今日は「劣等感」です。
私には幼馴染みがいます。
と申しても男性ですが・・・
4歳からの友達であります。
いけば、よう、▲▲元気か、と子供の時と同様に私の事を下の名前でよびます。
今となっては、私を名字ではなく名前で呼ぶのは、奥様と限られた親戚のみですので稀有な人間の一人なのです。
その彼は飯田橋でイタ飯屋をやっています。
夏休みに飯田橋に行く用事があったので訪(おとな)いを入れました。
彼は開口一番、お盆はヒマ。昨日のお客はヒ・ト・ク・ミのみ、と笑っていました。
そんなにヒマなら休めばいいじゃん、と言えば、行くところもないし、彼女は帰省していないから他にやる事もないし店を開けているんだ、と言い訳をしていました。
その後他愛ない話をしていたのですが、あることがふと私の頭によぎったのです。
それはこの幼馴染のために私がはじめて味わった「劣等感」です。
小学校は下町の小学校です。
家で勉強する奴は馬鹿だ、なんて周りの大人たちが異口同音に行っていたくらいですので、どこの家庭も教育熱心ではありません。
そんな小学校の中で私はクラスで1〜2番くらいの位置におりましたが、上述のような環境下の小学校の優等生ですからたいしたことはありません。
幼馴染も同級でして彼は理科と美術だけは最高成績を取っておりそれ以外は興味がないために惨憺たる成績でした。その彼が、6年生の7月に麹町中学校へ越境入学するんだ、と唐突に私に言ったのです。
彼の構想によると、麹町中学校から日比谷高校に行って東京大学に行くん、だと将来の進路について私に熱く語っていたのです。多分彼の父親が書いた絵図です。
そしてこの構想は彼の母親から私の母を経由して私の父の耳に入ったのです。
私の父は、彼の父親が大嫌いなのでした。
嫌いな理由ははっきりしていて、子供の私はそうは思わなかったのですが、すごくいい加減な女みたいな奴、と彼の父親を決めつけていたのでした。
飛び火しました。
父は家が貧しいため大学にはいけず、そのため大学そのものを唾棄していたのです。
日頃は、大学は才能がないやつが行くものだ、と大学を馬鹿にしていた父なのですが変節しました。
父から、△△(幼馴染の名前)が麹町にいくなら、お前は開成だ。すべり止めは慶應だ、と晴天の霹靂みたない話にあいなったのです。
昔の事ですから父親にさからうことなどでできず、母も妙に舞い上がって夏休み頑張れば開成くらいいけるわよ。頑張んなさい、と言い始めたのです。
確かに時代は高度経済成長の真っただ中で学歴のないものは社会から落ちこぼれるという風潮が蔓延していましたので理解できる話ではあります。
渋谷は道玄坂にある難関中学夏季集中ゼミなるものに通いました。
このゼミに通ってくる生徒はほとんど山の手から来ており、下町の小学校からきていたのは私だけです。
山の手から通ってくる生徒の小学校は、麻布、開成、武蔵には毎年10人くらいは受かっており、慶應は本当にすべり止めの学校だったのです。さらに授業は補講がくまれており一日8時間授業になっていたのでした。
その様な生徒たちとの中で授業が始まりました。
先生の言っていることはわかるのですが、問題がまったく解けません。
特に開成の算数は問題の意味すら分からなかったのです。
三日目あたりから完全に落ちこぼれになりました。
先生は私を当てると授業が遅れるので、意図的に無視し始めました。
5日目に行われた模試の結果はひどいものでした。
レベルが違いすぎるのです。
土日は休校でしたので次の日の月曜日にはそのゼミに行くのが嫌で食事も喉を通らなくなりました。
クラスの中には知り合いもなく、彼らの私を見る目が、難関ゼミは馬鹿につける薬じゃないぜ、と思えるようになってきたのです。
鬱状態に陥りました。
さすがにこの日が限界だと思い、帰宅してから捨てようと思ったシワクチャになった模試結果を母にみせて、退校を懇願しました。
母は模試の結果を見て納得して父にとりなしてくれたのです。
今でもこのゼミのあった渋谷の道玄坂を通ると当時のトラウマがよみがえります。
これが私のはじめて味わった「劣等感」の顛末です。
ちなみに麹町中学校にいった幼馴染の高校は日比谷ではなく明大付属高校で大学はなぜか明治大学ではなく立教大学に進学しました。
立教大学を二年生で中退して、唐突に世界放浪の旅にでて30歳のころ帰国しました。
