今日は「幼いの頃の思い出」です
幼い頃を思い出したりするのは愉しいですよね。
そういうことは皆、老い先が短くなってから始めるといいますが、私は小学生の頃から幼い頃の事を思い出してはほくそ笑んでいました。
そのようなことで最近思い出した事を書きつらねてみました。
宜しかったらお付き合いください。
#とん子出てこ〜い
近所にあさり屋さんがありました。
あさり屋さんといってもあさりだけを売っているわけではありません。
売り物は、蜆、青柳、ミル貝、蛤、赤貝、泥鰌等です。
幼かった私はこの中でも「赤貝のさばき」が好きだったのです。
子供心にこの貝のさばきの単純作業が好きだったのです。
嘘です、血が体液の様に溢れでる悪魔的且グロテスクな解体光景に心震えたのでした。
子供の頃って皆このような残酷な心根を持っていますよね。
このあさり屋さんに知恵遅れの子供がいました。名前は敏男ですが、子供達の間では通称「とん子」と呼ばれていました。この呼び名の由来は、敏男からきた「とん子」ではなく、とんまの子供を縮めた「とん子」からきていたと思います。
といいますのも、誰かが、「とん子」ってさぁ、本名は「坂井敏男」っていうンだぜ、って言うのを聞いてみんなでその偶然にのけぞった事があったからです。
なり吃りのキツイ子供でした。
私より5歳位年上でしたが、知能程度は私達と同じ程度でした。
もしかすると以下だったのかもしれません。
いつも、どどどうして、そそそそうなるんだよお、的な言い方をしていました。
私達がみんなでとん子の事を馬鹿にすると、おおおお俺をばば馬鹿にすると、しょしょしょ承知しないぞ、と拳をあげて怒るのですが、最後の言葉を言いきるまでに私達ははるか遠くに逃げ去ってしまうので、ぶたれた事はありません。幼かった私は、先に殴ってから怒ればいいのに、といつも思っていたのですが、何故か啖呵を切ってから殴りにかかるのです。
今このように思いかえしても不思議です。
その内にとん子をからかっても面白くないので、次に私達が作った遊びはとん子の店の前に立って、ととととん子でてこ〜い!って何度も何度も叫ぶ事でした。
それを続けていますと、店先で赤貝のさばきをしているオヤジさんの顔が次第に真っ赤になってきて、それと同時に包丁をふりあげ、うちの子をからかうとタダじゃおかねぇぞ、と言って追いかけてくるのです。
これがたまらなく「危険な遊び」なのです。
単独でこの遊びは絶対にしません、必ず複数人で行います。
と言いますのは複数人で行えば、オヤジさんが怒った時には、散り散りばらばらになってから一目散に逃げれば、このオヤジさんに捕まる事はないのです。
しか〜し運が悪いと捕まって、包丁の柄の底の硬いところでガツンとコブがでるくらいに打たれます。
で〜もこの「危険な遊び」は長続きしませんでした。
理由はsimpleです。
食の洋食化、多様化があさり屋さんの商売の息の根を止めてしまったのです。
しばらくしてとん子一家は引っ越してしまいました
今このように思いかえしますとずいぶん「残酷な遊び」をしていたみたいです・・・
#洋食の思い出
私の母は腎臓が悪く病弱でした。
そのせいか、私が幼いときは不定期な長期入院を繰り返していました。
父は事業をしていましたので、母が入院しますと、家事に加えて幼き弟妹の面倒を見ないといけません。
物理的に仕事、家事、育児を一人でその責を担うのは無理です。
そこで父は家政婦協会に電話をして家政婦さんを呼ぶのです。
母がいないのは寂しいのですが、それは病院に見舞いにいけば普通に会うことができるのでそれ程苦にはなりませんでした。
それに反して大きな喜びが私にうまれたのでした。
母は料理が得意だったのですがそのcategoryは和食onlyだったのです。
世の中に洋食なるものがあるのは知っていましたが、それは外食の時に食べるもので家庭で食べるものではないと思っていました。
家政婦さんは頼めば洋食を作ってくれます。
まずはコロッケです。
私はコロッケが大好きでした。
母のレパートリーにコロッケはなかったので、コロッケが食べたい時は都バスに乗ってコロッケ料理が得意な築地の伯母さんの所に泊まりがけで食べに行っていました。
それほどに好きだったのです。
そしてそれが美味しかったら次は豚カツをお願いしました。
そしてトドメはグラタンです。
グラタンって今では普通に食せますが当時は作れる人は少なかったのではないのでしょうか、そういう意味で私にとってはグラタンのご馳走は快挙だったのです。
今このように思い返しても心底美味しかったとしか申せません。
私の幼い頃、私の心が躍った美味しい思い出であります。
子供の頃遊んだ紙の玩具を思い出しませんか?
