなみに漱石自身もあまり笑わないですね。

夏目漱石
一枚だけ漱石が笑っている写真が残っています。
明治の終わりから大正にかけて「ニコニコ」とう雑誌があって毎号有名人の写真をのせています。
その企画で漱石もニコニコしている写真を撮影させてくれと依頼されたのですが漱石は断りました。
それがいつの間にか撮られた写真がこれです・・・

違いますネ、こちらです。
あまり笑っていませんね。これこそが、まさに“鼻の孔を三角にして咽喉仏を振動させて”という感じで、決してニコニコはしていません、ハイ。
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#scene5  漱石夫婦
昭和4年頃、漱石の長女の旦那さんである松岡譲という作家が「漱石の思い出」とい本を書きました。この本は、鏡子夫人(漱石夫人)が語ったものを松岡さんが筆記したものです。これは奥さんの立場から書いていますから、漱石の悪口が多いのですけれど、けなしてばかりではありません。この本からうかがえるのは真面目な神経質な漱石と、おおらかで全部をなんとなく包み込んでいく鏡子夫人がいいコンビであったように書かれています。
その「漱石の思い出」の中では、漱石が女中さんを人前で殴って、そのために二人の女中さんが怒って帰っちゃった、という場面がでてきます。
それでしょうがなく漱石が自分で廊下を拭いていました。
それを奥さんの鏡子さんがニヤニヤ笑いながらみていたそうですよ。
なんとなくこの夫婦の人柄が出ていて面白いですね。
ちなみに鏡子さんは貴族院の書記官長のお嬢さんという良い家柄の家庭で育っているのですが、晩年は三橋美智也のファンで、家に遊びに行くと必ずといって良いほどミッチーの曲が流れていたそうです。
参考文献「東京っこ夏目漱石」都市出版刊・「人生に二度読む本」城山三郎×平岩外四著、講談社文庫刊


今日のお店は、我が家族の行きたいお店のtop oneです。
そのお店とは「コメダ珈琲店」さんです。
今日は長男が帰省していましたので、全員で伺いました。
ということで今日のお店は「コメダ珈琲店」三鷹上連雀店さんです。

住所: 東京都三鷹市上連雀8-1-5
電話:0422-24-8058
定休日:無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

行列はなかったのですが店内で待ちました、待つこと20分で席に着くことができました。
超人気店ですね、ハイ。
色々なmenuがあって目移りしてしまいます。

まずは私のオーダーは「小倉トースト」@380円と「ジャーマン」@690円です。
長男のオーダーは「バナナジュース」@500円と「ホットドック」@380円です。
次男のオーダーは「エッグバンズ」@380円、「アイスココア」@500円とここの一番人気の「シロノワール」@590円です。

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まずは私のオーダーと「ジャーマン」です。
「小倉トースト」は初体験です、小倉餡が甘さ控えめで美味しいですね。
トーストに良く合います。
「ジャーマン」は普通のソーセージのグリルです。
ソーセージがカリッと焼けていて美味しいのですが特筆するものではありません。

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長男のオーダー「バナナジュース」と「ホットドック」です。
「バナナジュース」はまさにジューサーにかけたという風情です。
味ですかアマアマです。
「ホットドック」はジャーマンと同じcategoryですの同様のコメントです。
ソーセージがカリッと焼けていて美味しいのですが特筆するものではありません。
パンもそれなりですかね。

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次男のオーダー「アイスココア」、「エッグバンズ」、「シロノワール」です。
「アイスココア」は見るからにvolumyです、さらにこれもアマアマです。
不味くはないですがクドイです。
次男の「エッグバンズ」ですが、次男は「エッグバンズ」を食べている時に、中の具材が飛び出してきてかなり苦戦していました。ちょっと中の具材がゆるゆるのようです。
味ですかliterally(文字通り)の味です、特筆するものはありません。
そして本日のhighlightの「シロノワール」です。
コメダと言えばシロノワール、といわれるくらい、全国的にも認知されつつある看板メニューですので、当然のことながら我が家でもマストオーダーにしました。
これはデニッシュパンの上にたっぷりとした涼感あふれるソフトクリームがのっています。この上にお好みでシロップをかけるのですが、我家では全量かけまわしてプラ〜ス「小倉トースト」の餡ものせたのです。
味ですか、とても美味しいと思うのですが、かなりアマアマです。

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料金は3名で合計3,420円でした。
コスパはあまり良くあません。
さらに量が多すぎて最後の方は食べるのが苦痛になってきました。
すべての食事がtoo much、too many、too sweetですのでお気を付け下さい。
まぁこれは、私たちが初見参なので、いたずらに多く注文してしまい仕方のないところでありますが、calorie controlしている方は、それこそ甘くみてはいけません。
次回は違うメニューにチャレンジしてみましょう。

最後に名古屋発の喫茶店が、この巨大市場東京でどこまで伸びていくことができるのでしょうか、末長く見守っていきたいと考えています。

それでは(^_-)

西新宿 あるでん亭

今日は「夏目漱石異聞其の壱」です。
夏目漱石
7月7日まで、東京・上野の東京芸術大学美術館で「夏目漱石の美術世界」展が開催されます。この展示会は文豪の脳内美術館を、できうる限り再現する試みだそうです。
漱石が小説や評論、書簡などで触れた古今東西の絵や、親交のあった同時代の画家たちの作品、彼らが手掛けた漱石作品の装丁の原画などを集め、文豪自筆の書画とともに展示しております。興味のある方はどうぞお立ち寄りください。

ということで今日のフリネタは「夏目漱石」です。
個人的には私が推す漱石といえば断トツに「こころ」ですか、次に「三四郎」そして「坊ちゃん」ですかね、いずれにしても漱石ファンであることは間違いありません。
読み返し数の多さでいえば「三四郎」でしょう。
ここまで拘泥したのは三四郎のマドンナの「美禰子」さんです。
とても魅力的な女性ですが、三四郎を含む周囲の男を振り回すだけ振り回して最後に「我はわが咎を知る。わが罪は常にわが前にあり」と身勝手な言葉を残して本命、野々宮ではなく全く別の男性と結婚します。正直、この女性にはまりました。

