下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

広島県

Good bye 2016❣

今日は「Wishing you all the best for 2017❣」です。
2016年も後残すところ16時間になりました。
まさに「光陰矢の如し」であります。
今年を振り返えってみましたら、今年もよく旅行をしていました。
そこでオムニバスですがこの一年間を紹介して今年を締めさせていただきます。

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英語がしゃべれないので海外旅行をヘジっていた奥様ですが、なぜか「台湾に行きタイワン」という事となり台湾に行きました。台湾は、Tourist-friendlyの国で沢山の良い思い出ができました。

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奥様はもう行かないと言っていたのに19回目の春の京都に行きました。
今年の桜はきれいでした。

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倉敷、尾道、安芸の宮島、広島原爆ドームに行きました。
原爆の惨劇には心が痛みました。
NO MORE WAR❣であります。
原爆の日に海外のSNSの友人に宛てたメールを紹介します。
その日の私の心象風景であります。
あまりウマい英語ではないのですが、意味は通じていたようです・・・
While Japanese war situation was predominantly disadvantageous, United States of America had three options as second word war ended.
1. Japan’s mainland landing operation.
2. Request the Soviet Union to join them to end this war.
3. A guarantee of continuation of the Emperor system over Japan.
Under this circumstance, if they can end this war by using the atomic bomb, they limit the chance of the Soviet Union spreading after the war.
And they can justify a massive amount of atomic bomb’s development expenses for the country.
What defined Hiroshima as the first aim, was because they thought that there were no the prisoners' camp among aimed cities (Hiroshima, Kokura, Niigata, and Nagasaki).
As a result, the holy lives of approximately 140,000 people were lost by the end of December, 1945.
70 years passed and atomic bombs victims’ include people from third and fourth generation in Hiroshima. And it is difficult to perpetuate memories regarding this event.
Particularly, young persons tend to tell that they do not understand meaning of the war, including atomic bomb.I believe we have to pass down the memory of bomb victims who took great pain for the next generations.
It would protect us from nuclear calamity.

日本の戦況が圧倒的に不利な中、アメリカは戦争終結手段として、日本本土上陸作戦、ソ連への対日参戦の要請、天皇制存続の保証、原爆の使用という選択肢がありました。
こうした状況の下、原爆投下により戦争を終結する事ができれば、戦後ソ連の影響力が広がるのを避けられ、また膨大な経費を使った原爆開発を国内向けに正当化できるとも考えたのだそうです。
広島を第一目標としたのは、目標都市(広島、小倉、新潟、長崎)の中で唯一、連合国軍の捕虜収容所がないと思ったためです。
いずれにしても1945年12月末までに約14万人の尊い命が失われたのです。
戦後70年経て、当地広島でも被爆者の方々も第三世代から第四世代に入り、戦争そのものが風化しています。
特に若い人からは、原爆のこと、戦争のことはわからない、との発言が多くなっています。
個人的には非常な苦痛を被った被爆者達の記憶を後世に伝える事が、核の破滅から私たちを守ってくれる事だと信じています。

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夏には伊豆に泳ぎに行き、宿泊したホテルで疑似食中毒となり散々な目にあいました。
プールで死ぬほど泳ごうという事になっていたのですがわずか100Mしか泳げず、大ショックを受けました。

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秋には神戸と20回目の京都に行きました。
京都には伊藤若冲展を観にいったのですが、その筆致の素晴らしさには感動しました。

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年末には家族が増えました。
今年はこれが最大の快事であります。
家族が増えるのはうれしい事です。

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個人的にはよく勉強しました。
ある国家資格を取ろうと刻苦奮闘の努力をしました。
来年はそのXデイがやってきます。
さらに精進しましょう。
いよいよそれなりの年が近づいてきました。
人生の最終章は、奥深く、味わいにあふれ且精神的に贅沢な生活になろうかと思います。
いまだに未開の地平を開拓していくような、そんな意気込みで新年を迎えようと思います。

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Wishing you all the best for 2017❣ 
2017年が皆様にとって最善の1年になりますように祈っております。
よいお年をお迎えください。
来年もよろしくお願い致します。

