今日は「光と影」です。
目の前に1枚の紙があります。
あなたが紙の片面を「こちらが表」と定義するとき、
同時に「裏」が生まれます。
あなたが「生」まれたとき、
同時に「死」が生まれました。
あなたが何かを「美しい」と思ったとき、
同時に「醜い」ものも頭の中に生まれました。
もし世界に「男性」がいなければ、
自分が「女性」だとはわからない。
「善-悪」「強-弱」「左脳-右脳」
「勝-負」「高-低」「出逢い-別れ」・・・
それらは別々のものではなく、
すべてワンセットであり、 互いに支えあっている。
凍える寒さを経験した人は、
日差しの暖かさを知っていて
病気を経験した人は、
健康への感謝を知っていて
飢えを経験した人は、
一膳のご飯の美味しさを知っていて
孤独を経験した人は、
絆の大切さを知っていて
絶望を経験した者は、
希望のありがたみをよく知っている。
でも
自分の弱さを認められない人は、
他人の弱さを受け入れることもできず
自分の弱さがわからなければ、
自分の強さにも気づくことができないのです。
光が美しく輝くことを
支えているのは「闇」であり、
光が存在できるのは、
闇がそこに在るからです。
あなたの光の部分を引き出すために、
まず闇の部分を認めてみてください。
これは、闇を好きになれ、
という意味ではありません。
好きになるのと、
存在を認めるのとでは、まったく違う。
長所(光)と短所(闇)、
両方あるからこそ、自分なんだ
と認めてあげること。
自分のダメなところ、カッコ悪いところは、
素直に認めればいい。
そうやって
プラスもマイナスも両方を受け入れ、
それでよいのだと自分を許してあげると
心の余裕が生まれる。
心に余裕が生まれると、
そのマイナスの欠点から
魅力的な人間力がにじみ出てくる。
そうなれば、人はどんどん、
活き活きと輝いてくるんだよ。
( 大樹 )
FB『幸せはいつも「今」ここにあるより」転載
なるほどですね、という感じです。
物は光が当ると必ず影ができます。
これは自明の理です。
人は長い間、鬱屈し続けていると、なぜか影の部分にしか目がいきません。
例えばこの添付画像には白い手と黒い手が書かれていますが、鬱屈状態が長期化すると
黒い手(影)しか見えなくなります。
何故でしょうか、今自分の周りに起きている不幸の事象を説明するには、すべてが黒い手の部分でおきているものと説明した方がその人の心の落ち着きがよいからです。
理由は簡単です、逆境から抜け出す努力をしなくていいからです。
人間関係が大変だから、仕事の難易度が高いから、置かれている環境が最悪だから、とその不快な感情に鬱々と身を浸してさえいれば、抜け出す事すら忌避できるからです。
そういうときにプラスもマイナスも両方を受け入れ、それでよいのだと自分を許してあげる、という境地にはなれません。会社や学校にいくのも嫌でしょうが、それはそれで舌がひん曲がるような苦い煎じ薬を飲んでいる様なものだと、換言すれば「良薬は口ににがし」だと思い替える事です。
こういう時に肝要なのは、日常生活を当り前にやることです。
日常生活ではあらたな不快の出来事が発生します。
それでも日常生活をきちんとすることです。
朝起きたら挨拶をし、洗顔をし、身だしなみを整えて会社、学校にいき、特筆することはしないけれどもミスだけをしないことだけを心掛けていればいいのです。
それが続くとあれだけ苛(さい)なまれていた不安が、なにかに集中していた時に掻き消えていた事に気が付くはずです。
そこでこのessayの通りに、自分の弱さに気がつきましょう。
自分の弱さを認めてあげましょう。
そしてたまには自分の良いところをほめてあげましょう。
しばらくは一進一退が続くでしょうが、少しずつ進んで行くことに気が付いた時、それは鬱屈の国から抜け出た事を表しています。
元気な時の自分に戻れたのです。
毎日活き活きと輝きましょう。
その為にも「今日より明日が良い日である」事を信じて一日一日を悔いなく過ごす事です。
The great end of life is not knowledge but action.
