今日は「宮本武蔵と吉岡一門」の話です。
修学院離宮15
ここは宮本武蔵が吉岡一門と死闘を繰り広げた一乗寺下り松(いちじょうじさがりまつ)です。
武蔵は、慶長9年(1605)京都の兵法家として名高い吉岡一門に挑み、吉岡清十郎を蓮台野(現在は佛教大学の敷地内)の対戦で勝ち、更にその弟の伝七郎を三十三間堂でも破りました。吉岡道場は、一門の面目に賭けて17歳の吉岡源次郎を名目人として、最後の一戦を挑んだ場所が、この一乗寺下り松なのですね。武蔵は、この決闘では源次郎をはじめ70数名もの門弟を相手にしましたが、勝利しています。 
というのが吉川英治の長編小説「宮本武蔵」、井上雄彦(たけひこ)の劇画「バカボンド」でのstoryですよね。しかし吉岡家側から書かれたものには上記三人、即ち「清十郎」「伝七郎」「源次郎」の名前はおらず、当主の憲法(この人は歴史上の人物)も又一郎(この人も歴史上の人物)も天寿を全うしています。
これはどちらが正しいのかを知る由もありませんが、清十郎、伝七郎が架空の人物とは…
ただ宮本伊織(武蔵の養子)の碑文には、吉岡家の当主らしい者が、武蔵に破れたがために「遂に兵術を棄て薙髪(ちはつ)し畢(おわ)んぬ=坊主になって終わった」とありますが、これは正確ではありません。吉岡家兵法所はその後十年も続いています。
現地で一乗寺下り松(いちじょうじさがりまつ)の説明札をこの目で見た限りでは、ここで宮本武蔵は7〜8人の侍と戦った旨しか書いておらず、吉岡家と戦ったとは一言も書かれていませんでした…

宮本武蔵はとても汚いのです。基本的に入浴する習慣はなく、絶えず垢まみれで異臭がし、身体には虱(しらみ)が動き回っていたそうです。
髪は頭に疱瘡のあとがあることから月代が剃れず、いつも総髪の赤茶け髪で当然のことながら風呂に入ってないのでゴワゴワの荒縄髪。目は何故か黄色の輝きをしていたそうです…黄疸か?
要は不潔オジだったのですね、なにかimageが狂いマス
参考文献「京の剣客」司馬遼太郎著

今日のお店は神田小川町につい最近できた「二代目つじ田 味噌の章 ラーメン」さんです。

住所: 東京都千代田区神田小川町1-1
電話:03-6659-7676
定休日:不定休

二代目つじ田 味噌の章1
お店の外観です。

二代目つじ田 味噌の章2
店内の雰囲気です。

二代目つじ田 味噌の章3
メニューです。

二代目つじ田 味噌の章4

二代目つじ田 味噌の章5
今日のオーダー「味噌らーめん」@800です。
熱々のスープに北海道直送の玉子ちぢれ麺がからみ、まさに王道の札幌らーめん。生姜青海苔をスープに少しずつ溶かすことにより味の変化が楽しめます…お店の惹句!
北海道在住7年、52週/年×7年=364週、週に三回以上は札幌らーめんを食べていたので364週/7年×3食/週=1,092食/7年以上の食歴をもっています、はたして満足させてくれるのでしょうか…
このお店の作り方は札幌らーめん正統流で、ラードでもやし、玉ねぎ、ひき肉などを炒め、スープを注いでさらに煮立てたものを温めたどんぶりに注ぐというやり方です、これは同じですね。
トッピングはブロック状の刻みチャーシュー、角太メンマ、炒められたモヤシや玉葱、刻みネギ、青海苔、生姜です。
まずレンゲでスープをすすると、熱い、しかもナマラ熱い!が結構です…夏場は大汗で死ぬかも(笑)
スープはニンニクがほのかにきいていて濃厚味噌味も結構です。
玉子ちぢれ麺もパンチのあるスープに良くからんでイケます。
特に秀逸なのはチャーシューです。これはとても美味しい、口の中でトロケます。
全般的にhigh-levelです。
しいていえば野菜が少なすぎるのと、ラードが多すぎです。
多分野菜特にもやしが多いと気にならないかもしれません。
食べていて思ったのですが、ここの味付け純連、すみれのインスパイアのようですね。
純連・すみれの大量ラードは札幌ではこの二店だけで、他はここまで脂層は作りませんから…でも大満足!
ご馳走様でした

それでは(^_-)