Good bye 2016❣

広島 むすび むさし

今日は「センチメンタルジャーニー 其の四」です。
今回の旅行の地は大学の頃、友人と行った観光名所なのですが、休憩してはちょっと飲み、休憩してはちょっと飲みで、旅行しましたという思い出は残ったものの、ほとんど酔っていて記憶に残っておりませんでした。
そこで今回はそのリベンジということで奥様を誘い「安芸の宮島・厳島神社と原爆ドームと平和記念公園二日間」という旅行に参加しました。
今日は二日目です。
今日は平和記念公園です。
ここは二回目の見参です。
しか〜し前回の時、原爆ドームは改修中でしたので、ただ車で通る時にその存在を確認しただけです。
宜しかったらお付き合いください。

#原爆ドーム
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原爆ドームは、1945年(昭和20年)8月6日、爆心地からわずか160メートルの至近距離で被爆しました。
ほぼ真上から爆風が到達したため、建物の壁の一部は崩壊を免れたそうです。
原爆炸裂後の1秒以内には3階建ての本体部分がほぼ全壊、という凄まじい威力を物語っています。
ドームが全壊しなかったのは、衝撃波を受けた方向が真上だったことの他に、窓が多いために爆風が窓から吹き抜けた、ドーム部分の構成材が銅板であった事等の要因が重なったことが理由に挙げられています。
補足しますと、銅は鉄に比べて融点が低いため、爆風到達前の熱線により屋根が融解し、爆風が通過しやすくなったようです。
しか〜し建物内で勤務していた内務省(建設省)職員ら約30名は、爆発に伴う大量放射線被曝や熱線・爆風により全員即死したと推定されています。
実は非常識なのですが、私はこのドームに入場ができて、中に資料館があると今日の今日まで思っていたのです。今回の来広で自らの不明が正されて良かったと思っています。

#千羽鶴
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爆心地から北方約2キロメートルの広島市内三篠町の自宅 で2歳のとき被爆した広島の小学6年生の少女佐々木禎子さんは、1955年2月に急性リンパ腺白血病と診断されて、広島赤十字病院に入院しました。
その禎子さんは、千羽鶴を折れば、願いが届くと祈りながら鶴を折り始めましたが、願いもむなしく55年10月25日原爆症で12歳の人生を閉じました。
禎子さんは644枚を折りあげて亡くなり、残りの356枚は彼女の同級生によって折られ、彼女と一緒に埋葬されました。
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爾後、多くの方が千羽鶴を折り「原爆の子の像」に自由に捧げることができるようになったようです。
一時期その千羽鶴は焼却処理をされていたのですが、現在では再生紙(絵葉書)として利用されています。

#平和の火
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水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和を希求するために作られました。
台座は、手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形を表現しているそうです。
ちなみにこの炎は、世界中から原爆が無くなった日に消えることになっています。
世界の国から核爆弾が無くなる日はいつでしょうか・・・

#原爆死没者慰霊碑
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世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を、平和都市として再建することを念願して建立されたこの碑は、東京大学教授(当時)丹下健三さんが設計したものです。
原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちから、屋根の部分がはにわの家型をしています。
碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文がきざまれており、中央の石室には、国内外を問わず、亡くなった原爆被爆者の名前を記帳した原爆死没者名簿が納められています。
名簿は関係者の申し出により書き加えられ、平成27年(2015年)8月6日現在で、109冊(297,684人の名前が記帳された108冊と「氏名不詳者多数」と記された1冊)になっています。
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2016年5月27日、オバマ大統領が、現職米大統領として初めて被爆地・広島を訪問しました。
平和記念資料館を見学した後に原爆死没者慰霊碑に献花されました。当初の予定では数分と言われていたにもかかわらず、17分に渡って語られたその素晴らしいスピーチは、私たちの心を強く揺さぶりました。
そして被爆者の森重昭さんをしっかりと抱き寄せたシーンは、多くの人の 胸を打ち、思わず涙してしまった人も多かった事でしょう。

