下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

福島県

郡山 イタリアンダイニング

坂本龍馬は何をした人?
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司馬史観で拡散していた龍馬の存在が希釈しています。
かく言う私も司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」で坂本竜馬を知りました。
あんなに劇的な事が絶えず起きるものオカシイとは思います。
これは司馬先生のストーリーテーラー(筋立ての巧みな作家)としての力量のもので、ついつい皆がその世界に入りこんでしまったのです。
個人的には龍馬が大政奉還を目指したのは、国内の経済的な疲弊を鑑みると、武力討幕は極力避けるべきである考えていたからです。
龍馬は、戦争をすれば、それだけ国力を浪費するし、幕府側、反幕府側、双方で人材や生活インフラが大量になくなりますので、新しい国家建設を行う上では回避すべきと考えていたのでしょう。
また内戦が長引けば、1840年のアヘン戦争以来国が混乱し、1851年には国家規模的の内乱である太平天国の乱がおきた清国のようになります。
情報収集に長けていた龍馬は当然ことながらこのような悪しき前例は知っており、内戦を起こさずに、幕府に変わる新政権の樹立を考えていたのでしょう
実際の明治維新は、すでに幕藩体制が終焉し、挙国一致で近代化を進めようとしていたにもかかわらず、主導権を握りたい薩摩藩や長州藩、一部の公卿が強引に起こしたものであり、その権威を誇示したいがために東北戦争では多くの血がながされたのであります。
戦争はカネがかかるものと商家育ちの龍馬は皮膚感覚でわかっていて、そこには佐幕とか勤王というような濃厚な政治思想は無かったのでしょう。
実際、鳥羽・伏見の戦いで勝利した官軍は、勝利したのだからすぐに幕府軍のいる江戸に向かうべきだったのですが、遠征費用が捻出できず、その費用を調達するために1カ月も京都で足踏みをしていたわけです。
要は官軍には龍馬のように軍事費迄は頭が廻らなかったのであります。
那辺は西郷・大久保の限界でしょう。
このような経済問題は、生前の龍馬が新政府に招聘した由利公正が活躍するのです。
「竜馬がゆく」での由利は、一陣の風で懐にあった竜馬からもらった写真が吹き飛ばされて、竜馬の前途に暗い暗雲が立ち込めたと感じたと言っていた人物です。
実際、彼の予感は当たりそれからしばらくして龍馬は殺されたのであります。
その由利は、資金集めに公債を発行し、三井、小野、島田の商人たちに金を出させて、300万両(6,000億円)を集めようとしました。満額を集めることはできなかったものの、取り敢えず当座の費用を徴収できたので、官軍は進撃を開始したのです。
さら〜に、由利は「太政官札」を発行して、新政府の財政危機の急場をしのぎ、最終的には4,800万両(10兆円)の太政官札を発行するまでに至ったのであります。
このような由利との交友があった龍馬は、精神論や主義主張な面ばかりに偏重していた当時の志士たちの中で稀有な存在でありました。
倒幕運動をするにあたっても、龍馬はつねに軍資金の事を考えていました。
その結果、龍馬は明治維新直前に殺されていたにも関わらず、官軍の軍費を彼が賄っていた部分が散見されていました。
それどころか、明治後の財政、金融においても、龍馬は布石を打っていたのでした、
明治政府が維新の大混乱の中で、財政破綻に陥ることなく、速やかに安定をもたらす事ができたのも、龍馬の功績があったからなのでしょう。


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今日は野暮用で郡山に出没しました。
折角ですので、明治のはじめ、灌漑用の池として造成された五十鈴湖を中心に都市公園として整備された郡山一広い開成山公園のバラ園に立ち寄りました。

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その後ランチです。
今日のお店は「イタリアンダイニング」郡山店さんです。

住所: 福島県郡山市開成2-30-10
電話: 024-927-8088
定休日:無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

今日のオーダー「ランチセット+蜂蜜」@1,000+@100=1,100円です。
店内はジモティーで混んでいます。
ピッツアを焼く石窯があります。

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座るやいなやサラダが到着しました。
野菜がシャキシャキしています。
ドレッシングも爽やかです。
これは美味しいです。

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待つこと9分で私がオーダーした「クワトロフォルマッジ」と「蜂蜜」が到着しました。
焼き加減が美味しそうです。
蜂蜜を掛けまわしていただきます。
これは生地の塩加減にゴルゴンゾーラチーズと蜂蜜がよく合います。
焼き加減も過不足なくふっくらしています。
美味しいですね。
これはあっという間に胃袋に吸収されました。
期待以上の美味しさで大満足です。

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食後の珈琲は私の好きなテイストではありませんがこれは好き好きです。

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食後のデザートも私の好きなテイストではありませんがこれも好き好きです。
郡山でこのクオリティが味わえて大満足なランチです。
ごちそうさまでした

それでは(^_-)

会津若松 ありがたや

会津若松哀史
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会津若松に観光に行ってきました。
と申してもそんなに積極的なものではなく、奥様の友達が郡山に住んでいたので遊びに行くのに便乗して、翌日、会津若松に立ち寄ったのです。
個人的には会津若松の観光は今回で3回目です。

#白虎隊異聞
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今回、会津にきて色々な資料をみる限り、白虎隊少年兵士達は、体験したことのない凄まじい戦闘と、敗走、睡眠不足により疲れ切っていた為に冷静な判断ができなかったのでしょう。
一説によるとお城が燃えたので殿すでに自裁なされているはず、私たちはここでお供しようと命を絶ったという説もあります。
私の見立ては、まずは重傷者もいる中で、城まのでほとんどの道を政府軍兵が櫛比しており、城までは戻れないという事と、銃弾を受けた1人が前途に絶望していち早く自裁した事が相俟って集団自殺のメインファクターになったのだと憶断しています。
さて戊辰戦争後、明治政府は戦闘で死亡した朝敵をそのまま放置しておくよう命じた埋葬禁止令に白虎隊が該当しており、白虎隊の遺体には埋葬の許可がでませんでした。
風雨に晒される少年たちの衣服・遺留品は盗賊に盗られ、その遺体は狼などの動物に食い荒らされて酷い状態だったのです。
不憫に思った当時の山主飯盛正信が、村の吉田伊惣次及び有志らと夜な夜なコッソリと骨を拾い集め、今の墓前広場の一角に仮埋葬をしました。
しかし、このことが政府軍にわかり、正信爺は処罰され、その後許され出てきた時には正信爺は縄のようにやつれていたそうです。
自裁は哀れですがこれは酷すぎますね。
義侠心からの好意であり、まして死んだ仏には罪がありません。

