下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

勝海舟

本所吾妻橋 モンブラン

今日は「浅草逍遥」です。
今日はお彼岸より一足早く父母の菩提寺に奥様帯同で墓参しました。
その後、春風に誘われて浅草に出没しました。

画像主体ですが宜しかったらお付き合いください。

★亀十「どら焼き」
私は全く知らなかったのですが2014年3月15日付「NIKKEIプラス」のおいしいどら焼きrankingのtop1の地位に亀十さんは燦然と可輝いたのです。
創業90年なのですって全く知りませんでした。
下町っ子ですのでこのお店そのものは知っていましたが、それほど感がなかった、というのうが正直なところでした。
北海道産に小豆を使ったあんは甘さ控え、小豆の自然な風味を生かしているそうです。
手づくりなので1日3,000個の限定販売で、連日「売切御免」続出だそうです。
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多少なら並んで買おうかと思ったのですが、さすがにこの行列ではねぇ、と思い兄弟商品のきんつばで代用しようとしたのです。
為念、店員さんに確認しましたところ、あんは気持ちどら焼きよりきんつばの方が甘いのですが、普通の方は気がつきません、と言われ、我が意を得たりだったのです。IMG_9628

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帰宅してから家族できんつばを頂きました。
どら焼きrankingのtop1の名に恥じないあんの美味しさです。
甘さ控えめながら豆が美味しい、という私の好みにストライクです。
これはハマリますね(笑)
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★やたら腰の低いチンドン屋さん
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東洋館
顔見知りの人に会うとやたら丁寧な挨拶をしていてほとんど仕事をしていません。
いいんですよ、仕事なんかしなくても・・・

★たまには浅草寺にでも・・・
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と思ったのですが、浅草寺にはいきませんでした。
やはりお参りは信心しています被官稲荷です。
たしか貴方は神仏は信じていないはずです、そうなのですが被官稲荷は治外法権なのであります。

★Furisode Experience
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この女性の着物の着付けがピシッとしていたので、自分で着付けたのですか、と聞きましたら、以下のお店「撫子庵」さんで着付けてもらったそうです。へぇそんな商売があるんだと思いました。
彼女は初着物でかなり興奮しており、I am a real Japanese!を何度も発していました。
説明なんかしなくてもいいんですよ、どこから見ても和服の似合う日本人に見えますから。
実は彼女、この着物姿で浅草寺の前で記念写真を撮りたかったのですが、どのようにお願いしていいのかわからず困っていたそうです。
「義を見てせざるは勇無きなり」です。私が日本人を代表して、きちんと記念写真を撮ってさしあげました。

ここがその外国人相手の着付け屋、「撫子庵」さんです。
着付け代@3,500円、ぶらり散歩代@1,500円締めて計5,000円也で〜す。
外国人からすると安いのかな?
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★かなり怪しいstreet performer
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costumeが怪しい、performanceが怪しい、BGMが怪しい、の三拍子です。
奥様は気にいっていました。

★浅草名物忍者傘
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一体全体誰が買っているのでしょうか。
会社に持っていったらウケるかも・・・

★河村屋さんのicon
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「お客様の役に立つ漬物」を世に出すという信念と日本が誇る漬物文化を後世に 伝える使命を持ち、江戸・文化文政期より今日に至り皆様にご支持頂き続けている漬物屋さんです。

★入るのが恐ろしい「とらんくすや」さん
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浅草だけにその筋の方のお店かと思って入店しましたら普通のお店でした。
私の好きそうなトランクスが巨万(ごまん)と置いてあります。

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たまらず風神雷神のトランクス(@1,365円)を買ってしまいました。
これをはいたらもう怖いものなしです、マジです。

★全く似ていない勝海舟の銅像
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「太平洋にズームイン!」指さすのは隅田川から続く江戸湾、そして太平洋までですか?
生誕180年記念の2003年に海に想いを馳せた男らしく「海の日」に建立されたそうです。
顔が全くとは言いませんが、本人とはだいぶちがうではないですか。
他の言葉で申せば似ていないです。
さら〜に背の高さも本人は158cmと小柄なのに、なな何とこの銅像では約250cmと長身であります。
で〜もいつか見よう見ようと思っていたのですが、中々できませんでしたので見れてプチ感激です。


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今日のお店は本所吾妻橋にある有名なハンバーグ屋さんです。
今日のお店は「モンブラン」吾妻橋店さんです。

