今日は「ヤーサマ異聞」の話です。 
ヤーサマの彫物については、江戸の頃は、本格的な博徒ほど「疵のない体」を大切にして、真白い無垢の肌を誇りとしたものだそうです。下っ端になれば、意気がりで彫ったりもしましたが、大っぴらに彫っていたのは、人前で裸になる必要のある商売、つまり駕龍かきとか臥煙(火消し人足)、鳶の者などに限られていました。 
彼らというのは逆に、真白な裸は、生々しくて恥ずかしいというので、制服のような意味合いで彫っていました。全身に威勢の良い模様が彫ってあれば、ふんどし一つの姿でも仲々頼もしく、きれいに見えるものです。
名称については、彫物、文身、人れぼくろ、と言うのが正しく、入墨とは決して言いませんでした。江戸時代に入墨と言えば、それは即、刑罰の刻印の事を言ったもので、自ら趣味で彫る物とは別だったのです。さて、この彫物、思う程古いものではありません。 
『好色一代男』の元禄期には、遊女と客との愛の証しとしてする入れほくろが盛んでした。これは男女が手を握り合って、互いの親指のあたる先にホクロを彫ったものですが、後には、相手の筆跡そのままに、二の腕へ「△△さま命」と彫るようになりました。江戸も中頃までは、文字程度のものでしたが、後期の文化文政頃になってやっと絵柄ものが現われます。がそれだとて、黒や青の渋い色調のもので、極彩色のものが出てくるのは江戸も終りの幕末期でした。
「大江戸観光」杉浦日向子著より転載

本格的な博徒ほどモンモンを入れなかったのですネ、知りませんでした。
でも本格的な博徒になるまでには時間がかかると思いますが、その間はどのように考えていたのでしょうか。
俺はいつの日か大物になるんだ、だからモンモンは入れないんだ、と心に秘めていたのでしょうか?

ヤーサマといえば私の幼少の頃、近所の天祖神社に隣接して「××組」という鳶の家がありました。
ここの親分はすごいアル中でやたらと町内で揉め事を起こしていました。
例えばお酒を飲み過ぎると勝手に近隣の家に上がり込み、台所から酒を見つけては飲みほし、そのまま寝てしまうとか、新年の獅子舞では一升瓶をぶら下げて町内を回り、ご祝儀が少ないと訪れた人の子供をガブガブと獅子の口で噛み続けるとか、枚挙に暇がありませんでした。
一番の思い出は、天祖神社の砂場は「××組」の真後ろで、そこで砂遊びをしていると、よく小指の入った薬瓶が落ちていました。多分件(くだん)の親分が酔って裏窓から投げ捨てたのでしょうか。
見つけた私達は「××組」に行き、子指の入った瓶がおちていましたよ、と届けるのですが、親分がでてきて、いらねえから捨てたんでぃ、まだ沢山あるから坊主達もっていくか、とからまれました。
子供心にも、この小指の捨て主が「××組」だと分っていたのは下町っ子だからでしょうネ(笑)

信じられない男

信じられない男
ちょっと信じられない男画像ver.2です。
本当に良くやりますよね!


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今日は新橋に出没です。
今日は隠れ家的蕎麦屋「ふじの国 善庵蕎麦」さんにお邪魔しました。

住所: 東京都港区新橋2-20-15 新橋駅前ビル1号館 1F
:03-5537-0980
定休日:日曜日・祝日

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お店の外観です。ここはサラリーマンの聖地新橋駅前ビル1号館にあります。
今回は新橋で飲んだ後の締めでいったのです。夜の部は酒のつまみが充実していてなかなか良さゲです。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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今日のオーダー「ざるそば(十割蕎麦)」@780円です。
このお店の夜の部はミャンマー人達がやっています。
店内のお運びさんはミャンマー人女性です。なかなか感じイイですネ。
味ですか、蕎麦は良く冷えていて水切れもよく美味しいですね。
付け出汁(タレ)がなにか複雑な味です、もう少し削り節の味が強い方が味は引き締まる
感じがします。
でもなかなかでしたよ合格合格合格

それでは(^_-)