次男が学んでいた高校、郁文館高校は、「吾輩は猫である」に登場する「落雲館中学校」のモデルとなっていました。というのもこの学校の裏にあったのが漱石の家のですので疑うことのない話です。小説では「落雲館中学校」の野球部の生徒が練習中にしょっちゅう庭に入りこんだ球をとりにくるので、主人公がぶつぶつ言う件(くだり)がありましたがこれは漱石の実体験を脚色したのでしょう。
要は私も間接的に漱石とは縁があるといいたいのです、ちょっと苦しいか・・・
少しそれますが、郁文館高校(郁文館夢学園)のownerは、今をときめく悪名高きブラック企業「ワタミ」の社長、渡邉美樹さんです。
私は渡邉美樹さんがとなえる夢学園構想に賛同して次男を郁文館に行かせたのです。
渡邉さんとはPTAの関係で本当に良く話す機会がありました。
本当に裏表のない人ですよ。
ブラック企業という冠され方に対してnet等で反論されていますが、それを見る限りに、反論そのものは説得性且つ納得性があり、またその論理展開はあいもかわらずsmartであります。
マスコミが偏向的に面白可笑しく揶揄しているだけで、どこの企業もその程度の闇は内包していると思います。
個人的には渡邉さんの二人の息子さんは可哀想でした。
確か長男は鹿児島ラサールにいたのに父親の夢学園構想意の思惑で郁文館高校に転校させられました。次男は私の次男と同級生だったのでなにかと注目していましたが、かなり背伸びをしているようで、このままでは近い将来にstall out(エンスト)してしまうのではないかと気になっていました。もちろん今はしっかりとされているのでしょうがね・・・

閑話休題おはなしはもどりまして
そうそう今日のフリネタは漱石ですよね。
Let’s get started!

#scene1  三四郎
漱石は「三四郎」を書く前に、ドーデの「サフォー」、ダヌンツィオの「死の商人」を間違いなく読んでいます。それを読んだがために、小説創作のインスピレーションが湧いてきたでしょうね。その傍証が「三四郎」のなかに出てくる「ヘリオトロープ」という香水の名前です。
これは「サフォー」のなかでやたら出てくるのです。
こんな香水の名前当時の明治人知るわけ無いですよね(笑)
上述の「我はわが咎を知る。わが罪は常にわが前にあり」は、は聖書の「伝道」からの引用です。
さらに言えば「三四郎」にでてくる野々宮さんは、寺田寅彦がモデルだったと記憶しています。

#scene2  漱石は“江戸っ子”
小説「坊ちゃん」の中で、坊ちゃんが山嵐に教える悪口があります。
「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被りの、香具師の、モモンガ―の、岡っ引きの、わんわん鳴けば犬も同然の奴め、いい加減にしろ」というのがありますがこれは漱石が江戸っ子の証拠です。
要は江戸っ子というものは悪口を言う時には、言葉をフルオート拳銃のようにつなぐのです。
私達、下町っ子も江戸っ子の端くれですので、同様の口跡が残っています。
子供の時の口喧嘩は、言葉の多さもさることながら韻をふんだような演繹的な論理展開が求められます。
したがいまして脳みそがアメリカンの子どもは口喧嘩には絶対勝てません。
ちなみに私は、口喧嘩は強かったのです。どうでもいいですね・・・
子供の時のTVの時代劇では、町の江戸っ子奴達はこのような畳みかける啖呵を喧嘩の相手に浴びせることによって、少しトロイ相手がこの啖呵にきれて刀を抜けば、この野郎!抜きやがったな、そうかい、そんなに俺っちの刀のサビになりてえのか、それなら思う存分にナマスにしてやらい、というこの口跡を何度聞いたことでしょうか。
ちなみに女性版は樋口一葉さんの「たけくらべ」の美登利が真如に対していうのがありますので紹介します。
「嫌な坊主ったらない・・・意地悪の、根性まがりの、ひねっこびれの、吃りの、歯かけの、嫌な奴め、這入ってきたら散々といじめてやるものを」
如何ですか、そういえば昔はそうだったかなと思いだす人はいますよね・・・
To be continued!
参考文献「東京っ子夏目漱石」都市出版刊


サッカーの試合における最も切ないシーンといえば自殺点ではないだろうか。わざとじゃない。事故である。だが、チームメイトもファンも落胆している。相手チームは大喜びだが。
そんな切なき自殺点の新作プレーが YouTube にアップされていたのでお伝えしたい。動画のタイトルは「Clamoroso autogol in Delta Porto Tolle – Ischia」などである!
舞台はイタリアのアマチュアサッカーリーグ「セリエD」。イスキア vs ポルト・トッレの試合で事件は起きた。まずはオレンジのユニフォーム、ポルト・トッレの選手がバックパス。
それをゴールキーパーは大きくクリア! ボールは天高く舞い、前線へ……行くのかと思いきや、落下地点がどうも怪しい。上を見つめる選手たちも「あれ?」「お、おい」と焦っている。
そう、前線へ蹴りだしたボールは強風に押し戻され、あれよあれよという間にゴール前にズドンと落下。そのまま大きくバウンドし、キーパーのブロックむなしく自軍のゴールに吸い込まれてしまったのであった。
誰も悪くない。わざとじゃない。事故である。悪いのは風なのだ。ドンマイだ。