#さざえ堂
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お堂の高さは実に16.5mと当時の建物にしてはなかなかの規模です。
外観は名前の由来ともなっている「さざえ」のような渦巻きも見て取れます。
建築されたのは1796年ですのでその時の将軍は子供を63人もこしらえたあの家斉です。
徳川幕府の中でも華やかな頃ですのでこのようなファンタジーな建物ができたのでしょうか。
図面を引いた人はすごいですね。
この建物は、個人的にはメビウスの輪を想起しますが、ドイツの数学者アウグスト・フェルディナント・メビウスが「メビウスの輪」を発見するのは1858年のことですから、この堂の誕生は発見より60年以上も前ということになるみたいですね。
いずれにしても、階段を登り続けていると途中から下りになり最後には入口にたどり着くのは不思議な気持ちになります。

午前中は2件で終わりました。
ランチです。
ランチのお店は奥様の友達が選んでくれました。
飯盛山からはそこにはタクシーで向かいました。
最初のお店の「あたごや食堂」は「臨時休業」で締まっていました。
続いて出向いた「すみれ食堂」も「臨時休業」で締まっていました。
タクシーの運転手さんからは、二つとも高齢な店主が趣味でやっているので「体調不良」で突然休むことは多々あるとのことでした。
さすがにこれ以上のアテがなくなったので運転手さんに「オススメのお店」に連れて行ってもらいました。
今日のお店は「めでたいや」さんです。

住所: 福島県会津若松市千石町3-1 メゾンド ドルチェ 1F
電話: 0242-33-0288
定休日:月曜日 ( 祝日の場合は翌日)

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

今日のオーダー、私、カレー焼きそば@900円、奥様、塩ラーメン@700円、奥様友、ミニかつ丼@700円です。
店内はジモティーと修学旅行生たちで満席です。
タクシー運転手さんの薦めるお店ですから人気店ですね。

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まずはミニかつ丼の到着です。
すこし分けてもらいました。
ソースは甘めです。
カツの面積は大きいですが、厚みは薄めです。
かつ全体にソースが染みていてサクッとした食感は美味しいです。

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ちなみに学生さんたちはこの「大名ソースカツ丼(大盛)」を頼んで旅の思い出にしていました。
このドスコイ盛り(ミニカツ丼×2個分)は見ているだけで胸が焼けそうでした(笑)

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奥様の塩ラーメンです。
最近、会津若松でも塩ラーメンが人気のようで当地では魚介スープ系が多いようです。
当然のことながら、このお店も魚介スープです。
意外に癖がなくて美味しいです。
ちぢれ麵がよくスープに絡みます。
これはとても美味しいです。

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私のカレー焼きそばです。
ソース焼きそばにカレーのルーをかけ回したものです。
一見、ジャンクぽいですが、これがとても美味しいのです。
辛いカレーと甘いソースの相性がとても良いです。
弾力あるキクラゲパンチも良い味わいでした。
これはココイチですね。
自信あり❣

#御薬園
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食後は「御薬園」まで歩いて行きました。
ここは戊辰の戦いをくぐり抜け残った庭園です。
国の名勝指定を受けただけあってきれいな庭園です。

#会津藩家老(西郷頼母さいごうたのも)邸跡
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明治元年8月23日朝、西軍が鶴ヶ城下に侵入し急を告げる早鐘が打ち鳴らされると会津藩士・家族達は籠城戦に備え競って入城を急ぎました。
西郷邸では、頼母の留守を預かる妻・千恵子が長男・吉十郎を城に送り出した後、一族を集め、幼い物や子女は足手まどいになり、恥辱を受ければ家名の恥になると説き聞かせ、母・律子(58才)をはじめ、季子(2才)までの21人そろって辞世の和歌を詠み自刃したそうです。
これが会津戦争最大の悲劇ですね。
生き残っても生き地獄がまっていました。と申しますのも政府軍は、非戦闘員の女性をレイプしまくり、その後で面白半分に腹をえぐって虐殺したらしいです。
その他家々で略奪を繰り返し、会津の女性を多数生け捕りにして数珠つなぎに縛って連行した後で、どこぞに連れていきそこで兵士たちが寄ってたかってレイプしていたらしいです。
また必死になって抵抗する女性には両内腿を刀で突き刺して、歯向かう気持ち失くしてから慮辱したようです。
これにより会津には父親知らずの赤ん坊が沢山生まれたそうです。
このように卑怯、卑劣、残虐、非道、外道、鬼畜の限りを尽くしたほうが戦争は勝つのです。
いまここで歴史は勝者によって記された記録であるという言葉を思い返します。
昔、会津出身の後輩が飲み屋で鹿児島県人と会って、唐突に戊辰戦争の話になり大激論になった事がありましたが、当地に訪れて初めてその時の後輩の気持ちが分かったような気持ちになりました。

#会津若松城
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奇麗なお城です。
奥様友情報によりますとこのお城は最近リニューアルしたばかりです。
展示内容もプロジェクトマッピングを多用していて観やすかったです。

なかなか良い観光になりました。
個人的には想像していた以上に悲劇の色が濃く残っていた街でした。

#シャープ9
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会津若松から郡山へは行き同様でバスで移動しました。

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郡山では昔通ったロックのライブハウス「♯9」を覗いてみました。
まだやっているのには驚きました。
私にとって郡山はロックの街でもあります。

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さて郡山で「思い出探し」もできたので東京に戻りますか・・・

それでは(^_-)