#広島平和記念資料館
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広島平和記念資料館は、原子爆弾による被害の実相を世界中の人々に伝え、ヒロシマの心である核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与することを目的に、1955年(昭和30年)に開館したのです。
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島は世界で初めて原子爆弾による被害を受けました。
まちはほとんどが破壊され、多くの人々の生命が奪われました。
かろうじて生き残った人も、心と体に大きな痛手を受け、多くの被爆者が今なお苦しんでいます。
平和記念資料館は、東館・本館からなり、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料を収集・展示するとともに、広島の被爆前後の歩みや核時代の状況などについて紹介しています。
実はここも始めてだったのです。
時間の関係で中はじっくりと見られなかったのですが雰囲気だけで心が押しつぶされました。

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爆心地です。

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この画像はガイドさんが是非見てくれといったものです。
これは朝炊いたご飯が熱風によって炭化したものです。

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オバマ大統領のメッセージと自らが折った千羽鶴です。
私はガイドさんに、オバマ大統領のスピーチは素晴らしかったが広島に対する謝罪がない、と申しましたら、アメリカの大統領ですからあそこまでがギリギリだったのでしょう。
広島市民としては、アメリカが広島原爆投下に対してしっかりと向き合ってくれただけで由としますよ、と優しく答えていたのが意外でした。

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1955年(昭和30年)には丹下健三さんの設計による広島平和記念公園(平和公園)が完成しました。
この公園は、原爆ドームを北の起点として平和の火・原爆死没者慰霊碑・広島平和記念資料館が南北方向に一直線上に位置するよう設計されており、原爆ドームをシンボルとして際立たせる意図があったようです。

日本の戦況が圧倒的に不利な中、アメリカは戦争終結手段として、日本本土上陸作戦、ソ連への対日参戦の要請、天皇制存続の保証、原爆の使用という選択肢がありました。
こうした状況の下、原爆投下により戦争を終結する事ができれば、戦後ソ連の影響力が広がるのを避けられ、また膨大な経費を使った原爆開発を国内向けに正当化できるとも考えたのだそうです。
広島を第一目標としたのは、目標都市(広島、小倉、新潟、長崎)の中で唯一、連合国軍の捕虜収容所がないと思ったためです。
いずれにしても1945年12月末までに約14万人の尊い命が失われたのです。
戦後70年経て、当地広島でも被爆者の方々も第三世代から第四世代に入り、戦争そのものが風化しています。
特に若い人からは、原爆のこと、戦争のことはわからない、との発言が多くなっています。
個人的には非常な苦痛を被った被爆者達の記憶を後世に伝える事が、核の破滅から私たちを守ってくれる事だと信じています。
人類の過去の記録に向き合う事で、未来が広がる事を祈りましょう。
そしてある被爆者の方が言われていた、辛い時には笑顔でふるまうのだ、が心に深く突き刺さりました・・・
最後に亡くなれた無辜(むこ)の被爆者の方々に合掌・・・


一応B級グルメブログなので食べ物の話を・・・
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平和記念公園を後にしました私たちは一路広島駅に向かいました。
そこでお弁当とお土産を買いました。
今日のお店は「むすび むさし」新幹線店さんです。

住所: 広島県広島市南区松原町1-2 広島新幹線名店街
電話:082-261-0634
定休日:無休

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お店の外観です。

今回のお弁当は「清盛むすび」@1,000円です。
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ご飯は銀シャリの大きなむすびが2つ入っています。
おかずには煮物や揚げ物、酢の物が入っています。
そしてなんと広島名物「もみじ饅頭」が入っていいます。
小鰯の天ぷらや、定番の蓮根の煮物、濃い味付けのこんにゃく等定番のメニューも入っていて充実度満載です。
味ですか、小鰯の天ぷらが魚臭くていけません。
名物の銀シャリの大きなむすびは美味しいですね。
個人的には小鰯の天ぷらの代わりに唐揚げにすればよかったのにと思いました。
まぁ、広島名物じゃけん、食べてきんさい的な観光名物的お弁当でしょう。
まずまずのお味でしたよ(笑)
広島一のお弁当を食べられてプチ満足でした。

