今日は「いんきん物語」です。
思春期でなりたくない病気に「いんきん」があります。
私にとって「いんきん」は中学、高校と剣道をやっていましたので宿命病でありました。
いつ発病するかはそれこそ「神のみぞ知る世界」でありまして、剣道部の中では、一人発病し、二人発病して徐々にその病は音もなく蔓延していくのでした。
どうしても発病しないtoughなフクロを持っている輩は、強烈な菌をもっているやつが自らの患部を自らの手でぐりぐりと触り、非感染者の部員に移していましたのでならない奴はいなかったのです。
なにか「アンネの日記」を彷彿させますね。違うか・・・
私もそのような部にいましたので当然の通過儀礼として2年生の時に罹患しました。
さすがにお年頃なので医者に行きその患部を見せるのはとてもとても恥ずかしく、当初はタムシチンキなど塗ってしのいでいたのですが、そのうち患部が悪化してきてとうとうジドジトする膿がでてくるようになってきたのです。
そのような状態ですので布団に入って身体が温まると患部が痒くて眠れません。
掻けば瞬間は気持ちいいのですが、その後は痛くて眠れないという、まさに無間地獄に陥っていたのです。
ある日妙案を思いつきました。夜中に患部を掻くので悪化するのであれば、掻かないような対処策を講じればいいのではないかという事になり、両手に軍手をはめ、その上から手から軍手が外れないようにガムテープでグルグル巻きにして寝たのです。
次の日朝起きると、頑丈にテーピングした軍手が外されているではありませんか、早速母親に、誰が僕の軍手外したの、余計なことしないでよ!と怒って言いますと、母親は、朝からバカなことをいうのじゃありません。誰があなたの軍手なんぞ外すものですか、と一笑に付されたのです。
私はこの事実を目の当りにして愕然となりました。
素人療法をこのまま続けていると、まだ結婚もしていないのに陰部が腐って朽ちてしまう。
このままでは駄目だ、と思った私は、意を決し地元では名医と呼ばれていた皮膚科の門を叩いたのです。
正直にいえばすぐにでもこの皮膚科に行きたかったのですが、この皮膚科の先生は女医でしたので、恥ずかしくて二の足を踏んでいた、というのが本当のところなのです。
診察室に呼ばれてしぶしぶと患部を見せましたら、先生はいきなり笑いだし、良くここまで我慢したわね、と言われたのです。
さら〜に、激しい運動のためにひどい「いんきん」になり、患部を見せるのが恥ずかしく、我慢に我慢を重ねてきたのだけれど、最後はどうにもならなくなり、いやいやここに来た学生は巨万(ごまん)といたけれど、ここまでひどいのはいなかったわよ。
お見事、やせ我慢将軍、金隠し(金閣寺)、とまでいわれたのでした。
これを正しく言うのであれば、金閣寺開祖・室町幕府3代将軍足利義満、と言うべきところであります。
女医先生は、歴史に関して不見識の様です、キッパリ。
結局薬局放送局で完治するまで半年かかかったのです。
それから 幾星霜、今では剣道の替わりにマラソンをしますので、3年に一回位の割合で軽度の「いんきん」になります。その時には日本皮膚科の中でも「いんきん」の権威の先生が処方された一子相伝の秘薬を持っていますので、それを塗れば二三日で治るのです。
今月マラソンクラブの記録会に出走した後、ひさびさに軽度の「いんきん」になりました。
例によって秘伝の軟膏を患部に塗りましたが、今回は治りません。
おまけに痛みと熱も加わってきました。
どうしたのでしょう、今回は秘伝の軟膏も効果をあらわすのではなくて、逆に痛みが徐々に増してきました。
勿論いかがわしい事など無縁でありますので、理由が皆目見当もつきません。
仕事も忙しい為、二週間ほどその痛みを我慢しましたが、本日土曜日でもあり、数年ぶりに地元で有名な皮膚科に行って受診したのです。
ちなみに一子相伝の秘薬を処方する先生の病院は「土曜日は休院」ですので、地元の皮膚科に行ったのでした。
診察室に行って、先生の指示通りに患部をみせますと、LEDのペンシルライトで患部を照らして確認するなり、▲▲さん、なんですぐにこなかったのですか。手遅れです、といきなり怒り始めたのです。
私は驚いて、先生、いわゆる「いんきん」でしょう。緊急性が無いと思ったのでこなかったのです、と言いましたら
先生は、誰が「いんきん」っていったのですか!