須賀川 せっちゃんラーメン

今日は「熟年離婚」です。
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結婚して20年以上の夫婦の離婚、いわゆる「熟年離婚」は2014年に3万6800件を数え、25年前の7割増となった。
巷間伝えられる多くのケースは「濡れ落ち葉」となった夫が妻に見捨てられる」というものだが、そんな「常識」に変化が起きている。
定年を迎えた夫に離婚を突き付けた妻はセカンドライフを謳歌し、家事に疎い夫は汚れきった部屋でインスタント食品の毎日を過ごす。
「熟年離婚」と聞いて思い浮かべるのはそんなイメージだろう。
だが、その構図に逆転現象が生まれつつあるという。
離婚カウンセラーの岡野あつこ氏が語る。
「10年ほど前までは女性が離婚を求めるケースが8割でしたが、現在は男性から切り出すケースが4割に急増しています。夫たちが『この妻と20年近い老後人生を共に歩めるか』を考えて離婚を決断するようになっているのです」
しかも、「妻と別れる」という生き方を選ぶ理由は「別の女性ができたから」とは限らない。
東京在住、結婚30年目のA氏(57)は専業主婦の妻(54)との離婚を決意し、現在は別居して離婚協議中だ。
「子供に手がかからなくなってから、妻にはパート勤めや資格の勉強をしたらどうかと薦めましたが、妻は『面倒くさい』と言うばかりで何の教養も身に付けようとしない。当然、会話は家の中の出来事ばかりなので、広がりもなければ長続きもしない。
家事はひと通りやっているし、妻を憎む理由もありませんが、ふと残りの人生を考えた時、こんな生活が続いていくことに暗澹とした気持ちになって離婚を切り出しました」
前出の岡野氏のもとに相談に訪れた結婚35年のBさん(57)は、2人の子供が独立した矢先、金融マンの夫(60)から離婚を求められたという。
「原因はBさんでした。家事は手抜き、打ち込む趣味もなく、専業主婦にあぐらをかく姿に夫は不満を募らせていた。
夫は財産の管理・運用に積極的で、Bさんは全て夫任せだった。
そして旦那さんは彼女に財産分割のリストを記した1枚の紙を差し出した。
それを見せられたときに初めてBさんは夫がずっと離婚に向けて準備していたことに気付いたそうです」(岡野氏)
Bさん夫妻のケースのように、家事をめぐって夫が「老後を一緒に過ごすのは、この女ではない」と離婚を決意するケースは少なくない。離婚問題に詳しいフラクタル法律事務所・田村勇人弁護士はこう言う。
「かつては妻から離婚を切り出されると生活力のない夫が途方に暮れたものですが、この10年で世の中は様変わりしました。
最近はコンビニ弁当も一人暮らしのシニア層を意識しており、家事代行サービスも充実している。
料理や家事ができる男性が増え、妻が不在でも生活に困らなくなってきた。
それが離婚を切り出す男性が増えている一因でしょう。
NEWS ポストセブンより転載

へぇーという感じです。
そうですか、夫が妻に離婚を切り出す事が増えているのですね。
一般的に男性は地位が上がると同時にそれにふさわしい人格、教養が身につきます。
その一方で女性も同様なキャリアパスを積めばそのような人間になるのでしょうが、現在の日本の労働環境ではなかなか難しいのでしょう。
人事の時の上司は、事務職は幾ら経験を積んでも事務職である。究極の事務職はいない、とよくよく申していましたが、それはジョブディスクリプションがそうなっているので必然ですよ、と言い返していましたがむべなるかなとは思っていました。

しか〜しこのキャリアギャップが面倒くさいのは夫が退職するまで顕在化しないことです。
特に多忙なビジネスマンは海外を飛び回っていますので、いきおいコミュニケーション不足になりますので最初は小さなギャップだったのが大きくなっていくのに気がつかないのです。
要は癌と一緒で早期発見すればたいしたことないのですが、気がついたらステージ4になっていたという事です。
よく夫が功成り名遂げて国から勲章を授与された時に初めて、実は夫がくだらないことをやっていたのではないことを始めて知る女性は多いのがこの証左です。

私の同期でも会社のマネージメントを自宅に持ち込み、奥様を部下同様に扱い続けた事により、大きなギャップができて修復不可能な状態に陥り、今や食事の時も肉声では声掛けせず、ラインで行っています。
特に今やビジネスマンは忙しいので、接待も減ってきており、昔みたいにスナックのママとの火遊びも減ってきているので、このようなボタンの掛け違いから始まった不仲による離婚が増えているのでしょう。
いずれにしても離婚の経済的損害は多いのです。
一番の問題は別れた後の住居問題です。
これが厄介ですが、最近はそのような仲介をする業態も増えてきたので何とかなっているみたいですが経済的な負担は多いと臆断します。
いずれにしても、以心伝心はいにしえの事ですので、決してディスコミュニュケーションにならいよう、奥様との会話は最新の注意を払っておこなうべきです。


これは役立つ!



今日は福島県は須賀川に出没です。
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この街は富岡製糸場のスポンサー企業である笠原工業さんの街でもあります。
実は以前笠原工業さんに接待してもらった美味しい蕎麦屋さんを探したのですが、見つからず彷徨ってたどり着いたのはこのお店です。
今日のお店は「せっちゃんラーメンラーメン」です。

住所: 福島県須賀川市上人坦104
電話番号:0248 -75- 4048
定休日:日曜日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

今日のオーダー「塩ラーメン」です。
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待つこと3分で「塩ラーメン」の到着です。
見た目美味しそうですがなぜかラーメンに豆腐と沢庵がついていました。

それでは実食です。
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麺は自家製麺ではないみたいでコシがないのですが、それ以外のスープ、チャーシューはかなりのレベルです。
特にチャーシューはトロトロです。
葱とメンマはかなりの量が入っています。
味ですか、美味しいですね。
特にスープは魚介系スープに鶏がらスープを合わせたもので味が深いです。
箸休めに豆腐と沢庵をいただきましたがこのスープによく合います。

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タクシーを呼んでもらったので、タクシーが来るまでの間、朝の連ドラをみていましたら、お茶でもどうぞ、と珈琲をだしてくれました。これで本当に@450円でいいのですか、と聞きたくなってしまいましたが、これがこのお店の流儀だと思って止めました。
ウォームハートのラーメン屋さんでした。

それでは(^_-)

福と出会う旅(番外編)

今日は「福と出会う旅(番外編)」です。
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福島には福があります。
旅にでて幸せをつかまえよう、ということで私達おとぼけ夫婦は太平観光さんのツアーで福島に観桜旅行に出かけました。今回は番外編ですのでグルメネタはありません。
宜しかったらお付きあいください。