今日は新富町に出没です。
こってりした美味しい洋食が食べたいなということでお訪(とない)入れたのがこちら「蜂の子」さんです。
住所: 東京都中央区築地1-5-11
電話:03-3541-9805
営業時間:11:30〜14:00、18:00〜22:00(LO 20:50)
定休日: 土曜・日曜・祝日
今日はこのお店の行き方を画像で紹介しておきます。
最寄り駅は有楽町線の新富町です。
新富町を銀座一丁目側の晴海通り側の改札口のエレベーターで上がってすぐに左折し、すぐの角を左折して晴海通りを目指して歩きます。
中央図書館が右手に見えたら後は画像通りに歩けばたどり着きます。
時間にして6〜7分程度です。
店内の雰囲気です。
メニューです。
今日のオーダー「レバ野菜・白スパ」@1,100円です。
待つこと4分で「レバ野菜・白スパ」の到着です。
見た目、スタミナを頂けそうな感じです。
それでは実食です。
濃厚な部位と淡白な部位が混在している鶏レバです。
まずはデミシチューソースからいただきます。
優しく酸味が抑えられたソースです。
ウン、美味しいですね。
このレバに合せたソースなのでしょうか相性抜群です。
レバのエネルギーが細胞のひとつひとつに行きわたっていくように感じます。
そして付け合わせの白スパです。
これは「アルデンテ御免」のスパです。
漢(おとこ)のスパです。
この白スパに先程のレバ野菜を合わせていただくのです。
この組み合わせは絶妙です。
美味しい、否(いな)美味しすぎます。
後半粉チーズをかけ回しました。
味がまろやかになりました。
とうとう美味しさが突き抜けてしまいました。
このような状況をなんと表現したら宜しいのでしょうか。
敢えて「至福」と呼ばせていただきます。
最高ですね。
B級グルメの絶巓と言ってもよいでしょう。
大満足のlunchでした
幼い頃を思い出したりするのは愉しいですよね。
そういうことは皆、老い先が短くなってから始めるといいますが、私は小学生の頃から幼い頃の事を思い出してはほくそ笑んでいました。
そのようなことで最近思い出した事を書きつらねてみました。
宜しかったらお付き合いください。
#とん子出てこ〜い
近所にあさり屋さんがありました。
あさり屋さんといってもあさりだけを売っているわけではありません。
売り物は、蜆、青柳、ミル貝、蛤、赤貝、泥鰌等です。
幼かった私はこの中でも「赤貝のさばき」が好きだったのです。
子供心にこの貝のさばきの単純作業が好きだったのです。
嘘です、血が体液の様に溢れでる悪魔的且グロテスクな解体光景に心震えたのでした。
子供の頃って皆このような残酷な心根を持っていますよね。
このあさり屋さんに知恵遅れの子供がいました。名前は敏男ですが、子供達の間では通称「とん子」と呼ばれていました。この呼び名の由来は、敏男からきた「とん子」ではなく、とんまの子供を縮めた「とん子」からきていたと思います。
といいますのも、誰かが、「とん子」ってさぁ、本名は「坂井敏男」っていうンだぜ、って言うのを聞いてみんなでその偶然にのけぞった事があったからです。
なり吃りのキツイ子供でした。
私より5歳位年上でしたが、知能程度は私達と同じ程度でした。
もしかすると以下だったのかもしれません。
いつも、どどどうして、そそそそうなるんだよお、的な言い方をしていました。
私達がみんなでとん子の事を馬鹿にすると、おおおお俺をばば馬鹿にすると、しょしょしょ承知しないぞ、と拳をあげて怒るのですが、最後の言葉を言いきるまでに私達ははるか遠くに逃げ去ってしまうので、ぶたれた事はありません。幼かった私は、先に殴ってから怒ればいいのに、といつも思っていたのですが、何故か啖呵を切ってから殴りにかかるのです。
今このように思いかえしても不思議です。
その内にとん子をからかっても面白くないので、次に私達が作った遊びはとん子の店の前に立って、ととととん子でてこ〜い!って何度も何度も叫ぶ事でした。
それを続けていますと、店先で赤貝のさばきをしているオヤジさんの顔が次第に真っ赤になってきて、それと同時に包丁をふりあげ、うちの子をからかうとタダじゃおかねぇぞ、と言って追いかけてくるのです。
