今日は「クレーマー論」です。
「お客様は神様です」といったのは三波春夫。
この言葉が独り歩きしている。世間では「接客の際の心得」として広まっている。
しかし三波春夫は「歌を歌う時は神殿に向かって歌う心構えだ」と言っている。
全く違うのである。
現代社会はクレームの社会。
この言葉はクレーマーの常套句(じょうとうく)となっている。
よく「俺は客だ。金を払っているんだから何をしてもいい」と言う人がいるが実に下品だ。
この考えが近頃頻繁に起きるクレーマーによる土下座強要事件などにつながっている。
酷いクレームが世の中にはごまんとある。除夜の鐘が喧(やかま)しいから静かにしろと言った奴がいた。
そんな奴は日本から出て行けばいい、で、クレームをつけられた寺が数年間、除夜の鐘を自粛したそうな。
馬鹿(ばか)か。寺も寺である。そう言うトンチンカンに人の道を説くのが仕事ではないのか?
熱海の名所、貫一お宮の像が男尊女卑に当たるから撤去しろというクレームが外国人観光客から付いたそうな。
もはや文学の否定だ。
日光の小学校では二宮金次郎の銅像に父兄からクレームがついたらしい。
理由は歩きスマホの増長につながる、で、小学校では銅像を作り変えた。
二宮金次郎がマキを背負って本を読んでいるまでは同じ。
何とその姿で座っているのだ。
それではただの休憩時間だよ。
仕事をしながらでも勉強に勤(いそ)しんだから二宮金次郎は銅像になった。
それを子供達に教えるのが教育なのにクレーマーを恐れて銅像まで作り変えてしまう愚かさ。
そんな事を言ったら上野の西郷さんは刀を持って犬の散歩、これは銃刀法違反だ。
自由の女神は松明(たいまつ)を持った放火魔になるぞ。
島根県ではダビデ像は子供達の教育上よろしくないと一部住民からパンツをはかせろとクレーマーがついた。
ダビデ像にパンツをはかせたら世界中の笑いものになる。
私はこういう事を言い出す人は助平なんだと思う。ダビデ像をポルノだと捉える発想が助平だ。
これが芸術なんだと子供達に教えるのが大人の役目だ。
原爆をテーマに描いた「はだしのゲン」はあまりに残酷な表現が多いから図書館から排除せよというのも同じ。
私の世代はあの漫画があったから広島の原爆を知る事が出来た。戦争の怖さを知った。
テレビゲームを平気でやらせるのに「はだしのゲン」を排除する。
こう言った時こそ教育者が毅然とした態度でクレームをつける親を諭せばいいのに、親の顔色ばかり伺っている。
そのうち阿修羅像は怖いからお面をつけろとか、百手観音は手が沢山(たくさん)あって子供が怯(おび)えるから切りおとせだとか、イエス・キリストが十字架に磔(はりつけ)になっているのはあまりに残酷だから十字架の前に立たせるだけにしようとか、クレーマーは何を言い出すかわからない。
企業にしてもクレーマーに対して平身平頭。
クレーマー係なる者までいるという話を聞いた。
つまりはクレーマーの言葉を企業は最初(はな)から相手にしていない事が分かる。
でも一応はそんな輩もお客様には違いないからへいこらする。気持ちはわからないではないが、明らかに変なクレームに対しては叱ってもいいのではないか。
店側が客を叱ると今度はそれはけしからん! とクレームが入る。
それもこれも「お客様は神様です」がベースにあるからだ。
この言葉を日本人の心から消滅させない限り悪質なクレーマーは絶滅しない。
「クレーマー論」立川志らく著より転載
なかなか秀逸なエッセイです。
志らくさんは文筆家としても一流です。
ポリティカルコレクトレスも同様ですよね。
他の宗教に配慮しなければならないという理由で、ブッシュアメリカ合衆国大統領は、2004年の年末の記者会見で、「メリー・クリスマス」ではなく、「ハッピー・ホリデーズ」と述べていました。
