今日は「六本木グラフティVol.3」です
六本木はセレブのレストランが多いのです。
六本木で食事といえば麻布台にある「ニコラス」でしょう。
ここのownerのニコラ・ザペッティさんはイタリアンマフィアと親交があり当時はかなりやばい面々が来店していました。その延長線でプロレスラーの人達も多かったですね。
知る人ぞ知るですが、このお店のオーダーは番号で頼みます。
例えば「ソーセージ・玉ネギ・ピーマンピッツア」は25番でしたか。
これを知らない人を連れてくると、田舎もんと来るなよ、と軽蔑されたものです。
このお店に女性と訪れてメニューも見ずに、今日何食べるの、と女性に聞いてから女性が、私は52番にするは、貴方はどうするの、と聞かれて、自分、今日はアンチョビピッツアが食べたいから56番にするよ、という会話はかなり夜郎自大(仲間だけでのみ通用する自慢)の様な気がするのですが・・・
その次としては飯倉片町の「キャンティ」ですか。
この店はお値段がかなり高かったのですが、あのテーブルのみを照らすという風変わりな照明に映えるここのバジリコのスパゲッティを食べたことがないと同じように田舎もん扱いされました。
現在もこのバジリコのスパゲッティは健在のようですが、今ではコース料理(@16,000)の中でしかいただけないみたいです。
ここでの注意は飯倉を「イイクラ」と発音してはいけません「イイグラ」が正しいので、この発音を間違えますと同様の扱いを受けます。
「キャンティ」は1960年に飯倉片町にオープンした日本のイタリアンレストランの草分け的お店です。
まだイタリアンレストランなど皆無に近かった東京において、創業者の川添浩史さんと妻の梶子さんは、豊富な海外経験を元に、美味しい料理はもちろんのこと、主人と客同士が語り合いくつろげるヨーロッパ風のサロンを作りたいとの思いで作られたお店です。
キャンティは午前3時まで営業しており、遅い夕食をとる放送・芸能関係者から、客である政財界人に連れられて来る赤坂や銀座のホステスまでもが来店して深夜まで賑わっていました。
有名な常連客は、石原裕次郎、伊丹十三、イヴ・サン=ローラン、イヴ・モンタン、加賀まりこ、勝新太郎、加藤和彦、かまやつひろし、内田裕也、黒柳徹子、堺正章、坂本龍一、松任谷由実さん等でした。
私どもの大学では先輩である福沢幸男(慶應義塾の創設者福澤諭吉の曾孫、モデル且レーサー、1969年事故死)さんがメンバーだった「六本木野獣会」のたまり場としての位置づけでした。
今でいえば流行の牽引車というか時代の最先端グループだったのでしょう。
事故死の訃報を聞いた、当時の恋人だった歌手小川知子さんが、フジテレビ系列の歌謡番組「夜のヒットスタジオ」の生放送中に「初恋のひと」を歌唱しながら号泣した、というのは「今は昔」の語り草となっています。
しか〜しこのような高級なお店に20歳前後の若者がひっきりなしに訪れていたというのは、セレブ見たさというより一種のrite of passage(通過儀礼)の様な気がします。
要は「早く大人になりた〜いシンドローム(syndrome)」だったのでしょう。
大人になった現在では、その真逆で「あの日に帰りた〜いシンドローム(syndrome)」ですので、人間って勝手な生き物であります。
キャンティのオーナー夫人である川添梶子さんはファッションデザイナーでもあり当時のGS(ガソリンスタントではないグループサウンズ)タイガースのヒット曲「モナリザの微笑み」の衣装を作っています。
当時ではパンツの生地をスキーウェアの生地を使って「白色」をきれいに演出したり、首飾りは工事現場の侵入禁止用の鎖を使用したりするなどそのアイデアは斬新かつ大胆なものでした。
個人的にはこの川添梶子さんのファッションに対する「思い入れ」が好きでした。
最後に彼女がある女性誌に載せた「自由を着よう」からの抜粋を紹介して終わりにいたします。
装いは最早今の時代では身を包むものではなく、着飾るものでもない。
自分が今日生きている事を表現するものなのだ。
どうか私が着たかった数々の自由を着て脱ぎ捨て、できるだけ多くの日々を幸せに過ごして欲しい。
今日は小川町に出没です。
今日のお店、かつては東京電機大学の学生さんの学生食堂として君臨した伝説の老舗中華料理屋さんです。
