今日は「龍馬暗殺リターンズ」の話です。
皆しっちゅう思うけんど、わしは龍馬freakぜよ。
高知にある龍馬の実家や、中岡の慎の字の実家にもいっちゅう。
そんでから、龍馬の暗殺犯については、すんごく興味もっちゅうたがや。
けんど本日その犯人がわかったがやき、ながながと書くけんど、読んでおうせや!
久々の土佐弁は疲れますので通常の文体にもどさせていただきます。
そもそも坂本竜馬は司馬遼太郎先生が創った龍馬であります。
その自著「竜馬ゆく」ではnonfictionの味付けのように書きながらも実態は司馬遼太郎龍馬なのですね。
高知では30年位前まで、土佐の生んだ英雄といえば「板垣退助」で「坂本龍馬」は知る人ぞ知るといった存在だったそうです、それが司馬遼太郎先生の小説「竜馬がゆく」でいっきに変わりました。
「坂本龍馬」は今や「好きな歴史上の人物」でどのアンケートでもBest3に入る人気です。
一つの小説が、日本人の歴史観、英雄感をここまで変えてしまったのです。
等身大の龍馬を表す事例として薩摩藩の「桂久武日記」があります。
この「桂久武日記」では、竜馬を雇い商事行為、諜報活動をさせていたという文言が少し前に発見され公表されています。
決して大好きな龍馬をくさすつもりはないのですが、日記には虚は書かないでしょう。
裏読みすれば自らの公的基盤を持たない龍馬ですから、薩摩藩に雇われたふりをして、その裏で薩長連合を成就したという推測もなりたちます。
そろそろ核心に迫っていきます。
龍馬は寺田屋事件(龍馬襲撃の一年半前)で自らの身を守るために獲り方二人をピストルで射殺しています。
襲撃犯は龍馬をその殺人犯として捕獲しにいったのです。
そしてその捕獲の指示は「逃がさぬよう捕獲すべし。万一手に余るようであれば打ち果たすべし」となっていたのでした。
では誰がその任を担ったかといえば、京都見廻組だったのです。
その当時の龍馬は二条城北にある幕府高官永井玄蕃邸に大政奉還後に徳川家を新政府に加えるべく後に襲撃を受ける近江屋から足繁く通っていたのです。
京都見廻組の担当地域は御所や二条城の官庁街が担当でしたので必然的にその任がくだったのです。
言い換えれば、所轄管内に殺人犯が頻繁というか定期的に往来しているので逮捕しにいったいう極めて当り前の治安行為だったのです。
良く巷間で龍馬の暗殺犯はだれかというのですが、そもそもこここが最大のディスクレ(discrepancy)なのです。
龍馬は暗殺されたのではありません。
上述の通り殺人犯として捕縛しに行ったものの殺害という不幸な結果になっただけなのです。
明治になって龍馬を育てた勝海舟が明治3年4月15日に竜馬遭難時京都にいた大目付(職制上は老中に属し、大名・高家および朝廷を監視してこれらの謀反から幕府を守る監察官の役割を持った江戸時代の役職)松平勘太郎に今井信郎(下手人)の自供の内容を聞きに行っています。
それによると当時の京都守護職の幹部級の人間が寺田屋事件で竜馬に射殺された部下の復讐を図って、竜馬の捕獲・殺害を指示したということでした。
従いまして最高責任者であった大目付松平勘太郎の耳には、この龍馬捕獲・殺害の指示そのものも入ってなかったというのが真相の様です。
よって政治的背景は無かったと言ってよいでしょう。
閑話休題
京都見廻組は佐々木只三郎という清河八郎を暗殺した当時ではtop classのassassin(暗殺者)がいてその佐々木只三郎自らが見廻組を統括していたのです。
そしてその彼は400人の見廻組の中から腕の立つ六名を選抜しました。
実行犯は、佐々木只三郎以下、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之介、土肥仲蔵、桜井大三郎、今井信郎です。
その中で龍馬捕獲の任についたのは、西岡是心流の小太刀(小刀)の名手で二条城の御前試合で一流剣豪50人を打倒したという栄えある実績をもつ桂準之助が選ばれたのです。