これがたまらなく「危険な遊び」なのです。
単独でこの遊びは絶対にしません、必ず複数人で行います。
と言いますのは複数人で行えば、オヤジさんが怒った時には、散り散りばらばらになってから一目散に逃げれば、このオヤジさんに捕まる事はないのです。
しか〜し運が悪いと捕まって、包丁の柄の底の硬いところでガツンとコブがでるくらいに打たれます。
で〜もこの「危険な遊び」は長続きしませんでした。
理由はsimpleです。
食の洋食化、多様化があさり屋さんの商売の息の根を止めてしまったのです。
しばらくしてとん子一家は引っ越してしまいました
今このように思いかえしますとずいぶん「残酷な遊び」をしていたみたいです・・・
#洋食の思い出
私の母は腎臓が悪く病弱でした。
そのせいか、私が幼いときは不定期な長期入院を繰り返していました。
父は事業をしていましたので、母が入院しますと、家事に加えて幼き弟妹の面倒を見ないといけません。
物理的に仕事、家事、育児を一人でその責を担うのは無理です。
そこで父は家政婦協会に電話をして家政婦さんを呼ぶのです。
母がいないのは寂しいのですが、それは病院に見舞いにいけば普通に会うことができるのでそれ程苦にはなりませんでした。
それに反して大きな喜びが私にうまれたのでした。
母は料理が得意だったのですがそのcategoryは和食onlyだったのです。
世の中に洋食なるものがあるのは知っていましたが、それは外食の時に食べるもので家庭で食べるものではないと思っていました。
家政婦さんは頼めば洋食を作ってくれます。
まずはコロッケです。
私はコロッケが大好きでした。
母のレパートリーにコロッケはなかったので、コロッケが食べたい時は都バスに乗ってコロッケ料理が得意な築地の伯母さんの所に泊まりがけで食べに行っていました。
それほどに好きだったのです。
そしてそれが美味しかったら次は豚カツをお願いしました。
そしてトドメはグラタンです。
グラタンって今では普通に食せますが当時は作れる人は少なかったのではないのでしょうか、そういう意味で私にとってはグラタンのご馳走は快挙だったのです。
今このように思い返しても心底美味しかったとしか申せません。
私の幼い頃、私の心が躍った美味しい思い出であります。
子供の頃遊んだ紙の玩具を思い出しませんか?
今日は新富町に出没です。
こってりした美味しい洋食が食べたいなということでお訪(とない)入れたのがこちら「蜂の子」さんです。
住所: 東京都中央区築地1-5-11
電話:03-3541-9805
営業時間:11:30〜14:00、18:00〜22:00(LO 20:50)
定休日: 土曜・日曜・祝日
今日はこのお店の行き方を画像で紹介しておきます。
最寄り駅は有楽町線の新富町です。
新富町を銀座一丁目側の晴海通り側の改札口のエレベーターで上がってすぐに左折し、すぐの角を左折して晴海通りを目指して歩きます。
中央図書館が右手に見えたら後は画像通りに歩けばたどり着きます。
時間にして6〜7分程度です。
店内の雰囲気です。
メニューです。
今日のオーダー「レバ野菜・白スパ」@1,100円です。
待つこと4分で「レバ野菜・白スパ」の到着です。
見た目、スタミナを頂けそうな感じです。
それでは実食です。
濃厚な部位と淡白な部位が混在している鶏レバです。
まずはデミシチューソースからいただきます。
優しく酸味が抑えられたソースです。
ウン、美味しいですね。
このレバに合せたソースなのでしょうか相性抜群です。
レバのエネルギーが細胞のひとつひとつに行きわたっていくように感じます。
そして付け合わせの白スパです。
これは「アルデンテ御免」のスパです。
漢(おとこ)のスパです。
この白スパに先程のレバ野菜を合わせていただくのです。
この組み合わせは絶妙です。
美味しい、否(いな)美味しすぎます。
後半粉チーズをかけ回しました。
味がまろやかになりました。
とうとう美味しさが突き抜けてしまいました。
このような状況をなんと表現したら宜しいのでしょうか。
敢えて「至福」と呼ばせていただきます。
最高ですね。
B級グルメの絶巓と言ってもよいでしょう。
大満足のlunchでした