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今日は新宿新都心に出没です。
ここのところ割れている腹筋を6-packから8-packにしてスーパーヘコメン(お腹がへっ込んでいて腹筋が割れていている男子)になろうと頑張っていたら、なにか病的に痩せてきました、さらに体調もおかしくなってきました、マジです。
冷静に分析するとここのところ昼食以外の食事がpoorなのですね。
さりとて朝、夜はあまり食べる気もせず・・・
今日もお昼を食べそこねてほとんど夕食に近いお昼です。
そうだ、こういう時こそ、ガッツリしたものを食べようと強い決意のもとに訪れましたお店は「あるでん亭」さんです。

住所: 東京都新宿区西新宿1-25-1 新宿センタービル MB1F
電話:03-3349-0384
定休日:無休(年末年始など新宿センタービルに準ずる)

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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今日のオーダー「アリオ オリオ ベーコン添え+大盛(厚切りベーコンが4枚ものったペペロンチーノ)」@1,100円+@100円=1,200円です。
ちなみにこのお店では「アリオ オリオ ペペロンチーノ」@800円にオプションとして厚切りベーコンが4枚=@400円を付けますと@1,200円になりますので、このオーダーの方が@100円お得になります。

待つこと15分ですごく豪華なペペロンチーノが到着です。
見た目、草鞋(わらじ)スパ、です。

それにしてもなんともすごい量の厚切りベーコンが4枚ものっています。
カリカリに焼けていてどこからみても美味しそうです。
それでは実食です。
ウン美味しい、パスタは茹で加減など芯の固さは正調アルデンテです。
油加減も丁度良く、スライスのガーリック・鷹の爪と絶妙に混ざり、うんこれはとても美味しい。

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しかし私の頭にデジャヴ(deja-vu)ではなく悪夢(nightmare)が・・・
そうなのです、私はこのお店の小川町店のheavy user(往訪100回以上)だったのです。
このお店のペペロンチーノは大盛を頼んではならない事を思い出したのでした。
シンプルに調理されているので、後半にパスタの表面温度が下がる頃には美味しい味が掻き消えて、まるで12時を過ぎたシンデレラみたい非常に単純な味に替ってしまうのです。

しまった!と気がついてチーズと鷹の爪を緊急出動したのですがtoo lateでした。
それでも前半のカリカリベーコンとアルデンテパスタのfusionは至高の美味しさと言いきってもよろしいかと思います。
このお店で大盛を頼むらなトマト味系をお勧めします。

それでは(^_-)

銀座 上海湯包小館 銀座3丁目店

今日は「八重の桜異聞」の話です。
八重の桜
今年のNHK大河ドラマ『八重の桜』の主人公は新島八重。2012年は平清盛、2011年は徳川秀忠の正室・江、2010年は坂本龍馬を扱うなど、よく知られた歴史上の人物を取り上げる大河ドラマのなかで、新島八重はかなりマイナーな人物です。綾瀬はるかさんが演じ、大河ドラマでは“幕末のジャンヌ・ダルク”“ハンサムウーマン”などとキャッチコピーがつく新島八重は、いったいどんな女性だったのでしょうか?
※()内は『八重の桜』のキャスト名。画像はNHK大河ドラマ『八重の桜』より引用

1.13歳で60キロの米俵を4回も肩の高さまで持ち上げる
新島八重は1845年生まれ。ペリーが浦賀に来航する9年前、激動の幕末時代がはじまる頃に会津藩の砲術師範の家に生まれました。女の子として裁縫や機織りを習う一方で、薙刀や剣術を学び、父(松重豊)からは砲術の手ほどきを受けたと言われています。
今に残る写真からもふくよかな容姿が伝えられますが、少女の頃からまるまると太り、男の子の真似ごとが好きだった八重は、13歳のときに米4斗(約60kg)の俵を軽々と4回も肩の高さまで上げ下げしたそうです。今の世に生まれていたなら、重量挙げの選手にスカウトされそうですね。

2.最新式の銃で45メートル先の的を撃ち抜く
兄・山本覚馬(西島英俊)が江戸から最新式の銃(オランダ製のゲベール銃、ヤゲール銃)を持ち帰ると、その扱いを学んで約45メートル先の的を撃ち抜いていたそうです。銃の重さは約12kg。持つだけでもよろめきそうな重さの銃です。撃ち方のみならず、銃のしくみに関する知識も身につけた八重は、隣の家の男の子に銃の撃ち方を指導するまでになります。
武家の娘とはいえ女だてらに銃を撃つ八重は、男勝りという言葉がぴったりの少女だったに違いありません。
 

3.男装して会津戦争で大砲を撃つ! 日本初の“女性砲術士”
明治元年、鳥羽伏見の戦いに幕府軍が敗れると、藩主・松平容保が京都守護職を務めた会津藩は新政府軍から朝敵とされ、薩摩藩、長州藩などから攻撃を受けることになります。飯盛山で悲劇的な最後を遂げた白虎隊で知られる会津戦争のはじまりです。
このとき、約1か月に渡る若松城(鶴ヶ城)での籠城戦には、約500名の女性も参加していました。このとき八重は24歳。亡き弟・三郎(工藤阿須加)の装束を身につけて男装し、大小の刀を身につけて七連発のスペンサー銃を手にし、身体には100発の銃弾を巻きつけていたそうです。
籠城した女性のなかで最初に断髪したのも八重でした。昼間は兵士のために食事の用意や負傷した人の看護に励み、夜は刀を差して銃を携え夜襲にも参加。銃を持って戦ったのは八重だけだったと言われています。最初の夫・川崎尚之助(長谷川博己)とともに大砲を操作しさえしました。