西岡是心流とは右手で小太刀(小刀)、左手で長太刀(長刀)を使うというtricky(通常は右手は長太刀)な二刀流剣術です。
要は、佐々木は襲撃する近江屋での狭い空間での戦闘を想定して、小太刀(小刀)の名手を選任したのです。
ちなみに明治3年に今井信郎が供述した記録(今井信郎口述書)によると、佐々木只三郎は十津川の偽名刺を渡し、1階の階段下で待機。2階に上がって暗殺を「実行」したのは、桂隼之介、渡辺吉太郎、高橋安次郎、の3名。
今井信郎、土肥仲蔵、桜井大三郎の3名は表口、裏口および住人脅迫の見張り役だったそうです。
では桂隼之助が何故竜馬を切ったかといえば、ここからは私見です。
ごめん、と言って部屋に入った桂隼之助他二名は長刀を脇に置いて挨拶をしています。
この長刀を脇に置いての挨拶は龍馬達に敵意がないことを示しているわけです。
しかし桂隼之助は、龍馬は小太刀より殺傷speedの早いピストルを持っているので、それで撃たれたら万事休す、と端(はな)から心は粟立っていたのです。
その挨拶の後に龍馬の用心棒役であった元相撲取りの藤吉が切られており、その際に発した断末魔の声に、龍馬は、ほたえな(さわぐな)、と言っているのです。
ここら辺りの人間の心理の機微です。
龍馬は藤吉が切られたのは知る由もなく、藤吉が階下にいた手代峰吉とふざけていたと思い注意したのですが、その、ほたえな、の土佐弁の意味が分からない桂隼之助は過剰に反応してしまったのでしょう。
そして桂隼之助は龍馬が桂隼之助が差し出した名刺をよく見ようと行灯に手をやった時に、その行為がピストルで撃つものだと錯誤し抜刀してしまったのです。
要は極度の緊張感に耐えらなかったのでしょう。
中岡慎太郎の証言では、龍馬は初太刀で額に向かって左から右へ真っ直ぐに切られました。
これは掛け軸に飛び散った血痕から証明できます。
二太刀目は背中を右上から左下へと切られています。この傷は龍馬が床の間に置いていた自分の刀を取ろうと背を向けた時に切られています。三太刀目は、額を右上から左下へと切られ、この傷が脳にまで達して致命傷となりました。
この時に龍馬は自分の刀を取り、その鞘で刀を受けたのですがその衝撃の強さで鞘は削り取られています。
時間にして数秒の殺傷です。
参考文献:浅田次郎著「新選組読本」、「壬生義士伝」、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」、「新選組読本」、子母澤寛著「新選組始末記」、「新選組遺文」「新選組物語」、NHK歴史秘話ヒストリア▽坂本龍馬他
如何でしたか私の「龍馬暗殺異聞」は・・・
勿論自信ありです。
ここからは番外編です。
京都にある霊山歴史館に展示されている、龍馬の血しぶきがかかった掛け軸と桂隼之介の子孫が霊山歴史館に提供した龍馬殺害の刀のDNA鑑定をすれば、桂隼之介が襲撃者かどうかの愁眉が開けるでしょうと思ったのです。
しか〜し人間の血液にあるDNAは約120日前後で分解してしまう為、仮に掛け軸と刀に血液が残っていたとしても鑑定はできないのですって、残念ですね。
暗殺される二三日前には北辰一刀流の同窓の御陵衛士伊藤甲子太郎・藤堂平助が、身辺警護のセキュリティレベルを上げる様忠告しにきてくれたのです。しかしその頃の龍馬は腹風邪(ノロ)のため下痢がひどく、安全極まる土蔵から、厠に近い河原町通に面する母屋二階に移ってしまったのです。
この件(くだり)は偶然が仕組んだ運命の悪戯(いたずら)です。
龍馬はその忠告を聞く以前にも、龍馬の身に迫りくる危険から、security levelを上げろ、と周囲の人達から言われ続けていました。
しかし龍馬はその助言を聞きながらも敢えてsecurity levelを上げなかったのは、天は自分が事をなすまで生かしておく、という強い確信・信念のようなものがあったからです。
そういう意味で申せば、龍馬は大政奉還という大事業をなし得たわけですから、天に召されたのでしょう。