人生の大きな目的は、知識ではなく、行動にある。
Thomas Henry Huxley(トマス・ヘンリー・ハクスリー)
今日は久々に月島に出没しました。
たまには美味しい魚でもたべるかと思っていたら、目の前に飛び込んできたのがこのお店です。
弊blogを振り返ったら、な何と5年も来ていませんでした。
ということで今日のお店は月島で行列のできる、ボリューム丼のお店「魚菜はざま」さんです。
住所:東京都中央区月島4-9-10
Tel:03-3534-7698
休日:日曜日、祝日
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
メニューの一部です。
今日のオーダー「まぐろの尾の身煮付け定食+赤身丼」@1,200円です。
本当に久々です。
何で行かなかったのかなと振り返りますと、行列するのが嫌だったのですね。
今日はlate lunchだったので並ばなくてもよいので入店したのです。
このお店は名前の通り、月島最大のもんじゃ屋グループ「はざま」さんの確か一番下の息子さんが経営しているお店です。かつて築地で働いていたこともあり魚の目利きは間違いないようですよ。
待つこと16分で「まぐろの尾の身煮付け定食+赤身丼」の到着です。
すごいボリュームですね。
まぐろの赤身丼は小丼ぶりと書いてあったのでイケるかとおもったのですがちょっとtoo muchですね(笑)
それでは気を取り直して実食です。
まずは「まぐろの尾の身煮付け」です。
肉が柔らかです、肉にみっしり感があって且つ柔らかなので口内感触最高です。
煮付けは甘からず、辛からず、過不足ない上品な味わいです。
これはとても美味しいですね。
傍らにある「赤身丼」ですが、これがまたまぐろの脂身がふくよかです。
うんいいまぐろです。
これを山葵醤油につけていただくと味が引き締まって、得も言われぬ味わいです。
これまたとても美味しいですね。
ちょっとvolumyな感は否めませんが、たまには良いでしょう。
体から馥郁たる海の香りが立ち昇ってくるような気分です。
ご馳走様でした
目の前に1枚の紙があります。
あなたが紙の片面を「こちらが表」と定義するとき、
同時に「裏」が生まれます。
あなたが「生」まれたとき、
同時に「死」が生まれました。
あなたが何かを「美しい」と思ったとき、
同時に「醜い」ものも頭の中に生まれました。
もし世界に「男性」がいなければ、
自分が「女性」だとはわからない。
「善-悪」「強-弱」「左脳-右脳」
「勝-負」「高-低」「出逢い-別れ」・・・
それらは別々のものではなく、
すべてワンセットであり、 互いに支えあっている。
凍える寒さを経験した人は、
日差しの暖かさを知っていて
病気を経験した人は、
健康への感謝を知っていて
飢えを経験した人は、
一膳のご飯の美味しさを知っていて
孤独を経験した人は、
絆の大切さを知っていて
絶望を経験した者は、
希望のありがたみをよく知っている。
でも
自分の弱さを認められない人は、
他人の弱さを受け入れることもできず
自分の弱さがわからなければ、
自分の強さにも気づくことができないのです。
光が美しく輝くことを
支えているのは「闇」であり、
光が存在できるのは、
闇がそこに在るからです。
あなたの光の部分を引き出すために、
まず闇の部分を認めてみてください。
これは、闇を好きになれ、
という意味ではありません。
好きになるのと、
存在を認めるのとでは、まったく違う。
長所(光)と短所(闇)、
両方あるからこそ、自分なんだ
と認めてあげること。
自分のダメなところ、カッコ悪いところは、
素直に認めればいい。
そうやって
プラスもマイナスも両方を受け入れ、
それでよいのだと自分を許してあげると
心の余裕が生まれる。
心に余裕が生まれると、
そのマイナスの欠点から
魅力的な人間力がにじみ出てくる。
そうなれば、人はどんどん、
活き活きと輝いてくるんだよ。
( 大樹 )
FB『幸せはいつも「今」ここにあるより」転載
なるほどですね、という感じです。
物は光が当ると必ず影ができます。
これは自明の理です。
