今日は「お岩さん異聞」の話です。
次男が卒論で「東海道四谷怪談」を書くというので四谷左門町にある「於岩稲荷田宮神社」に付き合いで一緒に行ってきました。正しく申せば次男のゼミでは「東海道四谷怪談」を卒論で取り上げる時には、この神社にお参りに行き、不吉なことがおこらないようにするのが不文律というと大仰ですが、要は暗黙の約束なのです。
私はこのblogで何度でも取り上げている通り筋金入りの墓マイラ―であります。
従ってお岩さんの墓がある妙行寺(みょうぎょうじ)にはすでに2回ほど訪れています。
妙行寺は都電荒川線(ちんちん電車)の新庚申塚駅と西ヶ原4丁目駅の間にある東京都豊島区西巣鴨四丁目にお墓があります。
さらにいえば作者の鶴屋南北の墓は実家の前にあります。それこそ1,000回以上は鶴屋南北の墓は見ています。
これも正しく言えば鶴屋南北の墓があった春慶寺は私の遊び場であり、地元の先輩の元巨人軍の王選手はこの境内にあった珠算塾に通っていたそうですよ。
今回訪れた「於岩稲荷田宮神社」は、鶴屋南北の傑作「東海道四谷怪談」の主人公、お岩さんゆかりの神社として知られています。
歌舞伎や演劇で四谷怪談を演じるときには、於岩稲荷に参拝しなければ祟りがあるという俗信は有名ですが、於岩稲荷に伝わる話はずいぶん違っています。
このお寺では、寺の境内の縁側にA4版の「お岩稲荷」の資料(copy)がおいてあります。
それによれば、お岩さんというのは怨霊とは無縁であるどころか、非常に健気な女性で、しかも夫婦仲は非常に円満であったとこのお寺の資料に書かれていました。
お岩さんという女性は幕府の御家人、田宮又左衛門の娘で、夫、田宮伊右衛門とは人もうらやむ仲のよい夫婦だったそうです。しかし、家は大変貧しかったので、家計を支えるため商家に奉公に出ました。お岩は日頃から田宮家の屋敷社(やしきがみ)を熱心に信仰しており、その甲斐あって、夫婦の蓄えも増え、田宮家はかつての盛んな時代に戻ることができたそうです。ということでお岩さんは貞女だったのですね。
寛永13年(1636)にお岩さんは亡くなりましたが、お岩さんの信仰によって田宮家が復活したという話は評判となり、近隣の人々は田宮家の屋敷社(やしきがみ)を於岩稲荷と呼んで信仰したのです。享保2年(1717)田宮家は屋敷神の隣に稲荷祠を建立しました。参拝を求める人が増えたので、屋敷を開放して参拝を許可することになり、以来、「於岩稲荷」、「大巌明神」、「四谷稲荷」、「左門町稲荷」などと呼ばれて、家内安全、無病息災、開運、さらに悪事や災難除けの神としてますます江戸の人気を集めるようになったのです。
つまりお岩さんという女性は怨霊のかけらもない人なのですね。
鶴屋南北はかねてから、「於岩稲荷」のことを聞いて知っていました。
お岩さんという女性が死んでからもう二百年がたっています。それなのに今でも江戸で根強い人気かあることに注目したのですね。人気のある「お岩」という名前を使って歌舞伎にすれば、大当たりは間違いない、と見当をつけた南北は台本書きに入ったのです。
お岩さんが皆が信心する様な善人では面白くありません。刺激の強い江戸の人間を呼ぶにはどぎついまでの脚色が必要だったのです。
鶴屋南北は「お岩稲荷」からは「お岩」の名前だけを拝借して、江戸で評判になったいろいろな事件を組み込みました。密通のため戸板に釘付けされた男女の死体が神田川に浮かんだことがあったので。よし、これを使おう。
主人殺しの罪で処刑された事件もあったので、あれも使える。
姦通の相手にはめられて殺された俳優がいたので、それも入れよう。
四谷左門町の田宮家には怨霊がいたことにしようと、江戸の人間なら、だれでも記憶にある事件を鶴屋南北の空想力で操り、脚本はできあがったのです。
しかし、四谷が舞台では露骨すぎます。「お岩」の名前だけ借りれば十分なので南北が付けた題名は「東海道四谷怪談」でした。
この題名で四谷の於岩稲荷とは無関係な創作であることを示すことにしたのです。
天才的な劇作家が虚実取り混ぜて創作したのが、お岩の怨霊劇だったのですね。
文政八年(1825)。江戸文化が最も華やかで、文化爛熟といわれた時代です。