住所: 東京都墨田区吾妻橋2-2-5 吾妻橋アイカワ 1F
電話:03-5608-2155
定休日:月曜日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。
まあ店内にはサインがたくさんありますね。
テレビでよく取り上げられる店の一つですかね、実はあまりこのようなお店は好きではありません・・・

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メニューです。

今日のオーダー
私は「オランダ風(ソフトなチーズソース)、ご飯、みそ汁付」@1,280円です。
奥様は「イタリア風(ピリ辛トマトとチーズのソース)、ご飯、みそ汁付」@1,280円です。

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待つこと12分でともに到着です。
見た目、盛付がきれいですね。

それでは実食です。
切ると肉汁がでない普通のハンバーグです。
good pointはありませんがbad pointもありません。
で〜もともにソースが美味しいです。
特に私のオーダーの「オランダ風」はチーズの味わいがふくよかです。
奥様の「イタリア風」はイタリア王道の味ではっきりとしています。
どうなのでしょう下町ですからコスパがよいとは言えませんし・・・
このレベルだと再訪は悩んでしまいますね。

それでは(^_-)

神田 三田製麺所

今日は「下町っ子とえいば勝海舟」の話です
勝海舟といえばやはり江戸城の無血開城でしょう。
しかしその裏側では平和裡に城を明け渡す談判をすすめながら、事が破れたときの用意に、およそ奇想天外な作戦計画を練っていた。「海舟座談」(岩波文庫)に愉快なことが書かれている。
「吉原では金兵衛、新門の辰。この辺で権二。赤坂の薬缶の八、今加藤。清水の次郎長、行徳の辺りまで手を廻した。松葉屋惣吉。草刈正五郎と八尾松の主人などはそれぞれ五百人も率いている。公事師の正兵衛。講武所の芸者。吉原の太った芸者〆…」と江戸の鳶職、やくざ、芸者、香具師など総動員である。海舟は語る。
「あの親分子分の間柄をご覧ナ。何でアンナに服しているんだい。サムレエの世界にはない。精神の感激というもんじゃないか。そう思っているがね」
海舟は町をほっつき歩いて、この人々の心を結びつけている「精神の感激」をよおく弁(わきま)えている。そこで新門辰五郎たちの府下の博徒の親分三十余人、江戸いろは組の火消しはもとより、日本橋の魚市場、神田の青物市場の勇み肌の兄ィたち、血の気の多い連中のすべてに話をつけた。
「それからの海舟」半道一利著より転載

西郷吉之助との会談が不成功になり、西軍が江戸市中に進撃してきた時は、彼らを使って江戸八百八町に火を放ち、西軍を焚殺(ふんさつ)するという恐ろしい計画を練っていたのです。それにしてもスゴイ人間交友ですね、それもほとんどが下町人です。これらの背景があったから大西郷と差しで淡々と交渉できたのです。
ここから先は下町人しか分からないのですが、海舟は少年時代島田虎之助に師事し剣術を習いました。そして毎日稽古が終わると、牛嶋神社まで行き夜稽古をし、それから又道場に戻り朝稽古をしていたという、一体いつ寝ていたんだ、という荒稽古をしていたそうです。
これを今の地図でいいますと、自宅は両国四丁目ですのでそこから道場がある浅草の隣の合羽橋まで行き、そこから夜稽古をする為に向島一丁目にある牛島神社まで行き、払暁に合羽橋の道場に戻るという行程です。これって結構凄いですよ。昔の人は本当に体力があったのですね

三田製麺所1
このパチリは勝海舟の通用門(長屋門)です。このBlogを書いていたらこの通用門(長屋門)が石神井台の三宝寺にあるというので、車でワザワザ撮りにいったのです。勝海舟って清貧のイメージが強かったのですが、結構豪邸ですね。
※長屋門は近世諸大名の武家屋敷門として発生した形式で、江戸時代に多く建てられた。諸大名は、自分の屋敷の周囲に、家臣などのための長屋を建て住まわせていたが、その一部に門を開いて、一棟とした物が長屋門の始まりである。その後、長屋門は上級武士の住宅の表門の形式として広く利用されるようになっていった。武家屋敷の長屋門では、門の両側部分に門番の部屋や仲間部屋が置かれ、家臣や使用人の居所に利用された。侍屋敷の長屋門は武家屋敷のものより小規模であるが、基本的な構成はほぼ同じである。
Wikipedia「長屋門」より転載