4.日本初の公立女学校で教鞭を取る
会津戦争から3年後、明治4年の夏に八重は京都へ移ります。死んだと思っていた兄・覚馬の生存が確認され、さらには京都で活躍していることがわかったからです。翌年、京都に日本初の公立女学校・女紅場(じょこうば)が開かれると、八重はここで英語を学ぶとともに教師として教えることになります。
当時、キリスト教に傾倒していた覚馬は、アメリカで洗礼を受けてアーモスト大学やアンド―バー神学校に学んで帰国した新島襄(オダギリジョー)に出会い、ともに同志社英学校の開設に奔走。八重もまた当時の京都府知事から紹介されて新島と出会います。西洋の文化になじみ「亭主が東を向けと命令すれば、三年でも東を向いている東洋風の婦人はご免です」という新島と、男勝りで自分の意見をハッキリと持つ八重はお似合いのカップルでした。
 

5.京都で初めて受洗し、キリスト教式の結婚式を挙げる
八重は、京都で初めてプロテスタントの洗礼を受けたのち、キリスト教式の結婚式をあげて新島と夫婦になります。ふたりは、京都でキリスト教式の結婚式で結ばれた最初のカップル。式の後は、ふたりで同じ人力車に相乗りして人々を驚かせます。男女が同じ人力車に乗るなんてあり得ない時代だったのです。
“キリシタン禁制”が解かれてまだ三年、仏教界が強い力を持つ京都でのキリスト教洗礼、結婚式は、白眼視されたことでしょう。周囲がどう思おうとも自らの意志に従って突き進む八重の覚悟は、やはり会津戦争での籠城戦のなかを死をも恐れず戦った経験に裏打ちされていたのではないでしょうか。
 

6.京都で初めての洋装、しかも絶妙な和洋折衷に周囲は仰天
八重は京都で初めて洋装した花嫁でもありました。しかも、新婚の頃の写真では、着物に革靴を履き、膝のうえには花をつけたつばの広い帽子を載せています。なんという絶妙な和洋折衷! 矢絣の着物に袴をつけてブーツを履いた女学生が現れるのは、数十年後の大正時代のことですから、八重のファッションは時代を数歩先行くものだったと言えるのではないでしょうか?
 

7.自車に乗り、“洋式トイレ”のある家で暮らす新婚生活
結婚後は、当時はまだ珍しかった自転車に乗って京都を駆け回って評判になりました。八重は日本で初めて自転車に乗った女性だったのではないか、とも言われています。和洋折衷だったのは服装だけではありません。新島とともに暮らした家には、畳の部屋は作らず、寝室はふとんではなくベッドを使用。トイレも板張りの“洋式”なら、台所も土間ではなく板を張ったうえ井戸を取り込んでいました。洋館ながらも、窓の上部には和風の欄間を取り入れるなど、和と洋を調和させたスタイルは明治初期の建築としても見ごたえがあります。今でも見学可能(要予約)。

8.“愛夫”とラブラブ!「僕はそんな八重さんが大好きです」
和服に帽子や革靴を合わせたり、自転車に乗って人々を驚かせていた八重ですが、結婚後は夫・新島を“愛夫”と呼んでいたと伝えられています。「愛」という言葉がまだ新しく、また妻は夫の後ろにつき従うのが当然だった時代に、新島を“愛夫”と呼んで肩を並べて歩く八重は、「悪妻」と非難されることもありました。新島は西洋風にレディーファーストで八重を扱ったので、八重の態度はより一層横柄なものに見えたのでしょう。
しかし、新島は「気にすることはありません。僕はそんな八重さんが大好きです」と励まし、八重もまたそのスタイルを変えませんでした。ふたりはたいへん仲睦まじく、同志として共に歩んだカップルだったのです。
新島はこう書いています。「彼女は決して美人ではありませんが、やることが非常にハンサムです」。ここでの「ハンサム」は「美しい行いをする」という意味。今回の大河ドラマでも使われている「ハンサム・ウーマン」という言葉は、このエピソードに由来しています。
 

9.夫の死後は看護婦学校で教え、看護婦育成につとめる
新島と八重の幸せな結婚生活は14年間しか続きませんでした。同志社大学設立のために病身に鞭打ち続けた新島は、48歳という若さでこの世を去ってしまったのです。2年後には、愛する兄・覚馬をも相次いで亡くしています。
しかし、気落ちして立ち止まるような八重ではありません。会津戦争で負傷者の世話をした経験から看護の仕事に関心を持ち、夫の死後3か月後に日本赤十字社の社員になって、やがては看護婦の育成に関わることになります。
明治20年、同支社が京都看護婦学校を設立すると、八重は助教師として教鞭をとります。明治27年の日清戦争時には、20数名の看護婦を率いて広島陸軍予備病院で篤志看護婦として傷病者の看護にあたります。さらに10年後の日露戦争時にも、大阪の陸軍予備病院で篤志看護婦として活躍します。そのとき、八重はすでに60歳でした。
 

10.女であることにこだわらず、勇敢に快活に生き抜いた87年
八重は、夫の死後42年の間、看護婦の育成に務め、茶の湯を楽しみ、同志社の学生たちに「お母さん」「おばあさん」と慕われたと言われています。同志社大学栄光館で行われた葬儀には2000人もの人が参列しました。

この記事のなかにも「日本初」「京都初」という言葉がたびたび登場しましたが、八重は「女だから」「誰もやっていないから」という理由で、何かを思いとどまることはなかったと思われます。同志社での学生時代、八重を嫌って強く批判した徳富蘇峰は、やがて八重を認めて、その死の折にはこんな追悼の言葉を送っています。
「刀自(※)の存在は、新島先生の好配であった為ばかりではなかった。刀自は一個の女性としても日本女性の誇りとするに足る一人であった」
※年配の女性を敬愛の気持ちをこめて呼ぶ呼び方。ここでは八重のこと。