#念願の佐野SAの朝食バイキング
前から佐野SAの朝食バイキングの概要を見ようと思っていたのですが7:00〜10:00の時間制限の為にそれが叶いませんでした。今回佐野SAに着きましたのが7時47分ですのでみることができました。
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このパフォーマンスで1,000円ですか。
コスパ良いですね。自慢料理の寿宝卵を使ったオムレツも確認できました。
今度佐野のアウトレットに行く時は絶対に早起きしていきましょう。

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販売員の方に聞きましたら高額ではありますがこのサーロイン串A4@2,500円は、な何と一日10本近く売れるそうです。多分ですよ、昔の私みたいに観光旅行のバスの車内でしこたま飲んで気が大きくなった輩(やから)が買っているのでしょう(笑)
あにサーロイン串A4の画像がないですと、私はお酒飲みませんから・・・

#花見山公園
日本を代表する写真家故秋山庄太郎氏が「福島に桃源郷あり」と毎年訪れていた場所です。
この時期は連ぎょう、白木蓮、彼岸桜などが咲きます。
もともとは一軒の農家が「皆さんにきれいな花をみてもらいたい」と始めた場所で、今でも地域の方の協力で美しい花の里山が守られているのです。
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きれいですね、個人的には往訪した奈良の吉野山の桜に似ています。
すこし盛りがすぎていましたのが残念ですがなかなかの花々でした

合戦場がっせんばのしだれ桜
平安時代に朝廷の命で奥州征伐に来た八幡太郎義家と地方豪族の安倍貞任・宗任兄妹が闘った場所とされる地に咲き誇ることから「合戦場のしだれ桜」と呼ばれるようになりました。
樹齢は約150年、一本の木のように見えますが、実は二本の木がよりそうように花を咲かせており「大林の夫婦桜」とも呼ばれています。
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きれいですね、英語でいえばgorgeousですか・・・
ここは満開だったので「撮れ高」最高です。

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番外編です。
ここの「三角焼き」@300円です。これってすごく大きいですね
下段の那須高原SAの「三角焼き」と比べてください。
実はこれすごく美味しいのです。
売店のオジサンに聞きましたら自家製とのことです。
なるほど、手づくりだから美味しいのですね。

#三春の滝桜
岐阜県本巣市(旧尾根村)の淡墨桜、山梨県北杜市の山高神代桜と並び、三春の滝桜は
日本三大桜に数えられる名木です。
大正11年10月12日に国の天然記念物の指定を受けました。
樹高は12m、根回り11mで、樹齢は実に1000年を超えているそうです。
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今回の福島への観桜旅行は、死んだ母が良く言っていた、この世に天国があるとすれば三春の春だよ、って言っていた事の確認だったのです。
来てみてわかったのですが、亡き母が言っていたのは「三春の滝桜」ではなく、三春そのものが醸し出す桃源郷のような牧歌的雰囲気だったのでしょう。
18歳の母が向き合っていた景色を共有することができて積年の疑問が晴れたような感じです。
多分母も私の心象風景を感じて天国から艶然と笑っていることでしょう。

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復路で立ち寄った「那須高原SA」です。
とても雰囲気が良いですね。
ちょっとクリビツしました。
実はこの後行楽渋滞に巻き込まれて帰宅したのは22時でした。
つかれ旅〜でありました、ハイ。

それでは(^_-)

喜多方 喜一

今日は「阿寒に果つ」です。
実は読書家です。
好きな作家は、司馬遼太郎、池波正太郎、藤沢周平、宮本輝、遠藤周作、渡辺淳一、松本清張、山本周五郎、ねじめ正一、三浦しおん、姫野カオルコ等です。
とくにこの六人、司馬遼太郎、池波正太郎、藤沢周平、宮本輝、遠藤周作、渡辺淳一さんの作品はほとんど完全読破しています。

しか〜し渡辺淳一の作品の中で「阿寒に果つ(あかんにはつ)」は私にとって「禁断の書」だったのです。
なんで「禁断の書」のかと申しますとある女子高生の自殺話だったからです。
しかも自殺した女子高生は作者の恋人ですからね。
作者も本文の序章で、「間違いなくあれは冷たく孤独な死であった。最果ての、誰にも知られぬ死であった。
しかし死は誰にとっても独りのものである。
大勢の人に看とられようと、ただ一人で原野に果てようと、死は死んでいく人だけのものである」と虚無的にのべていますように実話です。
それに加えて18歳の少女の雪中の自死ですからね・・・
18歳=若い、少女=悲恋、雪=純白、自死=哀れ、とこの言葉から帰納される私の結論は「悲しみに満ち溢れる」小説ということになります。
感情の抑制が苦手な私はこのような明らかに悲しい物語を読む事は苦手なのです。
したがいまして「禁断の書」にしていたのです。

今回色々な偶然が重なり読んでみました。
まず本書の粗筋の紹介です。
雪の阿寒で自殺を遂げた天才少女画家・時任純子。
妖精のような17歳のヒロインが、作者の分身である若い作家、画家、記者、カメラマン、純子の姉蘭子と演じる六面体の愛と死のドラマ。
汚れながらも純潔を守り、17歳で夭折した天才美少女画家時任純子。
著者の自伝的な要素を踏まえながら、一人の女性への思いを綴った悲恋小説の傑作である。


加清純子(文中では時任純子)さんの阿寒の雪の中での死は、雄阿寒岳の画が開いた芸術活動を、雄阿寒岳の絵で閉じ、そして雪の結晶の中に自分を閉じ込めることで、永遠に同級生の心に六華(在学していた札幌南高等学校のアイコン=雪の結晶)の印象とともに刻んだことになります。
渡辺淳一さんは後に「あの死は驕慢で僭越な死ではなかったのか。すべてを計算しつくした小憎らしいまでに我儘な死ではなかったのか」と述べられている様に、この死の為にすべてが仕組まれた奔放の愛憎劇なのです。
Storyteller(筋の面白さで読者をひきつける作家)として卓越した才能をもつ、渡辺淳一さんの筆致ですので、437ページの長編小説ではありますが、3時間強で読破してしまいました。
読後感想と申せば超面白かったのです。