つけ麺はあまり好きではないのですが、またまた食べてしまいました。
今日のお店は「三田製麺所 神田店」さんです。

住所: 東京都千代田区内神田3-12-10 神田NSビル 1F
電話:03-5297-3883
定休日:無休

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お店の外観です。

三田製麺所3
メニューです、ここは太っ腹ですね、200、300、400gすべて値段が@700です

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店内の雰囲気です。

三田製麺所5

三田製麺所6

三田製麺所7
今日のオーダーは「つけめん」@700です。具は、メンマ数本、角切りチャーシュー、海苔1枚です。メンマはバルキーな感じで食感がいいですね。チャーシューは柔らかくイケますが、量が…あまりにも少ないじゃないですか
スープは魚介、豚骨のWスープでドロドロしています。味ですか、甘辛酸のバランスもよく美味しいですね。麺は腰のあるツルツル麺ですし、かなりレベル高いと思いますが。
何で三田製麺所という麺製造みたいな名前なのでしょうか?

それでは(^_-)

続 新富鮨 4th

今日は「坂本竜馬」評です
勝海舟「彼はおれを殺しにきた奴だが、なかなか人物さ。その時、おれは笑って受けたが、沈着(おちつ)いて、何となく冒(おか)しがたい権威があってよい男だったよ」
西郷隆盛「天下に有志あり、余多く之と交(まじ)わる。然(しか)れども度量の大、竜馬に如くもの、未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず」
寺田屋でともに襲撃された三吉慎蔵「過激なることは豪(えら)も無し。かつ声高に事を論じるような事も無く、至極おとなしき人なり。容貌を一見すれば、豪気に見受けられるも、万事温和に事を処する人なり。但し胆力が極めて大なり」
妻のおりょう「それはそれは妙な男でして、まるで人さんとは一風違っていたのです。少しでも間違ったことは、どこまでも本(もと)を糺(ただ)さねば承知せず、はっきりと謝りさえすれば、すぐに許してくれました。その後は、よくよくせねばならぬぞとていねいに教えてくれました。」
新富寿司41
ちなみにおりょうは、龍馬暗殺後、三吉慎蔵に保護され、土佐の坂本家へ送られました。しかし奔放な性格や素行の悪さから居づらくなり、その後各地を放浪。やがて妹を頼って横須賀へ流れつき、旧知の商人・西村松兵衛と再婚しました。
新聞記者や文筆家のインタビューを受けたのは、横須賀に住んでいた時代ですが、そのころのおりょうは、酒びたりでアルコール依存状態となっており、荒れた日々を送っていたといいます。
また龍馬の生前の仕事や業績について何もしらず、明治政府から知らされて、はじめて自分の夫の偉大さを知ったといいます。
「あなたの知らない坂本龍馬の謎」歴史の謎を探る会[編]
三吉慎蔵さんの龍馬評が個人的にはそぐっています。そうだよなあまり毀誉褒貶の激しい竜馬ってイメージに合いませんものね…個人的に納得

久々に地雷を踏み抜いてしまいました酔った勢いで何やらしでかしたようで顔中血だらで帰宅したものですから、すごく奥様に怒られました。当然のことながらヒドイ二日酔いで一日がすぎるのがとても遅く感じられたのです。
私はたまに飲みすぎてしまうことがあります、その度反省するのですが、忘れた頃必ず何かをやらかすのです(阿保)

今日は飲み仲間の山チャンがやっている「新富鮨」さんです。

住所: 東京都中央区月島3-7-10
電話:03-3533-0755
定休日:土曜日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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今日のオーダー「ちらし寿司」@700です。
私はここの「ちらし寿司」大大大好きです。盛り付けは綺麗ですし、味も最高ですし、値段も安いしというくらい申し分がありません。
ちなみにこの間、山チャン飲み屋で若いお兄ちゃんに、独り身は良くないぞ!早く身を固めなきゃダメだよ、って説教していましたが、自分はどうなんですか、とその時返したかったのですができなく、今日お店でその旨を話したら、そうだよね〜、人のこといえないよね〜ですと。人柄が出ていますね(笑)

それでは(^_-)