さて、まだ大河ドラマでは八重の子ども時代。八重の激動の人生はこれからです! どんなふうに新島八重が描かれ、演じられるのか楽しみです!
「ガジェット通信」より転載
 
「八重の桜」の舞台は男尊女卑の考え方が主流の幕末から明治初期にかけての頃です。
女は夫を立て、家庭を守ることが当たり前という時代であるなか、銃をもって戦いに出向いたり、日露戦争や日清戦争では看護師として同行したりとアクティブすぎる女性・新島八重の生涯を描いた物語です。
彼女はそのエネルギッシュさや看護への従事ぶりから、幕末のジャンヌ・ダルク、日本のナイチンゲールとも呼ばれているのだそうです。
夫を呼び捨てにし、先に車に乗るなど、世間からは夫をたてない悪妻だと言われていた新島八重。

アメリカ帰りの夫・新島襄(じょう)がレディーファーストであったため、それを見た世間の印象から悪妻と広まってしまっただけで、夫・襄はとても愛妻家で夫婦円満だったのだそうです。

新島八重は悪妻ですか。
私は奥様が、綾瀬はるかさんであれば悪妻でもかまいません、ハイ。

悪妻といえば夏目漱石の奥様です。
夏目漱石の奥様の鏡子は、hyperお嬢様育ちです。
その為に家事は不得意ですし、寝坊することや、漱石に朝食を出さぬままに出勤させることもしばしばで、漱石がこのことを、「お前のやっていることは、不経済極まりない」と叱ると、逆に、「眠いのを我慢していやいや家事をするよりも、多目に睡眠をとって、良い心持で家事をするほうが、何倍も経済的なのではありませんか?」と言い返して、漱石を閉口させることもしばしばだったそうです。

鏡子は、慣れぬ結婚生活からヒステリー症状を起こすこともままあり、これが漱石を悩ませ、漱石を神経症に追い込んだ一因とされています。
ただ、夫婦仲はそれほど悪くはなかったようです。漱石が英国留学後に、神経症を悪化させ、鏡子や子供達に対して頻繁に暴力を振るうようになり、周囲から漱石との離婚を暗に勧められた時には、「(漱石が)私の事が嫌で暴力を振るって離婚するというのなら離婚しますけど、今のあの人は病気だから私達に暴力を振るうのです。病気なら治る甲斐もあるのですから、別れるつもりはありません」と、言って頑として受け入れなかったといいます。

漱石の死後、鏡子が子供達の前で失言し、それを子供達にからかわれると、「お前達はそう言って、私のことを馬鹿にするけれど、お父様(漱石)が生きておられた時は、優しく私の間違いを直してくれたものだ」と、亡夫・漱石を懐かしむことがしばしばだったそうです。

八重も鏡子もともに身体は豊満です。
悪妻=豊満というイメージが日本?世界?では定着しています。
何故でしょうか・・・
ご主人を朝昼なく働かせてその稼ぎを搾取する。その搾取したお金で美食三昧、そして家事労働はご主人にやらせるのでカロリー消費はほとんどなく、その結果ぶくぶくと太るという構図なのでしょうね。
面白いもので、なぜか悪妻とダメ夫の夫婦の離婚ってあまりきいたことがありません。
夏目漱石夫婦のようになにか言い知れぬ補完関係が構築されているのでしょう。
男女の中はmysteryです。


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今日は銀座に出没です。
春寒ですか、というかマジ寒です。
奥様からの指令で東京交通会館にある「千葉スペシャル」さんで靴磨きです。
常日頃から奥様同様私もオシャレの基本は足元からと考えています。
従いまして@1,000円/回の靴磨きの投資は必要経費です。
「千葉スペシャル」さん、TV露出の影響か女性の靴磨き客が増えています。
仲良しのオジサンに聞いたら、ここ数カ月で女性が増えてきて、今では一日2〜3名はくるかね、との事でした。
女性って靴磨きはご自身でするものではなかったのでしょうか・・・
そんなことよりランチです。
今日のお店は「上海湯包小館」銀座3丁目さんです。

住所: 東京都中央区銀座3-7-16 銀座NSビル 1F・2F
電話:03-5524-2608
定休日:無休

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お店の外観です。

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メニューです。

今日のオーダー「黄金海老炒飯セット」@880円です。
なんですかこのお店禁煙席に26名のお客がいましたが男性客は3名です。
喫煙席の6名のお客は女性です。男性率9%、アマゾネスですか(笑)

閑話休題おはなしはもどりまして
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待つこと5分で小籠包3個が運ばれてきました。
きざみ生姜に黒酢と醬油をかけていただきます。皮が柔らかく、箸でもっただけで中に肉汁がたまっているのが分かります。
それでは実食です。
すごいですよ、熱々の旨味の肉汁。
これはとてもイケますね。
美味し〜い!

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遅れて1分後に黄金海老炒飯、溶き卵スープが着膳です。

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見た目美炒飯です。
それでは実食です。
美味しいbut・・・
いわゆる優等生的炒飯です。
男性には量・味付け含めて物足りないでしょう。
ウン、これ女性tasteですね。

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白眉は溶き卵スープです。
トロミ、塩加減、熱さ、gutです。
私見ですが、ここのchefさんのde factoとってこの味付けではないのでしょうか。
銀座、飲茶、となれば女性となりますので、意図的に女性を意識した味付けにしているのではないかと演繹する今日この頃であります。

それでは(^_-)

品川インターシティ 麦まる

今日は「忘年会雑感」の話です。 
忘年会とは広辞苑によると「その年の苦労を忘れるために年末に催す宴会」とあります。
忘年会というのは日本独特の行事のようですが、その起源は、鎌倉時代にまでさかのぼる事が出来ます。と言っても現在のドンチャン騒ぎとはまったく逆で、優雅に厳かに連歌(和歌などをつなげて詠うもの)を詠う「年忘れ」という行事だったのです。

江戸時代になると、庶民が「一年の労をねぎらい、杯を酌み交わす」といった、現在に近い形の忘年会が存在していました。しかし、江戸時代に武士階級では「年忘れ」と言う物は行われず、逆に「新年会」の方を大事にして主君への忠誠を誓うものとしていました。