しか〜し数日後、この記事をみて愕然としました。
「純子には、数年前に亡くなってしまったが兄が一人いた。加清準(ヒトシ)といい、私が大変世話になった北大同窓会の会長をも勤めた札幌経済界でも影響力を持った人物であった。
生前そのおじ貴に純子の本当の死因を訊ねたことがある。
えらぶることも着飾ることもないおじ貴がぶっきらぼうに言った。
『死因は大学受験の悩みだろう』 幼いころから天才と注目された少女の周囲からの注目度と現実のギャップがあったのであろうか。

おじ貴が渡辺淳一に会った時に冗談半分で一言云ったという。
『あまりいい加減なことを書くなよな』 小説に書かれた純子は、18歳の少女にしてはあまりに淫媚に描かれ過ぎていた。
この小説は、渡辺淳一が純真な少年であったがために純子にからかわれた末の妄想であると思う。
しかし、その妄想をひとつの作品として文学に創作してしまうのは、渡辺淳一の才能であろう」
本フリネタ、山花咲野鳥語ブログ・札幌南高13期東京同期会ブログ参照

え〜これってノンフィクション小説ではないのですね。
渡辺先生に完璧にやられました・・・
これと同じ思いは中学生の時に読んだ司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」でした。
私は「竜馬がゆく」はず〜っとノンフィクション小説だとおもっていたのです。
さすがに調査の司馬遼だ、良く文献をしらべているな、と感動していたのです。
ある時に何かの司馬遼太郎先生の文の中で、坂本竜馬は私が作った坂本龍馬です。
まぎらわしいのであえて名前を坂本竜馬という自らが作った架空の名前にしたのです、という断りを見つけて、この名著がフィクション小説だとわかったのです。
同様に今回「阿寒に果つ」は、久々の驚きの邂逅でした。

かつての少女たちのなかで、純子は間違いなくきわ立った存在であった。
五百余名いた女子生徒のなかで、純子の美しさは群を抜いていた。
いや単に学校だけでなく、札幌という街にいた少女達のなかで、時任純子(加清純子)ほど華麗な存在はなかった。
美しさ故に、純子は少女達の女王様であり、さまざまな男達の上に君臨していた。
それは当時まだ高校生であった私だけの錯覚ではなく、その時、純子の周りをとり巻いた、老若全ての男達が信じたことだった、と作者は、紹介しています。

加清純子
上記の画像は高校のときの加清純子さんと渡辺淳一さんです。
けっして故人を穢(けが)すつもりではありませんが、皆様の客観的評価を仰ぐものです。
とくに加清純子さんは一番よく撮れている画像を選びました。
さらに渡辺淳一さんは文中で、ちょっとハンサムで、できる子なんだけど。ことさらにあたしを無視しようとするの、って時任純子(加清純子)さんに自らの事をいわせていますが、ちょっとね〜であります。

阿寒に立つ
個人的には時任純子さんはこの画像のイメージで宜しいのではないのでしょうか。

この名著「阿寒に果つ」ですが、小説そのものは面白くて傑作だと思います。
時任純子(加清純子)さんを基軸とするbohemian love storyです。
そしてこの小説の背骨は渡辺淳一さんの自慢話で構成されています。
言い換えますと渡辺淳一さんの自己顕示欲充足小説であります。
しか〜し実在している人を実名且つ大いなる脚色で載せていますので、これは一種のtrick(ひっかけ)です。
ある種の私小説ですからね、那辺は作者の良識を疑うものであります。
もしかしましたら渡辺淳一さんは、一種の神経的恐怖症の持ち主で、自分の小説がウケない事が死ぬほど怖かったのかもしれませんね、だから敢えて反響を呼ぶために実名も取り入れたのでしょう。
いずれにしてもキレイに引っ掛かりました、ハイ。
お時間があればご一読ください。楽しめると思います。

ところで小説「阿寒に果つ」の中で主人公の時任純子が、シャンソンの「暗い日曜日」を聴く場面が描かれています。
加清純子も、「暗い日曜日」を聴いていたそうです。
この曲「暗い日曜日」(Sombre Dimanche)は、花束を抱きながらもう来ない恋人を思い、そして自らの死を考えるという歌です。原曲はハンガリーで作られ、フランス語に翻訳され広まりました。日本ではシャンソンとして広まりました。
日本では淡谷のり子、越路吹雪、美輪明宏、戸川昌子、岸洋子、金子由香利、夏木マリ、浅川マキなど多くの歌手によりカバーされています。
この曲を聴く人に自殺者が多いといわれるなど、自殺と結び付けられることで有名な曲です。
それではこの曲をお届けしてこのフリネタを終わらせていただきます。




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今日は会津に出没です。
なななんと会津は雪国です。
東京は昨日桜の開花宣言がだされたのに・・・
今日のお店は喜多方ラーメンの絶巓です。
過去何回もお邪魔したのですが、なぜかいつも定休日ではいれませんでした。
今回は満を持しての訪問です。
今日のお店は「喜一ラーメン」さんです。

住所: 福島県喜多方市関柴町上高額境田635-7
電話:0241-24-2480
定休日:第1・3金曜日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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お店の歴史です。

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メニューです。

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今日のオーダー「Sioチャーシュー(並)」@918円です。
待つこと8分で「Sioチャーシュー(並)」の着丼です。
窓から射しこむ光の矢をうけたスープは、目映いきらめきを丼の上に浮かべています。
なんと透明感あるラーメンでしょう。

それでは実食です。
スープは上品な塩味です。
うま味が深いですね。
麺は平打ち太麺で、この上品な塩味によくからんでいます。
特筆するのはチャーシューです。
喜多方では数多くの有名なラーメン店を訪れていますが、何処(いずこ)もチャーシューは後半飽きてきます。
今しか〜しこのお店のチャーシューは、後半になっても艶然としてそのたおやかさを保っています。
これはすごいですね。
個人的にはこのお店「喜一」さんはをking of Kitakata-ramenと言わせていただきます。
自信ありです、キッパリ。

それでは(^_-)

喜多方 まこと食堂

今日は「ツアーガイドと団体旅行客との会話」の話です。
このsituationは米国旅行への出国前orientationで、老人男性ツアー客とtour guideの間でなされたものです。
以下の会話は私の取引先から聞いた実話に基づいて作成しています。

