今日は「このブログが始まったきっかけ」です
人事異動の季節です。
当社は今回の異動で業績不芳による降格人事が数多く散見されました。
私の元部下の部長もその例にならって降格されたのです。
彼は、部の業績が赤字になったのは自らの不徳のいたすところで、営業努力の甲斐もなく黒転できなかったのは、自らの管理手腕のなさの露呈であります、と言っていましたがそれはまだ現職であるから言えるのです。
その後に起こる惨めな気持ちにまだ気がついていないのです。
私もかつて似たような経験をしました。
同期のトップで部長職になって、生まれて始めて大きなガラスを背面にしたひな壇に座り且つ机の面積が増えサイドキャビネットが通常の二つから三つになった時の感激は今でも忘れません。
位が人を創るといいますが、まさにそのような感慨を持ちました。
隣の席の役員から、私が拝命したこの新規ビジネスを軌道にのせれば次は役員だな、と言われて満更でもなく否定をしない自分がいました。
というかこの新規ビジネスを立ち上げようとそれこそ不撓不屈の精神で臨みました。
それから2年・・・
悲酸な結末が大きな口を開けて私を飲みこみました。
新規ビジネスは失敗しました。
その理由についてはいまだ関係者がいるので割愛します。
常務から常務室に呼ばれ、会社と承認した新規ビジネスだ。
責任は会社にあるが、△△が所管している部をこのまま存続することはできない。
したがって部は解散。
△△は大阪に転勤で、輸入ビジネスをやって欲しい。
決して左遷ではないからな。
個人的には構想は良かったが時期尚早だった。
従って発展的解散だという事で理解してくれ、と得々といわれ且つこの常務は大学の先輩でもあり、悪いようにはしないのだろうな、と思い、発展的解散ですか。わかりました。
くれぐれも部員には私以上の特段の措置をお願いします、と言って胸を張って役員室を出てきました。
今、このように思い返しますと、敗軍の将は兵を語らず(失敗した者はいさぎよく失敗を認め弁解がましい事を言うべきでない)、みたいな英雄的な気持ちが横溢していたのです。
これから起きるである労苦まで思いが至らなかったのです。
しばらくして人事発令があり、その発令簿では降格になっておりました。
一応その内容は常務から聞いていましたが、常務から善処するといわれたので降格なしかなと勝手に想像はしていたのですがまずは順当な人事でしょう。
残務整理が終わり大阪に単身赴任で着任しました。
そこで待ち受けていたのは冷徹なな事実です。
従前は部長でしたが大阪では部長付ですから所謂ラインではなくスタッフです。
従いまして、指示は部長から受けますし、机も普通の机に戻りました。
さら〜に、今では絶対に当社には入社できないのですが、当時の私は英語が話せなかったのです。
転勤初日の打合せは、取引先であるドイツのメーカーとの木曜日・金曜日の二日に亘るタフミーティングでした。
このミーティングで英語が話せないのは私だけでしたので通訳も付かず、打合せは延々と続き、大学卒業以来の英会話が私の頭上を頻繁に往来しました。
私の脳ミソは疲弊していました。
言っていることはまだ理解できるのですが、話せません。
これには参りましたなんて言っている場合ではなく、ドイツ人が帰った次の日の土曜日に大阪は梅田にあるベルリッツに入学して英語の勉強を始めました。
しか〜し、ドイツ人が帰った翌週から英文のメールが海外から多数入ってきて、その内容を理解して、返信するのが大変というかほとんどできなかったのです。
それから半年くらいは23時過ぎには帰った事がありませんでした。
中学・高校・大学・模試でも英語の成績は良くて、その自分が英語で苦労するとは思いもよりませんでした。
他にも沢山の苦労がありましたがこれも割愛しあます。
しか〜し、ここから這い上がってきたので今の自分があるのです。
懐かしい思いです。
ここでの要諦は、社員はその人のキャラクターを見ているのではなく、その人の肩書だけを冷徹に見ているという事実なのであります。
さら〜に付け加えますと、この臥薪嘗胆の時代の副産物が、私の無聊を癒す京都往訪と家族に近況を告げる「浪花綴り」だったのです。