あなたの症状は帯状疱疹(ヘルペス)です。帯状疱疹はすぐに治療を始める事と安静にすることが大事なのです、とさら〜に怒られたのでした。
しか〜し帯状疱疹(ヘルペス)って、顔や胸などにできるもので、フクロにできるものではないと思っていましたので、その旨を先生に言いますと、この病気は体力やウィルスに対する抵抗力が落ちた時に、神経を通って皮膚にでてくるものなのです。したがいまして皮膚であればどこでもこの疱疹はでてきます。実際のあなたの症状も皮膚の上でしょう、ときっぱりと言われましたが、で〜もねであります・・・
政府は、50歳以上人は帯状疱疹の予防の目的で、水痘ワクチンを一回接種することを勧めています。
予防接種は水痘や帯状疱疹の既往の有無によらず全ての50歳以上人を対象としています。これは50歳以上の帯状疱疹は症状が重篤になり、神経通が残りやすいためだそうです。目にでましたらかなりやっかいですよ。
注意喚起申しあげます。ハイ、
Best Fails of the Week 2 February 2015
今日は小糠雨降る石神井公園に出没です。
石神井公園にある壇ふみ先輩のお宅は、道路拡張計画で立ち退かなければならないのに、高齢のお母様が石神井から出たくない、とのことで退去拒否しているようですね・・・
勿論あくまでも揣摩臆測の範疇であります。
今日のお店は、お父様・壇一雄(壇ふみ先輩の父上)宅に身を寄せていたお父様の友人の坂口安吾(無頼派作家の一人)さんの悪ふざけで約50人前ものライスカレーの出前を壇一雄宅に届けたというお店です。
今日のお店は「辰巳軒」さんです。
住所: 東京都練馬区石神井町3-17-20
電話:03-3996-0425
定休日: 木曜日
お店の外観です。
店内の雰囲気です
メニューです。
今日のオーダー「ポークソティー(並)+ご飯・スープ」@1,100+@200=1,300円です。
待つこと14分で「ポークソティー(並)+ご飯・スープ」の到着です。
見た目、洋食サンプルの様な輝きです。
それでは実食です。
どうみたってvolumy(和製英語)です。
どこからいただきましょうか(笑)
まずはポークソティーからです。
肉は意外に硬めですが、ウスターソースとケチャップの古典的こってりソースがうまくアシストしています。
トロリとした密度の濃い香気が口内に立ち込めます。
イケますね。昭和のポークソティーです。
白眉はシャキッとした野菜が美味しいです。
トマトは表皮をピーリングという小技を利かせています。
満足です。
セレブの街石神井公園に下町洋食の息吹が現存していることに大感激です。
満足の一品でした。
思春期でなりたくない病気に「いんきん」があります。
私にとって「いんきん」は中学、高校と剣道をやっていましたので宿命病でありました。
いつ発病するかはそれこそ「神のみぞ知る世界」でありまして、剣道部の中では、一人発病し、二人発病して徐々にその病は音もなく蔓延していくのでした。
どうしても発病しないtoughなフクロを持っている輩は、強烈な菌をもっているやつが自らの患部を自らの手でぐりぐりと触り、非感染者の部員に移していましたのでならない奴はいなかったのです。
なにか「アンネの日記」を彷彿させますね。違うか・・・
私もそのような部にいましたので当然の通過儀礼として2年生の時に罹患しました。
さすがにお年頃なので医者に行きその患部を見せるのはとてもとても恥ずかしく、当初はタムシチンキなど塗ってしのいでいたのですが、そのうち患部が悪化してきてとうとうジドジトする膿がでてくるようになってきたのです。
そのような状態ですので布団に入って身体が温まると患部が痒くて眠れません。
掻けば瞬間は気持ちいいのですが、その後は痛くて眠れないという、まさに無間地獄に陥っていたのです。
ある日妙案を思いつきました。夜中に患部を掻くので悪化するのであれば、掻かないような対処策を講じればいいのではないかという事になり、両手に軍手をはめ、その上から手から軍手が外れないようにガムテープでグルグル巻きにして寝たのです。
次の日朝起きると、頑丈にテーピングした軍手が外されているではありませんか、早速母親に、誰が僕の軍手外したの、余計なことしないでよ!と怒って言いますと、母親は、朝からバカなことをいうのじゃありません。誰があなたの軍手なんぞ外すものですか、と一笑に付されたのです。
私はこの事実を目の当りにして愕然となりました。
素人療法をこのまま続けていると、まだ結婚もしていないのに陰部が腐って朽ちてしまう。
このままでは駄目だ、と思った私は、意を決し地元では名医と呼ばれていた皮膚科の門を叩いたのです。
正直にいえばすぐにでもこの皮膚科に行きたかったのですが、この皮膚科の先生は女医でしたので、恥ずかしくて二の足を踏んでいた、というのが本当のところなのです。