私の龍馬freakは私の精神の宿痾みたいなものです。
末永くお付きあいしていきたいと思います。
今日は蒲田に出没です。
蒲田にはあまりいい思い出がなくずいぶんと長い事いっていません。
蒲田の街を逍遥していたら、お昼を食べるのを忘れていたことに気がつきました。
そしてその眼前にはなにやら美味しいそうなとんかつ屋さんが出現しました。
ということで、本日のお店は味のとんかつ「丸一」さんです。
住所: 東京都大田区蒲田5-28-2
電話:03-3739-0156
定休日:日曜、月曜、水曜昼、祝祭日
お店の外観です。
メニューです。
本日のオーダー「ロースかつ定食」@1,300円です。
後でnetで調べたら、このお店は有名なとんかつ行列店なのですね。
運がよいです、並ばずに入れました。
しか〜しお店をでる頃にはこのような行列ができていました。
店内はカウンターのみのこじんまりした清潔な設(しつら)えです。
丁度席が揚げ場の前です。
まな板の上には大量の下ごしらえの終わった鮮やかなピンク肉がきれいに積み上げられています。
店主はその肉たちに手際良く、小麦粉、溶き卵、パン粉をつけて、一定のリズムで揚げていきます。
軽快で小気味がいいいです。
さら〜に店内では驚くことなかれ「極上ロースかつ定食」@2,500円を頼む人が続出しています。
@2,500円ですよ、これにはくりびつてんぎょんのいたおどろです。
待つこと9分で「ロースかつ定食」の到着です。
想像以上に肉厚があります。
なかはほんのりとピンク色です。
それでは実食です。
衣がサクッとしています。
私の嫌いな衣離れもありまん。
油切れも最高です。
肉は歯に力を入れずに噛み切れます。
肉が柔らかいからですね。
口の中には過不足ないジューシな肉汁が溢れます。
ウン、これはすごく美味しい!
プラ〜ストン汁もイケます。
多分このとんかつは21世紀になって私が食べたとんかつの絶巓ですね。
これだから食べ歩きはやめられません、ハイ。
ごちそうさまでした
皆しっちゅう思うけんど、わしは龍馬freakぜよ。
高知にある龍馬の実家や、中岡の慎の字の実家にもいっちゅう。
そんでから、龍馬の暗殺犯については、すんごく興味もっちゅうたがや。
けんど本日その犯人がわかったがやき、ながながと書くけんど、読んでおうせや!
久々の土佐弁は疲れますので通常の文体にもどさせていただきます。
そもそも坂本竜馬は司馬遼太郎先生が創った龍馬であります。
その自著「竜馬ゆく」ではnonfictionの味付けのように書きながらも実態は司馬遼太郎龍馬なのですね。
高知では30年位前まで、土佐の生んだ英雄といえば「板垣退助」で「坂本龍馬」は知る人ぞ知るといった存在だったそうです、それが司馬遼太郎先生の小説「竜馬がゆく」でいっきに変わりました。
「坂本龍馬」は今や「好きな歴史上の人物」でどのアンケートでもBest3に入る人気です。
一つの小説が、日本人の歴史観、英雄感をここまで変えてしまったのです。
等身大の龍馬を表す事例として薩摩藩の「桂久武日記」があります。
この「桂久武日記」では、竜馬を雇い商事行為、諜報活動をさせていたという文言が少し前に発見され公表されています。
決して大好きな龍馬をくさすつもりはないのですが、日記には虚は書かないでしょう。
裏読みすれば自らの公的基盤を持たない龍馬ですから、薩摩藩に雇われたふりをして、その裏で薩長連合を成就したという推測もなりたちます。
そろそろ核心に迫っていきます。
龍馬は寺田屋事件(龍馬襲撃の一年半前)で自らの身を守るために獲り方二人をピストルで射殺しています。
襲撃犯は龍馬をその殺人犯として捕獲しにいったのです。
そしてその捕獲の指示は「逃がさぬよう捕獲すべし。万一手に余るようであれば打ち果たすべし」となっていたのでした。
では誰がその任を担ったかといえば、京都見廻組だったのです。
その当時の龍馬は二条城北にある幕府高官永井玄蕃邸に大政奉還後に徳川家を新政府に加えるべく後に襲撃を受ける近江屋から足繁く通っていたのです。