これらがあったので今のブログが始まる嚆矢になっていたのです。
ボーリング・スーパープレイ
今日は間違えて北海道時代の取引先に電話をしてしまいました。
ワン切りした後、ごめんなさいミスタッチです、とのショートメールを入れようとしたら返信がありました。
20年ぶりの会話です。
先方は私の事をとても懐かしがっていてこれこそが本当の久闊を叙す(久し振りに友情を温める)であります。
再会を約して電話を切ったらすごく興奮していました。
何かその後、食べ物でも幸せな気分を味わいたくてこのお店に入りました。
今日のお店は「神田きくかわ」神田店さんです。
住所: 東京都千代田区神田須田町1-24-2
電話番号:03-3251-1506
定休日: 月曜日(月曜が祝祭日は営業、翌日を休業日 2012年9月より)
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
調味料の面々です。
メニューです。
きょうのオーダー「うな重イ」@3,940円です。
店の外にお品書きがなかったので、鰻は相場ものだから出せないのだろうな、と自分に納得させて席につきました。
確か前回食べた時は2,500円だったので3,500円くらいかなと思っていましたらBingoでした。
ただしその時は消費税が3%でしたので結果英世さん×4人が財布から退場となりましたがそれはそれで仕方ないなと自らを思いこませました。
待つこと9分で「うな重イ」が到着しました。
えっ、早すぎる!
作り置きだなと腹を決めました。
で〜も、ビジュアルは良い面構えをしています。
それでは実食です。
表面の皮は、香ばしく炙られていて、中身はフワトロに柔らかくいです。
皮の近くは上質な心地よい脂分がのっています。
たれが足りなく感じましたので、少しかけ回しましたら味が締まりました。
これは美味しいです。
熱々でしたら満足度120%でしょう!
お吸い物は熱々で高評価です。
パリッとした麩が美味しいです。
ライチは普通のライチでした。
これは仕方ありません。
次回は口開けの11時にきて焼き立てを食べませう・・・
人事異動の季節です。
当社は今回の異動で業績不芳による降格人事が数多く散見されました。
私の元部下の部長もその例にならって降格されたのです。
彼は、部の業績が赤字になったのは自らの不徳のいたすところで、営業努力の甲斐もなく黒転できなかったのは、自らの管理手腕のなさの露呈であります、と言っていましたがそれはまだ現職であるから言えるのです。
その後に起こる惨めな気持ちにまだ気がついていないのです。
私もかつて似たような経験をしました。
同期のトップで部長職になって、生まれて始めて大きなガラスを背面にしたひな壇に座り且つ机の面積が増えサイドキャビネットが通常の二つから三つになった時の感激は今でも忘れません。
位が人を創るといいますが、まさにそのような感慨を持ちました。
隣の席の役員から、私が拝命したこの新規ビジネスを軌道にのせれば次は役員だな、と言われて満更でもなく否定をしない自分がいました。
というかこの新規ビジネスを立ち上げようとそれこそ不撓不屈の精神で臨みました。
それから2年・・・
悲酸な結末が大きな口を開けて私を飲みこみました。
新規ビジネスは失敗しました。
その理由についてはいまだ関係者がいるので割愛します。
常務から常務室に呼ばれ、会社と承認した新規ビジネスだ。
責任は会社にあるが、△△が所管している部をこのまま存続することはできない。
したがって部は解散。
△△は大阪に転勤で、輸入ビジネスをやって欲しい。
決して左遷ではないからな。
個人的には構想は良かったが時期尚早だった。
従って発展的解散だという事で理解してくれ、と得々といわれ且つこの常務は大学の先輩でもあり、悪いようにはしないのだろうな、と思い、発展的解散ですか。わかりました。
くれぐれも部員には私以上の特段の措置をお願いします、と言って胸を張って役員室を出てきました。
今、このように思い返しますと、敗軍の将は兵を語らず(失敗した者はいさぎよく失敗を認め弁解がましい事を言うべきでない)、みたいな英雄的な気持ちが横溢していたのです。