男性客「今度の旅行にTバックを持っていきんたいんじゃが、大丈夫かね」
ガイド「服装等は個人の自由ですので問題ありませんが」
男性客「米国では一時期禁止されていると、息子に聞いたんじゃがね」
ガイド「Tバックがですか?その様な通達はきいたことはありません。一般的にズボンをはかれた上で着用されれば問題ないと思いますよ。むき出し着用はさすがにお控えなさった方が宜しいかと・・・」
男性客「そうですかい、念の為にレッドラインカウンター(申告カウンター)に並んで、実際の物を見せて輸出制限対象になるかどうか聞いておいたほうがいいと思うんじゃがね」
ガイド「エッ、レッドラインカウンターでTバックを見せるんですか」
男性客「そうです、見る人が見たらあやしまれる場合があるといいますんで。そうそう、よくいうじゃないですか、脱法ナンチャラとかね」
ガイド「そりゃ見る人が見たら、あやしむとは思いますが・・・原則個人の感性ですからね、それこそ人の好き好きではないでしょうか」
男性客「そうなんじゃ、やはり好みがあるもんだでな。分りました。レッドラインカウンターには並ばないことにしましょう。ところで機内ですぐにでも使いたい場合はスッチーに頼んでもよいもんじゃろか」
ガイド「Tバックを使いたい時にですか・・・」

ということで聡明な皆様はこのディスクレ(食い違い)が何故起きたかお分かりかと思います。
そうなのです、このtour guideさんは「Tea pack」を「T-back」と聞き間違えていたのです。
実話だけに面白い話ですね・・・


今日は喜多方に出没です。

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「ままどおる」は、バターのたっぷり入ったミルク味の餡を生地で包み焼き上げた土産菓子です。「ままどおる」とはスペイン語で"お乳を飲む人々"の意味だそうです。
製造は、福島県郡山市にある三万石さんです。
会社の部下の女性から頼まれてお土産として求めてまいりました。
味ですか、美味しかったですよ!
でもね、同じ日に偶然にも東北に出張した者がいて、それが何たることか「ままどおる」をお土産で買ってきたのです。その為に一人当たり合せて四個の配給になってしまいました。お土産は「希少価値」が命なのにネ・・・トホホ

ということで今日のお店は「まこと食堂ラーメン」さんです。

住所: 福島県喜多方市字小田付道下7116
電話:0241-22-0232
定休日:月曜日(祝日の場合には翌日)

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです

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今日のオーダー「チャーシュー麺」@900円です。
電車の都合で11時半に入店です。
人気行列店の為にすでに満席なのか、私の次のお客さんは隣の部屋でwaitingさせられました。
待っている間に気がついたのですが、ここの四代目主人は従業員の方に高圧的なのですね。
二言目に「柏木さん、何とか取って」「柏木さん、何とかどうなってんの」と偉そうな指示を乱発しています。そんなに偉そうに指示を乱発していたら、調理に集中できないだろうし、唾液は飛散するだろうし、大体聞いている方はすごく気分が悪いのです。
四代目主人さん、人間は“実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな” だと思いますよ。

待つこと10分で着丼です。
見た目“美ラーメン”です。
それでは実食です。
トッピングは小さめのチャーシューが6枚とメンマ・刻み葱がついています。
スープは少し油っぽい醤油味で豚や煮干しの甘い旨味が出ていて美味しいですね。
麺は中程度の太さの縮れ麺でモチモチした味わいが秀逸です。
チャーシューは特筆するものではなく喜多方のlevelからすると量、味ともかなり落ちます。
チャーシュー麺の値段も高いです。
今迄喜多方で食べたお店のチャーシュー麺比較でいえば
松食堂 @800円
生江食堂 @730円
あべ食堂 @850円(この店はチャーシューの量が突き抜けている)
 
です。

まぁ通りすがりの客なのでこの店には特段の思いれもないのですが、お金払って気分が悪くなるのは歓迎しません、ということでご理解ください。

それでは(^_-)

喜多方 松食堂

今日は「ところかわれば醤油も変わる」の話です。
「しょうゆ」は「東は濃口しょうゆ、西は薄口しょうゆ」といった風に好みが分かれています。 
この好みの違いは一説によりますと、かつての江戸、大坂それぞれの付近で育つ農作物や、流通していた魚の違いに由来するものといわれています。 
江戸は当時、水質、地質ともにあまりよくなかったようで、味のよい野菜も育ちにくかったのです。江戸前の魚も多くは赤身魚で、多少の生臭さが感じられたようでした。これらの食材をおいしく料理しようとした場合、濃い味つけにせざるを得ません。加えてかつての江戸は男性社会で汗をかく肉体労働者や武士が多く、十分な塩分が必要でした。 
そんな事情によって、江戸っ子ははっきりとした甘辛い味つけを好むようになり、香りが強く色も味も濃い「濃口しょうゆ」がもてはやされるようになった、ともいわれています。 

一方、かつての大坂を中心とした関西圏では、水質、土壌ともに比較的恵まれていたため、京野菜などの繊細な味の野菜が育ちやすかったのです。また、関西一帯では、瀬戸内海でとれる淡白な白身魚が大量に流通していました。そんなことから、関西で素材の持ち味を引き立てるような調理法が主流だったそうです。 
さらに、肉体労働者の都市、江戸と違って関西の公家文化では、濃い味付けが敬遠されていました。そのため、できるだけ薄い味付けになる「淡目しょうゆ」が、関西一帯では好まれるようになったのです。
「関東のしきたり関西のしきたり」話題の達人倶楽部[編]著より引用

「大阪ってさあ、水と空気が日本一まずいじゃないですか」
「体壊さないようにね、大阪の水道水、飲んじゃだめよ」
「滋賀の下水を京都で使い、そのまた下水を大阪で使ってるんだもの、飲めるわけないよ」
「京都のまずい水に糞尿生活廃水を混ぜたものが大阪の水で、淀川から取水している以上、大阪の浄水は京都の下水ともいえるよね」

とかいうことで、個人的には水がまずい大阪というimprint(刷り込み)がされていました。
一方、大阪湾では片口鰯が豊富に取れましたから、それこそ新鮮な鰯で作った煮干しが安価で手に入りますので良い出汁ができる背景がおのずとでき上がっていたと考えていました。
即ち、良い出汁を作ることで水のまずさを相殺していたのだと。味が薄いのはその出汁の良さを前面に押し出すためだと信じていました。