現在のように、行事として慣例化したのは明治時代に入ってからで、政府の官僚や学生を中心に忘年会がにぎやかに開かれていたという記録があります。官僚はボーナスが出た頃、学生は年末年始の帰省前に集まっていたと伝えられており、この頃になると忘年会は、現在とあまり変わらない年末の風物詩となっていたと推測できます。

「忘年会」という名前が文献に始めて出てくるのは、夏目漱石が明治後期に書いた「我輩は猫である」です。文中では特に注釈もなく「忘年会」という言葉が使われているため、この頃には忘年会もかなり普及していたと考えられます。
「暮らしのミニ知識」より転載

今年も忘年会には多く参加しました。
指折って数えてみますとすでに7回参加していて、あと2回も残しています。
私の場合の特徴は、大半がprivateの忘年会で、取引先との忘年会は限られています。
最近どの企業の方々も多忙ですので、特に購買系の方は業者からの饗応は厳禁です。
いきおい取引先との忘年会をやることは年々歳々少なくなってきています。
これはどの企業でも一緒だと思います。
確かに今は一億総中流ですので珍しい食べ物、飲み物も少なくってきていますので、そこそこの料亭で接待されてもあまりsurpriseはないようです。
それでは綺麗どころをはべらせてclubでというのもありなのでしょうが、最近のclubの女性は話上手が少なくて、その為に接待する方が気を使ってしまいかえって疲れてしまいます。それでは話上手の女性が多い超一流clubにいけばいいのではないかと思う向きもあろうかと思いますが、それはそれで値段が高くて、大概の場合は二桁(10萬円)超えですので交際費縮減の時節柄難しくなってきています。
そういえば一回外国人の女性が多いclubに海外駐在が長く帰国してすぐの取引先を接待したらすこし日本語を忘れているみたいで、会話が全て英語になってしまいあまり酔えなかった思い出があります。
個人的には饗応で巧くいく取引は饗応でひっくり返されますので、推して知るべしでしょう。


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ところで断酒してから約400日にもなりますので、お酒に酔うことなく参加する忘年会も今年で二年目なります。個人的には飲んでも飲まなくてもお酒の場に座ればカメレオンの様に場の雰囲気に合わせて当意即妙の受け答えをするので違和感を感じさせないと思っていました。
昨日ですか下町にかつてあった61群所属の都立高校卒業生の合同忘年会に参加しました。
この合同忘年会も今年で4年目を迎えますので去年も参加しています。
その席上で私がお酒飲んでないことが、信じられないということで何故か大騒ぎになったのです。
しかし去年もそうだったのですが、と申し開きすると皆が異口同音に、▲▲(私の事)って飲んでも飲まなくても変わらないんだ、と言ってくれたのです。
しかしこれって個人的には喜んでいいのかどうか悩みましたが、positive thinkingで喜ぶことにいたしました。
今年も残りわずかです・・・


このショートムービーは、「Grasshoppa!」という、各界気鋭のクリエーターたちが製作を手がけた新感覚映像エンターテイメントDVDの中の1編だそうです(^_-)



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今日は品川に出没です。
今日はかなり寒かったので温かいものということで、訪れたのは讃岐製麺「麦まる」 品川インターシティ B1F店さんです。

住所: 東京都港区港南2-15-2 品川インターシティD棟 B1F
電話:03-5479-0903
定休日:不定休

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お店の外観です。
このお店はJR品川駅の港南口から徒歩で5分程度の品川インターシティにあります
どうやら外食産業「グルメ杵屋」さんが経営する“セルフ讃岐うどん”の店のようです。

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天麩羅コーナーです。

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今日のオーダーは「かけうどん(並)+げそ天」@280+@150=430円です。
しかしこのお店は行列店です。並んでから食べるのに10分かかりました。
それでもセルフなので10分ですんだのでしょう。
そうそうこのお店はお汁(つゆ)もセルフなのです。これはウレシイですね。
個人的には讃岐うどんのお汁(つゆ)は大好きなのでたっぷりと入れることができました。

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プラ〜スげそ天を切る為の鋏が用意されています。
これもgood pointですね。

それでは実食です。
うどんはコシがありますが、もう少しモチモチしたほうが良かったですね。
お汁(つゆ)はもうちょっと出汁が効いているといいかと思いますがそれなりにイケます。
げそ天は少し油切れが悪い様なかんじですがかなりのlevelです。
相対的には美味しくいただけました。
何て言ったってone coinでお釣りがくるのですから満足度はかなり高いものです。

それでは(^_-)


神田小川町 菜香苑

今日は「江戸っ子」の話です 
江戸の都市の特徴というのは、今の東京でも変わらないと思うのですが、大阪や京都は商人など生え抜きの人たちばかりですが、江戸というのは参勤交代で大体地方からきた者が江戸の都市にいました。つまり、百万都市ですがその半分くらい「よそ者」なのですね。要するに中央都市でありながら他国の人がたくさん来ていました。
その中で這い上がってきた生え抜きの江戸っ子というのは、どんな人を言うのかというと、江戸っ子としての条件は、
1.将軍様のお膝元の天守閣が窓から見えるところに住んでいる
2.水道(神田上水のこと)の水でお湯(産湯)につかった
3.金払いがよくけちではない
4.物事に執着しない

ちなみに江戸っ子の定義を作った戯作者山東京伝は
1.江戸の水道を産湯とした
2.宵越しの銭は持たない→頻繁に火事で焼け出されるので蓄財を持つ意味がなかったので正しくは、宵越しの銭は持つことができない。
3. 粋と(意地の)張りを本領とする

といわれていますが、概ねcloseですね。
さらに江戸っ子小説家である夏目漱石先生は
1.細かい事にはこだわらず商売下手
2.人情家で正義感に溢れるものの、意地っ張りで喧嘩早く、駄洒落ばかり言うが議論は苦手
3.結構高級な育ちで貧乏人くさくない洗練された人間であること

