下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

浅草

舟和 お汁粉

新年明けましておめでとうございます


元旦の今日は初詣です。
当初は柴又帝釈天に行こうと思ったのですが、ひどい混雑が予想されるので取りやめました(以前エライ目にあったのです)
熟考の末準地元の下谷、浅草地区にしました。
最初は私の育った竹町近くにある下谷神社でガラガラ(鈴を鳴らす音)パンパン(拍手)しました。

そしてその次は浅草伝宝院敷地内にある「おたぬきさま」で親しまれている鎮護堂でガラパンをしました。この神様は商売繁盛の神様です。

この神社普段は開いていること見たこと無いのですが、新年だからですかね?

明治5年浅草寺境内に生息している狸が暴れた為それを鎮めるためこの地に祀ったことがこの神社の縁起だそうです。

怖そうなタヌキ君です。それでももう一匹君よりは愛嬌が有ったのでパチリしました。
ここ結構マニアックでな場所ですが、かなり外人さんが来ており皆神妙にガラポンしていたのが奇異に思えました。

そして最後に私の信心している?浅草神社裏手の被官(出世)稲荷に行きました。
私はこの稲荷には40数年以上お参りに来ているのですが、その縁起は良く知りません。
新門辰五郎所縁の神社で出世に御利益がある程度の認識でした。
案内板を読んでみますと、新門辰五郎の妻女が重病で床についた時、京都府南部にある伏見稲荷神社でその快癒を祈願したところ全快した為その守護神を当地に勧請してできた神社だそうです。

伏見稲荷は去年の秋に訪れたばかりなのであらためて親近感が湧きました。
そのため今日は特別にローソクを献納しさらにお賽銭も相当奮発したのです

一番突端のローソクが私が献納したものです(笑)

今日の獲物は甘味三連発です。
一つは「舟和」のお汁粉@200です。これ舟和本店にてお正月の七日間だけの限定店頭販売サービスです。
ここのお汁粉結構甘いので、私としては小茶碗一杯程度の分量で大満足です。
餅も良く焼けていて大満足でした。もう一杯食べたいな位が一番の口福です。
二つは「舟和」定番芋ようかんです。
この芋ようかんは明治30年前半、浅草寿町で芋問屋を営んでいた創業者小林和助が、練りようかんと一味異なったようかんを造ろうと発想し完成したようかんだそうです。
味はさつまいも独特の素朴な風味と控えめな甘さはとても美味しく、私以外にも多くのご贔屓を擁す名品です。
今日も美味しく頂きました
最後は甘味のカテゴリーキラーの「きらら(浅草店)」の黒豆大福(10個=210円)です。
甘味では一流処の名店で使用されている十勝小豆を使用しており、安さ+美味しさを追及した一品です。
味ですか、美味しかったです。特に黒豆が甘さの絶妙のアクセントをつけており、これで一個@20円はハイパフォーマンスの名品といえるでしょう。

ほとんどの人このお汁粉の店頭販売サービス知らないと思うのですが
このお店かなり裏に入った所にあるので、良くぞ見つけたという気持ちです
以外に混んでなかったのは舟和は何処でも買えるからかな

それでは(^_-)

ヘアスプレー

今日はお楽しみの映画「ヘアースプレー」を奥様と鑑賞します。
映画館は豊島園のユナイッテッドシネマ豊島園かTジョイ大泉ですが今回はTジョイ大泉に行きました。
この映画の内容は以下の通りです。


舞台は1962年の米東海岸の港町ボルティモア。
おしゃれとダンスに夢中な肥満の女子高生トレーシー(ニッキー・ブロンスキー)は、ヘアスプレー製造会社のTV青春ダンス番組「コーニー・コリンズ・ショー」に夢中になる。
ある日、番組のオーディションが開催されると知ったトレーシーは、父のウィルバー(クリストファー・ウォーケン)に励まされ、自分と同じく大柄な母親エドナ(ジョン・トラヴォルタ)の反対を押し切りオーディションに参加し運良く出演の夢がかなう。
その結果超肥満を恥じて家にひきこもる彼女の母は元気になる。
「黒人も一緒に踊れば楽しいのに」と無邪気なトレーシーの発言が黒人差別の美人番組ディレクターベルマ(ミシェル・ファイファー)を怒らせて警察まで出動する騒ぎへと発展する。