その残滓で彼は外国語が堪能です。
中国語、英語、独逸語はネイティブ並みです。
その後ピッツェリアでイタリアンの修行をし現在に至るです。
そんなことを思い出していたら思わず顔から笑みがこぼれました。
彼が、何思いだし笑いしてるんだよ、と聞いたものですから、お前を見ていたら「人間万事塞翁が馬」だなって思ったんだよ、とゆっくりと言葉を噛みしめるように答えていたのでした。
暑い夏が私に遠い昔の蜃気楼を見せてくれたのでしょうか・・・
夏休み中盤です。
今日は夏休みの最大目的であるカフェに帰省中の長男と出向きました。
このお店のシュークリームは日本一の味との評判です。
このシュークリームが食べたかったのです。
一回目は休みで、今回は二回目のお訪(とな)いです。
果たして私の願望は叶えられたのでしょうか。
今日のお店は「オーブン・ミトンカフェ はけの森」さんです。
武蔵野の面影を残す小金井市は、東京都内でも有数の緑と水に恵まれた街です。
市内の南部を東西にのびる崖は武蔵野台地を古多摩川が削ったなごりで、「はけ」と呼ばれています。
崖のところどころから湧き水が流れ、散策に訪れる人の目を楽しませています。
中村研一記念小金井市立はけの森美術館前の「はけの小路」や併設の「美術の森」にある水源など、周辺では恵まれた自然を充分に満喫できます。
そして今回訪問の「オーブン・ミトンカフェ はけの森」さんはこの森の中にあります。
さらに付け加えればこのカフェは中村研一氏の旧・自宅兼アトリエ、築70年の日本家屋をカフェに改装したものだそうです。その緑深い森の周辺をはけの森美術館を含めて紹介しますのでご覧ください。
住所: 東京都小金井市中町1-11-3 はけの森美術館
電話:042-385-7410
定休日:月曜・火曜・水曜・第3日曜
お店の外観です。
おいしいお菓子とおいしいお茶。そしておいしいお料理。
ゆっくりと流れる時間の中で目に映るのは深い木々の緑。
おいしいものを食べる時、そこに漂う空気までもがご馳走となりえる。
そんな環境の中でゆっくりと私たちの料理やお菓子を召し上がって、くつろいでいただきたい。
このようなキャッチが紛うことなき似合うお店であります。
メニューです。
今日のオーダー
私は「キッシュセット」@1,300円
長男は「サンドイッチセット」@1,300円
二人でシェアしたケーキ
チーズケーキ@360円
フォンダンベカン@380円
です。
まずは涕涙なお知らせです。
日本一の名前が冠されているシュークリームは11時という開店1時間という短時間で売り切れていました。
なんてこったいであります。
やはり私みたいな好奇心溢れる人間が多い証左であります。
しか〜しこれが目玉でしたので本当に残念無念であります。
「蚊に注意」という注意看板を初回訪問時に見ていたのにもかかわらず、無謀にもTシャツ・半パンでこの蚊のメッカの森の中でパチリしていた私は蚊の猛襲を受けたのです。
店内に入りあまりの痒さに眉を曇らせていた私は、スタッフ(入交恵さん=写真家)さんから頂いたウナコーワで惨憺たる状態から愁眉を開いたのでした。入交さんありがとうございました。
待つこと15分で「キッシュセット」と「サンドイッチセット」の到着です。
まずは「キッシュセット」です。
このキッシュはレンズ豆のキッシュです。
キッシュの接写とリフティング画像です。
このキッシュは香しい生クリームの風味にホクホクとしたレーズン豆の風味がたまらない一品です。美味しいです。
そして「サンドイッチセット」です。
これはオーセンティックの味わいの中に豚肉のまろやかさが際立つ一品です。
パンが馥郁たる香りが立ち込めていて味をふくよかにしています。
美味しいです。
食後のデザートのチーズケーキとフォンダンベカンです。
チーズケーキは濃厚でどちらかと言えばとんがった感じさえする味わいです。
フォンダンベカンはビターチョコをたっぷり使い半生状態で焼き上げた生地は滑らかな食感です。
チョコレート好きにはたまらない一品です。
いずれもレベルは高いものです。
場所的にはかなり辺鄙なところにあるので何かのついでの時のお店かと思います。
ゆっくりと流れる時間に身をおいて食事を楽しむ人にお奨めです。
私のようながさつな下町っ子にとっては少し敷居が高かったですね・・・