人は長い間、鬱屈し続けていると、なぜか影の部分にしか目がいきません。
例えばこの添付画像には白い手と黒い手が書かれていますが、鬱屈状態が長期化すると
黒い手(影)しか見えなくなります。
何故でしょうか、今自分の周りに起きている不幸の事象を説明するには、すべてが黒い手の部分でおきているものと説明した方がその人の心の落ち着きがよいからです。
理由は簡単です、逆境から抜け出す努力をしなくていいからです。
人間関係が大変だから、仕事の難易度が高いから、置かれている環境が最悪だから、とその不快な感情に鬱々と身を浸してさえいれば、抜け出す事すら忌避できるからです。
そういうときにプラスもマイナスも両方を受け入れ、それでよいのだと自分を許してあげる、という境地にはなれません。会社や学校にいくのも嫌でしょうが、それはそれで舌がひん曲がるような苦い煎じ薬を飲んでいる様なものだと、換言すれば「良薬は口ににがし」だと思い替える事です。
こういう時に肝要なのは、日常生活を当り前にやることです。
日常生活ではあらたな不快の出来事が発生します。
それでも日常生活をきちんとすることです。
朝起きたら挨拶をし、洗顔をし、身だしなみを整えて会社、学校にいき、特筆することはしないけれどもミスだけをしないことだけを心掛けていればいいのです。
それが続くとあれだけ苛(さい)なまれていた不安が、なにかに集中していた時に掻き消えていた事に気が付くはずです。
そこでこのessayの通りに、自分の弱さに気がつきましょう。
自分の弱さを認めてあげましょう。
そしてたまには自分の良いところをほめてあげましょう。
しばらくは一進一退が続くでしょうが、少しずつ進んで行くことに気が付いた時、それは鬱屈の国から抜け出た事を表しています。
元気な時の自分に戻れたのです。
毎日活き活きと輝きましょう。
その為にも「今日より明日が良い日である」事を信じて一日一日を悔いなく過ごす事です。
The great end of life is not knowledge but action.
人生の大きな目的は、知識ではなく、行動にある。
Thomas Henry Huxley(トマス・ヘンリー・ハクスリー)
今日は久々に月島に出没しました。
たまには美味しい魚でもたべるかと思っていたら、目の前に飛び込んできたのがこのお店です。
弊blogを振り返ったら、な何と5年も来ていませんでした。
ということで今日のお店は月島で行列のできる、ボリューム丼のお店「魚菜はざま」さんです。
住所:東京都中央区月島4-9-10
Tel:03-3534-7698
休日:日曜日、祝日
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
メニューの一部です。
今日のオーダー「まぐろの尾の身煮付け定食+赤身丼」@1,200円です。
本当に久々です。
何で行かなかったのかなと振り返りますと、行列するのが嫌だったのですね。
今日はlate lunchだったので並ばなくてもよいので入店したのです。
このお店は名前の通り、月島最大のもんじゃ屋グループ「はざま」さんの確か一番下の息子さんが経営しているお店です。かつて築地で働いていたこともあり魚の目利きは間違いないようですよ。
待つこと16分で「まぐろの尾の身煮付け定食+赤身丼」の到着です。
すごいボリュームですね。
まぐろの赤身丼は小丼ぶりと書いてあったのでイケるかとおもったのですがちょっとtoo muchですね(笑)
それでは気を取り直して実食です。
まずは「まぐろの尾の身煮付け」です。
肉が柔らかです、肉にみっしり感があって且つ柔らかなので口内感触最高です。
煮付けは甘からず、辛からず、過不足ない上品な味わいです。
これはとても美味しいですね。
傍らにある「赤身丼」ですが、これがまたまぐろの脂身がふくよかです。
うんいいまぐろです。
これを山葵醤油につけていただくと味が引き締まって、得も言われぬ味わいです。
これまたとても美味しいですね。
ちょっとvolumyな感は否めませんが、たまには良いでしょう。
体から馥郁たる海の香りが立ち昇ってくるような気分です。
ご馳走様でした