寛政から始まった幽霊物の読み本が最盛期を迎えていました。
果たせるかな、歌舞伎は大当たりしました。お岩は三代目尾上菊五郎、伊右衛門は七代目市川団十郎の「東海道四谷怪談」は江戸中の話題をさらい、以来、お岩の役は尾上家の「お家芸」になったほどでした。歌舞伎がますます於岩稲荷に人気を煽ったのですね。
さらに、「東海道四谷怪談」に出演する役者は於岩稲荷に参拝していましたが、そのうちに上演前に参拝しなければ、病気になったり事故に遭ったりするという話になり、祟りだという話にまでなったのです。しかし、これは「東海道四谷怪談」は暗い場所で演じる上に、大がかりなからくりなどが用いられるので、怪我が多く、それが祟りと結びつけられたのだとされています。
「東海道四谷怪談」を手掛けては天下一品といわれた市川左団次から、「四谷まで毎度出かけていくのでは遠すぎる。是非とも新富座などの芝居小屋のそばに移転してほしい」という要望もあり、明治十二年(1879)の四谷左門町の火事で社殿が焼失したのを機会に、隅田川の畔にあった田宮家の屋敷内に移転しました。それが現在の中央区新川にある於岩稲荷神社で、四谷の於岩稲荷とまったく同体の神社です。その新川の社殿は昭和二十年(1945)の戦災で焼失しましたが、戦後、四谷の於岩稲荷ともども復活して、現在は二つの於岩稲荷があるのです
今回訪れた四谷の神社は、昭和27年(1952)四谷の旧社地に飛地境内社として再興されたものです。したがって、新川の社のほうが本社になるのですが、宮司さんも平素は四谷の社のほうにいらっしゃるようで、事実上、四谷のほうが本社のような感じになっています。
この四谷の神社は、田宮伊右衛門・お岩夫妻の子孫が代々の宮司を務めているとのことです。
現在は、十一代目の田宮均さんだそうです。
サービス精神が旺盛なために本当に大変長い前フリになりましてすみません。
如何ですか前述の通りお岩さんは貞女の鑑だったのですね。
これにはくりびつてんぎょのいたおどろ!でした。
今回訪問して別の意味で驚いたのは「於岩稲荷田宮神社」の宮司さんがとても親切だったことです。
次男がお守りを買いたいと申し入れたところ、本殿内部まで入れてくれてご神体へのお参りまでさせていただきました。
そこには「東海道四谷怪談」を上演する前の安全祈願に訪れた数多くの芸能人のお供え物が櫛比していました。
したがってそこで同様にお参りした私達の気分は、芸能人そのものでした(笑)
さらにお言葉までいただきありがとうございました。
一応この4枚を選びその内一枚を自分用、内一枚を奥様用に選び持って帰りました。
という事で今日から我が家は、家内安全、無病息災、開運の日々が続くという薔薇色の暮らしが始まります、ご利益(りやく)、ご利益(りやく)・・・
その後所用があり次男と別れた私は本郷に現れました。
という事で今日は前回年中無休だったのに社内研修で臨時休業だった「ビアンタ本郷」さんに再訪です。
住所: 東京都文京区本郷4-2-1 芙蓉堂ビル2F
電話:03-3816-5466
定休日:無休
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
メニューです。
本日のオーダー「渡り蟹のスパイシートマトソース+ケーキセット」@1,020+@520=1,540円です。
待つこと14分で到着です。
見た目美スパです。
それでは実食です。
ウン、これは美味しいですね。
渡り蟹のダシがしっかりと効いていています。
ちょっとhotな味わいも高評価です。
食べ進んでいくほどに渡り蟹のエッセンスがしっかり感じられて美味しさが増してきます。
折角ですので、上に乗っている渡り蟹を食して見ました。
意外でした、肉がギュッと詰まっています。
これはイケますネ。
大満足の一品です。
食後のティラミスです。
これはなんとvolumyな一品です。
マスカルポーネチーズは美味しいのですが、私の好みはもっとリキュールが効いたティラミスです。
ティラミスは大人のドルチェなので宜しくお願いしたいものです。
ということでマスカルポーネチーズの独壇場のティラミスでした。