ということで今日のお店は「龍岡(たつおか)」さんです。
住所: 東京都千代田区神田錦町1-4
電話:03-3291-3276
定休日:日曜、祝日
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
メニューです。
今日のオーダー「あんかけ焼きそば」@650円です。
実はこのお店には中学生の頃を含めますと通算100回近くきています。
何で今までupしなかったのかは不思議でありません。
明確な理由があったからです。
それと申しますのは、このお店の料理の量が多いので意図的に避けていたのです。
待つこと6分で「あんかけ焼きそば」の到着です。
見た目、味がアメリカン的相貌であります。
で〜も個人的には量がtoo muchですね・・・
お約束のお酢と胡椒をガンガンにかけていただきます。
ウン、味は薄い塩味ではありますが、お酢と胡椒のアシストにより美味しくいただけます。
鐡板の味ですね。
途中このような異物が「あんかけ焼きそば」の中からでてまいりました。
一応「注意喚起」の為に店主夫人にもの申しますと、意外や、あいすみません、ではなく、すぐに作り替えます、との事でした。
ちょっと待ってください(笑)
既に3分の1程度をたべていますので、これでつくりかえられますと、3分の4の量になってしまいます。
そのような量は食べられません、無理です。
私は単に、謝罪の言葉をいただけたら、それで充分だったのです。
仕方ないので、私はこの様な事は気にしない性質(たち)なので、と言って作り替えを阻止しました。
当初はあまりの量の多さに残そうと思っていた目論見がこの発言「この様な事は気にしない性質」で壊れてしまいました。即ち残したら気にしていると思われますよね。
結局、薬局、郵便局でこのメガ盛りの「あんかけ焼きそば」を完食する羽目になってしまったのです。
Experience is the name every one gives to their mistakes.
経験とは、皆が失敗につける名前のことだ。
Oscar Wilde(オスカー・ワイルド)
六本木はセレブのレストランが多いのです。
六本木で食事といえば麻布台にある「ニコラス」でしょう。
ここのownerのニコラ・ザペッティさんはイタリアンマフィアと親交があり当時はかなりやばい面々が来店していました。その延長線でプロレスラーの人達も多かったですね。
知る人ぞ知るですが、このお店のオーダーは番号で頼みます。
例えば「ソーセージ・玉ネギ・ピーマンピッツア」は25番でしたか。
これを知らない人を連れてくると、田舎もんと来るなよ、と軽蔑されたものです。
このお店に女性と訪れてメニューも見ずに、今日何食べるの、と女性に聞いてから女性が、私は52番にするは、貴方はどうするの、と聞かれて、自分、今日はアンチョビピッツアが食べたいから56番にするよ、という会話はかなり夜郎自大(仲間だけでのみ通用する自慢)の様な気がするのですが・・・
その次としては飯倉片町の「キャンティ」ですか。
この店はお値段がかなり高かったのですが、あのテーブルのみを照らすという風変わりな照明に映えるここのバジリコのスパゲッティを食べたことがないと同じように田舎もん扱いされました。
現在もこのバジリコのスパゲッティは健在のようですが、今ではコース料理(@16,000)の中でしかいただけないみたいです。
ここでの注意は飯倉を「イイクラ」と発音してはいけません「イイグラ」が正しいので、この発音を間違えますと同様の扱いを受けます。
「キャンティ」は1960年に飯倉片町にオープンした日本のイタリアンレストランの草分け的お店です。
まだイタリアンレストランなど皆無に近かった東京において、創業者の川添浩史さんと妻の梶子さんは、豊富な海外経験を元に、美味しい料理はもちろんのこと、主人と客同士が語り合いくつろげるヨーロッパ風のサロンを作りたいとの思いで作られたお店です。
キャンティは午前3時まで営業しており、遅い夕食をとる放送・芸能関係者から、客である政財界人に連れられて来る赤坂や銀座のホステスまでもが来店して深夜まで賑わっていました。