私には幼馴染みがいます。
と申しても男性ですが・・・
4歳からの友達であります。
いけば、よう、▲▲元気か、と子供の時と同様に私の事を下の名前でよびます。
今となっては、私を名字ではなく名前で呼ぶのは、奥様と限られた親戚のみですので稀有な人間の一人なのです。
その彼は飯田橋でイタ飯屋をやっています。
夏休みに飯田橋に行く用事があったので訪(おとな)いを入れました。
彼は開口一番、お盆はヒマ。昨日のお客はヒ・ト・ク・ミのみ、と笑っていました。
そんなにヒマなら休めばいいじゃん、と言えば、行くところもないし、彼女は帰省していないから他にやる事もないし店を開けているんだ、と言い訳をしていました。
その後他愛ない話をしていたのですが、あることがふと私の頭によぎったのです。
それはこの幼馴染のために私がはじめて味わった「劣等感」です。
小学校は下町の小学校です。
家で勉強する奴は馬鹿だ、なんて周りの大人たちが異口同音に行っていたくらいですので、どこの家庭も教育熱心ではありません。
そんな小学校の中で私はクラスで1〜2番くらいの位置におりましたが、上述のような環境下の小学校の優等生ですからたいしたことはありません。
幼馴染も同級でして彼は理科と美術だけは最高成績を取っておりそれ以外は興味がないために惨憺たる成績でした。その彼が、6年生の7月に麹町中学校へ越境入学するんだ、と唐突に私に言ったのです。
彼の構想によると、麹町中学校から日比谷高校に行って東京大学に行くん、だと将来の進路について私に熱く語っていたのです。多分彼の父親が書いた絵図です。
そしてこの構想は彼の母親から私の母を経由して私の父の耳に入ったのです。
私の父は、彼の父親が大嫌いなのでした。
嫌いな理由ははっきりしていて、子供の私はそうは思わなかったのですが、すごくいい加減な女みたいな奴、と彼の父親を決めつけていたのでした。
飛び火しました。
父は家が貧しいため大学にはいけず、そのため大学そのものを唾棄していたのです。
日頃は、大学は才能がないやつが行くものだ、と大学を馬鹿にしていた父なのですが変節しました。
父から、△△(幼馴染の名前)が麹町にいくなら、お前は開成だ。すべり止めは慶應だ、と晴天の霹靂みたない話にあいなったのです。
昔の事ですから父親にさからうことなどでできず、母も妙に舞い上がって夏休み頑張れば開成くらいいけるわよ。頑張んなさい、と言い始めたのです。
確かに時代は高度経済成長の真っただ中で学歴のないものは社会から落ちこぼれるという風潮が蔓延していましたので理解できる話ではあります。
渋谷は道玄坂にある難関中学夏季集中ゼミなるものに通いました。
このゼミに通ってくる生徒はほとんど山の手から来ており、下町の小学校からきていたのは私だけです。
山の手から通ってくる生徒の小学校は、麻布、開成、武蔵には毎年10人くらいは受かっており、慶應は本当にすべり止めの学校だったのです。さらに授業は補講がくまれており一日8時間授業になっていたのでした。
その様な生徒たちとの中で授業が始まりました。
先生の言っていることはわかるのですが、問題がまったく解けません。
特に開成の算数は問題の意味すら分からなかったのです。
三日目あたりから完全に落ちこぼれになりました。
先生は私を当てると授業が遅れるので、意図的に無視し始めました。
5日目に行われた模試の結果はひどいものでした。
レベルが違いすぎるのです。
土日は休校でしたので次の日の月曜日にはそのゼミに行くのが嫌で食事も喉を通らなくなりました。
クラスの中には知り合いもなく、彼らの私を見る目が、難関ゼミは馬鹿につける薬じゃないぜ、と思えるようになってきたのです。
鬱状態に陥りました。
さすがにこの日が限界だと思い、帰宅してから捨てようと思ったシワクチャになった模試結果を母にみせて、退校を懇願しました。
母は模試の結果を見て納得して父にとりなしてくれたのです。
今でもこのゼミのあった渋谷の道玄坂を通ると当時のトラウマがよみがえります。
これが私のはじめて味わった「劣等感」の顛末です。
ちなみに麹町中学校にいった幼馴染の高校は日比谷ではなく明大付属高校で大学はなぜか明治大学ではなく立教大学に進学しました。
立教大学を二年生で中退して、唐突に世界放浪の旅にでて30歳のころ帰国しました。