この間も、アメリカ人と話していて、physically challenged person(身体障害者)と言われて、しばらく意味が取れなかったのですが、これも a little bit too much(ちょっとやりすぎ)のような気がします。
日本では、例えば、「黒山の人だかり」という表現はやはり日本人のほとんどの髪の毛が黒いことから生まれた言葉ですが、そういった言葉も廃止すべきだという声もあがっているようです。
決して禿頭の人からの「もの申す」ではありませんのでよろしくお取り計らいください。
その一方で、アメリカのオレゴン州のとある店舗では、私たちはどなたでもあってもサービスを拒絶する権利があります、という看板があるそうです。
アメリカではこのサービス拒否の流れはどうやら止まらないようです。
全体としての賃金が増えず消費も伸びていません。
長期のデフレ経済の下で内需型産業を中心に就業者の高学歴化が進行してきました。
その結果、増大した人的資本は付加価値を生む資本になりきれず、その高度化した能力はより高度なサービスを提供する中で無造作に使い果たされています。
役職に報酬が結び付いた仕組みの下での就業者の高学歴化が、賃金を上昇させる競争よりも過剰なサービスを供給する競争を生んできたのですが、この競争が機能しなくなったのです。
日本において、もはや「お客様は神様」ではなくなってきました。
これからは、いにしえの人が申していた、只より高い物はない、といことが身に染みてわかる時代になると思います。
Turkish Airlines Safety Video with Zach King
今日は神田に出没です。
美味しいハンバーグが食べたいという事でこのお店に訪れました。
今日のお店は「トリッペリア ミア」さんです。
住所: 東京都千代田区内神田1-15-5 310ビル 2F
電話:03-5244-5733
定休日:日曜日・祝日
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
メニューです。
今日のオーダー「パニーロランチ(ジャンボメンチカツ、トマト、チーズ、珈琲)」@900円です。
待つこと12分で「パニーロランチ」の到着です。
揚げたてメンチから湯気が立ち昇っていて美味しそうです。
それでは実食です。
揚げたてのメンチカツ美味し、甘みのあるトマト美味し、トロトロのチーズ美味し、香ばしいバンズ美味しのグランドスラムです。パン好きの私にはたまらない味わいです。
できれば揚げ物よりもハンバーグとかソーセージの方が美味しいと思うのですが、ご一考頂きたいと思う今日この頃であります。
「お客様は神様です」といったのは三波春夫。
この言葉が独り歩きしている。世間では「接客の際の心得」として広まっている。
しかし三波春夫は「歌を歌う時は神殿に向かって歌う心構えだ」と言っている。
全く違うのである。
現代社会はクレームの社会。
この言葉はクレーマーの常套句(じょうとうく)となっている。
よく「俺は客だ。金を払っているんだから何をしてもいい」と言う人がいるが実に下品だ。
この考えが近頃頻繁に起きるクレーマーによる土下座強要事件などにつながっている。
酷いクレームが世の中にはごまんとある。除夜の鐘が喧(やかま)しいから静かにしろと言った奴がいた。
そんな奴は日本から出て行けばいい、で、クレームをつけられた寺が数年間、除夜の鐘を自粛したそうな。
馬鹿(ばか)か。寺も寺である。そう言うトンチンカンに人の道を説くのが仕事ではないのか?