感想はネタバレにならない程度にいいますと、最初スクリーンを見た多くの観客は森公美子が外人キャラで歌とダンスをしているのかと思ったと思います。
主人公トレイシー役のニッキー・ブロンスキー1000人のオーディションから見事大抜擢された超大型新人ですが、それまではただの普通の高校生では何と御年17歳であの体です。
劇中で自ら言っていいた通りまさに「チビ(身長150cm位らしい)・デブ」です。
さらには、アメリカの超カリスマ人気アイドル、ザック・エフロンとのキスシーンも経験してしまったのですからまさにシンデレラガールの冠の通りですね。
しかしあれだけ踊りが上手いのに、あの体型なのは日本でも大人気なアイスクリームショップ「コールド・ストーン」でバイトをしていて、その合間にパクパクアイスクリームを食べていたせいなのかもしれません。
個人的にコーニー・コリンズ役のジェームス・マースデンの踊りが好きです。
ロックンロール好きにはタマリマセンね。
にさらには60年代を再現したレトロでキュートなファッションなどが最高でした。
私的には☆☆☆☆☆です。
ヘアスプレー

ところで映画から離れて今昔です。
まずは大泉学園の昭和31年です。

どうやら現東映大泉撮影所ですが、周囲に全く何も無い農村です。もともと西武の東京の別荘地としてできた町ですが何処に別荘地帯があるのでしょうね。

その後浅草に行きましたので浅草の今昔です。
その前に浅草寺の縁起です。


この浜成、竹成兄弟が救い上げたご仏像が、非常に高名な「聖観世音菩薩」であることが分り、この仏に深く帰依し改めてこの仏像を祀ったのが浅草寺の始まりです。そしてこの兄弟とこの仏計三人を祀ったのが「浅草神社(三社様)」なのです。
でもこの兄弟どちらが浜成さんでどちらが竹成さんなのでしょうか?

浅草ロック座の屋上から撮った珍しい「ひょうたん池」の写真です。前の方の池が現パチンコ屋さんで後ろに見える池が現JRAです。
ひょうたん池は明治17年に作られ昭和26年に観音本堂再建資金調達のため埋められたのです。
下町っ子の私も、生まれてなく名前こそしれ場所もおおよそしか知らなかったのでこの写真でハッキリと確認できました。
その名残で今ひさご(瓢箪)通りが残っています。



戦後間もない、全焼した「浅草寺」の改修工事の写真です。
「浅草寺」は昭和20年3月10日東京大空襲で消失しました。
たしか沢村貞子の随筆「私の浅草」にもこの東京大空襲の話がでており、彼女は当日「浅草寺」の境内の下に隠れていて、空襲が終わった次の日外に出たら地面が熱くて歩くのが大変だったと書かれていました。



お知らせです、あのお酒飲みの殿堂「松風」が店を閉めるようです。
残念ですね、しかし最近かなり敷居が高いのでお店に行くことも憚れます。
でもメンバーしか入れないのはヤリスギのような気がします。
記憶を紐解くと、当時お酒より酒のつまみの方がとても美味しくこれがあるから酒が引き立つように思えました。
お酒(日本酒)は、その当時(良く通っていた30年前頃)のお酒より今流通している方が美味しいと思います。
余談ですが、このお店「一人お酒三本ルール」ですが纏めて頼むと注文数が分らなくなり、滅多にないのですがたまに頼みすぎを指摘されると、連合いが急用ができて帰ったといえばそれですんだよき時代もあったのですよ。



現在の「松風」全景です。

「松風」の前の通りに有ります、10体近くある御利益タヌキ様の
置物です。今日はその中から「夫婦タヌキ」をお参りします。
この「夫婦タヌキ」様を拝むと夫婦仲がさらに良くなるそうです。
迷わず私は拝みましたが奥様は???