でもそれなりに美味しかったですよ。
次男が卒論で「東海道四谷怪談」を書くというので四谷左門町にある「於岩稲荷田宮神社」に付き合いで一緒に行ってきました。正しく申せば次男のゼミでは「東海道四谷怪談」を卒論で取り上げる時には、この神社にお参りに行き、不吉なことがおこらないようにするのが不文律というと大仰ですが、要は暗黙の約束なのです。
私はこのblogで何度でも取り上げている通り筋金入りの墓マイラ―であります。
従ってお岩さんの墓がある妙行寺(みょうぎょうじ)にはすでに2回ほど訪れています。
妙行寺は都電荒川線(ちんちん電車)の新庚申塚駅と西ヶ原4丁目駅の間にある東京都豊島区西巣鴨四丁目にお墓があります。
さらにいえば作者の鶴屋南北の墓は実家の前にあります。それこそ1,000回以上は鶴屋南北の墓は見ています。
これも正しく言えば鶴屋南北の墓があった春慶寺は私の遊び場であり、地元の先輩の元巨人軍の王選手はこの境内にあった珠算塾に通っていたそうですよ。
今回訪れた「於岩稲荷田宮神社」は、鶴屋南北の傑作「東海道四谷怪談」の主人公、お岩さんゆかりの神社として知られています。
歌舞伎や演劇で四谷怪談を演じるときには、於岩稲荷に参拝しなければ祟りがあるという俗信は有名ですが、於岩稲荷に伝わる話はずいぶん違っています。
このお寺では、寺の境内の縁側にA4版の「お岩稲荷」の資料(copy)がおいてあります。
それによれば、お岩さんというのは怨霊とは無縁であるどころか、非常に健気な女性で、しかも夫婦仲は非常に円満であったとこのお寺の資料に書かれていました。
お岩さんという女性は幕府の御家人、田宮又左衛門の娘で、夫、田宮伊右衛門とは人もうらやむ仲のよい夫婦だったそうです。しかし、家は大変貧しかったので、家計を支えるため商家に奉公に出ました。お岩は日頃から田宮家の屋敷社(やしきがみ)を熱心に信仰しており、その甲斐あって、夫婦の蓄えも増え、田宮家はかつての盛んな時代に戻ることができたそうです。ということでお岩さんは貞女だったのですね。
寛永13年(1636)にお岩さんは亡くなりましたが、お岩さんの信仰によって田宮家が復活したという話は評判となり、近隣の人々は田宮家の屋敷社(やしきがみ)を於岩稲荷と呼んで信仰したのです。享保2年(1717)田宮家は屋敷神の隣に稲荷祠を建立しました。参拝を求める人が増えたので、屋敷を開放して参拝を許可することになり、以来、「於岩稲荷」、「大巌明神」、「四谷稲荷」、「左門町稲荷」などと呼ばれて、家内安全、無病息災、開運、さらに悪事や災難除けの神としてますます江戸の人気を集めるようになったのです。
つまりお岩さんという女性は怨霊のかけらもない人なのですね。
鶴屋南北はかねてから、「於岩稲荷」のことを聞いて知っていました。
お岩さんという女性が死んでからもう二百年がたっています。それなのに今でも江戸で根強い人気かあることに注目したのですね。人気のある「お岩」という名前を使って歌舞伎にすれば、大当たりは間違いない、と見当をつけた南北は台本書きに入ったのです。
お岩さんが皆が信心する様な善人では面白くありません。刺激の強い江戸の人間を呼ぶにはどぎついまでの脚色が必要だったのです。
鶴屋南北は「お岩稲荷」からは「お岩」の名前だけを拝借して、江戸で評判になったいろいろな事件を組み込みました。密通のため戸板に釘付けされた男女の死体が神田川に浮かんだことがあったので。よし、これを使おう。
主人殺しの罪で処刑された事件もあったので、あれも使える。
姦通の相手にはめられて殺された俳優がいたので、それも入れよう。
四谷左門町の田宮家には怨霊がいたことにしようと、江戸の人間なら、だれでも記憶にある事件を鶴屋南北の空想力で操り、脚本はできあがったのです。
しかし、四谷が舞台では露骨すぎます。「お岩」の名前だけ借りれば十分なので南北が付けた題名は「東海道四谷怪談」でした。
この題名で四谷の於岩稲荷とは無関係な創作であることを示すことにしたのです。
天才的な劇作家が虚実取り混ぜて創作したのが、お岩の怨霊劇だったのですね。
文政八年(1825)。江戸文化が最も華やかで、文化爛熟といわれた時代です。