有名な常連客は、石原裕次郎、伊丹十三、イヴ・サン=ローラン、イヴ・モンタン、加賀まりこ、勝新太郎、加藤和彦、かまやつひろし、内田裕也、黒柳徹子、堺正章、坂本龍一、松任谷由実さん等でした。
私どもの大学では先輩である福沢幸男(慶應義塾の創設者福澤諭吉の曾孫、モデル且レーサー、1969年事故死)さんがメンバーだった「六本木野獣会」のたまり場としての位置づけでした。
今でいえば流行の牽引車というか時代の最先端グループだったのでしょう。
事故死の訃報を聞いた、当時の恋人だった歌手小川知子さんが、フジテレビ系列の歌謡番組「夜のヒットスタジオ」の生放送中に「初恋のひと」を歌唱しながら号泣した、というのは「今は昔」の語り草となっています。
しか〜しこのような高級なお店に20歳前後の若者がひっきりなしに訪れていたというのは、セレブ見たさというより一種のrite of passage(通過儀礼)の様な気がします。
要は「早く大人になりた〜いシンドローム(syndrome)」だったのでしょう。
大人になった現在では、その真逆で「あの日に帰りた〜いシンドローム(syndrome)」ですので、人間って勝手な生き物であります。
キャンティのオーナー夫人である川添梶子さんはファッションデザイナーでもあり当時のGS(ガソリンスタントではないグループサウンズ)タイガースのヒット曲「モナリザの微笑み」の衣装を作っています。
当時ではパンツの生地をスキーウェアの生地を使って「白色」をきれいに演出したり、首飾りは工事現場の侵入禁止用の鎖を使用したりするなどそのアイデアは斬新かつ大胆なものでした。
個人的にはこの川添梶子さんのファッションに対する「思い入れ」が好きでした。
最後に彼女がある女性誌に載せた「自由を着よう」からの抜粋を紹介して終わりにいたします。
装いは最早今の時代では身を包むものではなく、着飾るものでもない。
自分が今日生きている事を表現するものなのだ。
どうか私が着たかった数々の自由を着て脱ぎ捨て、できるだけ多くの日々を幸せに過ごして欲しい。
今日は小川町に出没です。
今日のお店、かつては東京電機大学の学生さんの学生食堂として君臨した伝説の老舗中華料理屋さんです。
ということで今日のお店は「龍岡(たつおか)」さんです。
住所: 東京都千代田区神田錦町1-4
電話:03-3291-3276
定休日:日曜、祝日
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
メニューです。
今日のオーダー「あんかけ焼きそば」@650円です。
実はこのお店には中学生の頃を含めますと通算100回近くきています。
何で今までupしなかったのかは不思議でありません。
明確な理由があったからです。
それと申しますのは、このお店の料理の量が多いので意図的に避けていたのです。
待つこと6分で「あんかけ焼きそば」の到着です。
見た目、味がアメリカン的相貌であります。
で〜も個人的には量がtoo muchですね・・・
お約束のお酢と胡椒をガンガンにかけていただきます。
ウン、味は薄い塩味ではありますが、お酢と胡椒のアシストにより美味しくいただけます。
鐡板の味ですね。
途中このような異物が「あんかけ焼きそば」の中からでてまいりました。
一応「注意喚起」の為に店主夫人にもの申しますと、意外や、あいすみません、ではなく、すぐに作り替えます、との事でした。
ちょっと待ってください(笑)
既に3分の1程度をたべていますので、これでつくりかえられますと、3分の4の量になってしまいます。
そのような量は食べられません、無理です。
私は単に、謝罪の言葉をいただけたら、それで充分だったのです。
仕方ないので、私はこの様な事は気にしない性質(たち)なので、と言って作り替えを阻止しました。
当初はあまりの量の多さに残そうと思っていた目論見がこの発言「この様な事は気にしない性質」で壊れてしまいました。即ち残したら気にしていると思われますよね。
結局、薬局、郵便局でこのメガ盛りの「あんかけ焼きそば」を完食する羽目になってしまったのです。
Experience is the name every one gives to their mistakes.
経験とは、皆が失敗につける名前のことだ。
Oscar Wilde(オスカー・ワイルド)