京都見廻組の担当地域は御所や二条城の官庁街が担当でしたので必然的にその任がくだったのです。
言い換えれば、所轄管内に殺人犯が頻繁というか定期的に往来しているので逮捕しにいったいう極めて当り前の治安行為だったのです。
良く巷間で龍馬の暗殺犯はだれかというのですが、そもそもこここが最大のディスクレ(discrepancy)なのです。
龍馬は暗殺されたのではありません。
上述の通り殺人犯として捕縛しに行ったものの殺害という不幸な結果になっただけなのです。
明治になって龍馬を育てた勝海舟が明治3年4月15日に竜馬遭難時京都にいた大目付(職制上は老中に属し、大名・高家および朝廷を監視してこれらの謀反から幕府を守る監察官の役割を持った江戸時代の役職)松平勘太郎に今井信郎(下手人)の自供の内容を聞きに行っています。
それによると当時の京都守護職の幹部級の人間が寺田屋事件で竜馬に射殺された部下の復讐を図って、竜馬の捕獲・殺害を指示したということでした。
従いまして最高責任者であった大目付松平勘太郎の耳には、この龍馬捕獲・殺害の指示そのものも入ってなかったというのが真相の様です。
よって政治的背景は無かったと言ってよいでしょう。
閑話休題
京都見廻組は佐々木只三郎という清河八郎を暗殺した当時ではtop classのassassin(暗殺者)がいてその佐々木只三郎自らが見廻組を統括していたのです。
そしてその彼は400人の見廻組の中から腕の立つ六名を選抜しました。
実行犯は、佐々木只三郎以下、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之介、土肥仲蔵、桜井大三郎、今井信郎です。
その中で龍馬捕獲の任についたのは、西岡是心流の小太刀(小刀)の名手で二条城の御前試合で一流剣豪50人を打倒したという栄えある実績をもつ桂準之助が選ばれたのです。
西岡是心流とは右手で小太刀(小刀)、左手で長太刀(長刀)を使うというtricky(通常は右手は長太刀)な二刀流剣術です。
要は、佐々木は襲撃する近江屋での狭い空間での戦闘を想定して、小太刀(小刀)の名手を選任したのです。
ちなみに明治3年に今井信郎が供述した記録(今井信郎口述書)によると、佐々木只三郎は十津川の偽名刺を渡し、1階の階段下で待機。2階に上がって暗殺を「実行」したのは、桂隼之介、渡辺吉太郎、高橋安次郎、の3名。
今井信郎、土肥仲蔵、桜井大三郎の3名は表口、裏口および住人脅迫の見張り役だったそうです。
では桂隼之助が何故竜馬を切ったかといえば、ここからは私見です。
ごめん、と言って部屋に入った桂隼之助他二名は長刀を脇に置いて挨拶をしています。
この長刀を脇に置いての挨拶は龍馬達に敵意がないことを示しているわけです。
しかし桂隼之助は、龍馬は小太刀より殺傷speedの早いピストルを持っているので、それで撃たれたら万事休す、と端(はな)から心は粟立っていたのです。
その挨拶の後に龍馬の用心棒役であった元相撲取りの藤吉が切られており、その際に発した断末魔の声に、龍馬は、ほたえな(さわぐな)、と言っているのです。
ここら辺りの人間の心理の機微です。
龍馬は藤吉が切られたのは知る由もなく、藤吉が階下にいた手代峰吉とふざけていたと思い注意したのですが、その、ほたえな、の土佐弁の意味が分からない桂隼之助は過剰に反応してしまったのでしょう。
そして桂隼之助は龍馬が桂隼之助が差し出した名刺をよく見ようと行灯に手をやった時に、その行為がピストルで撃つものだと錯誤し抜刀してしまったのです。
要は極度の緊張感に耐えらなかったのでしょう。
中岡慎太郎の証言では、龍馬は初太刀で額に向かって左から右へ真っ直ぐに切られました。
これは掛け軸に飛び散った血痕から証明できます。
二太刀目は背中を右上から左下へと切られています。この傷は龍馬が床の間に置いていた自分の刀を取ろうと背を向けた時に切られています。三太刀目は、額を右上から左下へと切られ、この傷が脳にまで達して致命傷となりました。