でも実態はちがっていて、要は関東はガテン系で関西はセレブ系なので、関東は味が濃くて、関西は味が薄いのです、と勿論このコラム子はこの要因がすべてとはいってませんものの、関西も関東も同じ様に肉体労働者はいたとは思うのですがね・・・
何れにしても水道水が出現したのは明治以降であり、この水がまずい、その水を出汁でごまかしていたというのは「都市伝説」だったのですね。
結果的には、素材を重視する為に薄口醤油になったということですが、切り口をかえて言えば薄口醤油が存在したことで、関西の料理が洗練され、食べて美味しく見て綺麗な料理が輩出されることとなったのでしょう。

子供の時に万博に行った話はblogにかきましたが、泊まった場所は高級ホテルではなく母の強い希望で甲子園に住んでいる母の姉の家でした。
初日の夕餉に従姉妹が私達の為にお手製「わんたん」を作ってくれたのですが、私達が東京人だったということから、味付けをすごく濃くしたものを作っていただきました。
そのすごく濃い「わんたん」を頂いたのですが、それでも個人的にはすごく薄めだったように感じられ、子供心にそのtaste gapに愕然としたものでした。


Poorduck but so cute
 


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今日は喜多方に出没です。
今日は暦の上では金曜日です。

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今日のラーメンこそは喜多方最強の「喜一」さんと決め打ちで訪れました。
しかしかかし本日も休みでした。
な何でだ?
さすがにこれはおかしいとnetで「喜一」さんの定休日を調べたところ第一・第三金曜日が定休日だと分りました。
これで氷解しました。
最初に訪れた水曜日が臨時休業日であって次に訪れた12月9日(金)が正しい休業日の第一金曜日にあたり休みだったのです。
要は、私は最初に訪れた水曜日を正しい定休日と思いこみ、次に訪れた12月9日(金)を臨時休業日と錯誤しただけだったのです。
しかしこの休業日を私に教えてくれたのは地元のお方だったのですが、トホホ・・・

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悩んでも詮無いことなので気を取りなおして流しのtaxiを拾いました。
乗るやいなや、taxiの運転手さんに、運転手さんが、薦める地元最強のラーメン屋さんはどこですか、と聞くと、当り障りないところでは「坂内食堂」さんですが観光客でいつも混んでいるので、taxi仲間ではとなりの「松食堂」さんの方が評価は高いですよ、とのことでした。そこで私はためらうことなく「松食堂さんに、行って」と行き先を指示したのです。
ということで今日のお店は「松食堂ラーメン」さんです。

住所: 福島県喜多方市字細田7232
電話:0241-22-9904
定休日:不定休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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本日のオーダー「チャーシューメン」@800円です。
店内に入ると正午前だったこともあり客は二組です。
店内スタッフは多分親子だとおぼしき年齢が離れた二人の女性がやっています。
あまりhospitalityは感じられません。
待つこと13分で着丼です。
見た目、美ラーメンです。
スープは、透明感あるあっさり醤油系です。
鶏ガラ、野菜などからとられたスープにほんのり煮干しが香ります。
麺は、細めのちぢれ麺です。あまりコシは強くありません。
具には、チャーシュー、メンマ、ネギがのっています
じっくり煮込まれたチャーシューは味付けがしっかりしており、そのうえホロホロ柔らかです。
分りました、この店がtaxi運転手さんに評価が高いのは。
チャーシューが特段に美味しいのですネ。
味の濃さ、脂身のほのかな甘さ、トロトロする柔らかさ、この3要素が一体となって上質な味わいとなっているのです。
さすがtaxi運転手さんから支持の高いお店ですね、満足しました。

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なお昼一の打合せの資料の再確認とコーヒーも飲みたかったので訪れたのが「松食堂」のお隣にある蔵町茶房「WAKANA」さんです。
ここは落ち着きのある店内に、ウーハーをタップリきかせたjazzの低い音色がBGMとして響きわたてっています。感じよいですね。
昼にはランチ@600円もやっており、和洋折衷でとてもおいしそうでした。
喜多方ラーメンの大体味の傾向も分ったことだし、次回はこのお店のランチにしましょう。

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最後に喜多方駅前にある珈琲専門店「煉瓦」さん。
過去二回ここで携帯電話の電池がなくなり、電気を拝借したのですが、今回も前回同様電池がなくなったため、お願いして電気を頂こうとしたのです。
しかし女店主?さんが般若の形相で、そんな電気はおいてません、ですと。
一体何があったのでしょうか、お願いbaseなので断るのは、お店のご自由なのでそれはそれで致し方なく結構なのですが、まがりなりにも客ですので、そんな電気はおいてません、はないと思います、ハイ。

それでは(^_-)

喜多方 生江食堂

今日は「蔵の街喜多方」の話です。 
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シバレるねぇ、小雪降る喜多方にクレームの陳謝で参りました。
それなりの大きな揉めネタなのでキタカッタ、違うか来たくなかったのですが、ハイ。
でも火事とクレームは初期動作が肝心なので致し方ありません。

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Automaticallyのドアの開閉に慣れきった私は、このドアが開くのを茫然と待っていたものですから、並んでいた会津っぽから顰蹙(ひんしゅく)をかいました。

今日は電車の到着時間の都合で珍しくお昼休みの時間が空きましたので、喜多方の街を散策しました。
ここから先はパチリでご覧ください。

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まずは五十嵐酒店です。
蔀戸(しとみど)の残る店内には、この屋敷内のたたずまいを示す立派な模型があり、この屋敷は、かつて用途別の蔵が群れをなしてあったことがわかります。

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喫茶くらです。
明治時代末期に建てられた蔵で元々は綿屋の店舗でした。
昭和54年に改修して喫茶店としてオープンしました。

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中の越後屋です。
明治の初めに上の越後屋から分家して、中の越後屋と呼ばれる旧家です。

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マーケット横町です。

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島慶園です。
かつて喜多方は茶の産地であり、ここも茶葉製造業として創業。
この屋敷の高い天井、座売りの空間、火鉢や並べられた昔の茶壷など老舗の風格がにじみ出ています。