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ということで広島からは最終の新幹線に乗り、帰宅したのは0時近くでした。
今回は私の思い出巡り旅でしたが期待をはるかに超えたものでした。
特に今まで広島平和記念公園に行ってなかったのは、私のモラル・バックボーン(道義的脊髄)を脆弱にしていました。今回の旅行で私の長年の宿痾(しゅくあ)が寛解(かんかい)したような気持ちになりました・・・

それでは(^_-)

宮島 桜まる

今日は「センチメンタルジャーニー 其の参」です。
今回の旅行の地は大学の頃、友人と行った観光名所なのですが、休憩してはちょっと飲み、休憩してはちょっと飲みで、旅行しましたという思い出は残ったものの、ほとんど酔っていて記憶に残っておりませんでした。
そこで今回はそのリベンジということで奥様を誘い「安芸の宮島・厳島神社と原爆ドームと平和記念公園二日間」という旅行に参加しました。
今日は二日目です。
今日は世界文化遺産の宮島です。
ここは二回目の見参です。
宜しかったらお付き合いください。

#大鳥居の謎
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大鳥居は台風銀座の瀬戸内海にぽつねんと建っているのになぜ倒れないのでしょうか。
以下は観光ガイドさんの説明を文字起こししたものです。
実はこの大鳥居の根元は海底深く埋められているわけではなく、自分の重みだけで建っているのです。
それなのに台風や地震がきてもびくともせず、動いたり、倒れたりしないのはなぜでしょうか。
その秘密の1つは鳥居上部の島木は箱形の造りで、中にこぶし大の玉石約7トンを詰めて「おもし」にしているからです。また主柱・袖柱あわせて安定感のある6本足とし、柱と屋根の交差する部分には特殊な造りのクサビがほどこされて、柱と屋根の動きやひずみなどを自然に吸収しているのです。
海底部分は松材の杭を打って地盤を強化したうえで、その上に布石を並べて基礎の代わりとしています。
まさに先人の知恵のたまものなのです。
数百年前にこれだけの仕掛けを行っているわけですから、改めて驚かされます。
大鳥居の高さは約16メートル、主柱の周囲は約10メートルもあり、しかもクスの自然木です。
クスの木は、腐りにくく虫に強いためです。
昭和25年に水に浸かる下の部分が新しいクスの木に取り替えられましたが、その巨大なクスの木を運んだ貨車がトンネルの入り口で立ち往生したというエピソードもあったそうですよ。
次代は宮島産のクスの木を使おうと、地元の人たちによってクスの木が植林されています。
行った時間が干潮でしたので歩いて大鳥居の脇まで行けました。
前回来た時の大鳥居は水に漬かっていたので、友人と私は麦の水に漬かっていました。
今回はなんていう僥倖でしょう。
一生の思い出です。

#厳島神社
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嚴島神社は海を敷地とした大胆で独創的な配置構成、平安時代の寝殿造りの粋を極めた建築美で知られる日本屈指の名社です。廻廊で結ばれた朱塗りの社殿は、潮が満ちてくるとあたかも海に浮かんでいるようです。
ちなみにこの神社は、平清盛が一族の繁栄を祈って建てたもので、島全体を神として信仰したことによって栄えたといわれています。
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海上に建ち並ぶ美しい建造物群は、平安時代の住宅建築様式・寝殿造りを取り入れたもので、背後の弥山の緑や瀬戸の海の青とのコントラストはまるで竜宮城を思わせる美しさです。

#宮島表参道商店街
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店頭では、焼きがき、揚げもみじ、ソフトクリームなど食べ歩きにぴったりなグルメもいっぱいで見ていて飽きません。

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このお店は日本三景のひとつ本場宮島のもみじまんじゅう製造直売の「だいこん屋」さんです。
店主が錦鯉飼育者で全国大会にも優勝しています。
ちなみに池の鯉の値段は一匹2,000万円とか、奥様は一匹5,000万円って聞いていたみたいです。
要はこのお店は、もみじ饅頭での収益がほとんど錦鯉になっているという、万物流転の法則を地でいってたのでした。