などといわれています。
基本的には「江戸っ子」というのうは生粋の江戸生まれであることです。
自分で『俺は江戸っ子だ』といきがっているのは江戸っ子じゃなくて、大店の旦那衆が本当の意味の江戸っ子だと言われています。本当の江戸っ子とは、ちゃんとした教養があり、多少でも芸事をやったり、書を読み書きしたりするような人間を言うのだそうです。井戸端会議をしているおかみさんたちは「女将さん」で、大店のおかみさんは「お内儀さん」というように違いがあるのです。
また、江戸っ子は、武士に対して反発があったといいます。参勤交代でやってきた田舎者で、ろくに教養もなく立ち振る舞いも洗練されていないのに、自分達はどうしてもかなわない、対抗できないということで、江戸っ子たちは面白くなかったのでしょう。

ちなみに「ちゃきちゃきの〜」という言葉を冠したときは、「生粋の江戸っ子である」という強調の意味ですが。もとは長男の長男を意味する「嫡嫡」がなまった言葉で、厳密に言えば3代続きの長男のみを「ちゃきちゃきの江戸っ子」と言います。ちなみに私は父が地方出身者ですから、私の長男の長男が東京で生まれたらその子が「ちゃきちゃきの江戸っ子」になりますが、多分その頃にはこの言葉は死語になっているかもしれません。

最後に粋な江戸っ子というと鳶の親方があげられます。ところでこの鳶の親方がおこなう手締めは少し一般の手締めとは違います。
「ちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃん、ちゃん」
で三、三、九度、最後の「ちゃん」一つが多いのです。これは「九」の字に点を打ち、丸となる仕掛けなのです。上に点を打ってはいけません、ギュウになりますので・・・
これは全て無事に丸く収まったときにやる手締めなのです、ハイ。     
ちなみにこれを“粋だねぇ”って誉めちゃいけません、その瞬間に 粋じゃなくなりますから・・・

今日は神田小川町に夜に出没です。今日はランチタイムに魂の呼び込みをする謎の中国人がいる香港飲茶・広東名菜庵「菜香苑」さんです。

住所: 東京都千代田区神田小川町1-7 神田小川町ハイツ2F
電話:03-6913-6518
定休日:無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。妙に暗いし、少しアヤシイですね(笑)
多分電気代節約していると思うのですが、違うかな・・・

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今日のオーダー「鶏肉の特製塩コショー和え+ご飯」@850です。実はこのお店初めてなので得意の中国語(笑)で小姐(シャオジェイ)にこ“このお奨めは何ですか”と聞けば、この料理をrecommendしたのです。
待つこと10分程度で運ばれてきました。早速実食です。アレッ!熱くないじゃないですか。
即座に小姐(シャオジェイ)を呼んで質問しました。“この料理出来たてじゃないみたいなんだけど、何で?”と聞きますと“この料理はこの熱さでよいのです”と答えたのです。いくら中国4000年の歴史といえども下町っ子はこの望郷、ちがうか暴挙は許せません。やはり料理は出来たて熱々がお約束です。
言葉がよく通じないので、謎の中国人を呼び同じ質問をしました。
すると謎の中国人は“この料理は前菜です。よってすでに出来ているものを蒸篭(せいろ)で蒸して温めたのでこの温度なのです”と説明したのです。“あんだって、前菜なの”と驚くと同時に小姐(シャオジェイ)に“何で、そう説明しないの” って聞けば“お酒のつまみにするのだと思ったら、ご飯を頼んだので変だなと思っていました”とのことです。
やはり異文化communicationは難しいものだなあと思わず納得した次第であります。
仕方なく食べ直しました。味ですか、かなり美味しいですよ、特に鶏肉がジューシィで秀逸ですが、やはりこの料理はビールが合いそうです、ハイ。
久々の“こんな日もあります”でした。

それでは(^_-)

神田 木花(このはな)

今日は「校歌考」です 
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最近よく飲み屋さんで大学生と会話します。そこで驚くのは皆、自分の大学の校歌を知らないといっていることです。最近会った、東洋大学、東京理科大学の学生さん皆異口同音、平気な顔で知りませんよ、って言っています。これには驚きました。
さらに東京理科大学の学生さんに、理大卒業生で一番有名な人物は?と聞けば、そんな人いませんよ、ですって、東京理科大学といえば、夏目漱石の坊ちゃんじゃないですか、さらに坊ちゃんは東京理科大学の125周年記念イメージキャラクターにもなっているのに・・・
幸ひ物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出て居たから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続をして仕舞った。今考へると是も親譲りの無鉄砲から起った失策だ
「坊ちゃん」夏目漱石著より転載
物理学校というのは専門学校で、いまの(飯田橋の外濠端にある)東京理科大学の前身です。その後は小説の通りで、中学を辞職した坊っちゃんは、東京に帰郷し街鉄(後に都電と呼ばれるようになる路面電車のこと)の技手となりました。
今でいうエンジニアとして勤務したのですが、実態はエリートテクノクラートじゃないですか、充分誇りにしてよい先輩だと思うのですが。

閑話休題
日本三大校歌は慶應義塾大学、早稲田大学、明治大学の校歌だそうです。個人的に一番好きな校歌は明治大学の校歌です。歌詞がいいしメロディラインも良く歌いやすいですね、歌い終わった後はとてもすっきりします。
今月末豚児の通っている法政大学の学長から学校に招かれているので、ここでは学長と肩を組んで法政大学校歌を高歌放吟してくる予定です。
今のご時世だと校歌を知っている、歌っているといのうは有名大学にいっているんだぞという事を鼻にかけている輩(やから)みたいで、今の学生に校歌は敬遠されているようですね。
そういうことではなくて、折角縁あって入学した大学だから、親しみ、愛さないと、卒業までの4年間が空虚になるとおもうのですがね。能動的な働き掛けがないと大学に魅力を感じませんし、大学も魅力を与えてくれないのではと思います。だから校歌を歌わなければならないというStreotypeな話でもないのですが、やはり日本の大学は卒業が簡単すぎるからこのようなennui(アンニュイ)な風潮を醸成させるのでしょうか・・・それともただのオジの戯言(たわごと)なのでしょうか?