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若喜レンガ蔵です。

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昭和レトロミュージアムです。

喜多方といえば喜多方ラーメンです。
前回のupで 喜多方No.1のお店は「生江食堂」と書きましたが、実はそれは聞き間違いで正しくは「喜一」さんだったのです。
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そして本日(金曜日)revengeで再訪したところ今日もお休みだったのです。
水曜日(前回水曜日が休みだった)が休業日ではなかったのですかビックリマーク
少し逆ギレしている
ということで初志貫徹して、今日のお店は「生江食堂ラーメン」さんです。

住所: 福島県喜多方市桜ケ丘1-26
電話:0241-22-2966
休日:木曜日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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今日のオーダー「みそチャーシュー」@780円です。
丼ぶりはご主人の手製だそうです、丼作りお上手ですネ。
待つこと13分で着丼です。
見た目どこからみても紛(まご)うこと無き「喜多方ラーメン」です。
スープはとんこつ・煮干し系で、お約束のスープの熱々は守られています。
さらにこのスープは焦げ茶色にまで丁寧に炒めたニンニクがバッチリ効いているのです。
味噌の味が深いのですが、さりとてショッパクはありません、美味しい。
麺は中太縮れ麺でこのコクあるスープに良く絡みます。
チャーシューのとろけ具合がgutですね、さすが喜多方、とてもイケます。
美味しいじゃないですか

とここで終われば大団円なのですが、妙な違和感が・・・
何だろう、答えは簡単した。
私が我が灰色の脳細胞に記憶したnetからの店舗画像がちがうのです。
私の格納した画像では店舗のイメージは紺だったのですがこのお店の店舗のイメージは誰が見ても赤ですよねぇ。
恐る恐るnetでreconfirmするとお店が同名他店だったのです。
私の行きたかった「生江食堂」は喜多方ではなく実は会津高田だったのです。
それでなくても喜多方には「生江(なまえ)食堂」と「食堂なまえ」が有って、「生江食堂」に行くときのtaxi内でも“なまえ”違いで一悶着あったし・・
紛らわしいゾ会津!下町っ子に喧嘩売ってんのか!アイズ(愛想)が尽きたぞ

それでは(^_-)

喜多方 あべ食堂

今日は「喜多方ラーメン」の話です。 
その歴史は大正末期から昭和初期にさかのぼります。 
当時、市内にはラーメン店というものはありませんでしたが、中国から渡ってきた一青年がチャルメラを吹き屋台を引いてラーメン(支那そば)を売り歩いていました。その手作り支那そばこそが70有余年の歴史を持つ喜多方ラーメンの元祖と言われています。
喜多方ラーメンがなぜこれほどまでに有名になったのか? 
その原点は「蔵のまち喜多方」にあると言えます。蔵の写真を撮るための観光客が喜多方ラーメンを有名にした最初の要因だったのです。 
喜多方ラーメンは、基本的には醤油味がベースになっていますが、その店によって色合いや風味は千差万別。塩味、醤油味、その中間の味といった様々な味があります。また、麺も店により太さ、縮れ具合、こしなど様々で、これがまったく同じ店などない。 
「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれ、一般的には麺の幅が約四ミリの太麺で、水分を多く含ませじっくりねかせてつくるのですが、この麺にはコシと独特の縮れがあるのが特徴です。 
次に良質の水に恵まれていることです。その水を使い麺が作られ、高品質の醤油や味噌が作られ、豚骨や魚介類また地元でとれた野菜などによりスープがとられ、そして、麺がゆでられ絶妙な味をもつ喜多方ラーメンとなっていきます。
喜多方老麺会「喜多方ラーメンの歴史…」より転載
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そうなのです、仕事で喜多方にきました。
ラーメン好きな私は喜多方には本当に来たかったのです・・・
しかしこの町は遠いですネ。家を6時半にでて池袋から大宮そしてそこで新幹線乗り換えて郡山に、そこから磐越西線に乗り換えて会津若松に、さらにここで乗り換えて喜多方に着きました。
喜多方に着いたのは11時17分ですので約5時間車窓の人となったのです、座り過ぎて腰が痛くなりました。
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このパチリは途中駅の岩苗代駅です。
喜多方駅に着いたら取引先の工場長が出迎えに来てくれました。
打合せの前に折角来たので「喜多方ラーメン」をご馳走しようということになり蔵の町喜多方の老麺(ラーメン)街に連れて行ってもらいました。
喜多方には全部で120店位のラーメン店があり、そのお店のほとんどがつぶれていないのが喜多方っ子の自慢の様です。
つまり観光客だけが「喜多方ラーメン」を支えているのではなく、地元民もかかさず食べているからラーメン店がつぶれないとのことです。
この工場長は二日酔いの朝は、朝ラーで体調を整えているようですよ。
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工場長は私を喜多方一番のラーメン屋「生江食堂」さんに連れて行ってくれたのですが、運の悪いことにこの日は定休日で休みでした。それではということで二番目に美味しいという「あべ食堂」さんに連れて行ってもらいました。

という事で今日のお店は「あべ食堂ラーメン」さんです。

住所: 福島県喜多方市緑町4506
電話:0241-22-2004
定休日:水曜日(祝日の場合は営業)(8:00〜14:00)

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お店の外観です。

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お店の前のパン屋さんです、すごいキャッチですね?

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今日のオーダー「チャーシュー麺」@850円(接待ラーメン)です。
松田優作さんではないのですが「何じゃこりゃ!」です。
丼ぶりのうえにはチャーシューが櫛比(しっぴ)の如くひしめきあっていました。
一体何枚あるのでしょうか(笑)
チャーシューは歯応えがよく、パサつき感なくしっとりと舌にからんできます
スープは半濁色で醤油の色合いが濃くどちらかというと黒っぽい感じです。ラード膜も張っていて背脂も若干浮いていますね。
さすが喜多方ラーメンです、醤油の馥郁(ふくいく)たる香りがたまりません。
麺は勿論、平打ちの太縮れ麺です、モチモチ、プリプリ、ツルツルと食感最高です。
味ですか喜多方で二番目のラーメン屋さんですよ。その先入観を外しても、ベタにマジ美味です、喜多方ラーメンに完膚なきまでknockoutされました、ハイ。
ご馳走様でした

それでは(^_-)
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