この時に龍馬は自分の刀を取り、その鞘で刀を受けたのですがその衝撃の強さで鞘は削り取られています。
時間にして数秒の殺傷です。
参考文献:浅田次郎著「新選組読本」、「壬生義士伝」、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」、「新選組読本」、子母澤寛著「新選組始末記」、「新選組遺文」「新選組物語」、NHK歴史秘話ヒストリア▽坂本龍馬他
如何でしたか私の「龍馬暗殺異聞」は・・・
勿論自信ありです。
ここからは番外編です。
京都にある霊山歴史館に展示されている、龍馬の血しぶきがかかった掛け軸と桂隼之介の子孫が霊山歴史館に提供した龍馬殺害の刀のDNA鑑定をすれば、桂隼之介が襲撃者かどうかの愁眉が開けるでしょうと思ったのです。
しか〜し人間の血液にあるDNAは約120日前後で分解してしまう為、仮に掛け軸と刀に血液が残っていたとしても鑑定はできないのですって、残念ですね。
暗殺される二三日前には北辰一刀流の同窓の御陵衛士伊藤甲子太郎・藤堂平助が、身辺警護のセキュリティレベルを上げる様忠告しにきてくれたのです。しかしその頃の龍馬は腹風邪(ノロ)のため下痢がひどく、安全極まる土蔵から、厠に近い河原町通に面する母屋二階に移ってしまったのです。
この件(くだり)は偶然が仕組んだ運命の悪戯(いたずら)です。
龍馬はその忠告を聞く以前にも、龍馬の身に迫りくる危険から、security levelを上げろ、と周囲の人達から言われ続けていました。
しかし龍馬はその助言を聞きながらも敢えてsecurity levelを上げなかったのは、天は自分が事をなすまで生かしておく、という強い確信・信念のようなものがあったからです。
そういう意味で申せば、龍馬は大政奉還という大事業をなし得たわけですから、天に召されたのでしょう。
私の龍馬freakは私の精神の宿痾みたいなものです。
末永くお付きあいしていきたいと思います。
今日は蒲田に出没です。
蒲田にはあまりいい思い出がなくずいぶんと長い事いっていません。
蒲田の街を逍遥していたら、お昼を食べるのを忘れていたことに気がつきました。
そしてその眼前にはなにやら美味しいそうなとんかつ屋さんが出現しました。
ということで、本日のお店は味のとんかつ「丸一」さんです。
住所: 東京都大田区蒲田5-28-2
電話:03-3739-0156
定休日:日曜、月曜、水曜昼、祝祭日
お店の外観です。
メニューです。
本日のオーダー「ロースかつ定食」@1,300円です。
後でnetで調べたら、このお店は有名なとんかつ行列店なのですね。
運がよいです、並ばずに入れました。
しか〜しお店をでる頃にはこのような行列ができていました。
店内はカウンターのみのこじんまりした清潔な設(しつら)えです。
丁度席が揚げ場の前です。
まな板の上には大量の下ごしらえの終わった鮮やかなピンク肉がきれいに積み上げられています。
店主はその肉たちに手際良く、小麦粉、溶き卵、パン粉をつけて、一定のリズムで揚げていきます。
軽快で小気味がいいいです。
さら〜に店内では驚くことなかれ「極上ロースかつ定食」@2,500円を頼む人が続出しています。
@2,500円ですよ、これにはくりびつてんぎょんのいたおどろです。
待つこと9分で「ロースかつ定食」の到着です。
想像以上に肉厚があります。
なかはほんのりとピンク色です。
それでは実食です。
衣がサクッとしています。
私の嫌いな衣離れもありまん。
油切れも最高です。
肉は歯に力を入れずに噛み切れます。
肉が柔らかいからですね。
口の中には過不足ないジューシな肉汁が溢れます。
ウン、これはすごく美味しい!
プラ〜ストン汁もイケます。
多分このとんかつは21世紀になって私が食べたとんかつの絶巓ですね。
これだから食べ歩きはやめられません、ハイ。
ごちそうさまでした