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表参道商店街の一角にある、長さ7.7m、最大幅2.7m、重さ2.5tの世界一の大杓子です。
伝統工芸である宮島細工を後世に遺すとともに、杓子発祥の地である宮島のシンボルとして、樹齢270年のケヤキで2年10ヶ月の歳月をかけて制作されたそうです。
大きさに圧倒されると同時に「幸せを召し取る」と縁起がいい杓子です。
見ているだけで圧倒されます。
この大杓子の盛り付けは、一体何杯分の椀量になるのでせうか・・・

#しかと鹿をみる
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この島は沢山の鹿が生息しています。
従いまして普通に鹿が歩いています。
土産物店が並ぶ通りにも、たくさんの鹿が悠然と歩く姿が見受けられます。
観光客が健康に良くないエサを与えたり、ゴミを飲み込んだりするため、人からの餌やりを禁止しされており、今では山へ還すような方針がとられています。
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しか〜しこの観光写真屋さんの鹿は完璧に餌付けされており、写真撮影で人が集まると、それまでじゃれあっていたのが、きれいに左45度に向き、等間隔で立ってポーズを決めます。
これには笑えました。

#人並みでない人をみる
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この島には鹿以外にも変な人が生息しています。
で〜もかなりの人気者で観光客が殺到して皆で記念写真を撮っていました。
日本は平和であります。


という事でランチです。
広島にきたんじゃけん。
お昼は「お好み焼き」です。
ちなみに広島では「広島焼き」を「広島焼き」と言わずに普通に「お好み焼き」で、関西風のお好み焼きは「まぜ焼き」というそうです。
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最初はこれらのお店を選んだのですが、妙に観光ズレしていて敬遠しました。
今日のお店は「桜まる」さんです。

住所: 広島県廿日市市宮島町510-2
電話:080-5232-3960
定休日:水曜日(たまに金曜日)

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

今日のオーダー
私は「牡蠣お好み焼き」@1,250円
奥様は「お好み焼き(小さめ)」@750円
二人でシェアした「かきガーリックチーズ」@700円
です。

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ご存知「オタフクソース」です。

待つこと10分で皆揃いました。
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見た目美味しそうです。
それでは実食です。
お好み焼きは美味しいですね。
キャベツ甘しです。
細めんの焼きそばも結構な味わいです。
麺の焦がし方もいいですね。
やはりオタフクソースの存在は大きいです。
もんじゃもそうですがキャベツが美味しければ炭水化物系焼き物は美味しいのです。
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白眉は「かきガーリックチーズ」です。
牡蠣がプリンプリンしています。
チーズと牡蠣の相性が良いのが体験できました。
お店の娘さん達は美人で親切です。
近くにあったらちょこちょこ行きたいお店です。
満足なランチでした。

それでは(^_-)

宮島 藤い屋

今日は「センチメンタルジャーニー 其の弐」です。
今回の旅行の地は大学の頃、友人と行った観光名所なのですが、休憩してはちょっと飲み、休憩してはちょっと飲みで、旅行しましたという思い出は残ったものの、ほとんど酔っていて記憶に残っておりませんでした。
そこで今回はそのリベンジということで奥様を誘い「安芸の宮島・厳島神社と原爆ドームと平和記念公園二日間」という旅行に参加しました。
今日は二日目です。
今日は尾道です。
ご当地は初見参であります。
宜しかったらお付き合いください。

#尾道
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広島県の尾道は、前方に海、背後に山を控えた瀬戸内海の小京都で、海上交通の要衝として栄えてきました。
港が拓かれたのは平安時代の末、およそ800年前のことです。
戦災を免れた町には、由緒ある寺や趣深い通りが残っています。
山の斜面に建てられた寺は20以上、麓から山肌を縫うように走る坂道を辿ると、必ず寺に行き着きます。
結構肉寺(繁盛しているお寺)が多く、多いところでは2,000家もの檀家を有すようです。
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明治21年、神戸から下関までの鉄道(山陽本線)建設が始まります。
尾道市内の区間は明治24年に開通しますが、これにより、尾道三山の中腹にある寺院の参詣路が分断され、線路敷きにあった多数の家屋が立ち退きを余儀なくされました。
鉄道の敷設は、まさに平野部(海の手)と山麓部(山の手)線引きすることとなり、立ち退いた家屋は山側に移転し、それまで古刹が伽藍を広げる神聖な地であった山麓部の中腹には、移転民家が立ち並ぶこととなりました。
時代とともに寺院信仰が薄れていく中で、移転民家の建設が契機となり、豪商達が先を争うように山手に「茶園」と呼ばれる別荘建設を行うようになります。
加えて、船を住居とする海上生活者達も漁業不振も相俟って現代生活への移行を始めそれも民家ラッシュの後押しをしたようです。
これが、「坂の町」尾道の始まりとなるそうです。