上青木 十和田

今日は私の「坂本竜馬」評です
高知では30年位前まで、土佐の生んだ英雄といえば「板垣退助」で「坂本竜馬」は知る人ぞ知るといった存在だったそうです、
それが司馬遼太郎先生の小説「竜馬がゆく」でいっきに変わったそうです。「坂本竜馬」は今や「好きな歴史上の人物」でどのアンケートでもBest3に入る人気です。
一つの小説が、日本人の歴史観、英雄感をここまで変えてしまったのです。これは本当にすごいことではないでしょうか。
「夜ふけのなわとび」林真理子著より転載

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来年NHKで「龍馬伝」が始まります、寅年は「坂本竜馬」一色でしょう。
竜馬フリークの私としてはマジにタマランゼヨです(笑)
私の竜馬評は以下の通りです、以前弊blogに書いたものですので、二度見られる方はお許しください。

竜馬暗殺犯は明治3年2月から9月の間に聴取された、兵部省及び刑部賞省における今井信郎(のぶお)の口書(くちがき)判決によると、下手人は佐々木只三郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂準之助、土肥仲蔵、桜井大三郎、今井信郎の7名というのが公式供述となっています。
下母澤寛先生、大岡昇平先生も同様にこの口書判決を真としています。

また見廻組与頭佐々木只三郎(下手人)の実兄、会津藩士、手代木直右衛門が彦根藩金奉行石黒伝右衛門に宛てた書状が少し前に公表されました。
その書状が書かれた日付は、凶行の翌日の11月16日です。
その内容は「ごく内密に相談したい事件おこった、祇園の一力亭まで出てきてくれないか。その時全て話す」とのことです。
京都でこの前後に起こった大きな事件といえば、竜馬暗殺ぐらいですので、相談の事件といえば実弟が起こした竜馬暗殺の件とみてよいといわれています。

私は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は、100回以上読んでいるので、私は勿論のこと竜馬ファンの過半の方は司馬遼太郎先生が描かれた竜馬象を受け入れていると思います。
しかし実際の竜馬は何の背景を持たない浪人でした。よって海援隊を作り自分の基盤を作ったのです。薩摩藩の「桂久武日記」には、竜馬を雇い商事行為、諜報活動をさせていたという文言が少し前に発見され公表されています。
このことから伺えるのは「竜馬がゆく」に書かれていた様な強い影響力は持ってはいなかったようです。

明治になって元上司の勝海舟が明治三年四月十五日に竜馬遭難時京都にいた大目付(職制上は老中に属し、大名・高家および朝廷を監視してこれらの謀反から幕府を守る監察官の役割を持った江戸時代の役職)松平勘太郎に今井信郎(下手人)の自供の内容を聞きに行っています。
それによると当時の幕府の警察部署の部長級の人間が寺田屋事件で竜馬に射殺された部下の復讐を図って、竜馬の殺害を指示したということでした。
今井自身も直接その部長級の指示を受けたわけではなく、この経緯は定かではありません。しかし最高責任者であった大目付松平勘太郎の耳には、この指示そのものも入ってなかったというのが真相の様です。
よって政治的背景は無かったといえます。

たしかに薩長同盟は竜馬の功績ですが、締結を果たした後にはお役御免となりました。
暗殺に遡ること10月14日、大政奉還がなされたその日に、奇しくも薩長に倒幕の密勅がおりており時代の趨勢は決まったのです。
よって薩長も幕府も無戦論者の竜馬を殺す理由は存在しえなかったのです。
維新のムーブメントは何人(なんびと)も、もはや止めることはできなかったのです。
その証左に西郷隆盛は無戦論者の竜馬暗殺の有る無しに係わらず、その暗殺の二日前には倒幕軍となる大兵を率い上京(京都)の途に着いています。
今みたいにネット情報も無い中で、竜馬が行った高度な政治活動が下々に周知される分けもなく、単に惨殺されたというのが冷静な歴史の見方かもしれませんね。
よって今井信郎も政治犯を殺したという感慨もなかったと考えられます。

参考文献:浅田次郎著「新選組読本」、「壬生義士伝」、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」、「新選組読本」、子母澤寛著「新選組始末記」、「新選組遺文」「新選組物語」他


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今日はグループ会社の忘年懇親会があり、部下の女性3人を引き連れて参加しました。
タダというので意地汚く飲んだものですから、秒殺で酔っ払って天国に行ってしまいました(笑)
今日のお店はキューポラの町「川口」の定食屋「十和田」さんです。