寛政から始まった幽霊物の読み本が最盛期を迎えていました。
果たせるかな、歌舞伎は大当たりしました。お岩は三代目尾上菊五郎、伊右衛門は七代目市川団十郎の「東海道四谷怪談」は江戸中の話題をさらい、以来、お岩の役は尾上家の「お家芸」になったほどでした。歌舞伎がますます於岩稲荷に人気を煽ったのですね。
さらに、「東海道四谷怪談」に出演する役者は於岩稲荷に参拝していましたが、そのうちに上演前に参拝しなければ、病気になったり事故に遭ったりするという話になり、祟りだという話にまでなったのです。しかし、これは「東海道四谷怪談」は暗い場所で演じる上に、大がかりなからくりなどが用いられるので、怪我が多く、それが祟りと結びつけられたのだとされています。
「東海道四谷怪談」を手掛けては天下一品といわれた市川左団次から、「四谷まで毎度出かけていくのでは遠すぎる。是非とも新富座などの芝居小屋のそばに移転してほしい」という要望もあり、明治十二年(1879)の四谷左門町の火事で社殿が焼失したのを機会に、隅田川の畔にあった田宮家の屋敷内に移転しました。それが現在の中央区新川にある於岩稲荷神社で、四谷の於岩稲荷とまったく同体の神社です。その新川の社殿は昭和二十年(1945)の戦災で焼失しましたが、戦後、四谷の於岩稲荷ともども復活して、現在は二つの於岩稲荷があるのです
今回訪れた四谷の神社は、昭和27年(1952)四谷の旧社地に飛地境内社として再興されたものです。したがって、新川の社のほうが本社になるのですが、宮司さんも平素は四谷の社のほうにいらっしゃるようで、事実上、四谷のほうが本社のような感じになっています。
この四谷の神社は、田宮伊右衛門・お岩夫妻の子孫が代々の宮司を務めているとのことです。
現在は、十一代目の田宮均さんだそうです。
サービス精神が旺盛なために本当に大変長い前フリになりましてすみません。
如何ですか前述の通りお岩さんは貞女の鑑だったのですね。
これにはくりびつてんぎょのいたおどろ!でした。
今回訪問して別の意味で驚いたのは「於岩稲荷田宮神社」の宮司さんがとても親切だったことです。
次男がお守りを買いたいと申し入れたところ、本殿内部まで入れてくれてご神体へのお参りまでさせていただきました。
そこには「東海道四谷怪談」を上演する前の安全祈願に訪れた数多くの芸能人のお供え物が櫛比していました。
したがってそこで同様にお参りした私達の気分は、芸能人そのものでした(笑)
さらにお言葉までいただきありがとうございました。
一応この4枚を選びその内一枚を自分用、内一枚を奥様用に選び持って帰りました。
という事で今日から我が家は、家内安全、無病息災、開運の日々が続くという薔薇色の暮らしが始まります、ご利益(りやく)、ご利益(りやく)・・・
その後所用があり次男と別れた私は本郷に現れました。
という事で今日は前回年中無休だったのに社内研修で臨時休業だった「ビアンタ本郷」さんに再訪です。
住所: 東京都文京区本郷4-2-1 芙蓉堂ビル2F
電話:03-3816-5466
定休日:無休
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
メニューです。
本日のオーダー「渡り蟹のスパイシートマトソース+ケーキセット」@1,020+@520=1,540円です。
待つこと14分で到着です。
見た目美スパです。
それでは実食です。
ウン、これは美味しいですね。
渡り蟹のダシがしっかりと効いていています。
ちょっとhotな味わいも高評価です。
食べ進んでいくほどに渡り蟹のエッセンスがしっかり感じられて美味しさが増してきます。
折角ですので、上に乗っている渡り蟹を食して見ました。
意外でした、肉がギュッと詰まっています。
これはイケますネ。
大満足の一品です。
食後のティラミスです。
これはなんとvolumyな一品です。
マスカルポーネチーズは美味しいのですが、私の好みはもっとリキュールが効いたティラミスです。
ティラミスは大人のドルチェなので宜しくお願いしたいものです。
ということでマスカルポーネチーズの独壇場のティラミスでした。
でもそれなりに美味しかったですよ。