診察室に呼ばれてしぶしぶと患部を見せましたら、先生はいきなり笑いだし、良くここまで我慢したわね、と言われたのです。
さら〜に、激しい運動のためにひどい「いんきん」になり、患部を見せるのが恥ずかしく、我慢に我慢を重ねてきたのだけれど、最後はどうにもならなくなり、いやいやここに来た学生は巨万(ごまん)といたけれど、ここまでひどいのはいなかったわよ。
お見事、やせ我慢将軍、金隠し(金閣寺)、とまでいわれたのでした。
これを正しく言うのであれば、金閣寺開祖・室町幕府3代将軍足利義満、と言うべきところであります。
女医先生は、歴史に関して不見識の様です、キッパリ。
結局薬局放送局で完治するまで半年かかかったのです。
それから 幾星霜、今では剣道の替わりにマラソンをしますので、3年に一回位の割合で軽度の「いんきん」になります。その時には日本皮膚科の中でも「いんきん」の権威の先生が処方された一子相伝の秘薬を持っていますので、それを塗れば二三日で治るのです。
今月マラソンクラブの記録会に出走した後、ひさびさに軽度の「いんきん」になりました。
例によって秘伝の軟膏を患部に塗りましたが、今回は治りません。
おまけに痛みと熱も加わってきました。
どうしたのでしょう、今回は秘伝の軟膏も効果をあらわすのではなくて、逆に痛みが徐々に増してきました。
勿論いかがわしい事など無縁でありますので、理由が皆目見当もつきません。
仕事も忙しい為、二週間ほどその痛みを我慢しましたが、本日土曜日でもあり、数年ぶりに地元で有名な皮膚科に行って受診したのです。
ちなみに一子相伝の秘薬を処方する先生の病院は「土曜日は休院」ですので、地元の皮膚科に行ったのでした。
診察室に行って、先生の指示通りに患部をみせますと、LEDのペンシルライトで患部を照らして確認するなり、▲▲さん、なんですぐにこなかったのですか。手遅れです、といきなり怒り始めたのです。
私は驚いて、先生、いわゆる「いんきん」でしょう。緊急性が無いと思ったのでこなかったのです、と言いましたら
先生は、誰が「いんきん」っていったのですか!
あなたの症状は帯状疱疹(ヘルペス)です。帯状疱疹はすぐに治療を始める事と安静にすることが大事なのです、とさら〜に怒られたのでした。
しか〜し帯状疱疹(ヘルペス)って、顔や胸などにできるもので、フクロにできるものではないと思っていましたので、その旨を先生に言いますと、この病気は体力やウィルスに対する抵抗力が落ちた時に、神経を通って皮膚にでてくるものなのです。したがいまして皮膚であればどこでもこの疱疹はでてきます。実際のあなたの症状も皮膚の上でしょう、ときっぱりと言われましたが、で〜もねであります・・・
政府は、50歳以上人は帯状疱疹の予防の目的で、水痘ワクチンを一回接種することを勧めています。
予防接種は水痘や帯状疱疹の既往の有無によらず全ての50歳以上人を対象としています。これは50歳以上の帯状疱疹は症状が重篤になり、神経通が残りやすいためだそうです。目にでましたらかなりやっかいですよ。
注意喚起申しあげます。ハイ、
Best Fails of the Week 2 February 2015
今日は小糠雨降る石神井公園に出没です。
石神井公園にある壇ふみ先輩のお宅は、道路拡張計画で立ち退かなければならないのに、高齢のお母様が石神井から出たくない、とのことで退去拒否しているようですね・・・
勿論あくまでも揣摩臆測の範疇であります。
今日のお店は、お父様・壇一雄(壇ふみ先輩の父上)宅に身を寄せていたお父様の友人の坂口安吾(無頼派作家の一人)さんの悪ふざけで約50人前ものライスカレーの出前を壇一雄宅に届けたというお店です。
今日のお店は「辰巳軒」さんです。
住所: 東京都練馬区石神井町3-17-20
電話:03-3996-0425
定休日: 木曜日
お店の外観です。
店内の雰囲気です
メニューです。
今日のオーダー「ポークソティー(並)+ご飯・スープ」@1,100+@200=1,300円です。
待つこと14分で「ポークソティー(並)+ご飯・スープ」の到着です。
見た目、洋食サンプルの様な輝きです。
それでは実食です。
どうみたってvolumy(和製英語)です。
どこからいただきましょうか(笑)
まずはポークソティーからです。
肉は意外に硬めですが、ウスターソースとケチャップの古典的こってりソースがうまくアシストしています。
トロリとした密度の濃い香気が口内に立ち込めます。
イケますね。昭和のポークソティーです。
白眉はシャキッとした野菜が美味しいです。
トマトは表皮をピーリングという小技を利かせています。
満足です。
セレブの街石神井公園に下町洋食の息吹が現存していることに大感激です。
満足の一品でした。