今日のお店は、神田にある、「本物の男以外、食うべからず」の惹句であおる、東京で本場の吉田うどんが食べられる「木花(このはな)」さんにお邪魔しました。

住所: 東京都千代田区内神田3-5-3 第2矢萩ビル 1F
電話:03-3254-4533
定休日:土、日、祝日

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お店の外観です、炭火割烹のお店の様です

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店内の雰囲気です。ここは下駄箱がなく、下足はビニール袋に入れて座敷に上がります、今日は荷物が多かったので上がるのに一苦労しました。高級割烹なら下駄箱がくらい置いていてもいいのになと思う今日この頃です。

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メニューです。

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今日のオーダー「ぶっかけカレーうどん」@750です。
まずは、自信あふれるお店のうどんの紹介です。
吉田のうどん 富士吉田
富士山麓の涌水で仕込む吉田のうどん
最も大きな特徴は、硬く非常に腰が強く、麺事態にコクがあることである
特に中心部に向かって硬い食感を残す
一般のうどんは、上あごや舌、唇、箸ではさんでちぎることができるが、
しかし吉田のうどんは、歯でしっかりと噛まなければ絶対切れない
まさに吉田のうどんは、 「男のうどん」 なのである
箸で持ち上げるとズシリとくる手ごたえとそれに負けないコシ
昔気質な頑固なうどん これが 「吉田のうどん」 である

まずは実食です。うどんは歯ごたえがありますが、私が富士吉田で食したものよりは少し硬さがsoftのようですが悪くはありません。出汁(ダシ)はどうでしょう、あれ味醂が強すぎます、甘辛いじゃないですか、カレーも粉っぽいしイケません、これはペケポンですね。
さらに鶏肉は作りおきなのか硬く、パサリンコとなっています。変な臭さもあり、これもペケポンです。
うどんはよいのですが、それ以外は何か作り手が意図的に勘違いしているような・・・
わざわざ思い荷物と靴を持って上がったのに残念な昼食となりました。
こんな日もあります。

それでは(^_-)

三四郎

今日は夏目漱石「三四郎」です。

三四郎の粗筋は以下の通りです。
物語は熊本から東大に入るために上京する汽車の中から始まる。その中で変な女に誘惑されそうになるが全くうぶで度胸の無い三四郎は全く気づかないふりをする。一夜を過ごす羽目になるが、結局何事も起こらない。女が別れ際に言う。
「貴方は余つ程度胸がない方ですね。」
この別れ際の女の言葉は三四郎に大きな衝撃を与える。
その後、都会の洗練された女性、美禰子に会うわけだが、この女性「ストレーシープ、ストレーシープ(stray sheep 聖書にある迷える子羊のこと)」と不思議なマントラを三四郎に吹き込む。
田舎者の三四郎は恋に陥る。
三四郎は美禰子が、一体朝から晩まで東大の地下室で光の実験をしている野々宮という男性が好きなのか、三四郎が好きなのか解らなくなる。
三四郎はストレーシープというのは、もしかして彼女が迷っているのではなく煙に巻いている三四郎の迷いぶりをからかっているのではないのかと思ったりする。
でもこの美禰子、結局の所野々宮とも三四郎とも結婚せず、別の人と結婚する。結婚すると決めた時、三四郎にこういうのである。
「我はわが咎を知る。わが罪は常にわが前にあり」

これは聖書の「伝道」からの引用ですね。
漱石は「三四郎」を書く前に、ドーデの「サフォー」、ダヌンツィオの「死の商人」を読んでいます。それを読んだことで俄然インスピレーションが湧いてきたそうです。
その証左が「三四郎」のなかに出てくる「ヘリオトロープ」という香水の名前です。
これは「サフォー」のなかでやたら出てくるのです。
こんな香水の名前当時の明治人知るわけ無いですよね(笑)
たしか野々宮さんは、寺田寅彦がモデルだったと思います。

私はこの小説何度読んだか分りません
ここまで拘泥したのはやはり「美禰子」さんでしょう。
魅力的なな女性ですが、男を振り回すだけ振り回して最後に「我はわが咎を知る。わが罪は常にわが前にあり」と自己中な台詞をいって全く別の男と結婚します。
漱石先生はこのような女性が好きだったのでしょうか?

漱石独特のメタファーも好きでした。
特に漱石はかなり落語、歌舞伎からの引用が多いいのですが、これは「坊ちゃん」によく見受けられます。

何故今日「三四郎」かといいますと、昨日死んだ父の夢を見たからです。
子供の時玄関から転んで左手の骨がおれ、その際父は家から近い(当時は台東区竹町に住んでいたのです)せいもあり東大病院で治療を受けさせたそうです。
骨折でもきちんと東大病院で治療させたという父の自慢話を思い出したからです。
それで三四郎池は良く子供の頃つれていってもらったということを亡き母から聞かされていました。
一度滑って三四郎池に落ちたことがあり、長じてお前は東大(高校一年生の一学期迄は、真面目に受けようと思っていた(笑))は鬼門だ、何故なら小さい時落ちたという落語みたいなオチでからかわれたものです。

今日の獲物は実演手打ちうどん「杵屋」です。


しかし一度も実演は見たことがないというか、実演する場所すらないので看板に偽りありです。
味ですか、ノビ蕎麦で美味しくありません。
ランチタイムは混むので、作り置きしてあるので仕方ないのかもしれません。
ここは生山葵を磨って蕎麦の上にかけてたべるのですが、これが全然辛くなくとても不思議なのです。

それでは(^_-)
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