これから起きるである労苦まで思いが至らなかったのです。
しばらくして人事発令があり、その発令簿では降格になっておりました。
一応その内容は常務から聞いていましたが、常務から善処するといわれたので降格なしかなと勝手に想像はしていたのですがまずは順当な人事でしょう。
残務整理が終わり大阪に単身赴任で着任しました。
そこで待ち受けていたのは冷徹なな事実です。
従前は部長でしたが大阪では部長付ですから所謂ラインではなくスタッフです。
従いまして、指示は部長から受けますし、机も普通の机に戻りました。
さら〜に、今では絶対に当社には入社できないのですが、当時の私は英語が話せなかったのです。
転勤初日の打合せは、取引先であるドイツのメーカーとの木曜日・金曜日の二日に亘るタフミーティングでした。
このミーティングで英語が話せないのは私だけでしたので通訳も付かず、打合せは延々と続き、大学卒業以来の英会話が私の頭上を頻繁に往来しました。
私の脳ミソは疲弊していました。
言っていることはまだ理解できるのですが、話せません。
これには参りましたなんて言っている場合ではなく、ドイツ人が帰った次の日の土曜日に大阪は梅田にあるベルリッツに入学して英語の勉強を始めました。
しか〜し、ドイツ人が帰った翌週から英文のメールが海外から多数入ってきて、その内容を理解して、返信するのが大変というかほとんどできなかったのです。
それから半年くらいは23時過ぎには帰った事がありませんでした。
中学・高校・大学・模試でも英語の成績は良くて、その自分が英語で苦労するとは思いもよりませんでした。
他にも沢山の苦労がありましたがこれも割愛しあます。
しか〜し、ここから這い上がってきたので今の自分があるのです。
懐かしい思いです。
ここでの要諦は、社員はその人のキャラクターを見ているのではなく、その人の肩書だけを冷徹に見ているという事実なのであります。
さら〜に付け加えますと、この臥薪嘗胆の時代の副産物が、私の無聊を癒す京都往訪と家族に近況を告げる「浪花綴り」だったのです。
これらがあったので今のブログが始まる嚆矢になっていたのです。
ボーリング・スーパープレイ
今日は間違えて北海道時代の取引先に電話をしてしまいました。
ワン切りした後、ごめんなさいミスタッチです、とのショートメールを入れようとしたら返信がありました。
20年ぶりの会話です。
先方は私の事をとても懐かしがっていてこれこそが本当の久闊を叙す(久し振りに友情を温める)であります。
再会を約して電話を切ったらすごく興奮していました。
何かその後、食べ物でも幸せな気分を味わいたくてこのお店に入りました。
今日のお店は「神田きくかわ」神田店さんです。
住所: 東京都千代田区神田須田町1-24-2
電話番号:03-3251-1506
定休日: 月曜日(月曜が祝祭日は営業、翌日を休業日 2012年9月より)
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
調味料の面々です。
メニューです。
きょうのオーダー「うな重イ」@3,940円です。
店の外にお品書きがなかったので、鰻は相場ものだから出せないのだろうな、と自分に納得させて席につきました。
確か前回食べた時は2,500円だったので3,500円くらいかなと思っていましたらBingoでした。
ただしその時は消費税が3%でしたので結果英世さん×4人が財布から退場となりましたがそれはそれで仕方ないなと自らを思いこませました。
待つこと9分で「うな重イ」が到着しました。
えっ、早すぎる!
作り置きだなと腹を決めました。
で〜も、ビジュアルは良い面構えをしています。
それでは実食です。
表面の皮は、香ばしく炙られていて、中身はフワトロに柔らかくいです。
皮の近くは上質な心地よい脂分がのっています。
たれが足りなく感じましたので、少しかけ回しましたら味が締まりました。
これは美味しいです。
熱々でしたら満足度120%でしょう!
お吸い物は熱々で高評価です。
パリッとした麩が美味しいです。
ライチは普通のライチでした。
これは仕方ありません。
次回は口開けの11時にきて焼き立てを食べませう・・・