熱海の名所、貫一お宮の像が男尊女卑に当たるから撤去しろというクレームが外国人観光客から付いたそうな。
もはや文学の否定だ。
日光の小学校では二宮金次郎の銅像に父兄からクレームがついたらしい。
理由は歩きスマホの増長につながる、で、小学校では銅像を作り変えた。
二宮金次郎がマキを背負って本を読んでいるまでは同じ。
何とその姿で座っているのだ。
それではただの休憩時間だよ。
仕事をしながらでも勉強に勤(いそ)しんだから二宮金次郎は銅像になった。
それを子供達に教えるのが教育なのにクレーマーを恐れて銅像まで作り変えてしまう愚かさ。
そんな事を言ったら上野の西郷さんは刀を持って犬の散歩、これは銃刀法違反だ。
自由の女神は松明(たいまつ)を持った放火魔になるぞ。
島根県ではダビデ像は子供達の教育上よろしくないと一部住民からパンツをはかせろとクレーマーがついた。
ダビデ像にパンツをはかせたら世界中の笑いものになる。
私はこういう事を言い出す人は助平なんだと思う。ダビデ像をポルノだと捉える発想が助平だ。
これが芸術なんだと子供達に教えるのが大人の役目だ。
原爆をテーマに描いた「はだしのゲン」はあまりに残酷な表現が多いから図書館から排除せよというのも同じ。
私の世代はあの漫画があったから広島の原爆を知る事が出来た。戦争の怖さを知った。
テレビゲームを平気でやらせるのに「はだしのゲン」を排除する。
こう言った時こそ教育者が毅然とした態度でクレームをつける親を諭せばいいのに、親の顔色ばかり伺っている。
そのうち阿修羅像は怖いからお面をつけろとか、百手観音は手が沢山(たくさん)あって子供が怯(おび)えるから切りおとせだとか、イエス・キリストが十字架に磔(はりつけ)になっているのはあまりに残酷だから十字架の前に立たせるだけにしようとか、クレーマーは何を言い出すかわからない。
企業にしてもクレーマーに対して平身平頭。
クレーマー係なる者までいるという話を聞いた。
つまりはクレーマーの言葉を企業は最初(はな)から相手にしていない事が分かる。
でも一応はそんな輩もお客様には違いないからへいこらする。気持ちはわからないではないが、明らかに変なクレームに対しては叱ってもいいのではないか。
店側が客を叱ると今度はそれはけしからん! とクレームが入る。
それもこれも「お客様は神様です」がベースにあるからだ。
この言葉を日本人の心から消滅させない限り悪質なクレーマーは絶滅しない。
「クレーマー論」立川志らく著より転載
なかなか秀逸なエッセイです。
志らくさんは文筆家としても一流です。
ポリティカルコレクトレスも同様ですよね。
他の宗教に配慮しなければならないという理由で、ブッシュアメリカ合衆国大統領は、2004年の年末の記者会見で、「メリー・クリスマス」ではなく、「ハッピー・ホリデーズ」と述べていました。
この間も、アメリカ人と話していて、physically challenged person(身体障害者)と言われて、しばらく意味が取れなかったのですが、これも a little bit too much(ちょっとやりすぎ)のような気がします。
日本では、例えば、「黒山の人だかり」という表現はやはり日本人のほとんどの髪の毛が黒いことから生まれた言葉ですが、そういった言葉も廃止すべきだという声もあがっているようです。
決して禿頭の人からの「もの申す」ではありませんのでよろしくお取り計らいください。
その一方で、アメリカのオレゴン州のとある店舗では、私たちはどなたでもあってもサービスを拒絶する権利があります、という看板があるそうです。
アメリカではこのサービス拒否の流れはどうやら止まらないようです。
全体としての賃金が増えず消費も伸びていません。
長期のデフレ経済の下で内需型産業を中心に就業者の高学歴化が進行してきました。
その結果、増大した人的資本は付加価値を生む資本になりきれず、その高度化した能力はより高度なサービスを提供する中で無造作に使い果たされています。
役職に報酬が結び付いた仕組みの下での就業者の高学歴化が、賃金を上昇させる競争よりも過剰なサービスを供給する競争を生んできたのですが、この競争が機能しなくなったのです。
日本において、もはや「お客様は神様」ではなくなってきました。
これからは、いにしえの人が申していた、只より高い物はない、といことが身に染みてわかる時代になると思います。
Turkish Airlines Safety Video with Zach King
今日は神田に出没です。
美味しいハンバーグが食べたいという事でこのお店に訪れました。
今日のお店は「トリッペリア ミア」さんです。
住所: 東京都千代田区内神田1-15-5 310ビル 2F
電話:03-5244-5733
定休日:日曜日・祝日
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
メニューです。
今日のオーダー「パニーロランチ(ジャンボメンチカツ、トマト、チーズ、珈琲)」@900円です。
待つこと12分で「パニーロランチ」の到着です。
揚げたてメンチから湯気が立ち昇っていて美味しそうです。
それでは実食です。
揚げたてのメンチカツ美味し、甘みのあるトマト美味し、トロトロのチーズ美味し、香ばしいバンズ美味しのグランドスラムです。パン好きの私にはたまらない味わいです。
できれば揚げ物よりもハンバーグとかソーセージの方が美味しいと思うのですが、ご一考頂きたいと思う今日この頃であります。