その残滓で彼は外国語が堪能です。
中国語、英語、独逸語はネイティブ並みです。
その後ピッツェリアでイタリアンの修行をし現在に至るです。
そんなことを思い出していたら思わず顔から笑みがこぼれました。
彼が、何思いだし笑いしてるんだよ、と聞いたものですから、お前を見ていたら「人間万事塞翁が馬」だなって思ったんだよ、とゆっくりと言葉を噛みしめるように答えていたのでした。
暑い夏が私に遠い昔の蜃気楼を見せてくれたのでしょうか・・・
夏休み中盤です。
今日は夏休みの最大目的であるカフェに帰省中の長男と出向きました。
このお店のシュークリームは日本一の味との評判です。
このシュークリームが食べたかったのです。
一回目は休みで、今回は二回目のお訪(とな)いです。
果たして私の願望は叶えられたのでしょうか。
今日のお店は「オーブン・ミトンカフェ はけの森」さんです。
武蔵野の面影を残す小金井市は、東京都内でも有数の緑と水に恵まれた街です。
市内の南部を東西にのびる崖は武蔵野台地を古多摩川が削ったなごりで、「はけ」と呼ばれています。
崖のところどころから湧き水が流れ、散策に訪れる人の目を楽しませています。
中村研一記念小金井市立はけの森美術館前の「はけの小路」や併設の「美術の森」にある水源など、周辺では恵まれた自然を充分に満喫できます。
そして今回訪問の「オーブン・ミトンカフェ はけの森」さんはこの森の中にあります。
さらに付け加えればこのカフェは中村研一氏の旧・自宅兼アトリエ、築70年の日本家屋をカフェに改装したものだそうです。その緑深い森の周辺をはけの森美術館を含めて紹介しますのでご覧ください。
住所: 東京都小金井市中町1-11-3 はけの森美術館
電話:042-385-7410
定休日:月曜・火曜・水曜・第3日曜
お店の外観です。
おいしいお菓子とおいしいお茶。そしておいしいお料理。
ゆっくりと流れる時間の中で目に映るのは深い木々の緑。
おいしいものを食べる時、そこに漂う空気までもがご馳走となりえる。
そんな環境の中でゆっくりと私たちの料理やお菓子を召し上がって、くつろいでいただきたい。
このようなキャッチが紛うことなき似合うお店であります。
メニューです。
今日のオーダー
私は「キッシュセット」@1,300円
長男は「サンドイッチセット」@1,300円
二人でシェアしたケーキ
チーズケーキ@360円
フォンダンベカン@380円
です。
まずは涕涙なお知らせです。
日本一の名前が冠されているシュークリームは11時という開店1時間という短時間で売り切れていました。
なんてこったいであります。
やはり私みたいな好奇心溢れる人間が多い証左であります。
しか〜しこれが目玉でしたので本当に残念無念であります。
「蚊に注意」という注意看板を初回訪問時に見ていたのにもかかわらず、無謀にもTシャツ・半パンでこの蚊のメッカの森の中でパチリしていた私は蚊の猛襲を受けたのです。
店内に入りあまりの痒さに眉を曇らせていた私は、スタッフ(入交恵さん=写真家)さんから頂いたウナコーワで惨憺たる状態から愁眉を開いたのでした。入交さんありがとうございました。
待つこと15分で「キッシュセット」と「サンドイッチセット」の到着です。
まずは「キッシュセット」です。
このキッシュはレンズ豆のキッシュです。
キッシュの接写とリフティング画像です。
このキッシュは香しい生クリームの風味にホクホクとしたレーズン豆の風味がたまらない一品です。美味しいです。
そして「サンドイッチセット」です。
これはオーセンティックの味わいの中に豚肉のまろやかさが際立つ一品です。
パンが馥郁たる香りが立ち込めていて味をふくよかにしています。
美味しいです。
食後のデザートのチーズケーキとフォンダンベカンです。
チーズケーキは濃厚でどちらかと言えばとんがった感じさえする味わいです。
フォンダンベカンはビターチョコをたっぷり使い半生状態で焼き上げた生地は滑らかな食感です。
チョコレート好きにはたまらない一品です。
いずれもレベルは高いものです。
場所的にはかなり辺鄙なところにあるので何かのついでの時のお店かと思います。
ゆっくりと流れる時間に身をおいて食事を楽しむ人にお奨めです。
私のようながさつな下町っ子にとっては少し敷居が高かったですね・・・