今日の獲物は浅草老舗「セキネ」のシュウマイです。
三十年ぶりに食しましたが、とても美味しかったです。
どちらかというとシュウマイというよりもミートローフをシュウマイにしたという感じですね。ツナギが強いのですかね肉が?今はやりの柔らか系と違い十分な歯ごたえ感がありとてもこれもよいですね。
まさに下町名物の名に値します。





最後に夫婦で手相を見てもらいました。
将来はお互い幸せな人生が待っているようです。
何故手相見さんは、必ず先生のような説教的な話し方になるのでしょうか

ということで今回はパチリ主体でオムニバス的Blog となりました。

それでは(^_-)







下町散策

本日は奥様と下町散策です。
始めは「一葉記念館」です。
夭折した天才小説家樋口一葉(本名:奈津)の波乱の24年の人生を展示した記念館です。
建物自体がきれいで採光性に溢れ、展示内容も分かりやすい構造になっています。
また良く知らなかった一葉の人生にもふれることができ感動しました






これは記念館前にあるコジャレたお店で販売していた、「楊枝入れ」です。
奥様がお友達にと購入していました。


お昼はここまで来たら浅草は、中国料理「香港楼」でしょう。
最初は「くうしんさい炒め」です。ニンニクの香りとくうしんさいの歯ごたえ抜群です。


私は「マーボー豆腐そば」です。
何故か日本ぽくって美味しい


奥様は「 四川風辛酸とろみそば」これはTooHotの様でした。
味は美味辛ですが、かなりいけます。
でもここは「炒めもの」勝負店だと思います。


次は「下町風俗資料館」です。
私が育った下町の昭和5年当時の地図がありましたが、やたら池が多いのに驚きました。
これじゃ地盤が軟弱で「大地震」がきた助かる確率が低いのも頷けます。




最後は「水月ホテル鷗外荘」です。
ここでお茶して帰りました。しかしお従業員のぞんざいな対応に折角の名庭園の美しさも半減です。






それでは(^_-)

線香臭い一日

今日小学校からの親友の三周忌が浅草のお寺で営まれました。
彼との思いでは色々あるのですが、今日はスキップします。
ただ亡くなった時に三歳とゼロ歳の子供が二年の月日の中で成長し、顔などが似てきたのは救いですかね。

その後は三河島に在る病院に治療にいきました。
三河島といえば、私的には「三河島事件」です。
三河島事件

それは昭和37年5月3日に父の姉(私の叔母)が父に宛てた一本の電話ですべてが始まりました。
電話の内容は、叔母の三男坊がまだ帰宅していない。
ひょっとすると今ラジオで大騒ぎしている三河島の脱線事故に巻き込まれたかもしれないとのことです。
現場には今日中に行くことができないので、代わりに確認してくれないかという依頼でした。
は即座にすべてが理解できたようで、「三河島に行ってくる」とい言い残して事故現場にすっ飛んでいきました。
しかし現場は想像以上に混乱しており遺体の確認などできる状態ではなかった様です。
朝方赤い目して帰ってきた父はそのように言っていました。
その後遺留品から徐々に身元が判明し始め、私の従兄弟の「死」は新聞等のプレスリリースによって遺体を現認する前に周知されたようです。
享年19歳でした。

その後遺体の引き取りやら葬式等で慌しく時間が移ろい、事件の四日後には切望していたの女の子(要は私の妹)が生まれました。
今このブログを書いてて思うのですが、かなり印象に残る一週間だったのでしょうね。
それからしばらくして何処かのお寺に三河島事件の慰霊碑ができ、父と一緒に従兄弟の名前を確認したことが思い出として残っています。