住所: 埼玉県川口市上青木1-5-10
電話:048-256-3355
定休日:不明

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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店内メニューです。

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今日のお店の「十和田」さんは、工場街にある昔からの定食屋さんです。親子二人で膨大なメニューの品々を作り廻しています。
お店のお奨めは「天麩羅」だそうですが、今日は何故か肉が食べたかったので、今日のオーダーは「焼肉定食」@750です。味ですか、見てくださいこの肉のテリ、不味かろうわけがありません。イケました、美味しゅうございました、結構でした合格合格合格

それでは(^_-)

月島 健楽 3rd

今日は「Is this guy Mr.Takamori Saigo?」の話です
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一葉の写真が伝わっています。慶応元年2月中旬から3月18日までの間に、長崎へ集結をかけられた各藩の勤皇党は、西郷南洲翁及び勝海舟と共に、世界の情勢に明るい、オランダ人宣教師フルベッキ博士を訪問しました。
大隈重信・副島種臣ら門下生と共に、日本の統一をどうしたら良いか、王政復古は、どうなってゆくのかをフルベッキ博士を交え相互して議論し合ったそうです。
この写真は、写真術の祖、長崎大村出身の写真家、上野彦馬の写真スタディオでフルベッキ博士の子どもも交え、和やかな雰囲気で記念撮影されたものです。
明治28年に、この写真は、宗教家で歴史家でもある戸川残花が「太陽」に掲載しましたが、政界の一部の圧迫を受け、やむなく佐賀藩の学生達として紹介されました。
このため現在まで分からなかったのです。また、この写真は、宗教記録として、フルベッキ博士が所持し、絶対に手放さなかったものを、戸川残花の強い要望により借り受けたものなのだそうです。
【中略】
1899年、上野公園の銅像除幕式に列席した西郷隆盛の未亡人イトが亡夫の銅像を見た瞬間、「宿んしは、こげなお人じゃなかったこて」(うちの人は、このような人ではなかったのに」)と思わず声を出すと、隣席に腰かけていた西郷縦道がイトの足を踏んでたしなめたというエピソードが噂となって全国に広まり、それが元になって銅像の西郷隆盛の顔は本物と似ていないと信じる人が増えたということを物の本で読んだことがありますが、このイト未亡人の言葉は「銅像の顔が記憶に残る亡夫の顔と似ていない」ことを意味するのではなく、「銅像のように、西郷が着物姿で人前に現れるはずがない」という意味であったと、新人物往来社編集の『西郷隆盛 七つの謎』に書いてありました。
「教育の源典を考える」及び「www3.ocn.ne.jp/~sigikain/meijisyasin.html」より転載

西郷隆盛は写真嫌いだった為、生前一葉の写真もないというのが歴史上の定説でした。しかし私の前に唐突に出現したのがこの写真(西郷隆盛は後列真ん中の13番)です。
この写真を始めて見たのは今から7年前初めて寺田屋を訪れた時です、何故か寺田屋の一階に貼ってありました。しかし其の真贋はすぐ分りました。これはFakeです、答えは簡単ですね、明治天皇が写っていることと、勝海舟の顔が全く違いうことです。しかし坂本竜馬は似ています、それと西郷隆盛はこのような顔だと思いたいのです・・・いずれにしても貴重な画像であることは間違いありません!

今日は久々に月島に出没です。日曜日の月島のランチといえば「一心」か「健楽」でしょう、悩みに悩んで結局コッテリしたものを食べたいということで「健楽」になりました。
久々に訪れた健楽は、息子さんが茶髪から黒髪の短髪に変わっていました。もうキャバクラ遊びは止めたのでしょうか(笑)

住所: 中央区月島3−7−8
電話:非公開
定休日:木曜日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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今日のオーダーは私の好物の一つ「カレーラーメンラーメン」@800です。

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このラーメン野菜がコンモリです、白菜、キャベツ、ニラ、モヤシ、人参が大挙して入っています。豚肉も負けずにシッカリと投入されています。特筆なのは、単なるカレーパウダーのみでなく、なにやら丸秘の隠し調味料が入っているとか?
味ですか、美味しいですね!カレーの辛さが頭にビンビンきます、これでしょうカレーラーメンの楽しみ方は、私の脳細胞をガツッリと充分にマッサージしてくれました。
麺はストート中太麺ですが、このスープには合います。
とても美味しゅうございました、ご馳走様でした

それでは(^_-)
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