恋人の聖地碑
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千光寺公園展望台は、恋人の聖地に認定され、頂上の展望台から見る夜景は夜景100選にも選ばれている場所です。ここは地元の人でも夜景のメッカとして知られているので、デートで訪れる人が多くいるそうですが白昼の明るさの中では気恥ずかしい「聖地」でありましょう。

頂上展望台
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ここからは美しい尾道の町をパノラマで見渡すことができます。
眼下に見える尾道水道は尾道と向島に挟まれた緩衝地帯で台風の被害が少ない事から20数社に及ぶ造船会社が点在していてそれを鳥瞰できます。

文学のこみち
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文学のこみちには、点々と続く自然石に刻まれた25の文学碑があります。
千光寺公園の山頂からつづく尾道ゆかりの作家、詩人の名作がつづる静かな散歩道です。
彼らが愛した尾道の風景、そこに住む人々の心が、刻まれた詩歌の中から聞こえてきます。

千光寺
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大同元年(806)、弘法大師の開基とされる真言宗のお寺です。
千光寺山の中腹に位置し、尾道を代表する観光地「千光寺公園」はこのお寺を中心に整備されています。

千光寺公園の奇岩
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灯台代わりの鏡岩、奇岩「三重岩」等この千光寺公園は奇岩の名所です。
先ほど紹介した「文学のこみち」もすべて山中にある自然石で作られているのです。

映画のロケ地
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尾道は地元の大林宣彦監督の尾道三部作、小林聡美、尾美としのり主演「転校生」(1982年)、原田知世主演「時をかける少女」(1983年)、富田靖子主演「さびしんぼう」(1985年)等の作品のロケ地として有名です。
今回ツアーなので仕方なかったのですが、「タイムトラベラー」のケン・ソゴルとすれ違いたかったなぁ・・・

松ぼっくり
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松の語源は松が神様をマツ(祭)るあらたかな樹だからとか、神様が下りてくるのをマツ(待つ)からとかなんと20以上の諸説が上げられているそうですが・・・
実は松の実を見たのは生まれて初めてなのです。
マジに感動しました!

ボランティアガイド
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今回の尾道はボランティア活動の人達が説明してくれました。
私はボランティアではありますが無償とは思っていませんでしたが・・・
実は、彼らの報酬は約50分でなななんと4,000円だったのです。
時給5,000円ですか。
プチあこがれます!

ということで尾道を後にした私たちが向かったのは安芸の宮島です。
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ここからは船で移動です。
約10分位で宮島に着きました。
着きましたら小休憩です。
私たちがブレイクしたのはこのお店です。
今日のお店は「藤い屋」宮島本店さんです。

住所: 広島県廿日市市宮島町幸町東浜1129
電話:0829-44-2221
定休日:無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

今日のオーダー
抹茶@520円
珈琲@480円
冷やしぜんざい@670円

待つこと7分ですべてが整いました。
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実はここの餡が秀逸という事で参りました。
そもそももみじ饅頭のつぶ餡は、昭和初期、高松宮宣仁親王が厳島を訪問した際、所望したのがきっかけで誕生したと言われていますので、ご当地のつぶ餡がまずいわけがなく、さら〜にこのお店はもみじ饅頭の絶巓だそうです。
確かにこの小豆は美味しいです。
豆が良いのでしょう。
甘さ控え目で豆の美味しさを前面にだす、これが私の好きなつぶ餡です。
下調べしておいてよかったです。
値段は高いような気がしましたが観光地の割にはリーズナブルな値付けでしょう。
満足の甘味でした。

それでは(^_-)
訪問者数

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