そんなことで私の中では、三河島は三河島事件であり、あまり良い思いででもないのであまり好んで行きたくない街なのです。
しかし父と見た慰霊碑のあるお寺は、三河島に来るたび気になっていました。
かといって探そうという気にまではなりません。

普段は日曜日診療なので、車でこの病院に行くのですが、今日は三周忌があったので電車です。
診察が終わり行きの道と返りは変えるかと決めブラブラと三河島の駅に方に歩を進めます。
すると何気なく、あるお寺の前で偶然足が止まりました。
体を左に向け寺の左側にあるステンレスの銘板を見ました(というか必ずこのようなものはチェックします)。
内容を読み下しますと、寺の名前は浄正寺で、三河島事件慰霊の三河島観音が安置されている旨が書かれています。
「Bingo、ここジャン」と叫びました。

早速中に入り慰霊碑を見つけました。
そして40年ぶりに背面にある犠牲者名簿の中に従兄弟の名前を、大分経年変化で字が薄くなっていましたが何とか再確認できました。
今日は数珠もちなので、しっかりと犠牲者の方々のご冥福を祈りました。
この従兄弟たちの尊い犠牲により、国鉄は自動列車停止装置(ATS)の開発に着手したのです。

さて今日の獲物ですが、三周忌の後の会食場所です。
私は浅草はかなり詳しいつもりでいたのですが、このお店は知りませんでした。
というか店構えがダサいので入ろうともしなかったでしょうね。
そうそうお店の名前を書き忘れました。
中国料理「香港楼」です。場所は田原町の焼ソバ屋さんの前です。
味ですか、とても美味しいのです。

今日のメニューは(印は私の評点です)

☆☆ 三種前菜の盛り合わせ
☆☆☆ むきえびのチリソース
☆☆☆ 二種類の揚げ物
☆☆☆☆ 鶏肉とカシューナッツの炒め
☆☆☆☆☆ 蒸しえびぎょうざ
☆☆☆☆ 海の幸と豆腐のとろみスープ
☆☆☆☆ 五目やきそば
アンニンドーフ



これが五つ星「蒸しえびぎょうざ」です。

アンニンドーフ以外は溜息の連続です。
特に蒸しえびぎょうざは、ゼラチン系の皮が口の中で縦横無尽にからみつき、それを噛み切ると美味しい肉汁とプリプリえびが口の中で舞踊るというほぼ天国状態です。
これは凄すぎますね。

それでは(^_-)








浅草「セキネ」

今日は死んだ「親父」の誕生日。生きていれば79歳でした。
結構「グルメ?」でかなり美味しいもの食べに連れてもらった記憶があります。
一つには親父が元気な頃は、それなりに「裕福」だったからかな?
でも、私よりワンランク上の「下町A級グルメ」でした。
よく入ったのが、浅草「セキネ」です。ここは一流デパートの大食堂を浅草に縮小して持ち込んだようなところです。
よって「寿司」ありいの「中華」ありいの「洋食」ありいの「蕎麦」ありいので、こうなるとほとんど「無国籍料理」の気分さえします。
当然のことながら、食べ放題の「料金青天井」でかなりお腹は満たされたものでした。
しかし面白いことに行くときは家族全員で帰るときは親父のみ「欠けてる」が常でした。
そうなのです、親父は10分位居るのですが、そのうち腰が落ち着かなくなり、一つ向こう筋の居酒屋「松風」にエスケープです。
松風は今では、単独飲酒禁止、会員様優先、酒は三本まで、酔客入店拒否と「正しい飲み方のグランドスラム」店ですが、その当時は美味しい日本酒を飲ませる「居酒屋」でそれほど厳格ではありませんでした。そこで飲むのが家族の団欒より楽しかったようです。
そうか「セキネ」か、味は「シューマイ」しか覚えていませんが、この間「三社祭」を見に行ったときに、小さな仮店舗で「シューマイ」の店頭販売をおこなっており驚いたものです。
それでは(^_-)
訪問者数

    Archives
    Categories
    記事検索
    • ライブドアブログ